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いつか……  作者: 那由多
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第五話

 翌日の昼過ぎ、俺は相変わらず満月堂のカウンターで丸椅子に腰掛けていた。

 街のクリスマス色は日増しに色濃くなってきている。ショーウィンドウに白いスプレーで絵を描いてくれと申し出があったけど、丁重にお断りした。描かせてくれならともかく、描けとか面倒くさいったらない。ついでだからリースを外して行けと言ったら、それは逆にお断りされてしまった。

「……と言うわけでしてね」

 俺は昨日の出来事を和室で茶を啜っている白井さんに話し終えた。

「そりゃあ、大変だったねぇ」

「ええ、まあ結局そのまま流れ解散になっちゃって」

「それじゃあ、家まで送って行ったりしなかったのかい?」

「一応申し出ましたけどね。断られました」

「そうかぁ。残念だったねぇ」

 含みのある物の言い方。何が言いたいかは分かるので、乗っからない事にする。

「元気になってくれることを祈りますよ」

「そうだねぇ」

 話題が膨らまなかった事について、やや詰まらなさそうな白井さんの気配は感じる。そこで気を遣うほどに出来た人間でもないのが俺だ。

「それにしても、よっぽどの事がその会話の裏側にはあったんだろうね」

 そう言って白井さんはお茶を啜る。まあ、初対面みたいなものだし、そりゃ知らないことだらけで当たり前と言えば当たり前なのだが。だからこそ、あのような深刻っぽい場面を見せられると余計に心配になるというか、対処に困るというか。

「まあ、なんせ昨日はすみませんでした。急にお休み貰っちゃって。仕事、進まなかったでしょう」

「ああ、店、開けなかった。臨時休業」

 そう来たか。なんて店長だ。

「いいんですか、困った人がいたかもしれないですよ」

「大丈夫だよ。常連さんはその辺分かってるし、ご新規さんもここ数ヶ月で、その赤城さんぐらいだろうしねぇ」

 返す言葉が無かった。そりゃあそうだろう。白井さんが好きでやっているだけの、いわば趣味の館みたいなものだ。定休日だってないのだから。

「さて、それじゃ、仕事に戻ろうかな」

 お茶を飲み干して、湯飲みをちゃぶ台の上に置いた白井さんはそう言って一つ伸びをした。

「こっちは仕事じゃないんですか?」

「あはは、そうだね。頼りにしているよ、藍沢君」

 よろしく、と片手を挙げて白井さんは部屋を出て行った。何の気なしに行ったのだろうが、頼りにしているという言葉が少し嬉しかった。

 白井さんが出て行くと、途端に静かになる。

 売り上げがまるで無いのも毎度の事だが、それでも普段なら一人か二人は店の中を覗きに来るものだ。この客足の鈍さは、クリスマスが近いからか、あるいはスプレーアートを断ったことによる商店街からの嫌がらせか。

 暫くは陳列棚を整理したり、平積みになっている本を崩れないように積みなおしたり、埃を落としたりとしていたのだが、すぐにすることが無くなってしまった。そもそも、本が動いた形跡がないので、整理もへったくれもない。その分埃は溜まっていたけれど。

 ぼんやりとしているのにも限界がある。俺は新しく持ってきた文庫本を読むことにした。

 ストーブを足元に引き寄せ、茶の支度もする。茶菓子があれば尚良いが、店員と言う立場上あまりにフリーダムなのもいかがなものか。

 俺は一ページ目を開いた。


 文庫本を四分の一ほど読み終わった頃だろうか、ふと入り口のガラスが揺れたような気がして、俺は顔を上げた。視線の先、入り口の扉越しにこっちを見ていた赤城さんと目が合う。

 硬直。

 ぽんっと音が聞こえそうな勢いで顔を真っ赤にした赤城さんは慌てて後ろを向いた。何をしているんだか。

 その様子がちょっと可愛かったので、つい笑ってしまう。

 恐らく栞を取りに来たのだろう。俺はカウンターを立ち、入り口の扉を容赦なく開けてやった。

「いらっしゃいませ」

「あ……、こ、こんにちは」

 ぎこちなくこちらを向き、赤城さんは困ったように笑顔を浮かべた。紺色のコートに少し大きめの茶色いバッグ。相変わらずシックな出で立ちが良く似合っている。

「栞?」

「あ、はい」

「ちゃんと置いてあるよ。とにかく中に入って。冷えるよ」

「あ、す、すみません」

 いやいや、店に入るのにすみませんも無いだろうに。おずおずと、赤城さんは店の中に入ってきた。

「ええと、はい、どうぞ」

 俺はレジの横に挟んでおいた栞を引き抜いて赤城さんに手渡した。

「ああ、良かった」

 差し出した栞を受け取った赤城さんは、心の底からほっとした表情を浮かべた。そしていそいそとそれをバッグの中に仕舞い込む。

「気付いて良かったよ」

「ホントに、ありがとうございました」

ぺこりと一礼する赤城さん。

「いやいや、こっちこそ連絡もしなくって」

 謝罪の意味を込めて俺も頭を下げる。

 そして、二人同時に顔を上げ、なんだか気恥ずかしくなって笑いあってしまう。何だろう、この気まずい感じ。

 赤城さんの方も視線を彷徨わせがてら、ぐるりと店内を見回した。そして、改めて感動したように息を一つ吐いた。

「……沢山、ありますね」

「まあ、一応本屋を名乗ってるらね」

「あ……、そうですよね。あの、ちょっと見て言っても良いですか?」

「もちろん。届かない本とかあれば声を掛けてね」

 狭い店内だが、陳列棚の高さは結構ある。一番上の本になると、俺でも台が必要だ。頭一つ分は俺より低い赤城さんでは、まず届かない高さだ。

 赤城さんは一つ頷いた後、店内をぐるりと巡り始めた。何となく、その姿を目で追ってしまう。

「くしゅん」

 小さなくしゃみをする赤城さん。俺が顔を上げると、赤城さんは恥ずかしそうに鼻を押さえていた。埃かな、とも思ったが、指先が随分と赤かった。ひょっとして、結構長い間外から様子を伺っていたのだろうか。

「お茶、飲んでいく?」

「え?」

「いや、どうせ暇だし、温かいお茶の一杯でもいかが?」

「でも、悪いですし」

 俺はその言葉に構わず、立ち上がった。

「どうぞ。ストーブもあるから、暖かいよ」

「いや、あの」

「お茶、入れるから、座ってて」

 俺は和室に上がり、ちゃぶ台の湯飲みを一つ手に取った。

「あ、あの、し、失礼します」

 暖かさの誘惑が勝ったのか、俺に気を使ってくれたのか、赤城さんはぺこりと一礼してから椅子に腰掛けた。爪先が自然とストーブのほうに寄って行くところを見ると、やっぱり随分寒かったんだろう。

「はい、どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 そう言って受け取った湯飲みを手でしっかりと包み込む。その暖かさを少し味わってからずずっと一口飲んで、ほうっと幸せそうなため息をつく赤城さん。

「今度から、遠慮しないでいいからね」

「あっ……はい」

 恥ずかしそうに俯いてしまった。俺は、和室の上がり口のところに座布団を引いて腰掛けた。静かな沈黙が少しだけあって、それからおずおずと赤城さんは口を開いた。

「昨日は、すみませんでした。恥ずかしいところをお見せしてしまって」

「ああ、気にしてないよ」

「私ってば、取り乱しちゃって……。しかも送って頂くのまで断っちゃって」

「うん、誰だって気分の乗らないときはあるから」

 気にならないわけじゃないけど、立ち入ってしまうのも無礼と言うものだろう。

「ありがとうございます」

 頭を下げる赤城さん。そんな大層な事を言ったつもりはないのだけど。

「そういえば、赤城さんは小説家になるのが夢なの?」

「えっと……」

「ああ、ごめん。立ち入った事だった?」

「いえ、そういうわけでは……。夢……でした。でも、もう今は書いていないから」

 そういえば、昨日もそんなようなことを言っていた。

「前はそうだったんだ?」

「はい、下手の横好きですけど」

「誰だって最初はそうだよ。そこから、好きこそ物の上手に持っていくんだから」

「そ、そうですね」

「そうか、小説家を目指していたのか、凄いなぁ」

「凄いですか?」

 良くわからない、そんな口ぶりだが表情は少し嬉しそうに見えた。きっと、本当にそこに向かって進んでいたんだろう。そんな風に思った。それに引き替え自分は一年先の進路さえ霧の中と言う状態だ。そう思うと、赤城さんが眩しいようにさえ感じてくる。

「それじゃあ……」

 なんで止めちゃったの、そう尋ねようとしたときだった。不意に入り口のドアが開いた。

「こんにちはー」

 はきはきとした喋り方。明るいグレーのスーツ姿で店内に元気良く入ってきたのは、良く知った顔だった。

「黒木さん、こんにちは」

 短く切りそろえたボーイッシュな髪型に薄化粧。素の顔立ちがいいせいか、それでも充分に綺麗だった。

「おおっと、青春真っ只中だったかな?」

 いたずらっ子のように意地悪な笑みを浮かべつつ、黒木さんは赤城さんと俺を交互に見る。本人としては茶目っ気たっぷりのつもりなのだろうが、如何せん相手が悪い。赤城さんは途端に真っ赤になって俯いてしまう。

「この人……」

 の事は気にしないで、頭おかしいからと言う前に、赤城さんの限界が来た。

「あ、あのっ、私、帰りますっ。長々とお邪魔しました」

 ぴょんと立ち上がり、それから深々とお辞儀をして、赤城さんは飛ぶ様に店から走り出て行った。

「あらら〜。なんて可愛らしい」

 いささか拍子抜けしたような顔でそれを見送る黒木さん。相手を選ばずに茶目っ気をぶつけるのは黒木さんの良いところであり、悪いところだと思う。

「最近の子は、もっと進んでるかと思ったけど、ああいう子もいるのねぇ」

「初対面なのに、いきなりからかうからです」

「だって、あんな場面を見ちゃったらねぇ。からかいたくなるでしょう?」

 気持ちは分からなくもない。しかし、それを本能の赴くままに突っ走ってしまうのは、また別の話だと思うが。

「挨拶するとか、とりあえず自己紹介しておくとか」

「会話はテンポなのよ」

 ダメだこの人は。暖簾に腕押し、とはこういう気分なのだろうか。

「クリスマスはあの子と過ごすのかしら?」

 親父臭いからかい文句は綺麗に流すことにした。

「分けの分かんない事を言わないでください。で、御用は?」

「……つまんないわねぇ。先生、いる?」

「奥で仕事してると思いますよ」

「そう、上がらせてもらうわね」

「はいはい」

「覇気の無い若者ねぇ」

 黒木さんはため息をつきながら、和室に上がって奥に入っていった。

彼女の名前は黒木汀と言う。作家、月夜満の、つまりは白井さんの担当さんだ。年は俺より大分上だろう。確か、結婚もしていたはずだ。それなのにバリバリ仕事もして、家庭のこともこまめにしているらしいから大したものだと思う。一人で暮らしていても、家庭が全く成り立っていない人もいると言うのに。

誰とは言わないけど。

 黒木さんが愚痴をはいているところなんて見た事がない。それどころか、うちに来るときにはいつも嬉しそうだった。

 今日は多分、文芸雑誌で連載している作品の原稿でも取りに来たんだろう。普段、バイトである俺に店をまかせっきりで引っ込んでいるだけの事はあって白井さんは優良作家らしい。楽で仕方が無いと、以前黒木さんが言っていた。

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