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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

バードメン

作者: 機島わう

「やめて……やめてください……!」

 暗い路地裏に女の悲鳴が響いた。

 女の両脇には二人の悪漢。

 一人は筋骨隆々としたスキンヘッドの巨漢。その腕周りは女の腰よりも太い。

 もう一人はモヒカンを血の色に染めた、痩身の男。顔中に下品なピアスをぶら下げ、眼はどろりと濁っている。

 彼らの顔には、獰猛な欲望に歪んだ笑みが浮かんでいる。

 スキンヘッドの男は、つかんでいた女の手首を乱暴に引っ張った。

 女は小さな悲鳴を上げながら、薄汚れた路地裏を転がる。

「なんなの……あなたたち、いったいなんなのよ!」

 女は叫ぶ。

 あまりの恐怖で、今にも涙が出そうだった。

「俺たちはさあ、犠牲者なんだよ、分かる?」

 モヒカンの男が、笑いをこらえているような声で言った。

「俺たちは痛くて痛くてたまらねえんだよ。俺たちは死にたくて殺したくて壊したくて悲しくてたまらねえんだよ」

 モヒカンの男は、ひきつった笑みのままで言った。

「なに……? なんなの……?」

 何を言っているのか全くわからない。

 なんで私なの?

 どうして私がこんな目にあわなくちゃいけないの?

 この人達は誰なの?

 女の思考は、どれも言葉にならなかった。

 ただ、ひとつだけ分かっていることがある。

 きっとこれから、自分はとても酷い目に合うだろうという、確信。

「あんたに恨みがあるわけじゃねえんだあ……あんたは選ばれただけなんだよなあ」

「選ばれたって、な、何に?」

「神様だよ」

 モヒカンの男は空を指さして、恍惚とした顔で天を見上げた。

 女はつられて空を見る。今にも雨が降り出しそうな、分厚い黒雲がたち込めた、不吉な夜空しか見えなかった。

 神様なんか、いるはずもなかった。

 女は思う。

 もし神様なんてやつがいるとしたら、そのクソッタレをぶん殴ってやる。

「私に何をするつもりなの……」

 モヒカンの男は何も答えず、野良犬のようににやにやと笑うばかりだった。

 スキンヘッドの男が、何を考えているのか分からない無表情で、女に向かって歩いていく。

「やめ……やめて……!」

 恐怖に締め付けられた女の声。

 腰が砕けた。膝が震えた。もう、逃げようとすら考えられなかった。

 スキンヘッドが女の腕をつかむ。

 女は反射的にその手から逃れようとするが、微動だにしない。まるで木の板に打ち付けられたように、手が動かない。

 スキンヘッドは後ろから女の両腕をつかんだ。ほんの少し力を加えるだけで、女の両腕を木の枝ようにへし折ることができる。

 モヒカンがにやにや笑ったまま女に近寄っていく。

 女は、後悔していた。

 こんな時間に、この「夕闇通り」を歩いていたことが、そもそもの間違いだったのだ。 昼なお暗い、ならず者が集まる吹き溜まり、町の住人なら絶対に近寄らない、犯罪者の巣窟である夕闇通り。

 いつもならわざわざ遠回りして帰るのに、今日に限って残業で、しかも見たいドラマがあったから、近道しようと思って、少しくらいなら大丈夫だろうと思って、油断して、慢心して、自分だけは大丈夫だと、そんな錯覚をして、たかがドラマのために、これから、私は犯されて、体中の皮膚を剥ぎ取られて、爪と肉の間に釘を打ち付けられて、肛門に石を詰められ、生きたまま目玉を舐められ、髪をむしり取られ、全身の骨を打ち砕かれ、まるで子供の玩具のように壊され、捨てられる。

 女の頬に涙が伝った。

「やめて……」

 その一言が、精一杯だった。

 モヒカンの笑みが深くなる。

 深く、深く、更に深く、深海に住むグロテスクな生き物のようになっていく。

 他人の絶望を全身に浴びて、モヒカンは今にも狂喜の絶叫を上げそうになる。

 モヒカンは腰を抜かした女の前にしゃがみ込み、女が着ていたスーツのボタンを引き裂く。

 女が、ひっ、と息を飲む音がした。

 モヒカンは女のワイシャツの首元に手をいれる。

 ぞっとした。

 その手の生暖かさが、女に現実感をもたらす。

 モヒカンが両手を横に広げる。

 ワイシャツのボタンが飛び散った。

 もう、我慢できなかった。

 理性が、弾けた。

「ひいいいいひいいいいひいいいいひいいいいひいいいいひいいいいひいいいい」

 モヒカンの男が目の前で口を開けて笑っている。

 女にはその声は聞こえない。

 自分の引きつった声が大きすぎる。

 男の手が、女の体に伸びたとき――。


「うるせえ……」


 どこからか声がした。

 しわがれた、低い声だった。

 それでもよく通る声だった。

「ああ? 誰だ? どこにいやがる」

 モヒカンの男は不機嫌そうに立ち上がり、革ズボンのポケットに手を入れた。

 きっとそこには凶器が入っているに違いない。

 スキンヘッドの男も、女から手を離し立ち上がる。

「ここだよ」

 暗闇が、のそりと蠢いた。

 声の主は女から2メートルも離れていない場所に、座り込んでいた。

 その姿は暗闇に塗りつぶされ、影のようにしか見えない。

「なんだあお前はあ? お前も選ばれちまったのかあ?」

 モヒカンは、笑顔のままポケットから折りたたみナイフを取り出し、金属質な音をたてて刃をむき出しにする。

「ああ、俺は選ばれちまったのさ。ずっとずっと昔にな。どうして俺は生まれた? どうして俺は生きている? どうして俺は、こんな生き物なんだ?」

 影は自らに問うようにして言う。

 低く、なお低く、地べたをはいずる虫のように陰鬱な声で。

「そうかあ、お前も犠牲者なんだなあ……わかるぜ兄弟……でもなあ、生きてる理由がないってんなら……死ぬ理由もねえなァッ!!」

 モヒカン男がナイフを構えて飛びかかった。

 暗闇の中に刃の残光。

 瞬間、モヒカンが宙を舞っているのを女は見た。

 おかしな格好だった。

 絶対に向けてはいけない方向に首がねじれていた。

 モヒカンは壁に叩きつけられ、水風船が割れる音を立てて、ずるずると地面に這いつくばった。

 その頭部は破断していた。

 鼻から下がひしゃげて引き裂かれたようになっている。

 濃密な血と体液の臭いが漂ってきて、女は吐き気を覚える。だがその感覚すらも、遠い場所で起きているような錯覚。

「お前、強いな」

 スキンヘッドが、はじめて口を開いた。

「強い……? どういう意味だったけな、それは……」

 影は考えこむように言う。

「負けねえって意味だ」

 スキンヘッドが応える。

「ああそうか、そうだったな。頭いいな、おまえ。俺はすぐ忘れちまう。いいことも、わるいことも、大事なことも、どうでもいいことも、全部忘れちまうんだ」

「かまわねえだろ。お前は、今俺に殺されるからな」

 スキンヘッドが構える。ボクシング、インファイターのスタイル。

「死ぬとか生きるとか、そういうのは分かるぜ。まだ覚えてるんだ。どっちも、とても哀しいことなんだってな」

 スキンヘッドは、もう待たなかった。

 巨体からは想像もつかない俊敏さで暗闇に踏み込み、その瞬間に動きをぴたりと止める。スキンヘッドの背中から、奇妙な物が飛び出している。それは三本の尖った釘のように見えた。よく見てみると、その釘は先端に向かうにしたがって緩いカーブを描いている。獲物をしっかりと捕らえるための、鉤爪。女にはそう見えた。

 スキンヘッドの男は、それでも一撃食らわせようと腕を振り上げ――。

 その手首が、吹き飛んだ。

 スキンヘッドは、脈動に合わせて血を吹き出している手首を見る。

 それから、やっと叫んだ。

 死ぬということ。

 叫ぶということ。

 痛み。

 他人に与えてきた恐怖。

 全てが自分に向けられて、決して逃げることはできず、死は目の前にいる。

「……そんなにはしゃぐなよ」

 影がぼそりとそう言うと、スキンヘッドの頭が地面を転がった。

 首は両断され、巨体は力なく残骸となって冷たい地面に横たわる。

 転がった毛のない首が女の方を向く。

 その顔は恐怖で歪んだ絶叫のままだった。

 女は一歩も動けず、逃げようとも考えられず、ただ無心に二人の人間を殺した誰かが潜んでいる影を見つめていた。

 影もまた、女を見ているような気がした。

 ポツリ。

 女の頬に水滴が落ちる。

 雨だ。

「お前は、神様を信じるか?」

 影がそう言う。

 女は、数秒ほど呆けていたが、その言葉が自分に向けられていると気がついて、慌てて首を横に振った。

 自分はこんなに酷い目に合っている。

 神様なんていてたまるか。

「そうか、俺は信じてるんだ。いつか会えるんじゃないかと思って、ちゃんとその時のセリフも考えてるんだ」

 影がのそりと動き出す。

 雨が強くなる。

 暗闇が深くなる。

 路地裏の温度は、凍えるように冷えきっている。

 影はそのまま路地裏の奥に歩いていく。

 そこで女は気がつく。

 自分は、助かったのだと。

「ねえ待って! あなたの名前は……!」

 思わずそう声に出していた。

 その時、カッと稲光が走る。

 暗い路地裏が、一瞬だけ白い光に包まれる。

 男のシルエットが浮かび上がる。

 影は両手を真横に広げていた。

 その全身は細かい凹凸の輪郭で出来ていた。

 まるで、羽毛に包まれているようだった。

 腕から腰にかけて、まるで翼のような膜が広がっていた。

 伸ばした手の先には凶悪な爪が三本、血を滴らせていた。

 がらがらと雷鳴が遅れて響く。

「名前なんて、忘れちまったよ」

 バシッと、何かを叩く音がした。

 空気を叩いて、彼はきっと、羽ばたいたのだと女は思う。

「でも人は俺を」


 バードメンと呼ぶぜ。


 再び稲光。

 薄汚れた路地裏に、もうバードメンの姿は無く、惨殺された死体がゴミのように転がっているだけだった。

 女は、空を見上げる。

 泣きやまぬ夜空にバードメンの姿を探すが、暗闇と同じ羽根の色を持つ彼を見つけることはできない。

 女は立ち上がり、破られたワイシャツの前を両手で合わせて――それから、彼のことを考える。

 体中に羽毛を生やし、凶器のような長い爪を持った、人間ではない、しかし人間の心を持った何かのことを。

「ねえ、あなたは、神様に会ったら、なんて言うつもりなの……?」

 空に向かって、呟いてみる。

 もちろん、答えはない。

 もし自分に翼があったら――。

 わたしも彼のように、飛べるだろうか。

 影に身を隠して。

 飛んで。

 飛んで。

 どこまでも遠くへ飛んで。

 そしてきっと。

 いいことも、わるいことも、大事なことも、どうでもいいことも、全部。

 忘れながら、それでも。

 生きていく。


ノリノリで楽しく書きました。

とにかくかっこつけた何かを書きたかったんです。

バードメンの内面をもっと書ければ良かったかなあと思います。

ご意見、ご感想等、どうぞお気軽にお書きください。

参考にさせていただきます。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] バードメンのダークヒーローのところはしっかり書かれていたし、女が襲われるシーンも臨場感がありますね。 [気になる点] バードメンの姿はもう少し早く描写したほうがいいと思います。戦闘シーンが…
2015/10/09 09:43 退会済み
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