ハヤドリが泣いた理由
顔を洗って冷静になったのか、スミレ坂が戻って来た。真っ赤になりながら何か告げると、村長が嬉しそうに一つ手を叩いてイモハミ婆さんを呼んだ。3人で小声で話しているのを気にしていたら、背後から不意に声を掛けられた。
「盗み聞きは、余りカッコ良くないよ」
吃驚して振り返ると、ハヤドリが居た。
「タツヤおめでとう」
「ありがとう。祝ってくれて嬉しいよ」
ハヤドリは、修行に来て2年近い。出身の兎村には魔術が使える者がおらず、気持ちの入りようが時々痛々しく感じる事も有るぐらい真剣だ。でも、まだ13の思春期、内心は色々あるだろう。
スミレ坂より更に複雑なハヤドリが祝いに来てくれて、ワシは少しだけ心が軽くなった。
「話は変わるけど、さっきの話は本当? それともスミレ坂さんを揶揄ったの?」
何故か真剣な表情でハヤドリが質問した。この娘も村の男に不満があるのかな?
「嘘じゃないけど……村を出て2ヶ月経ってるし、色恋沙汰を完全に把握出来る訳はない。本当に5人も手を挙げるかは自信がないよ」
「そこじゃ無くて……人口増加の話」
妙な事を気にするもんだな?
「この3年の間だと、死んだのは8人、産まれたのは13人
命名の儀以上を基準にすると5人と9人、着実に増えているよ」
いきなり、目に涙を浮かべ、ハヤドリがキツイ目で睨んでワシを痛罵した。
「鼻高々のタツヤ様は、この惨めな女の事など理解出来ないでしょうね。兎村は寂れる一方、魔術を使えるものも居ない。期待された私も、タツヤ様には比べるまでも無い」
慌てて駆け寄ったスミレ坂に睨まれた。
「タツヤのバカ‼︎ 鈍感‼︎ 無神経‼︎ 女を泣かせるなんて最低‼︎」
ぽかーんとしているワシにイモハミ婆さんが冷静に言った。
「タツヤ、後で私の家においで、色々話す事がある。さて、そろそろ宴を締めようか」
皆が、テキパキと片けを始めた。ワシも慌てて動き始めた。そこに、ハヤドリとスミレ坂が近寄って来てギクリとした。
ハヤドリとワシがほぼ同時に「ごめんなさい」と言いあった。
「僕、無神経過ぎた。本当にごめん。嫌いにならないで」
「私こそ、タツヤの大事な祝いなのに場を白けさせごめんなさい。本当は、嫉妬に狂った嫌な女になるつもりはなかったの」
「これで二人全て水に流して仲直りよ。あとタツヤ、イモハミ婆さんの話が終ったら、じっくり話したい事があるから、旅人小屋に来なさい。寝床は用意させておくから」
最後はスミレ坂が締めた。
片付けを終えてワシはイモハミ婆さんの家に向かった。お説教だと思うと足が重かった。
仲直りの話とかで座を暖めた後で、イモハミ婆さんは、姿勢を正した。
「別に、説教する訳ではないから固くならなくて良いよ。少し昔語りをするだけさ。まとまった話をしたのは、最近ではスミレ坂と村長の息子ぐらい。別に秘密じゃないけど、聞いても重すぎて普通は役に立たない」
重たい昔語りだと?居住まいを正さねばならんな。
「私の婆さんの子供の頃、この島には100以上の村々を従えるクニが3つあった。婆さんに言わせると私の子供の頃に比べて遥かに良い時代だったそうだ」
それは、魔術の発明と同時に魔物が表れてからの苦闘の100年の歴史だった。闘いが続き、クニは村々の信頼を徐々に失い、どのクニも30年程で実質的に滅んだ。
多くの村々はそれ以来、不利な闘いでジリ損が続いている。インシュリンどころかマトモな消毒薬や下熱剤も無い世界、どんな熟達した戦士でも、運次第で戦傷が化膿し命の危険に曝される。
そして、経験深い戦士が喪われれば未熟な者で穴を埋めるしかない。
熊村もイモハミ婆さんが17歳の時に最大の危機を経験した。その危機の最中、イモハミ婆さんに神託が下った。
『一生を通じて一人でも多くの者を治癒出来るよう努力し続けるなら、今、正に、その力を与える』
熊村は持ち直し、イモハミ婆さんは、その後神託に従い努力を続けている。
「治癒を行う魔術士が一人いれば、戦傷者をほぼ確実に救う事が出来る。それが、どれだけ妬ましい事か……
タツヤはハヤドリの気持ちを考えてあげなさい。治癒小屋で先輩のスミレ坂はまだしも、タツヤに抜かれて抑えきれなかっただけじゃ。
ハヤドリの心根が真っ直ぐなこと、タツヤも知っているじゃろ?」
ワシは、自分の事しか考えていなかった事を心から恥じた。
「さらに、魔術士の確保も簡単な話ではない。タツヤには実感出来ないかも知れないが、魔術の修行を貫徹させるのは至難の技なんだ」
イモハミ婆さんの話は続いた。
イモハミ婆さんの経験上、普通は開眼まで20年程それから魔法で治癒できるようになるまでも5年程かかる。余りにも無為な時が長すぎる。特別な条件が無い限り、修行者の意欲が続かない。【家業】にすることを意識しているが……人生50年とすれば容易に断絶が起こりえる。
「トンビ村でも、先代のユウナギさんは女の子に恵まれなかった。クサハミが嫁いだが、大戦で65歳の先代が亡くなってから、魔術で患者を救えるようになるまでの5年間、クサハミは随分苦い思いをしたようじゃ」
ワシは、転生前に聞いた『未来予知をすると、放置すれば千年ほどで人は滅びるとの結論になりました』というセリフを噛み締めていた。
ハヤドリが泣かざる得ない事情を生々しく書こうとしたら、作者本人が引いたので、曖昧です。上手く描き切れなくて納得感が無いと思いますが、ご容赦下さい。
寂れる=死んで行くというのが本質的な事情です。
H29.3.18トンビ村の先代呪術士の名前をユウナギにしました。




