八話 魔物の正体
橋から10分ほど歩いた所に、モーザ・ドゥーグの村がある。
彼らは妖精族の中でも精霊に近い存在で、狗人という獣人の一種。昔はフレイの森のあちこちで、家族単位で生活していたという。
周囲をハンノキとカバノキで囲まれた、開けた土地に彼らの村はあった。
村の入り口で待っていたのか、連れ帰った子供の両親が駆け寄ってくる。
「ぼうず、もう大丈夫だぞ」
スプリガンが両親に抱いていた子を渡すと、親子三人の感動シーンの出来上がり。
うん、感動シーンのはずなんだけどね。
『これは……なかなかにシュールね』
紺色の半ズボンいっちょうで、ぶっちゃけ狼男にしか見えないおっさんと、グラマラスボディーでショートカールヘアーの犬耳娘と、垂れ耳の子犬が抱き合って泣いている。
お巡りさん、こっちです! って台詞が脳内再生されても致し方なし。
ほんとにみんな真っ黒な毛並みだなぁと、黒犬の名前通りな事に感心しつつ、アルフェルの説明との違和感に思い当たった。
彼女はこう言ってなかったっけ?
『子供の時は、犬耳っ娘』
微妙に“コ”の字が違うからね? 不満そうな視線もやめたげて。自分もそう思ったから、強くは言えないんだけど。
ボクらが連れ帰った子供は、どう見ても子犬だった。面長の犬面には表情があるけど、全身を覆う黒毛やふさふさ尻尾は子犬そのもの。
「うーん? どう見てもわんちゃんよねぇ……」
アルフェルが疑問を口にする。
「あぁ、そういやぁ、知らないのか。あのぼうず、もうすぐ戻るから見てなよ」
「戻る?」
スプリガンの言葉に、どういう意味かと考えた時、子犬の姿が変化した。
全身に生えていた毛が色を失うように消えて、曲がっていた手足、指が伸びる。
顔の形も丸く変化して、人のものになった。
「わんちゃんが、人になった!」
「『獣化』ってんだよ。恐れや怒り、強い感情の影響で獣の姿になっちまうんだ」
ライカンスロープ、ワービーストなんて呼び方もある、いわゆる狼男ってやつね。
獣なら威嚇で毛が逆立ったり、尻尾が膨らんだりするけど、それの極端なやつか。今回は恐怖が引き金と思う。
無事に再会した親子の脇を抜けて、二人の黒犬さんがこちらに歩いてきた。
先頭の一人がやや小柄な、絣の着流し姿の狼男で、髭と眉が白く穏やかな目をしている。そんな事より、この世界で見る初めての和装に驚いた。
彼の後ろに付き添うは、同じく着物姿の犬耳の女性。
「手間を掛けたようじゃな。里の子供が世話になった」
いいってことよー、とスプリガンの一人が陽気に答える。
「こんにちは、ブロルフさま。春の神殿より、ご依頼の薬草をお届けに参りました」
「おぉ、アルフェルか。いつも礼儀正しいのぉ。そちらの子は、初めて見る顔じゃな」
「はじめまして、ぶろるふさま。リーグラスです」
「小さいのに賢そうな子じゃな。どれ、疲れたじゃろう。フルル、この子らを儂の家に案内してやってくれ」
ブロルフさんとスプリガンの三人は連れ立って、さっきの親子の元へ向かった。このお爺ちゃんがここの責任者らしい。
着物姿の犬耳女性が、にっこり笑ってボクの手を引こうとした。
おっと、忘れる所だった。鞄の蓋を開けて中身を見せる。
「リーグの実を、いっぱいとったのー」
「まぁ美味しそうね。それもくれるの?」
「んー、半分だけね?」
そんなやりとりをしながら、ブロルフさんの家に向かう。
「リィ、ブロルフさんはここの里長よ。一番偉い人って意味ね」
何度か来た事があると言っていたので、フルルさんも含めて以前からの知り合いらしい。
村の様子は王都とまったく違い、これぞ農村風景そのもの。所々に小規模の畑と、ブドウに似た果樹畑がある。
屋根付きの井戸で何人か水を汲んでいた。家は板葺きの簡素な小屋で、屋根材は細い枝を組んだものを使っている。
前の世界だと、東南アジアの農村がこんな感じか。家畜の類いはいないので、狩猟と農耕が生活を支えているように思えた。
村の中央に他より大きな建物があった。お昼時なので、屋根の上から煙が上がっている。
食事の用意をしてくれていると嬉しいな。
「さあどうぞ、いらっしゃい」
「あ、わたし手伝います」
考え無しに腰を下ろしたボクと違って、アルフェルが台所に向かうフルルさんに付いていった。さすがお姉さんというか、よく気が利く。
『リィも、女子力研かないとね』
うっ、いらんわそんなもんっ! って切り返せない状況が恨めしい。
やがて二人がお膳に載った食事を持ってきた。
「お腹が空いたと思うけど、もう少し待っていてね」
というフルルさんの、魅力的な笑顔で待ったが掛かった。
当たり前のマナーなので、出てきた料理をじーっと見詰めて待つ事にする。
左のお椀は何かのお芋をふかしたものだった。軽くつぶして木の実と香草を混ぜている。
右のお椀は匂いからしてヨーグルトかな。渡したリーグの実がトッピングされていた。
飲み物は冷茶の類いかな。なんて黙って分析していると
「真剣に見てるわね~。そんなにお腹空いた?」
という失礼なアルフェルの発言が。
しかしボクも成長しているのですよ。ここでのネタ振りには応じません。
◇
やがてブロルフさんと、槍を持ったスプリガンが一人、一緒に家に戻ってきた。
「すまんなぁ、待たせたようじゃの。さぁ、食事にしようか」
二人が席に着くのを見て、フルルさんとアルフェルがお膳を運ぶ。
「いつもお手伝いありがとうね、さぁ食べましょう」
食堂で食べる時は、食事中にも会話を楽しむ。神さまに感謝を捧げるお祈りの後、騒がしくない程度に今日の出来事などを話し合う。
現代日本では当たり前な光景だけど、昔の日本は違った。食事はもっと厳かに、静かに行われる。
ブロルフさんの格好やお膳から予想して、しばらく黙々と食事を頂いていると、フルルさんの心配そうな声が掛かった。
「リーグラスちゃん? 美味しくなかったかな。嫌いなものある?」
無言で食べる姿が、そんなに不味そうに見えたのか。お芋もヨーグルトも美味しかった。
「……みんな、おしゃべりしてないよ?」
「ほっほっほ。それはすまなんだ、儂らは食事中にしゃべるのを良しとせんからのぉ。お嬢ちゃんは気にせんで、しゃべってもいいんじゃよ?」
ボクの答えにフルルさんが、感心したように目を見開いた。
見かけ幼女が空気読んで大人しくしてるって、確かに年相応じゃ無いかもね。
ましてや腹ぺこで待ってたと思われてるみたいだし。
食事が中断したのを受けて、アルフェルが鞄の中から薬草の入った袋を取りだす。
「遅くなりましたが、ご依頼の薬草を二袋、お渡ししますね。こちらが熱冷まし、こちらが打ち身の貼り薬です。こちらの受け取りに署名を」
「おぉ、これは助かるの。お代はいつものヤマイモとノガモで良いかの?」
「はい。秋祭までにお届け下さい」
ブロルフさんが羊皮紙の受取書に、『サイン』という魔法で署名を行う。
口述魔法『サイン』は署名をする魔法で、特殊なインクで文字が記入される。
自分の名前が自動で、魔力の質に応じて文字の形が変わる。
論理的に偽造が不可能なので、証明用の魔法として重宝されている。
初級魔法なので大人の妖精なら誰でも使えるし、見習い神官ほどの魔力があれば、数回練習すれば習得出来る。アルフェルは使えると言っていた。
「お話と言えば、いっしょに戻った男の子は大丈夫だったのですか?」
食事を再開してすぐ、一番気になっていた話題を振ってくれた。
「ふうむ、それについてじゃが、いささかおかしな事が起きておってな。スペリィン、良ければお前さんからも話してやってくれ」
黙って食事を続けていた、スプリガンに話が向けられる。彼の名前はスペリィンさんと言うらしい。
「……まぁ、何か分かるとも思えんが」
そう前置きしてから、最近この辺りで起きている異変について語り始めた。
「魔物について、どんだけ知ってる?」
魔物とは恐ろしいもの。人を襲うもの。忌み嫌われる存在。
エフィルさんの講義で教えてもらった事はある。あるけど、さらっと流されてしまって、詳しくは聞けなかった。
あえて話題を避けていた節もある。
リィは知ってる? とアルフェルに聞かれたので、教えられた内容を話した。
「森の中にときどき出るこわいもので、黒いけものの姿をしている」
黒い獣の姿、なぜそこに思い至らなかったのか。『獣化』した姿は、まさに魔物じゃないか。
「モーザ・ドゥーグ族はあちこちで迫害されてな。今はこの村に残ってるやつしかいない。魔物と間違われて殺されたやつも多いんだ」
スペリィンさんの、殺された、という言葉にドキっとした。やっぱりこの世界でも、人が人を殺すんだな。
「迫害された理由は、魔物と間違われただけじゃ無くてな。お前たちも、さっき現場に遭遇しただろう?」
それから彼が語った内容は、目の当たりにした経験が無いと、信じ難いものだった。
獣化は本人以外の周りの生き物、特に知性ある生き物に強い影響を与える。有り体に言えば、欲望を刺激してしまう。
怒りで獣化すれば攻撃性を、恐怖で獣化すれば、自身に対する保護欲をかき立てる。
特に子供の獣化は滅多に起こらない代わりに、いざ起きた時の影響は強く、周りにいる知性を持つ生き物を、守護者として広範囲から引き寄せるらしい。
「そんな事があるんですか……」
この性質はアルフェルも知らず、黒い外見と狗人という事から、魔物に擬えて嫌われていると思っていたと言った。
「さっきも言ったように、子供はめったな事じゃ獣化しないんだよ。そこまで精神力もないしな。普段は大人が一緒に行動するし、危ない目に遭う機会もまず無い」
子供は精神の未発達さ故、大人は逆に意志の強さで獣化を抑える、そうフルルさんが補足説明してくれた。
先程の橋の上の子供、獣化していた彼は何に怯えたのだろう。
プリムラの話によれば、ニグルが獣化の影響を受けて、子供を守る為に興奮状態であったと考えられる。
彼がニグルに怯えたとは考えにくい。
「あの子は、何を見てそんなにおびえたのですか?」
「ふむ。そいつが問題なんだよ。ぼうずはまだ小せぇから要領を得ないんだが、どうもニグルに襲われたって話なんだ」
おや? 妙な話になってきた。
「お馬さんは、どうしておこったのかなー」
「うん? ニグルの事か? ありゃぁ、怒ってたってよりも……」
何かに気付いたのか、スペリィンさんが口ごもる。
「怯えて……いたのか。確かにあいつは、普段から大人しいからなぁ。ちょっかい掛けたくらいじゃ、怒ることもないし、確かに妙だな」
「スペリィンよ、やはり最近この辺りに現れる、あやつのせいではないか?」
久しぶりにブロルフさんの声を聞いた気がする。あやつ? 現れる? 気になる言葉。
「スペリィンたち三人には、以前からこの里の警護をお願いしておる。普段は狩りの手伝いをしてもらったりで、警護の仕事は多くなかったんじゃが」
二ヶ月ほど前から、里の周囲で魔物の目撃が多くなった。
ただしそれは、今まで知られていた魔物とは違う。魔物と判じて良いかも、まだ分かっていないものだった。
そしてその魔物は、他のどんな魔物とも違う、危険な特徴を持っていた。
◇
「二人とも、魔物に遭ったことはあるかね?」
否定の意味で首を左右に振る。遭っていたら今頃ここにいない気がする。
その答えは分かっていたように、ブロルフさんが話を続けた。
「魔物とは黒い獣の姿、が今まで知られていたものじゃ。じゃがのう……」
それは一見すると、黒い霧のようであるという。霧、あるいは塊。無理に表現するなら、一定の範囲で漂う黒い何か。
「わしも短くない時を生きておるが、こんなものは聞いたことも見たことも無い」
それは意思を持つように動く。人に会うと向かってくるし、逃げれば追ってくる。武器で攻撃しても散らすことは出来ない。
そして霧状のそれに取り込まれると、すぐに正気を失う。廃人同様になるらしい。
自発的な意思を持たない、まるで生きている人形のようになってしまう。
『……精神を喰われる?』
おっそろしい事をさらっと言いやがりますね、プリムラさん。ボクもそう思ったけどさ。
普通の魔物が物理的に害を成す、生き物を喰う存在とすれば、黒い霧は精神を喰う魔物か。
「おじいちゃん、おそわれた人は、しんじゃうの?」
精神に異常を起こしただけなら、すぐに死ぬ事は無いだろうと尋ねる。
「……悲しいことじゃが、襲われると身体が弱り、十日程で眠るように死んでしまうんじゃよ」
9歳と4歳の少女&幼女コンビに、マジ話は重すぎるぞー。
この世界の倫理規定はどうなってんだー、せめてR-15くらいにしとけー。
でも妙だな、と思った。精神を喰われる? 何かが違う気がする。喰われるんじゃなくて、もっと、こう……
その時、神官長のセレヴィアンさんの話を思い出した。
セレグ(生命)とフェア(精)とアノア(霊体)、この三つが人の身体にあるという。
フェアを喰われたなら、なぜ十日で死んでしまう? 動物や植物には、セレグとアノアしか無いと聞いた。
元からフェアなんて無くても、みんな立派に生きている。
ならばフェアに異常が起きている、或いはフェアとセレグの繋がりが、断たれたと考えたらどうだろう。
生命力であるセレグを失えば、瞬時とはいかないまでもすぐに絶命する。
徐々にというなら、気力が失われたと考える方が分かりやすい。この気力は精神論的なものでなくて、文字通りの気の力だ。
「いや、すまんかった。二人とも驚かせてしまったようじゃな。子供にする話ではなかった、申し訳ない」
アルフェルは目に見えて動揺して、怯えた表情でうつむいている。
ボクはというと、確かめなければならない事があった。
「あの、お薬のんでも、なおらないの?」
鞄の中から、常備薬として持たされている、腹痛の薬を取り出しながら言った。
その様子にフルルさん、ブロルフさんが悲痛な表情を浮かべて下を向く。
しばらく無言の時間が続いて、口を開いたのはブロルフさんだった。
「薬も祈祷も効かんのじゃよ。三日前にも若い娘が一人襲われての……寝込んでおるよ。いったいどうすれば良いのか……」
諦めがため息となり口をつく。今の口ぶりから、思い付く限りの手を尽くしたのだろう。
ふと隣の視線に気付く。アルフェルが、ボクをじっと見詰めていた。
何かを言おうとして逡巡している目は、なんとなく、言いたい事が伝わる。
「おみまいして、フレイさまにお祈りしたいです、だめですか?」
他に上手い言い方が思い付かない。
どこぞの『見た目は子供、頭脳は大人』なら、多少年齢にそぐわない発言もスルーされると思うけど、幼女は色々とままならないな。
「そうじゃな、せっかく神殿から二人も巫女さまが来てくれたんじゃ。お祈りだけでもありがたいの」
フレイ神殿の女性神官は、普通の人からは巫女と呼ばれている。
ボクたちは見習いだけど、ぎりぎり巫女の範疇か。ボクの場合は巫女でいいのか?
アルフェルの言いたい事はたぶん、ニグルに対した時の『浄化』を使って欲しいと言う事。
精霊魔法の『浄化』が有効か分からないけど、ダメ元で試して欲しいと思っている。
◇
村の外れの楡の木の側にその娘の家はあった。襲われたのは15歳の少女で、村から少し離れた所にある湖まで、海老を捕りに行った帰りだという。
エビか……こちらに来てから食べてないなぁ。
『マジメにね?』
分かってるってば。泣きはらした目の母親と、難しい顔の父親を前にして、ギャグかますほど根性無いよ。
二人に会釈して彼女の側に寄る。籐で編んだベッドに横たわる彼女は、顔色が悪く衰弱しているのが分かった。
呼吸に合わせて胸が上下していなければ、死んでいると言われても疑わないだろう。
それ程に生命力を、生きようとするエネルギーを感じなかった。
アルフェルがベッドの隣でひざまずいて、フレイ神への祈りの言葉を口にした。ボクも同じように隣に膝をついて、彼女の様子を確認する。
プリムラ、何か分かる?
『セレグ(生命)が減ってるわね。それに、身体を巡ってない。フェア(精)は……ところどころ傷ついてるけど、思ってたより減ってないわ』
念のため、アノア(霊体)の事は分かる?
『詳しいことは無理。でも、変な感じは受けないから、平気と思う』
魔法の使い方を覚えたせいか、『透視』の効果なのか、ずいぶん細かい部分まで把握出来ている。これが精霊という存在なのか。
『少しは見直した? 魔法のお陰もあるけど、もともと精霊はそういうものを視る存在なのよ』
素直に驚きながら、ボクも『写真』を発動する。
モニターに彼女の上半身が入るようにして、ライブビューで「Info」を押してみた。
これはふと思い付いて試した事なんだけど……
おぉ! 上手くいったか? 彼女の喉元から肩甲骨の辺りに、赤い色が表示されている。表示の意味はよく分からないけど、元のカメラでならこれは警告表示だ。
白トビ、黒つぶれなど『元の階調情報を失う』領域を、ハイライトで表示する機能。
もしボクの意思がこの技能に反映されるなら、いま一番知りたい事、『元の状態を失わせている部分』、原因が存在する場所を表示しているはず。
ご都合主義な考えだけど、この際構いやしない、やれる事は試すっ!
プリムラは分かっているとばかりにうなずいて、彼女の喉元に向けて両手を上げた。
独特の音階で精霊魔法が紡がれる。薄暗い室内で蛍光ピンクの魔法円が、非現実感を漂わせていた。
『いっくぞー、全力こめてぇ、「浄化」!!』
プリムラの気合い一閃、喉元を中心に30cmくらいの光の球が出現して、それが身体に吸い込まれるようにゆっくり消えていった。
時間にしたらほんの数秒だけど、妙に長く感じられる。
効果はあったのか? 出したままのモニターを見ると、先程まで表示されていた赤色の領域は消えていた。
念のため「Info」を数回押して表示を切り替えると、彼女を取り囲む白い表示、身体の中心から手足へ流れる黄色い線の表示に切り替わった。
何を示すものかちょっと思い付かない。もう一度押して最初に戻すと、赤色はどこにも表示されて無いようだ。
『うん、成功みたい。セレグが流れているのを感じるよ。フェアは……歪んでいたり、傷付いていた部分が正常になった感じかな』
さすがに精霊の目だな。
『それよりもリィ、さっきの赤い表示のやつ、あれ何よ?』
はっきりは分からないけど、なんかダメそうな所が赤く表示されるとか、そんな感じじゃないかな。
『そんな感じって、てきとうだなぁ……』
成るようにしかならんし、試してみる他ないよ。それより、さっき使った『浄化』は収束魔法してなかったか?
『管理局の白い悪魔? やだー、そんなわけ、ナイジャナイデスカー』
馬鹿話を続けるボクたちをよそに、部屋の中は静まり返っていた。
ボクらの会話も音声じゃないので、ようは無音なわけで。
ベッドに寝たままの少女以外は、視線が彼女とボクの間を行ったり来たりしていた。
やがて意を決したように、ブロルフさんがボクに尋ねる。
「いま、何をしたのじゃ?」
さてなんと答えようか。念のためにアルフェルを見ると、先程より驚いた顔をしていた。
うかつな事は言わない方が良いかもと、袖を引いて小声で尋ねる。
『お姉ちゃん、言っちゃってもいいの?』
我に返ったアルフェルは、ボクの代わりにブロルフさんに説明してくれた。
『浄化』を含めてここで見た事は、口外しないようお願いしたい事、大至急戻ってここで聞いた話を大神官に報告したい事など。
最初は驚いたブロルフさんたちも、彼女が助かるかもしれないと知って喜んでいた。
ボクたちが戻ったあとで、入れ替わりで治療師を派遣する事と、王都から調査の人が来る可能性も、合わせて説明してくれた。
めっちゃしっかりしてて、頼りになるアルフェルお姉さんだった。
一通りの説明のあと、ブロルフさんから他言しない事と、治療師の派遣を感謝する旨を伝えられた。本来なら神殿に出向くのが筋であるのに、申し訳ないとも。
彼らがいわれの無い偏見を持たれている以上、里を出て神殿に来てもらうのはリスクが大きい。
予定をだいぶ過ぎてしまったし、急ぎの報告もあるのでそろそろ帰ろうか、と話していた時に、ベッドで寝ていた少女が目を覚ました。
「う……んっ、ん~? おはよう?? お母さん、おなかすいたー」
「シエラ! 気が付いたのねっ!」
母親が駆け寄って、目覚めたばかりの娘を、力いっぱい抱きしめた。かなり力が強いのか、シエラと呼ばれた少女は痛そうにしている。
「お母さん、痛いってば、やーめーてーよー」
彼女の間延びした抗議の声に、本人以外の周りのみんなが笑顔になった。
幾人かの目に涙が溢れているのは、仕方のない事だろう。
ボクとプリムラも目を合わせて、互いに笑顔になった。のは、いいんだけど……
おぃぃ、サムズアップはやり過ぎだ。女の子なんだから慎みを持ちなさい。
改めてお礼を言われて、モーザ・ドゥーグの村を出た。
減ってしまったリーグの実の代わりに、お土産にとサトイモとリーキをもらった。
神殿ではあまり見ない食材なので、マルリエンさんも喜ぶだろう。
リーキは太くて甘みの強い長ネギで、焼くととても美味しい。
「二人ともおつかれさまっ! リィも、プリムラもすごかったよ~」
アルフェルが嬉しそうに言う。自分は治療魔法すら満足に使えないから、と役立たずなのを気にしているようだ。
「アルお姉ちゃんだって、すごいよっ! わたし、あんなに上手にお話しできないよ」
「あははっ、ありがとう。わたしの方がお姉ちゃんだし、あれくらいはね?」
慰めで言ったわけじゃないけど、彼女がそう受け取ったならそれでもいいだろう。
現実に村での彼女のやりとりは、適切で判断が早くて好ましいものだった。
「あぁそれと、プリムラが使った精霊魔法、『浄化』はいろいろと特殊だから、むやみに使わないでね」
彼女の説明によると、『浄化』は神聖魔法と呼ばれる、紋章魔法より上位の魔法に属していて、高位の神官しか使えない。
ましてや召喚術として精霊が使うとは、アルフェル自身は聞いた事が無いらしい。
掟破り、非常識、チートの類いって事かな。
「んー、わかったよー」
「帰ったら、エフィルさまと相談しようね。他にも報告しなくちゃだし」
行きに休憩を取った泉は通過して先を急ぐ。日の長い時期とはいえ、思った以上に暗くなるのが早い。
途中でおやつ代わりにリーグの実を食べながら、もうすぐ神殿への草原が見えてくる辺りで、足下が見えないくらい暗くなった。
こういう時の為の魔法、右の人差し指にセレグ(生命)を集中させて、教えてもらった古代文字で光を意味する言葉を紡ぐ。
「ライト<Licht>」
指先にポッと明るい黄色の光が灯る。ほんのひと抱えほどの、小さな球体でしか無いけど、足下を照らすには十分だった。太陽のような色をして、少し暖かい感じがする。
「いいなぁ~、ずるいなぁー、わたしも使えればなぁー」
アルフェルがしきりにうらやましがるのは、彼女には光魔法の適正が無いから。
炎魔法は並外れた才能を持っているのに、不思議なものである。
ボクの場合、プリムラと魂がつながってるお陰な気もする。
「あかるーい」
無邪気に笑って、仲よく手を繋いで帰り道を急いだ。森を抜ければ、見通しのいい草原の道だ。これと言った危険も無く、ボクたちは無事に神殿に帰り着いた。