第四話
土曜日。繁華街の居酒屋で食事会と言う名の飲み会が開催された。
「それじゃ、かんぱーい」
かしゃん、と四つのグラスが打ち合わされる。俺の隣には明良。そして、明良の向かいには茜ちゃん。その隣、つまり俺の向かいに座っているのは、驚いたことにあの赤城碧さんだった。
「驚いたなぁ」
「私も……」
まるで三文小説みたいな展開だった。駅前でぼんやりと待っていたら、茜ちゃんの後ろに隠れるようにして、一緒に歩いてきたのが彼女だった。さすがに前回のようなラフな格好ではなかったが、やはり黒をベースにしたちょっと地味目の色合いで服を統一していた。長い髪の毛は後ろで三つ編みにしてぶっといお下げにしている。
対する茜ちゃんはオレンジのコートに赤のワンピースと、目立つ気満点の服装。ショートカットの耳元から覗くイヤリングにまで赤い宝石が付いていた。恐らく見失うことは無いであろう。
「驚いたのはこっちだよ。初めましてと思いきや、もう裕也が唾をつけてるんだからさ」
「人聞きの悪いことを言うな。お客さんでうちの店に来ただけだ」
一杯目の半分ぐらいを飲んだだけにも拘らず、明良の顔にはすでに赤みがさしていた。それほど酒に強いわけではないのと、もともと余計な事を言うタイプのやつなので、酔っぱらうとなかなかに面倒くさい。
明良はできる範囲で無視することにして、目の前で困ったような顔をしている赤城さんと楽しく話をすることにした。
「この間は沢山売りに来てくれてありがとう」
「いえ、こちらも片付きましたから」
「何でまた、あんなに大量に?大掃除とか?」
「いえ、そういうわけじゃないんですが」
ちょっと言い難そうにする赤城さん。
「ご、こめん、悪いこと聞いた?」
「いえ、そういうわけではないんです」
「引越ししたのよ。ねぇ?」
助け舟と言うか、割り込んできたのは茜ちゃんだ。
「へぇ、どこに」
「あのお店の近所です。引っ越しの時、何もかも持ってきちゃったみたいで、お父さんてば新居に来てから整理を始めだしたんですよ」
そう言って笑う彼女はとても可愛らしかった。
「そうだったんだ」
引越しか。前はどこに住んでいたんだろうか。でも、あかねちゃんと同じ大学だって言うから、そんなに遠いところじゃなかろう。そんなことを考えながら、グラスを傾ける。酒を飲むのも随分久しぶりだった。
「何〜、内緒話?」
隣に座る管巻き小僧が再び絡んできた。俺が赤城さんと喋っている間に二杯目に突入したらしい。弱いくせに早いな。
「別に内緒話じゃ無い」
「良いですなぁ、内緒話大いに結構。青春、青春」
わっはっはと笑い出す明良。ダメだこいつは。向かいを見ると、赤城さんも頬を赤くして俯いてしまっている。
「でも、引っ越したおかげで大学、近くなったもんねぇ」
茜ちゃんもよろしく出来上がりつつあるようで、手に持った酒が危なっかしい。
「う、うん。そうだね。あ、そんなにしたらお酒こぼれるよ」
茜ちゃんが赤城さんにもたれかかった拍子に、酒の液面が大きく揺れる。幸いこぼれることは無かったが、赤城さんは大いに慌てていた。それでもちっとも嫌そうではないのは、多分、普段の二人もこんな関係だからなんだろうな。親友と言うやつか。
俺は明良に同じことをされたら容赦なく拳を叩き込む所存だ。
それから暫く他愛のない話が続いて、やがて明良と茜ちゃんが手を取り合って愛を語りだした。その大袈裟なやり取りが見ていて面白かったので眺めていると、ふと赤城さんが小声で話しかけてきた。
「あのう、藍沢さん」
「うん?」
「この間売った本の中に、栞が挟まっていませんでしたか?」
そう言った赤城さんの顔は、随分と真剣だった。そう言えば、その話をしないといけないのだった。自分の間抜けさに呆れつつ、白井さんの言うとおりに保管しといてよかったと安心した。
「あったよ。それを言わなきゃと思ってた」
「そ、それで、どこに」
「持ってくりゃ良かった。気が利かなくてごめん。店にあるんだ」
「あ、保管して頂いてるんですね、良かった。今度、取りに行きます」
そう言って頷く赤城さんの顔が、パッと明るくなる。よっぽど大切な栞なんだと知り、連絡しなかった自分の臆病さを心の中で罵った。
「あ、そういえば、裕也さんって本、沢山読むんですよねぇ」
愛の語らいは終わったらしく、突然そんなことを言い出す茜ちゃん。この唐突さ加減、茜ちゃんもしっかり出来上がっているらしい。なんて安上がりなカップルだろうか。
「ああ、そうだけど」
「碧、読んで貰ってみたら?」
「ええっ!!」
吃驚したような声を上げる赤城さん。茜ちゃんは構わず俺に向かって話を続ける。
「裕也さん、この子、小説を書いているんですよぉ」
「あ、茜ちゃん……、いいよぉ」
慌てて口を塞ごうとする赤城さんを押さえつけ、茜ちゃんは言葉を続けた。
「読んでやって貰えないですか。私、素人だからわかんないけど、結構良い線行ってると思うんですよ」
茜ちゃんは重大なところを間違えている。
「あのさ、茜ちゃん」
「はい?」
「俺も、素人。本が好きで読んでいるのは確かだけど、古本屋でバイトしているただの素人。小説書いたこともないし、文学研究した事もないよ」
「でも、私より本読んでるし」
「それとこれとは……」
「まあまあ、裕也」
尚も何か言おうとした俺を遮ったのは明良だ。
「碧ちゃんは小説書いてるの?」
「あ、はい……」
消え入りそうな小さな声で、赤城さんはそう言って頷いた。
「読ませて、貰えるの?」
「え、あ、でも、大したこと無いし、それに最近書いてないから……」
あまり気が進まないようだ。
「ダメだよ、碧、読んで貰いなって。読んで貰う人がいたら、きっと張合いが出るよ。また、書けるよ」
隣に座る茜ちゃんのテンションが、突然上がった。茜ちゃんは赤城さんのほうを向き直り、その手をぐっと握って訴えかけるように言葉を紡いで行く。
俺と明良は向かいで顔を見合わせた。とりあえず成り行きを見守る以外には無いらしい。
「でも……」
「裕也さんなら、ちゃんと読んでくれるよ。ね?」
最後の「ね?」で突然こちらを向く茜ちゃん。まあ、読ませて貰えるならもちろん真面目に読むつもりだ。
「ほら、ね?」
茜ちゃんは赤城さんの顔を覗き込むようにしながら、訴えかけるように「ね?」ともう一度言った。
「茜ちゃん、私ね……」
「もう、一年だよ?いつまでそうしているのよ?」
「そんな事言ったって……」
突然、赤城さんの瞳から涙が溢れた。茜ちゃんの瞳にもうっすらと涙。そのままぽたぽたと流し始めて、テーブルは急に静かになった。
俺と明良は、それこそどうしたら良いのかさっぱり分からず、とり急ぎハンカチを差し出すぐらいしかできなかった。