第二話
古本屋「満月堂」は随分古くから続いているらしい。白井さんの言うところによれば、曾お爺さんが開業したらしい。つまり、下手をすれば百年単位で続いていると言う事になる。昔は常連が沢山いて、割と賑わっていたらしいけど、最近はインターネットで小説も読めるとかで、本を売る人も買う人も減って来ているらしい。そのせいだけではないだろうけど、商売のほうは大して儲かっていない。売り上げがゼロの日とか普通にある。それでも俺なんて雇っている余裕があるのは、白井さんのもう一つの顔のおかげだ。
月夜満と言う名前で小説を書いているのだ。単行本も何冊か出しているし、文芸雑誌で連載も持っている。単行本は一通り読ませて貰っているが、どれも優しい雰囲気を持った暖か味のある作品ばかりで、読むとほっとさせてくれる。ちなみに、ペンネームの由来は、初めて投稿した作品を書き上げたのが満月の夜だったからとか。白井さんの適当な性格をよく表した話だなぁと、妙に納得をしてしまった覚えがある。
そんな適当な性格なのに作家と店長という二重生活が加わったことで、身の回りについては恐ろしく無頓着になっている。人柄が良いのが救いと言ったところだろうか。
「藍沢君、お茶……欲しいなぁ」
「はいはい」
俺はカウンターに白井さんを座らせて、和室に上がった。ちゃぶ台に和箪笥と恐ろしく昭和な部屋だ。部屋の片隅には書き物机があって、そこにはパソコンが一台置かれている。型遅れの代物だけど、この部屋にあると妙に近代的な設備に思える。一応店の出納用にと言うことなのだが、これを使う意味があるのか、と思うほどに客は来ない。多分、立ち上げている間に、その日の集計が手計算で終わってしまうだろう。
ちゃぶ台の上に置かれているポットには常に湯が沸かしてある。急須に安物の茶葉を入れ、ポットから湯を注ぐ。ふわりと緑茶の良い香りが漂った。湯飲み二つに急須からお茶を入れ、それをもってもう一度店内に出る。
「はい、どうぞ」
「ああ、悪いねぇ」
受け取っておいしそうに一口飲む白井さん。そのまま白井さんは湯飲みを持って和室に上がった。俺は入れ替わりで再びカウンターの椅子に腰掛けた。
「相変わらず、夜は遅いんですか?」
「て言うか、もう朝だからねぇ、寝るのが」
夜の方が筆が進む、とはいつぞや白井さんが言った戯言だ。
「この店、ずっと続けるんですか?」
「うん、続けたいなぁ。せっかく続いてるし……」
「体、壊しませんか?」
「前はしんどかったけど、今は藍沢君が来てくれるから随分楽だよ」
面と向かってそういわれると、ちょっと照れる。
「でも、大して儲かってないでしょう?」
「まあね。でも、どうせ土地は僕のものだから、まあ、趣味みたいなものかなぁ。親の残してくれた形見みたいなものだしねぇ」
そう言いながら、感慨深げに店内を眺める白井さん。そうしていると、落ち着いた人という感じがする。若作りだけど、年を聞いたらうちの親父より少し若いだけだったのには吃驚した。先代店主だった白井さんのご両親は、白井さんが随分と若い頃に無くなったらしい。
「確かに、いい店ですよね。俺も好きですよ、この店」
「そう言ってくれると、嬉しいよ」
何となく言った俺の台詞に、白井さんはにっこりと笑った。それからお茶をもう一口飲んだ。
「そういえば、藍沢君の休みはいつまでだったかな」
「来年の春までです」
「大学は長いよねぇ、休みが」
「ええ、お蔭様で暫くはここに来れますよ」
大学が始まっても、恐らく大半の日はここに来るけど。他にやることも無いし。
「クリスマスの予定は無いの?」
「それは、そっくりそのままお返ししますよ」
「うっ、参ったなぁ」
白井さんは未だに独身だ。苦笑いしたところを見ると、クリスマスも予定が無いらしい。まあ、俺もだけど。
「さて、それじゃ目も覚めたし、続きを書こうかなぁ」
あ、逃げた。
「何かあったら呼んで。それと、ダンボールの中身、適当につんどいて」
「またですか。随分溜まってきてますよ」
買い取って未整理のまま放置されている本の数は、結構なものになってきていた。
「そうだねぇ、そろそろ整理しないとねぇ。でも、店内の置き場も空きがないしねぇ」
白井さんの言葉に俺は店内を見回してみた。本棚も、足元の平積みも限界と言う気がする。
「まあ、今のところはそこに置いておいてよ」
そう言って、白井さんはレジ横の未整理本の山を指差した。
段ボール箱を開けると、古臭い臭いがつんと漂ってきた。確かに綺麗が、目に見えない埃が充満しているのは間違いない。俺は念のためにマスクをつけて、それから作業を始めた。
「ちわっすぅ」
作業をしていると、ドアの開閉音と共に脳天気な声が店の中に飛び込んできた。
「いたいた、裕也、春休みはエンジョイしているかな?」
「仕事中だ」
振り返るまでも無い。こんな脳天気な声で俺に語りかけてくるのは水元明良だけだ。
「冷たいなぁ」
「背中に「の」の字を書くな!!気持ち悪い」
「あのさ、話があるんだけど」
人の話を聞かないのは、明良の大いなる欠点の一つだ。
「何だよ?」
俺は諦めて振り返る。明良は男としては随分と小柄だ。あの体の、どこからあんな元気が出ているのだろうか。パーカーにジーンズといかにも軽装で現れたということは、案外暇なんだよ、と言い出すかもしれない。言い出したら殴ろう。そう心に決めた。
「あのさ、今度の土曜日は暇でしょ?」
殴らずに済んだようだ。
「ここで働いているな」
「わぁお、勤労青年って素敵。けど、働きすぎは体に毒だよ?」
「簡潔に言え。仕事中だ」
「分かったよ、ったく融通が利かないんだから」
ぶつぶつと愚痴を垂れる明良。
「お帰りは真後ろだが?良かったら力づくで案内してやろうか」
「やめてよ。言うから。茜ちゃんがさ、食事会をしたいんだって」
茜ちゃんと言うのは、明良の彼女だ。緑川茜と言う。明良に負けず劣らず脳天気と言うか、明るいので二人揃うとなかなかにやかましい。確か二つほど年下だったかな。
「食事会?」
「そう、茜ちゃんの友達と四人で」
「友達って、茜ちゃんと同じ大学の?」
「そう、大学だけじゃなくて、結構長い付き合いの友達なんだって」
「なんでまた」
「うーん、詳しくは聞いていないんだけど、元気付けてあげたいから見たいな事を言ってたかな」
「えらくアバウトだな」
しょっちゅう合っているくせに、なんでそんなにざっくりしか知らないんだろうか。いつもどんな会話をしているのやら。
「まあ、騒ぎたいとかそういう理由で無いなら別に構わないけど、何で俺だ?」
「ああ、うん、そりゃあ僕の親友だからさ」
と言っている明良の目は完全に泳いでいた。成程、急な予定で都合のつく人間が見つからなかったということか。大学一年のときからの付き合いだから、彼是三年。さすがに分かる様になって来た。
「まあいいさ。白井さんに聞いとく」
「頼むよ。裕也が最後の砦なんだ」
「やっぱりそうか」
「あ……」
しまったとばかりに一瞬素の顔になる。別にいいけどな。
「さ、用が済んだら帰れ。白井さんの了解が取れたら電話する」
「うん、よろしく」
さすがに気まずいと思ったのか、明良は素直に引き上げて行った。やれやれ、あいつが来ると仕事が進まない。
本を全部取り出し、何となくそれを選別していると、一冊だけ随分新しい本があった。
「趣味の園芸」
見間違うことの無い、分かり易いタイトルの本だ。これはあからさまにお爺さんの物なんだろうけど、随分と新しいなぁ。奥付も一年前の日付だ。ぱらぱらと捲っていると、ぽとりと何かが落ちてきた。
「ん?」
拾い上げてみると、一枚の栞だった。桜の押し花を貼り付けた紙に丁寧にセロファンが巻かれている。丁寧な仕事をしているが、明らかに手作りの栞だ。