第十三話
翌日、相変わらずぼんやりと和室に座る白井さんの姿があった。ぼんやり、最早虚ろと言っても良いかもしれないが、果てしない深みにはまっているようだった。
俺は、その白井さんの前に鞄の中から出した封筒を置いた。
「何これ」
「若き小説家の卵の作品です。読んでみてください」
「うん」
まるで操り人形のように、こっくりと頷いて封筒の中から小説を引っ張り出し、白井さんはそれを読み始めた。
二十分ほどでそれを読み終え、顔を上げた白井さんにはちょっと生気が戻っていた。
「なかなか良い作品だねぇ。文章の上手さや、表現の豊かさと言う点ではなかなかのものだと思うよ。話の運び方もスムーズだし。全体的な構成とか、話の配分に煮詰めなおす余地はあると思うけど、うん、及第点を挙げられるんじゃないかなぁ」
「大体俺の見解と一致しています」
「特に、妹の兄に対する想いの描き方ってのは真に迫ってるねぇ」
そう言いながら、原稿をぱらぱらと読みかえす白井さん。
「これ、誰が書いたの?」
「赤城さんですよ」
「ふうん、大したものだねぇ。一度賞に応募してみると、良いんじゃないかなぁ」
そう言って、白井さんは原稿を揃えて再び封筒の中に仕舞い込もうとした。
「それだけでしたか?」
「え?」
「他に感じたことは?」
「うーん、好意を寄せる男の子の描き方がちょっと雑かな」
それは確かにそう思ったけど。俺はため息を一つついて椅子に座りなおした。
「その作品、表現の使い方といい、話の展開のさせ方といい、文章の構成についてもそうですけど、ある作家の影響が多分に見えるんですよ」
「ある作家?」
「月夜満です」
俺がそういうと、白井さんは一瞬きょとんとした顔になった。それから改めて自分の顔を指差して、声に出さずに俺に聞き返してくる。俺は大きくはっきりと頷き返した。
「そうかい?」
「月夜満の一番の読者が言ってるんだから間違いないです。特に、妹の心象描写なんかはかなり。まあ、書き慣れていないから、多少は荒いみたいですけど。でも、多分月夜満の熱心なファンですよ」
白井さんは俺の言葉を聞きながら、改めて原稿を引っ張り出して読み返している。そんなに分からないものだろうか。まあ、表現の機微なんて人の匙加減一つだろうし、あるいは偶然と言うこともあるのかもしれないけど、何となく俺には確信のようなものがあった。
「ひょっとして、ここに本を売りに来たのも満月堂って言う店名に惹かれたのかもしれませんよ」
そんな俺の言葉は既に耳に入っていないかのように、白井さんは原稿に没頭していた。先ほどとは違って、一枚ずつ、一行ずつ丁寧に読んでいる。その顔が微妙に緩んでいるような気がするのは、決して俺の気のせいではないだろう。
それから一時間あまり、白井さんは置物のように固まって原稿を読み続けた。仕方ないので、俺もカウンターに戻って、足元にストーブを持ってきて、文庫本を読みながら店番をしていた。
「いやぁ、そうかぁ。うーん」
原稿から顔を上げた白井さんがなんとも言えない声を上げながら背筋を伸ばした。
「赤城さんとこの後会って感想を言うことになっているんですよ。良かったらここでしましょうか?作風の話しとかします?」
俺の意地悪い問いかけに苦笑いを浮かべる白井さん。
「いやぁ、勘弁してよ。出来ないよぉ」
「少しは元気になりましたか?」
「うん、そうだねぇ。ありがとう、藍沢君」
「いえいえ、俺だって月夜満のファンですから。あの世界観とか作風は好きですよ」
「ああ、そうかぁ。うん、ごめんねぇ、ありがとう」
白井さんはそう言って、改めて俺に向かって頭を下げた。
「いえ、良いんです。また、面白い新作を書いてくださいよ」
「ああ、そうだねぇ。うん頑張るよ」
そう言って、白井さんは冷えたお茶をぐいっと飲み干した。それから「新作を考えてくるよ」と言って、久しぶりに前向きな様子で和室を出て行った。
「それじゃ、今日はこれで失礼します」
「ああ、うん。ご苦労様」
「戸締りだけよろしくお願いします」
「うん、任せておいてよ。それじゃあ、作家の卵さんによろしくねぇ」
六時になったので、戸締りを白井さんにお願いして俺は店のドアから外に出た。六時ともなるともう空は真っ暗だが、商店街には外套が煌々と点いている。丁度店の前に出たところで商店街を歩いてくる赤城さんの姿が目に止まった。
「こ、今晩は」
俺のほうに駆け寄ってきた赤城さんはそう言って軽く頭を下げた。
「今晩は。いいタイミングだったね」
俺もそう言って軽く頭を下げる。
「さて、どこか喫茶店にでも入ろうか。それとも夕飯にする?」
「えと、喫茶店で。感想を聞きながらだと、ご飯が喉を通りそうにないので……」
随分と赤城さんは緊張しているようだった。何となく俺の方も緊張してしまう。白井さん相手に新作の感想を言うことはあったけど、それもあくまで雑談交じりだ。こんなに真剣に感想を言うなんて、しかも作者に直接なんて、よくよく考えてみれば初めてのことだった。
「えーと、じゃあ駅前の喫茶店にでも行こうか」
「あ、はい」
歩きながら、何となく周りを見回す。
「もう、すっかりクリスマスだね」
「そ、そうですね」
そういえば、赤城さんはクリスマスはどうするのだろう。ふと気になったので、聞いてみようとしたとき、商店街の向こうから黒木さんが歩いてくるのが目に入った。
「あ……」
隣で赤城さんも呟く。恐らく黒木さんを見て、からかわれた時の事を思い出したのだろう。
てっきり、ハイテンションで話し掛けてくるかと思われたが、黒木さんは何時になく真剣な顔つきをしており、早足でそのまま通り過ぎていった。どうやら俺達にも気付かなかったらしい。このまま行けば、行き先は当然満月堂だろう。
「なんか、真剣な顔でしたね」
「珍しい。雪が降るかも」
「クリスマスが近いから、丁度良いですね」
結局、そんな事を言って、余り気にとめなかった。それよりも今は赤城さんの小説の感想だ。