第十四話
「……ということで、総合的に言うと面白かったと思う。今言った何点かを詰めなおせば、きっともっと面白くなると思うよ」
俺は十分ほどかけて、ひとまず自分の思ったことを率直に彼女に伝えた。妙に遠まわしな言い方をしたところで、最終的に言いたいことが同じならば率直なほうがいいだろう。手ひどい罵声を浴びせるわけでもないし。とは言え、ひとまず内容に関係も無かったので、月夜満との云々については伏せておいた。
駅前の喫茶店は夕暮れ時にもかかわらず空いていた。まあ、学生は冬休みだからどっちかというと繁華街のほうに言っているのだろう。仕事帰りのサラリーマンはわざわざ帰宅途中に喫茶店なんて寄らない。六時過ぎのサラリーマンが吸込まれるのは、赤提灯のぶら下がった店だろう。そう考えると、空いているのにも納得できる。
「……ありがとうございます」
俺の言うことを身じろぎもせずに黙って聞いていた赤城さんは、聞き終わって先ず始めにそう言って頭を下げた。
「凄く真面目に読んで貰えて嬉しいです」
「そりゃあ、適当に見るわけにはいかないよ」
俺がそう言うと、赤城さんはにっこりと笑った。それから一つ息をして、急に真面目な顔になった。
「この話は、ほとんど実話なんです」
赤城さんはそう言ってコーヒーを一口飲んだ。
「妹が私、兄は私の兄です。だから、ここに書いてあるのは、まさしく私の思いなんです」
俺は何も言えなかった。読んでいる途中から薄々と感づいていたからだ。
「この小説は、本当なら兄に見せるつもりで書いていたものです。桜の話も、結婚の話もそれから冒頭の幾つかのエピソードも全部本当。……だけど、嘘が二つ入っています」
「二つ?」
「はい、私に好意を寄せる男の人なんていなかったのと、兄は……兄は結婚できませんでした」
赤城さんの目が潤んで、一筋の涙が零れ落ちた。それを紙ナプキンで拭って、それから赤城さんは話を続けた。
「兄のことは茜ちゃんから聞いていますよね?」
「知ってたの?」
「いえ、何と無くそういう感じがしました」
「ごめん」
「いえ、いいんです。私の兄は一年前に交通事故でこの世を去りました。そのとき彼には結婚を決めた女性がいて、その人の為に庭に植えたのが御衣黄でした。初めて花をつけた御衣黄で、兄は私に栞を作ってくれたんです」
「そうだったんだ」
そんな栞なら、思い入れもあって当然だろう。
「結婚前に兄にこの小説を見せるつもりでした。私が兄にべったりなのを、兄も気にしていましたから。私は応援するよって言う意味もこめて。私自身の区切りとしても」
「そうか……。そんな思いの篭った小説を読ませてくれて、ありがとう。でも、そんな小説をどうして俺に?」
「私は、ずっと兄を引きずっていました。大好きな兄でしたから、振り払えなくて。兄がいないなら、私はどうやって生きていけば良いのか。そんなことすら考えていました。けど、茜ちゃんはあの時もそうでしたけど、ずーっと傍で私を呼んでくれていました。一年かかりましたけど、ああ、私には友達がいて、私はまだ生きているんだなって。そう最近思えるようになってきたんです」
「いい友達を持ったね」
「はい、とても」
言いながら、赤城さんは本当に幸せそうな笑顔を見せた。
「そんな茜ちゃんの勧めてくれた人だから……。それに、初めて満月堂で見かけたときに、少し兄と被ったんです。埃臭い本の中で黙って本を読んでいる姿が、何となく。この人も本が好きなんだなって、すぐに分かりました」
「そうだったんだ。それであの時、ちょっとぼおっとしてたんだ」
「お恥ずかしながら……」
照れた様に少し頬を赤らめる赤城さん。
「でも、今日、藍沢さんに読んで貰って本当に良かったと思いました。私の書いた小説に、こんなに真剣に取り組んでくれるなんて、それだけでも嬉しかったです。信じてみて良かった。」
「もし、赤城さんが今からでも小説家を目指すなら、俺は応援するよ」
「え?」
「俺は小説を書いたことないし、自分で書けるとも思わない。だけど、読むのは好きだ。読み手から言わせて貰うとすれば、赤城さんの小説からは心が伝わってくる。こういう小説を書ける人は、俺は素敵だと思う」
「あ、はい、あの、ありがとうございます……」
顔を真っ赤にして俯いて、消え入りそうな声で赤城さんはそう言った。
それから、少しの間色々な話をした。赤城さんのこと。俺のこと。全然関係のないこと。いろいろと話して、俺は楽しいひと時を過ごした。
「そう言えば、月夜満って知ってる?」
「あ、はい、大好きです。満月堂って名前を見て、いい名前だなって思って入ったんです」
本当に好きなのだろう。月夜満の名前を聞いただけで、赤城さんのテンションが少し上がった。
「何となく、文章の感じが影響受けてるのかなと思ったから、もしかしてと思ったんだ」
「藍沢さんも好きなんですか?」
「うん、全部読んでるよ」
俺と赤城さんは月夜満の話で一頻り盛り上がって、それからお互いにお腹が減っていることに気づいて、喫茶店を出ることにした。