一番大切なもの(ショートショート24)
真夜中。
オレは肩をゆすられて目をさました。
一瞬にして声を失う。
薄明りのベッドの脇、そこに見知らぬ奇妙な男が立っていたのだ。
ソイツは黒のマントをはおり、でっかいカマを手にしていた。タロットカードにある、あの死神そのものである。
死神が言う。
「オマエの命を売っていただきたいのだが」
「……」
首を振るのがやっとだった。
「ならかわりとして、オマエの一番大切なものを売っていただこう」
「一番って?」
そう聞いて、ついうっかり隣を見てしまった。
そこにはスヤスヤと寝息をたて、なにも知らずに眠っている妻がいたのである。
「その者なのだな」
死神が妻に目を向ける。
「待ってくれ! 妻の命を売るぐらいなら、オレの命をやるんで」
「その者はオマエにとって、それほど大切な者なのか?」
「ああ、なによりもなによりもな。だから、オレの命をくれてやる」
「わかった」
「じゃあ、妻には手を出さないんだな」
「オマエにもな」
「えっ?」
「オマエの、その者を思う気持ちに免じてな。だがワシとしても、手ぶらで死界に帰るわけにはいかん。それでだな……」
死神が妻に手を伸ばす。
――やめてくれー。
叫んだところで目をさまし、すべてが夢だったことに気がついた。
イヤな夢だった。
実にイヤな夢を見てしまった。
「あなた……」
隣では、妻がおびえた目でオレを見ている。
「どうした?」
「怖い夢を見たの。死神が現れて……」
「死神だって!」
「そうなの、大きなカマを持った死神だったわ」
「オレもだ。カマを持った死神が夢に出て、オレの命を売ってくれって」
「それも同じだわ。私の夢に出た死神も、わたしの命を売ってくれって」
「まったく同じ夢を、しかも、二人そろって同時に見るなんて」
「どういうことなのかしら?」
「わからん。だけど断ったら、死神のヤツ、今度は一番大切なものを売ってくれって。もちろん、それも拒否したけどな」
「そこも同じだったわ」
「じゃあ、オマエも拒否したんだな」
「ごめんなさい。あたし……死神が怖くて、あたしの一番大切なものを」
「売ったのか?」
「あなた、ごめんなさいね」
妻が泣きくずれる。
「そうか。いや、気にしなくていい。どうせ、これも夢なんだからな。オレは、こうして命があるわけなんだし……」
だって。
妻がオレを死神に売るはずがない。
――これも夢なんだ。
オレは夢の続きなんだと思った。
「あなた、あれ!」
妻が目を大きく見開いて、寝室の隅の暗がりを指さした。
そこには……。
なんとそこには、夢で見た死神が立っているではないか。
死神が妻に向かって言う。
「約束どおり、オマエの一番大切なものをいただいていくぞ」
「……」
妻がコクンとうなずく。
「ではな」
死神の姿が薄れてゆく。
その死神の腕には、我が家の愛犬、ポチの姿があったのだった。