入れ替わり! 君の名は!
(うぅ。痛ぇぇ……)
どのくらい時間が経っただろう?俺は意識を取り戻した。揺れはどうやら収まったらしかった。エレベーター内で激しくシェイクされた為だろうか体のあちこちが痛い。しかし、幸いなことにどこか骨が折れたような強い痛みはなかった。俺はクラクラする頭を抱えながら上半身を起こして室内を見回した。緊急用の電源に切り換わったのか、天井からは非常灯の光が弱々しく室内を照らしていた。
(どんだけ気絶してたんだ俺……)
次に俺は現在の時刻を知るべく腕時計に目を向けた。だが、俺の右手首からは愛用のG-SHOCKはなくなっていて、非常灯の下で見る俺の腕は何故かいつもより白くて細くて弱々しく見えた。地震の衝撃で外れてしまったのだろうか?まぁ、時計が無いなら仕方が無い。スマホで時間を調べようと俺はズボンのポケットに手を突っ込んだ。すると――、
「ん?」
いや、ポケットに手を突っ込もうとしたらポケットがない。変だなぁと思いながら俺はあちこちまさぐってポケットを発見した。しかしポケットに入っていたのはスマホではなく女物のハンカチだった。おかしい。こんなものポケットに入れた記憶は無いぞ。と考えていると、俺は新たな異変に気付いた。足、特にふとももの辺りがやけに涼しいのだ。最初はズボンが破れたのかと思ったが、そうではなかった。何故か俺はスカートを穿いていた。
「うわぁぁぁぁああぁぁ!!」
俺は絶叫して立ち上がった。俺の喉から溢れ出した悲鳴は俺の悲鳴ではない、甲高い女の悲鳴だった。立ち上がった拍子にエレベーター内の鏡に俺の姿が映し出された。…てか、それは全然俺の姿じゃなくって制服姿の女子高生の姿だった。
「ぎゃぁぁぁああぁぁ!!」
俺はまたしても絶叫。鏡に両手をついて鏡に映る女の顔を覗き込んだ。驚きに顔を引き攣らせた女の顔があった。黒髪のセミロングだった。パッチリした目に小さくてやわらかい唇。整った顔立ちで、全体としてはかわいくて清楚でちょっぴりお嬢様っぽい雰囲気の女だった。その女が鏡の中で青ざめた顔で驚愕に顔を引き攣らせていた。
「ま、まじかよ……」
因みに俺の女の子の好みはショートヘアで明るくて活発な感じの娘が好きなんだけど、今はそんなことを考えている場合じゃない。……と鏡越しにドア付近でうずくまるようにうつ伏せに男子高校生が倒れていることに気が付いた。
「……死んでる?」
俺は恐る恐る男子高校生に近づき仰向けに引っくり返してみた。俺だった。いや、俺は自分の顔を鏡でマジマジと頻繁に見るような習慣は無いんだけど、床に転がったその男の顔は紛れもなく俺の顔だった。俺は自分の顔をぺちぺちと平手で軽く叩いてみた。俺の顔をした男が、う゛っ。と呻き声をあげて薄目を開けた。
「あなた誰……?」
男は頭を軽く左右に振りながら起き上がった。俺と男との視線が重なる。
「あれ?……私、が、いる。何で?……それに、何で私こんなブレザーを……」
男は俺の制服を暫しぼんやり見詰めると、制服の上からペタペタと両手で胸の辺りをまさぐり、その手は次第に下に降りていき、股間のところでピタリと止まった。
「何これ。何か変なものが付いてる……。いやぁぁぁぁああぁぁ!!」
「うわぁぁああぁぁ!おっ、落ち着けぇぇええぇぇ!」
それからが大変だった。俺の姿をしたソイツはあろうことか女みたいにわんわん泣き始めたのだ。高校生の男子が女みたいに泣き叫ぶんだ。しかも俺の姿で。こんなこと許せない。絶対に絶対に許せるはずがない。だから俺は必死で脅したりなだめすかして冷静さを取り戻させるべく頑張った。それでも俺の姿をしたソイツは全然泣き止まなくて、結局泣き止むまでに30分ほどの時間を要してしまった。本当に大変だった。本当の本当に大変だった。しかし、それを語り出すと無駄に長くなるので以下略――。
「つまり、地震のショックで私たち、身体が入れ替わっちゃったってこと?」
「確信は無いけど、そういうことなんじゃない?」
俺は目を赤く腫らしてまだ少しグズ付いている俺の姿をしたソイツにちょっぴり呆れながら応えた。他人と身体が入れ替わるなんてまともな神経では考えられないことだが、今、俺たちの身にこうして起っている事態を合理的に説明出来る仮説はそれくらいしかなかった。
「……私、元に戻りたい。」
俺の姿をしたソイツはつぶやいた。最もなことだと思った。まったくの同感だ。俺だって元に戻りたい。…ところが、この俺の姿をしたソイツがこの後に言った一言がいけなかった。
「アンタがエレベーターに乗ってこなかったら、こんなことにならなかったのに……」
この言葉に俺はカチンと来た。この発言は俺を軽くキレさせた。
「ちょとまて、あの時、後から乗ってきたのはお前の方だろうがっ!」
「うっさい!そもそもアンタがいなかったら最初っからこんなことにはならなかったんだから!」
「なんだよそれ、後から来たのに俺に責任なすりつけて、そのうえ逆切れかよっ!」
「うっさいうっさい!アーッ!よりにも何で私かこんな変態チックな男の姿にならなきゃいけないわけぇ!?」
「だっ、誰が変態だ!俺、これでも少しは女にもててるんだぞ!」
そうなのだ。部活でバンド活動をしている俺はまだ童貞ではあるものの、女の子にかっこいいと言われたこともあるし、バレンタインにチョコレートを貰ったこともある。親友でリードギター&ボーカルの親友なんかは美人の彼女がいて、彼女とのセックス自慢話を俺にしてくるので、うっぜぇぇ。マジ爆発しろ!とか思ってしまうのだが、そんな親友と比べればショボい俺でも女の子に手作りチョコとか貰ったりできているんだから、男として自分の魅力に少しは自信を持っていいんじゃないだろうかと考えていた。それなのに俺の姿をしたソイツ(つーか中身はこの体の女だよな)はあろうことか、
「はぁ?こんな変態好きになる女子なんているわけないじゃない。馬鹿なの?」
などとぬかしやがる!許さねぇ。そこまで言うんだったらこちらだって容赦してやる道理も仁義もない。だから俺は言ってやった!
「そっちこそ、自分のこと可愛いとか思ってるのかもしれないけど、こんな胸の薄い女に喜ぶ男がいると思ってんのか!?」
すると俺の姿をしたソイツは見る見る顔を真っ赤に紅潮させ、
「こ、コイツ、絶対に言ってはいけないことを言ったなぁ!!」
売り言葉に買い言葉。こうなると俺もブチ切れだし、向こうだって完全にブチ切れだ。理性が吹っ飛んだ俺たちは互いを口汚く罵った。それはそれは激しく罵りあった。力の限り罵詈雑言を尽くして罵りあった。罵って罵って罵りまくった。罵り合いは一時間近く続いた。しかし、その内容はあまりにも聞き苦しくも見っともないので以下略――。
散々に罵りあった俺は酷い喉の渇きを感じて圧し黙って床に座り込んだ。それは向こうも同じようだった。俺の姿をしたソイツも床に座り込んで足を投げ出した。暫しの沈黙の後、俺はかすれた声で言った。
「なぁ、喉渇いたから俺の鞄とってくれない?中にジュース入ってるから……」
俺の姿をしたソイツは傍らにあった俺の鞄を引き寄せると中からペットボトルに入った午後ティーを取り出した。
「ねぇ、先にちょっともらってもいい?」
「別にいいよ」
俺の姿をした女はパキッと音を立ててキャップを外すと、喉を鳴らしながら一息に半分くらい飲み干した。ひと心地ついた俺の姿をしたソイツから午後ティーを受け取った俺も残り半分の半分くらいを一気に飲んだ。俺の姿をしたソイツがつぶやいた。
「さっきは変態だなんて言ってごめんね。私、ちょっと気が動転してたんだ……」
なんだ、案外素直でいい奴じゃん。と、俺は思った。だから俺も、
「いいよ。気にしてないって。こんな状況じゃ誰だって気が動転して当然だろ。それに、俺こそ悪かったな」
「何のこと?」
「胸がないって言ったこと。胸がないってことは無いと思うよ。あるか無いかで分けるならギリであると……」
「……何それ?ディスってんの?」
恐ろしく冷たい声と視線が俺を貫いた。し、しまった。これは言わない方が良かったか?瞬時心拍数が跳ね上がりに冷や汗が背中から噴き出す。そんな俺の顔をじとーっと暫く見つめていた俺の姿をしたソイツは突然にっこりと笑っていった。
「まぁ、いいか。キミが私のこと許してくれたから、私もキミのこと許してあげる」
「どっ、どうも……」
俺はまだバクバクと音を立てる心臓をなだめながら胸をなでおろした。
「ところでキミは名前、なんていうの?」
「俺?俺は黒猫大和」
「クロネコヤマト?なにその宅配業者みたいな名前?偽名?」
「う、うるさいなぁ。本名だよ。人が気にしていることを……」
「でも、私、黒猫なんて苗字聞いたことないよ?」
「俺だって親戚以外で黒猫なんて苗字の奴に会ったこと無いよ!」
そうなのだ。俺の苗字は黒猫。名前は大和。これが俺の正真正銘の本名なのだ。つーか、苗字が黒猫なのに大和なんて名前、絶対に両親が酔狂で付けたに違いないんだ。そうでなければもう少し常識的な名前にするだろう。尤も、神弟霊羅とか手淫華辺琉みたいなキラキラネームを付けられるよりは辛うじてましと言えるが、それでもこの名前のおかげで小学校時代、俺はどれほど同級生にからかわれたことか……。
「あ、ゴメン。そんなに気にしてたんだ……」
俺の姿をしたソイツは謝罪の言葉を口にした。どうやら俺が過去のあれやこれやを思い出してブルーになっているのが表情に出ていたみたいだ。
「大丈夫、名前のことはもうほとんど引きずってないから……。そっちこそ何て名前?」
「ひ、秘密……」
俺に名前を聞かれたとたん、俺の姿をしたソイツは口をすぼめてそっぽを向いてしまった。ははぁん。これは何かあるなぁ。と睨んだ俺は、
「いいよ。教えてくれないんだったら自分で調べるから」
と、自分の、といっても本来は俺の姿をしたソイツの体なのだけれど、とにかく、自分の胸ポケットに入っていた生徒手帳を取り出した。
「見ちゃダメェェ!」
途端に俺の姿をしたソイツが俺に飛びかかって来た。これをあらかじめ予想していた俺はクルリと身体の向きを変えてタックルを回避し、生徒手帳の表紙をめくった。名前欄には妻戸三四三と書かれていた。これ、何て読むんだ?
「つま、と…さ、しみ?」
俺は当てずっぽうで適当に読んでみた。
「いやぁぁああぁぁ!」
俺の姿をしたソイツは絶叫した。どうやらズバリ正解だったようだ。…ってか、まてまて。つまとさしみ。ツマとサシミ。ツマと刺身。刺身とツマ。何てこった駄洒落じゃないか!こんな名前を子供に付けるなんて親はよほど酔狂な人間に違いない!子供の名前に或手間とか御芽蛾とか付けるよりは辛うじてマシだけど、まさか俺の両親以外で子供にこんな酔狂な名前を付ける酔狂な親が他にいたとは!
「サシミ……。苦労してきたんだなぁ……」
「黒猫くんだって、これまで大変だったんでしょ……」
俺とサシミは同じ不幸を背負って生きてきた。そう考えた瞬間、お互いの身体が入れ替わったショックとか、その後激しく罵りあった怒りとかを超越して不思議な友情というか連帯感というか、要するに相手に対する信頼感のようなものが芽生えてきた。それはサシミも同じだったようで、サシミの俺を見る目が以前とは明らかに違ってきていた。……と、ここで俺は重大な問題に気がついた。
「そういや外はどうなってるんだ?」
ちょっと長くなったので分割します。もう少しだけ続きます。