罪と罰
静かな寝息に合わせて規則正しく上下するかわいらしい平らな胸。
鹿取 瞳は病院で横になる思い人を見つめていた。寝顔に苦しさはない。むしろほっとしたような顔だ。常に他人からの好意と好奇の視線にさらされることに疲れ切っていた彼のことだ。この世界に嫌気がさしていたのかも知れない。どこかへ行ってしまいたいと思っていたのかもしれない。だとすると、今、彼は解放されたのだろうか?誰にも見られない、彼の望んだ世界に旅立つつもりなのだろうか?
瞳は後悔していた。彼が学校に行かなくなった原因は自分だと。
他人の視線にさらされることがあまりにも辛そうな彼に、思わず言ってしまったのだ。
「無理して学校に行く必要はないのではないか」と。
「ノートなら私が貸す。私は学校の授業はほぼ完ぺきに理解している。だから、必要ならすべて私が教えてあげられる」、「雪緒が望めば、一人だけ別室で定期テストを受けることを先生も認めてくれるかもしれない、だからそんなに無理する必要ないのでは」とも。
彼は、しばらく黙っていた。やがて、普段あまり見せない困ったような顔で言ったのだ。
『高校くらい卒業しないと、将来困る』
とても儚い表情に思えて、瞳は思わず告げてしまった。
「雪緒の将来は自分が責任をもって支える。だからそんなに無理しないでほしい」と。
その時の彼の様子は忘れない。少し目を見開いて驚いたような表情をしたすぐ後に、彼はかすかに笑って、言ったのだ。
『ありがとう。瞳。そうだな。少し疲れたから、しばらく休むよ』
そのあまりの儚げな様子に、瞳は彼を抱きしめずにはいられなかった。
その日、二人は初めて口づけを交わした。
それ以来、彼は学校に行かなくなった。それどころか、次第に外出することも減っていった。もとから細かった食も、外出が減ることに比例するように、ますます細くなっているようだった。
瞳が部屋に訪ねると、決まって窓際のベッドに座り、空を眺めていた。瞳は彼の隣に座り、一緒に空を眺めた。彼は空と雲と光が織りなす現象が好きだった。色々な現象を瞳に教えてくれた。二人でいるのは楽しかった。彼もつらい思いをすることがなくなり、少しずつ、優しかった幼い時の彼に戻っていっているようだった。
これでいいんだ、と瞳は思った。彼には家族と自分がついてる。自分が一生彼の面倒を見ればよいのだ。そうすれば、彼もつらい思いをしないで済む。次第に、瞳はこの時間が永遠に続けばよいと思うようになった。彼に学校に行ってほしくないと思うようになった。
それはとても傲慢な望みだ。
瞳はわかっていた。これは私のわがままだ、彼の弱みに付け込んだ私が犯した罪なのだと。私のわがままが、彼の人生の可能性をつぶしてしまったのだ。
瞳は眠ったままの彼に話しかける。
「雪緒、大丈夫?ごめんなさい。私のせいなの。ごめんなさい。お願い、どこにもいかないで」
彼は起きることなく眠り続けている。もう二度と目を覚まさないかもしれない。いや、もしかしたら既に彼の魂はこの体を抜けて、どこかへ行ってしまったのかもしれない。
だとしたら、これは罰なのだろう。自分勝手な思いのために、さも彼を思うが為というふりをして、彼を引きこもらせた私に対する。
瞳は、無言で病室を後にした。