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夏(文学気取り)

 蝉が鳴いている。

 木の幹に打ちつけられる野太鼓のようなずんぐりとした声もあれば、乳を求めて泣く赤子のような疳高い声もある。

 青々と茂った葉の裏には蝉の抜け殻がくっ付き、その命の抜けた双眸をどこにでもなく向け、時折吹く生ぬるい風に揺られていた。

 隣の葉には、僅かな風に身体を揺らすどこか精力のない蟷螂が、年寄りのように緩慢な仕草で首を回しながら餌を探していた。


「婆さん、アイスキャンデーをくれ」


 営業先に行く途中涼みに寄った公園で、スーツ姿の男はハンカチで汗を拭いながら、木陰に佇む麦藁帽子のキャンデー屋に声を掛けた。

 先日卸したワイシャツは水を被ったようにしとどに濡れ、日に焼けていない青白い肌にべたりと張り付く。

 半袖口から覗く細い腕は赤みが差し、男が普段から日の当たらない場所で過ごしているのを如実に示している。近寄る途中、ネクタイピンで反射した太陽の光がキャンデー屋の目に入り、皺の深い顔は更にクシャクシャになった。

 ポケットから小銭を出しながら、男はキャンデー屋の手書きらしいお品書きを見ている。と、キャンデー屋が突然に声を掛けてきた。

 その声はいやに罅割れていて、まるでもって人の声には聞こえないと男は思った。


「あんたは寒くなりたいかえ? それとも熱くなりたいかえ?」


 老人特有の腐臭をにおわす息に顔をしかめつつ、言われた言葉に男は首を傾げた。

 涼しくなりたいじゃなく寒くなりたいか?

 はては、熱くなりたいかだって?

 この婆さんは何を言ってるんだ、こんな季節に熱くなりたい奴は居ないし、アイスキャンデーで寒くなれる奴なんて見た事がない。

 ははぁ、さてはこの婆さん、俺が色白でひょろ長いから、馬鹿にして変な事を言い出したんだな。こんな婆さんに馬鹿にされて、しかしすごすごと引き下がる俺じゃない。お前みたいな婆さんには、頑として下手に出てやるものか。

 そこまで考えると、男はふんと鼻を鳴らしてキャンデー屋を見た。顔はしわくちゃ過ぎてどこが目か分からなかったので、申し訳程度に生えた眉毛に視線を合わせた。


「俺は熱くもなりたくないが寒くもなりたくない。涼しくなれるアイスキャンデーをくれ」


「あんたは寒くなりたいかえ? それとも熱くなりたいかえ?」


「しつこいやつだな。色白だからと馬鹿にしてるのだろうが、こう見えて俺はなぁ――」


「――ちょ、ちょいとあんた、さっきから何言ってんの?」


 これから巻くし立ててやろうという時に、不意に後ろから声を掛けられた。男がそちらを振り返れば、恰幅の良い中年の女が毛むくじゃらの犬を抱いて、いかがわしいものを見るような視線を向けていた。


「さっきから一人で喋って、もしかして暑さで頭がおかしくなったのかい? あっちに水飲み場があるから案内したげようか?」


 この女、俺に何かしら下心があって親切ごかしに話しかけてきたのかと訝しんだが、すぐにただのお節介と男は結論づけた。

 朝からでは濃い化粧顔には、恐怖心と好奇心が浮かんでいたからだ。

 うるさいと怒鳴ってやろうとしたら、辺りに強い風が吹き抜けた。生ぬるい気持ちの悪い風はそのまま彼方まで飛んでいき、男がキャンデー屋の方を向けば、嗄れた婆さんの姿は木陰に溶けたかのように消えていた。

 先ほど言われた婆さんの言葉に思考が飛び、恐怖やら寒気やらをそこはかとなく感じ、男はそそくさとその場を後にした。


「あんたは寒くなりたいかえ? それとも熱くなりたいかえ?」


 老婆の言葉は蝉の鳴き声と一緒に男の耳に残り、と、空へと一匹の蝉が飛びあがった。

 その後ろ姿を、蟷螂がまるで悔しいように見つめ続けていた――



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