第一話
僕の好きな世界観と言いますか、まったりとした作品になっています。
冬も深まり、寒さも日増しに厳しくなっていく。後一ヶ月ほどでクリスマスがやってくるが、街角の古本屋にはあまり関係がない。
俺は足元に置いたストーブで爪先を暖めながら、のんびりと読書に耽っていた。ドアの外はクリスマス一色だろう。だが、店の中はいつも通りの変わらぬ静けさ。ストーブが空気を暖める音まで聞こえて来そうな程だ。
商店街の雰囲気作りの一環と言うことで、うちの入り口にも誰かがリースをかけて行った。それは良いのだが、店の雰囲気にはそぐわない事この上ない。何しろ、そのすぐ隣のショーウィンドウに並んでいるのは、埃まみれになった明治期の様々な作家達の全集である。それ以外の蔵書についても、クリスマスとは縁遠い物が殆どだ。クリスマスフェアなんて到底できない。それ以前に、この店にはあんまり客が来ない。
だからこそ、こうして落ち着いて読書もしていられるわけなのだが。
油断していたところで、不意に店のドアが開いた。リースについている安物の鈴がちりりんと音を立て、同時に冷たい空気が流れ込んでくる。俺は読んでいた本を一応閉じた。
「いらっしゃいませ」
勤めて落ち着いた声でそう一言。それから客のほうに視線を送る。
珍しいこともあるもので、入ってきたのはうら若い女の子だった。戸口を入ったところで、不安げに店の中を見回している。俺と目が合うと、少し驚いたような顔を見せ、それから小さく会釈をしてくれた。合わせて何となくこちらも頭を軽く下げる。
黒いフリースにブルーのジーンズという出で立ちは、クリスマスにトチ狂った商店街にはイマイチ似合っていない感じだ。段ボール箱を二つほど重ねて括りつけたカートが足元に置かれている。見かけによらず力持ちなのだろうか。
店の中は通路にまで平積みにされた本があり、カートを引きずって店の奥にあるレジまでは運べない。どうしたものかとおろおろしているので、こちらから声をかけることにした。
「買取ですか?」
「はい、お願いしたいんです」
そう言った声はほ途中の本棚に吸い込まれそうなほどに弱々しかった。
「ああ、はいはい。ちょっとお待ちくださいね」
俺は彼女に向かってそう言ってから、今度は背後の引き戸を開けて店の奥に向かって叫んだ。
「白井さ〜ん」
ガタン、ゴトンという何かがひっくり返るような音がした。うむ、また転寝とかしていたに違いない。
その間に、俺は彼女のところまで歩いて行き、カートごとダンボール箱を持ち上げた。意外と重たかったが、女の子の前と言う事もあって頑張ってみる。それを店の奥まで運び、何とか空いているスペースを見つけて底に降ろした。
「す、すみません……」
「いえいえ、仕事ですんで」
バタバタと慌ただしい足音。襖ががらりと開いて、引き戸のすぐ向こうにあった和室に白井さんが現れた。適当に整えたらしい皺だらけの服。手で髪の毛をなでつけながら白井さんは店のほうに出てきた。ほっぺたにはきっちり赤い腕のあとがついている。
どう見ても、小汚いおっさんだ。やれやれ、これが客商売をする者の姿だろうか。
「はいはい。お待たせしました」
「買取りだそうです」
そう言って俺はカートに括りつけられた段ボール箱を指差した。
「はいはい、それじゃあ失礼しますよ」
そう言いながら、白井さんは箱をカートから外して中を覗き込んだ。
「家の物置から沢山出てきたんです」
女の子が言うとおり、随分と古い装丁の本が箱の中には入っていた。
白井さんは本に熱中し始めたらしく、女の子の言葉が一瞬宙に浮いた。それを拾うのは当然俺の仕事だ。
「重かったでしょう」
「はい、流石に。それに商店街が賑やかだから……歩き辛くて」
困ったような笑顔で女の子はそう言った。さもありなん。
「それにしても結構な量ですね。お客さんの本ですか?」
「いえ。多分、祖父のだと思うんですけど。もう誰も読まないからって父に言われて」
確かに、読まなくなった本は、下手をすればただの埃製造機だ。場所も取るし、処分したい気持ちは良くわかる。捨てるわけではなく、古書店に売り払えば次の持ち主が出てくる可能性もあるわけだから、罪悪感もそれほどわかない。おまけにお金まで貰えるのだ。大体の場合は極々小額に終わるけど。
「父が、適当に詰めちゃって。バラバラかも」
「ああ、そこで熱心に本の品定めしている人は、そんなの気にしないから大丈夫です」
俺がそう言うと、女の子は少し安心したように胸をなでおろした。
「結構状態がいいですねぇ。これなら買い取れる」
白井さんは背中越しにそう言った。向き直れよ、と思ったがそもそも白井さんに接客マナーを期待することが無駄だと思い至り、とりあえず苦笑いだけを浮かべておくことにした。
「あ、良かったぁ」
安堵の笑顔はなかなかに可愛らしい。もう一度カートを引きずって家に戻る必要がなくなったからだろう。その気持ちは良くわかる。本が詰まった箱はデタラメに重いものだ。
「それじゃあ、ここに必要事項を」
そう言って、俺は買取り用紙とボールペンを彼女に差し出した。カウンターを台にして、そこにさらさらと書き込んでいく。綺麗な字だった。何となく覗いて見ると、住所はすぐ近くだった。
「赤城 碧」
名前の欄にはそう書かれていた。
「はい」
書き終えた彼女は、それをこちらに差し出してきた。
「はい、結構です」
内容を確認して俺がそういうと、白井さんがトレーに現金を乗せてカウンターの上に乗せた。
「どうも、ありがとうございました」
白井さんが精一杯の愛想でそういうと、彼女も微笑んで会釈をした。可愛らしい笑顔だ。
「また、どうぞ〜」
軽くなったカートを引きながら、出て行く背中に俺も声を掛けた。すると、店を出際に律儀にこちらに向かって会釈してくれたではないか。引き止めてしまったようで、こちらが申し訳ない。今時に珍しい丁寧な子だ。
「白井さん、ほっぺた」
「え、何かついてた?」
「腕のあと。また寝てたでしょ」
俺の指摘に「うっ」と呻きながら苦笑いを浮かべる白井さん。
「昨日、遅くてねぇ」
「それでも、営業中に店長が転寝ってのはどうかと思いますけど」
「いやぁ、ほら、藍沢君が頼りになるから……」
罪悪感はあるのだろうが、それでもこういう無責任なことを平気で口にするのが白井さんの凄いところだ。いや、凄いのか?