九話 夏の手紙
モーザ・ドゥーグの村から戻って、すぐにエフィルさんへの報告会になった。予定より遅くなったボクたちを心配して、途中まで迎えに来ていたのだ。そのまま道中で報告しながら帰る事になった。
魔物に関しての詳しい情報は、スプリガンのスペリィンさんが、傭兵団を通して王都の警備兵に伝えてくれるだろう。
神殿でも神官長のセレヴィアンさんへ連絡を取ったり、治療院から派遣する人を決めたりと、夜にも関わらず慌ただしかった。ボクたちはまだ子供なので、必要な事を伝えてご飯を食べて、身体を洗ったらさっさと寝なさいとなった。
翌日もエフィルさんは忙しそうで、報告は主にアルフェルがやってくれた。ボクの方はというと、王都からセレヴィアンさんがやってきて、『浄化』の事やギフトの事をいろいろと話した。
「お久しぶり、というほどじゃないけど、元気でしたか?」
「はい、プリムラともども、楽しく過ごしてます」
相も変わらぬプラチナシルバーの髪が、穏やかな笑顔によく似合っている。やっぱり知的な美人さんだなぁ。
『……年増好みか』
待てこら、文句があるなら正々堂々、受けて立とうじゃないか。ついでにプリムラも自分の年齢、ちゃんと自己申告しようね。
『永遠の十七歳よ』
どこの教祖さまだよお前は。今はまじめな話なんだから、自重して下さいね。それにプリムラの言葉が筒抜けなのも忘れてるよ。
セレヴィアンさんには転生者だとバレているので、幼女を装う必要も無い。プリムラとの会話よりフォーマルな、目上の女性相手の話し方でいいだろう。
「それにしても驚いたわねぇ、あなたのギフトならともかく、プリムラさんが『浄化』を使えるだなんて」
「やっぱり……普通の魔法じゃないんですか」
「そうねぇ、精神的なもの、正確にはフェア(精)に作用する魔法だから、妖精族で使える者は限られるわね」
セレヴィアンさんの口振りだと、妖精以外の存在、精霊なら使えるものもいる、と取れる。やっぱり何か知ってそうだな、教えてくれるか分からないけど。
「さっき見せてもらった魔法円が、わたしたちの神聖魔法と違っているの。効果も違う可能性があるから、これから何度か、調査の名目で会いに来る者がいると思うわ。留意しておいてね」
なんか面倒な事になりそうだなぁ。相談出来る数少ない相手の言う事だし、お願いされたら断れないけど。
ギフトについても幾つかの報告と、『写真』について分かった事を説明した。カメラの説明に悩んだけど、簡単な概念と構造を説明したら理解してもらえたようだ。
「カメラ……あなたの前の世界にあったのね。魔法具のような物かしらねぇ、不思議な物があるのね」
「魔法は使いませんけどね。替わりに電気というもので動きます。前の世界は、ほとんどの『機械』が電気で動きました」
機械、の発言に違和感があった。上手くアルヴ語に変換されなかったようだ。この世界にまだ概念として存在しないのかもしれない。
「キカイ? 魔法具とは違うのかしら。やっぱり転生者は面白いわね」
面と向かって面白がるのは、貴方くらいですよと思いつつ、久しぶりのラフな会話を楽しんでいる。
「転生者が授かるギフトは、元の世界での技能や知識、概念に関わることが多いのだけど、あなたのように道具の機能がそのまま、というのは初めて聞いたわ」
「うわー、ますますレアっぽいですね。参考になるギフトの話でも、聞ければと思ったんだけど無さそうだなぁ」
「ごめんなさいね。あなたの場合イレギュラー過ぎて、分からないことだらけなのよ」
それからセレヴィアンさんに請われたので、元の世界の事をかいつまんで説明した。人間の事、文化の事、人種と呼ばれる人の区別と数多くの国。機械文明とコンピューター。
コンピューターと記録媒体の事は、正直理解してもらえなかったと思う。エルフさんが類い希な記憶力を持つ、見聞きした事をほぼ忘れない、トンデモなのも理由だろう。
自分で記憶すればこと足りるから、外部記憶、何かに記録する習慣が生まれなかったとも言える。しかも長寿だから、記憶を伝える機会がいくらでもある。
「わたしたちリョース・アールヴ以外は、忘れっぽい種族なのだと思っていたわ。事実は逆なのね。フレイヤさまに感謝しないと」
アルヴヘイムに住む妖精族は、フレイとフレイヤの二柱から生まれた、子孫と言い伝えられている。そこは日本の伊邪那岐、伊邪那美の国産み神話と似ている。
『神話なんて、どれもテンプレじゃないの?』
いやそれ聞こえてるからね? セレヴィアンさんに。
「プリムラさんみたいに、はっきりした自己を持つ精霊も初めて会ったわ。高位精霊は人と同じ感情を持つといわれるけど、めったにお話し出来ない相手だし。あなたはリィと一緒に、前の世界から来たのよね?」
『う、あっ、そ、そうです、わたしも最初驚いちゃって』
「そうだったの。わたしも他の世界の精霊を見たのは初めてだから、みんな初めてだらけなのね」
セレヴィアンさんは楽しそうに笑う。笑う所かなぁと思いつつ、続く言葉を待つけど、二人とも何も言わなかった。
妙な雰囲気のまま、沈黙の時間が過ぎていく。ふと窓から流れてきた風に、華やかな香りを感じた。なんの花だったろう……思い出そうとして窓の外を見る。
「あら、もうこんな時間なのね。二人ともありがとう、お話し出来て楽しかったわ。また王都にいらっしゃいな、美味しいお菓子を用意して待っているわ」
少し唐突な感じもしたけど、セレヴィアンさんが話を切り上げた。
「また……何か困ったことがあったら、相談したいことが出来たら、いつでもいらっしゃい。遠慮はいらないから」
最後にそう言って席を立つ。これから騎士や長老を含めた、十二氏族会議が行われるそうだ。やっぱり貴族っぽい組織はあるのか。
セレヴィアンさんが王都に戻ってから、森へ出掛ける事が禁止されてしまった。モーザ・ドゥーグの村へは、王都から騎士隊が派遣されて、魔物の調査や警備を行うらしい。
ボクは神殿の敷地の中でお手伝いや、魔法の勉強しか出来なかった。時々、調査の為に話を聞きに来る人がいるだけで、外へ出られないからやる事が無い。孤児院の隣にある、自家用の畑も手伝うようになった。
思ったより土地がやせていて、土の状態も良くなかった。腐植が足りないせいか酸性に傾いてる感じだ。少し手を加えれば良くなると思うんだけど……
やはり基礎知識、肥料の三要素であるNPKや、微量要素についての知識が無いのが問題だ。経験則で、野菜が育たなくなると場所を変える、三圃式に近い事はしているようだ。積極的な土壌改良ではないので、休耕期間も長く効率が悪い。
緑肥や有機肥料の施肥を行い、カルシウムやマグネシウムの利用を意識しないといけない。特に炭酸カルシウムは、別な用途にも使いたいので、早めに手に入れたかった。
そんな日常が一週間くらい続いて、季節はだいぶ夏らしくなってきていた。
◇
慌ただしい毎日が落ち着いた頃、アルフェルに手紙が届いた。
フレイ神殿の南の神殿、通称『夏の神殿』に務める治療師のお姉さんから、遊びに来ないか? というお誘いの手紙だった。盛夏を過ぎた日本でいえば、お盆に当たる時期にお祭りがあるらしい。
神官は一年のうちで二回、まとまったお休みをもらえる。その際に里帰りや、旅行に出掛ける人が多い。見習い神官も扱いは同じなので、お休みを使って遊びにおいでと言うわけだ。
「夏のしんでんは、あったかいのです?」
「ここよりずーっと暖かいよ。今の季節なら、むしろ暑いくらい?」
ほほう、ならここの周辺と、違った植物が生えていそうだ。行ってみたいな。
『植物マニアめ……連れてって~、て言えばいいじゃん』
こらこら、姉妹水入らずの邪魔はマズイでしょうに。行きたいのはやまやまでも、そこは自重するのが大人というものです。
『今のリィは、どこからどう見ても、かんっぺきに幼女だから』
くっ、考えないようにしてるのに。
「そうだ、リィも一緒に行く? 他に予定が無ければだけど~」
エフィルさんは、一緒に旅行へ行くんだーと主張していたけど、公務が詰まっていて秋まで休みが取れない。なのでボクの予定は決まっていなかった。
渡りに船なので遠慮がちに行きたい旨を伝える。ニヤニヤ顔のプリムラは、どうにかしてコイツだけ置いていってやりたい。
『やれるもんなら、やってみそぉ~?』
いつか泣かす。ぜってぇ泣かすっ!
「どうしたの? 怖い顔になってるよ。リィもいっしょかぁ、楽しみ~。ナリーはご両親と旅行?」
アルフェルと同じく、ベッドで荷造り中のナウラミアが、手を止めて思案顔になる。
「毎年この時期は、北のリング・ロスに避暑に行くんだけど、今年は行けないかも」
「あら? お兄さまが冬の神殿の、騎士さまなのでしょう。去年も会いに行ってましたよね?」
「今年もそのはずだったけど、ちょっと……」
言いにくい理由だろうか。ナウラミアも荷造りをしているので、お休みをもらって出掛けるのは一緒なのだろう。
「今年はお婆さまのお見舞いに行くの。秋の神殿の近くに住んでいるのよ」
秋の神殿はフレイ神殿の一つで、森の西にある神殿だ。西と言っても西端というより、森の中心に近い位置にある。フレイの森の西側は、リャナンシーという妖精族の国がある為だ。
神殿はどの国にも属さない、自由領と呼ばれる地域にある。フレイの森は西側を除くほぼ全域が自由領で、北の森の一部がリョース・アールヴの国、イル・ド・リヴリンに属している。
東と南はどの国にも属さない自由領が広がっている。モーザ・ドゥーグを始めとする、マイノリティーな妖精族が、小集落でのんびり生活している。
ナウラミアの祖母が、秋の神殿の近くに住んでいると言う事は、リョース・アールヴの国を出て生活していると言う事だ。これは非常に珍しい事で、何か事情があるに違いなかった。
「そう、気を付けて行ってらしてね。お婆さまにもよろしくお伝え下さい」
「いってらっしゃい~」
荷造りの手を止めてナウラミアが顔を上げた。表情は硬く、何か言いたそうな目をしてボクを見詰める。言い方が気に障ったのだろうか、時々こんな風に睨むような目を向けられる。
「……二人は楽しんでくるといいわ。夏の神殿の近くに、ドライアードの村もあるし」
ドライアードの村? 以前エフィルさんに、『森の養い子』の事を聞いた時、ドライアードはフレイの森の南に住んでいると教えられた。まさか、夏の神殿の側だなんて思いもしなかった。
「へー、ナリーってそういうことにも詳しいのね~。近くにあるなら、リィもいってみたいんじゃない?」
正直かなり行きたい。今まで自分以外に、緑の髪の妖精族を見た事が無い。また、森の乙女と呼ばれるドライアードの事は、あまり知られていない。どんな生活をして、この世界とどう関わっているのか、色々と興味があった。
「わ、わたしは急ぐから、先に行くわね。じゃぁ二人も気を付けて」
いつの間に着替えたのか、外套を着込んだナウラミアが、荷物を持って出ていくところだった。ちょうど部屋の外に迎えの人が来たらしい。紺色の襟の細いメイド服を着た女性が、扉をノックして入ってきた。
ボクらに一礼すると荷物を持って、ナウラミアと一緒に出ていく。その後ろにどう見ても執事服に見える、パリッとした銀鼠色の服の中年男性が続いた。うむ、この世界にもメイドと執事の文化はあるのか。どことなく安心、素晴らしく期待が膨らむ。
「ずいぶん急いでたのね~。他人の事情を詮索するのは、はしたないことだけど、何があったか気になるわね」
アルフェルの言葉はもっともだ。普段から一緒の部屋で生活する、姉妹のように仲の良い彼女の事なのだから。エフィルさんなら事情を知っていそうだけど、話を聞く機会があるかどうか。それに教えてくれるとも限らないし。
『必要ならそのうち話すわよ。気にすることないんじゃない?』
相変わらずナウラミアに対しては、淡泊なプリムラだった。
「それじゃリィ、エフィルさまにお出かけのことを伝えておいてね。五日後にお迎えが来ることになってるから」
「はーい。今から行ってくる~」
そろそろ午前の務めを終えたエフィルさんが戻る時間だ。頼み事をするのだから、たまにはお出迎えで心証を良くしよう。
案の定、出迎えたボクを抱きしめたエフィルさんは、とても嬉しそうだった。けれど続くお願いに、行っちゃヤダ~的な駄々っ子モードを発動したので、差し引きの所マイナスかもしれない。
今更だけど、春の神殿を預かる大神官ともあろう人が、衆人環視の下で駄々っ子になるのはいいのだろうか。結局認めてくれる代わりに、戻ってから一週間毎日、一緒のベッドで寝る事を約束させられた。それってどうなんだろうと思う。
旅行まで日があるので、旅装の準備をしようと思ったけど、考えるまでもなく服もそれ以外も大して持ち物は無かった。下着を多めに用意して貰う事と、常備薬を準備するくらいだろうか。薬か……