第十六話
「かんぱーい!!!」
四人の声が綺麗に重なって、この間と同じ店でささやかなクリスマスの食事会が始まった。
「この間は中途になっちゃったけど、今日はたっぷりさわごー!!」
茜ちゃんがジョッキを持ち上げて、そう叫んだ後にぐいっと一気に中身を飲み干した。
「茜ちゃんかっこいいよー」
そう言って拍手するのは明良だ。俺と、向かいに座る赤城さんも一応拍手するものの、二人とも表情は苦笑い。
「茜ちゃん、無茶したら駄目だよ?」
赤城さんがおずおずとそういうものの、茜ちゃんはさらりと笑い飛ばして二杯目を注文する。
「僕は茜ちゃんに付いていくよ!!」
馬鹿なことを言って明良も一杯目のビールを胃に流し込んだ。
「明良!!素敵!!」
「茜ちゃんも!!」
手を取り合う二人。早速駄目な二人になりつつある。
「テンション高いですね、二人とも」
赤城さんは大根サラダを食べながら、その二人を笑顔で眺めている。
「まあ、毎度の事だけど」
俺の言葉に赤城さんも「そうですね」と頷いた。
「何?二人で内緒話?」
明良がくるりと振り向いて俺のほうに寄って来る。手に持っているグラスは既に三杯目だ。
「うるせぇ。お前は絡み上戸か」
「良いけどねぇ。裕也は碧ちゃんのこと、お気に入りだもんねぇ」
「ばっ、お前何言ってんだ」
「照れるなよぅ。僕は照れないで言えるぞ。茜ちゃんが好きだー!!」
叫んでグラスを一気に空ける明良。
「私も明良が好きぃ!!」
で、再び手を取り合う二人。付き合ってられんな。いきなりの爆弾を食らわされた赤城さんは顔を真っ赤にして俯きつつ、ちらちらと俺のほうを見ていた。そういう視線を送られると、こっちも何だか恥ずかしくなってきた。
「あの、私……」
「ねえねえ、裕也さんは卒業後の進路とか決めているんですか?」
赤城さんが何か喋ろうとしたところで、茜ちゃんが割り込んできた。
「え?」
「来年、四回生ですよね?その後の事とかって、考えているんですか?」
「多分、満月堂にいると思うよ。俺、あの店好きだし」
「ずっとバイトで?」
「うーん、白井さんが正式に雇ってくれれば、そういう立場からは抜けられるけどね」
残念ながら、今のところ白井さんにそういう話を持ち出されたことは無い。相変わらず値段のつけ方とかも知らないし、案外白井さんは俺をバイトから格上げする気なんて無いのかもしれないけど。
「明良は実家に帰るんだよね」
茜ちゃんは明良のほうに視線を移してそう言った。
「うん、約束だからね。でも、きっと迎えに来るからね」
「うん、待ってる」
三度手を取り合って見つめあう明良と茜ちゃん。全く持って大袈裟な二人だ。でも、この二人なら大丈夫なんだろうなぁ。何となく、遠距離になって二人が分かれてしまう絵が浮かばず、俺は漠然とそんなことを感じた。
「茜ちゃんはどうするんだい?まあ、学生生活もこれからだけど」
「うーん、取り敢えずお菓子の腕とかは上げて行きたいです。お店とかもてたら良いなぁって思いますねぇ」
俺が尋ねると、茜ちゃんは少し考えるような仕草を見せた後でそう言った。
「それなら、専門学校とかに行けばよかったんじゃないの?」
「いえ、一緒の大学に行こうねって言うのは、碧との約束だったので。卒業してからでも、行こうと思えば行けますしね」
そう言って、茜ちゃんは赤城さんの腕をぐっと引っ張った。赤城さんは恥ずかしそうだったけど、とても嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「で、碧ちゃんは?」
明良が尋ねると、赤城さんは躊躇いがちにおずおずと口を開いた。
「実は、小説を書いて賞などに応募してみようかな……と」
「おおー、学生小説家!!」
明良がはやすと、慌てて赤城さんはパタパタと顔の前で手を左右に振った。
「いや、そんなのは……。ただ、自分の実力を試してみたいなぁと」
恥ずかしげで、たどたどしいけど、はっきりとした決心を感じる言葉だった。
「碧なら行けるよぉ。私、俄然応援しちゃうから」
ぶんぶんと掴んでいる赤城さんの腕を振りながら、茜ちゃんはまるで我がことのように喜んでいる。
「うん、ありがとう」
腕を振られながら、赤城さんも嬉しそうにそう言った。
「俺も、応援しているよ」
「あ、ハイ……。ありがとうございます」
赤城さんはにっこりと笑って俺にそう言ってくれた。俺はその笑顔を真正面から見て、不覚にも胸の高鳴りを感じてしまった。それは、今までで一番可愛らしい笑顔だった。
「それじゃねー。メリクリー」
「またね、碧。裕也さんその子をよろしくぅ」
腕を組んで、明良と茜ちゃんは雑踏の中に消えていった。店の前に残される俺と赤城さん。消えていく二人の背中を見ながら、二人で暫く経っていた。
「二人とも、幸せそうですね」
「ああ、あそこまでやられると、返って清々しい」
「ふふ、そうですね」
店を出たところで俺はそろそろ帰ると言った。赤城さんもそれに同調したので、分かれることになったのだ。
この間、食事会が中途半端だったことに、ちょっとわだかまりを感じていたのだろう。茜ちゃんの企画でクリスマス・イブにわざわざ食事会をもう一度開いてくれた。けど、やっぱり二人で過ごして貰った方が良いのではないか。明良と茜ちゃんが同時に席を立ったときに赤城さんにそう持ちかけられた。俺は、一も二も無く同意した。
実際、明良は少し嬉しそうな顔が見えた。酒のせいもあるんだろうけど、分かり易いやつだ。
「それじゃ、帰りましょうか」
「……ああ」
俺達は、並んで駅のほうに歩き始めた。
「もう、応募する賞とかは決めたの?」
「いえ、まだ……。本を見たりとかして調べています」
「そうか。応募するのは、この間の?」
「いえ、新しいのを書こうと思っています。この間、藍沢さんに読んで貰った時から、何だか小説を書きたい気持ちが湧いてきたんです。ストーリーも幾つか思いついたし。本当にありがとうございます」
赤城さんはそう言って、立ち止まってぺこりと頭を下げた。
「いや、俺は何もして無いよ。その気持ちは、赤城さんの中から湧いてきたんだから、最初から赤城さんの中にあったんだ」
俺に小説を見せようと思ったときに、赤城さんの心の封印は解けていた。ただ、それを実感するのに少しだけ時間がかかっただけ。そういうことだと思う。例えば、暗いところから急に明るいところに出たときに一瞬目が眩んで、それから徐々に慣れていく。損なようなものだったんじゃないかと思う。
「でも、やっぱり藍沢さんが真面目に向き合ってくれたおかげです」
「そう言って貰えると、光栄だけど。俺のほうこそ、素敵な小説を読ませてくれてありがとう」
「そんな。光栄です」
二人で少し笑って、それからまた歩き始めた。その時、空の上からちらりと白いものが舞い落ちてきた。
「あ、雪ですね」
「本当だ。道理で冷えるわけだ」
白い雪がちらつく道を、二人とも黙って少し歩いた。こちら側は結構賑やかなので、まだまだ人通りもそこそこあった。その大半がカップルで、傍目からは俺と赤城さんもそう見えているのかな、なんてことを考えてしまう。
「あの、また小説を読んで貰えますか?」
不意に赤城さんがそう言った。
「もちろん」
俺は即座にそう言って頷いた。
「じゃあ、頑張って書きますから、楽しみにしていて下さいね」
そう言って、赤城さんは力瘤を作るような仕草をしながら、にっこりと笑った。