第十二話
外は少し曇り空で、随分と寒かった。
クリスマスプレゼントにお勧めのものや、クリスマスセールの看板、リースにスプレーのサンタクロース、店頭に飾られたツリー。商店街の軒先には、そんなものがずらりと並んでいた。クリスマスまであと二週間。デパートや繁華街に負けてなるものかと、こちらも必死のようだ。まあ、どう見ても商品のラインナップとかの時点で負けているんだけど。電車でたった二駅しか繁華街との距離は無い。休みともなれば、みんなそっちへ流れてしまうのは仕方の無いことなのかもしれない。
それでもこの商店街はまだ人が来ているほうだろう。世の中にはシャッター街になってしまった商店街だってあるのだから。
「裕也さーん」
背中から大声が飛んできた。振り返ると、派手な黄色のジャケットに身を包んだ茜ちゃんが手を振っている。その隣には、深い緑色のコート姿の赤城さんが恥ずかしそうに立っていた。どうやら、無事にわだかまりも解けたらしい。
「どうも、こんにちは」
近寄ってきて、ぺこりと頭を下げる茜ちゃん。赤城さんも隣で頭を下げている。
「二人でお出かけ?」
「ええ、裕也さんに会いに来たんですよぉ。丁度出て来る背中が見えたんで、追いかけてきましたぁ」
茜ちゃんはそう言って、ほっと息を一つついた。言われてみれば、二人のほっぺたは少し赤くなっているし、息も若干速いかな。
「それは良いタイミングだった」
「本当ですねぇ」
「それで、俺に何の用?」
俺が尋ねると、茜ちゃんは隣に立つ赤城さんを肘でつんと突いた。赤城さんは、しばらくもじもじとしていたものの、やがて決心を決めたように一つ深呼吸した。それから、もっていたバッグの中からA4サイズの封筒を取り出した。
「これ、私が前に書いた小説です。良かったら、読んでみてください」
そう言って俺のほうに差し出される封筒。受け取って中を覗いてみると、なるほど結構分厚い紙の束が入っていた。なかなかの大作っぽい。
「ちゃんと、感想も言ってあげてくださいね」
「いいの? 無理しなくても良いよ?」
この間、茜ちゃんから聞いた話を思い出してそう言うと、赤城さんは小さく首を振った。
「大丈夫です」
「この子、飲み会の次の日も本当は小説を持って行ってたんですって」
そうだったのか。俺は栞を取りに来ただけかと思って、そんなことには気付かなかった。
「でも、店に入ったら急に恥ずかしくなったんですって。それに、急に知らない人が入ってきたからって」
茜ちゃんが困った娘なんです、とでも言いたげな口調でそう言うと、赤城さんは顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「ああ、あの日は黒木さんが突然入ってきたからなぁ」
「はい、私吃驚しちゃって。逃げたみたいで済みませんでした」
改めて頭を下げる赤城さんに、俺は慌てて手を振った。
「いいの、いいの。気にしなくて。あれはあの人の無神経が悪いんだから」
「はい……あの、ありがとうございます」
「それじゃあ、これ確かに預かるよ。えーっと、読み終わったら連絡したら良いのかな?」
「あ、はい。一番最後のページに、私の携帯電話の番号を……」
消え入りそうな声で赤城さんはそう言った。
「そう。じゃあ、俺の番号も教えておくよ。かけた時に分からなかったら困るから」
「あっ、そうですね、はい」
赤城さんは携帯電話をいそいそと取り出した。
「やったね」
と茜ちゃんが隣でからかう。ディスプレイに自分の番号を表示して赤城さんに見せると、赤城さんはせっせとそれを入力し始めた。
「あのぉ、そんなことしなくても、裕也さんが碧にワンコールすれば良いんじゃ……」
茜ちゃんは原始人でも見るかのような目つきで俺達のやり取りを見ながらそう言った。
「ああ、そうか。しまったな」
「あ、大丈夫です。もう、入れ終わりましたから」
なにやら基本的なことを指摘されて、俺も赤城さんも思わず赤面してしまう。何と無く笑いながら、携帯電話をポケットに押し込むと、赤城さんも笑いながら携帯電話を鞄にしまいこんだ。
白井さんとの夕食を終え、帰宅したのは十時過ぎだった。俺は風呂に入って体をさっぱりさせてから、コーヒーを入れた。それを片手にコタツに潜り込み、例の封筒を鞄の中から引っ張り出した。
取り出して、改めて見てみるとA4の用紙でざっと三十枚前後。パソコンで打ち出された文字が整然と縦書きで並んでいる。表紙のタイトルは『桜の季節』。
俺は表紙をめくって一枚目を読み始めた。
兄と妹の話だった。無口で、でも優しくて、本をこよなく愛する兄。そんな兄を慕う妹。冒頭から暫く、兄と妹の仲の良さが暖か味のある描写でゆったりと描かれている。中盤辺りから妹に思いを寄せる男が現れ、同時に兄の恋人が妹の前に現れる。ある日、兄は庭に一本の桜の木を植える。この花が無事に咲いたら、自分は恋人と結婚するという。そして、その日からせっせと桜の世話を始める兄。それを応援したいけど、応援すると兄が結婚してしまう。この狭間で揺れるもどかしい思いに日々悩む妹。そして、妹のそんな思いをよそに、その年の桜の季節、桜は花をつける。兄はその桜で栞を作り、妹に手渡す。兄は結婚を決心し、周りが囃し立てる中で、妹だけが取り残されたように孤独を味わう。それを慰めてくれたのは、彼女に好意を寄せる男だった。
三十分ぐらいだろうか。読み終わった俺は一つ息をついた。なんとも切ない話だった。柔らかい文体で、表現も豊かだった。描写も作風にマッチした淡い感じで、見事に一つの世界を描いていたといって良いだろう。
この作品を読んで、俺は妙な既視感を覚えた。自分なりのアレンジはしてあるが、俺の中にある読み心地の中にそれは確かにあった。答えはすぐに出た。決して真似たとかではなく、ある種の尊敬に似た感覚を感じた。果たしてどこまで言うべきか、そんなことを考えながら、俺は終わりのページに書いてあった携帯電話の番号に電話をかけた。コールを待つ間に、色々と言いたいことを整理する。五度目のコールで繋がった。
「も、もしもし」
「ああ、こんばんは。藍沢です」
「あ、はい」
「ええと、昼間の作品、読ませて貰ったよ。感想を言いたいと思うんだけど、今はいいかな?」
「え、あ、あのっ」
「うん?」
「で、出来れば直接会ってお話を聞かせて頂きたいと、思うんですけど」
なるほど。俺はカレンダーを見た。当然だけど暫く満月堂の仕事が続く。まあ、白井さんがあの調子だからある程度流動的なことになるだろうけど。
「うーん、それじゃあね、明日の夕方。俺の仕事が終わってからとか」
「あ、はい。全然大丈夫です」
「えーと、それじゃあ、店のほうに来てくれる?一応六時には終わるから」
「あ、はい。分かりました。あの、よろしくお願いします」
「もちろん。真面目に話をさせてもらうよ」
「はい、それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみ」
電話を切って、俺は大きく息を一つついた。向こうの緊張が移ったのか、なんとも息苦しい電話だった。会いたいといってくれたのは正解だったかもしれない。