六話 森ガールな日常
翌日から、お昼まで薬草採取のお手伝い、その後文字と魔法を教わる事になった。
文字は言葉の時のように、魔法で習得させて欲しかった。
けれど、何度か試しても成功しないので諦めた。
この魔法は脳に負担が掛かるので、小さな子供に何度も使うべきではない。
『ま、王道無しっていうし、なにごとも勉強よ』
正論なんだけど、なぜかイラッとくるな。
そんなわけで、薬草採取は治療院のエルフさんや、食堂のマルリエンさんのお手伝いという形で行っている。
マルリエンさんの場合は、どちらかというと食材になる事が多いけど。
今朝は治療院のネネルさんに、神殿からすこし離れた、西の湖に連れてきてもらった。
ネネルさんは、短いアッシュブロンドの髪の小柄な女性だ。
ここで止血に使う薬草と、熱冷ましに使うもの、腹痛に効くものが採れるらしい。
植生を見た感じで、あれとかあれがありそうだなぁ、と当たりを付けていた。
他にも珍しいものがあれば、適当に採取して後で尋ねてみよう。
『エルフなんだから、魔法でちゃちゃっと治せばいいよねー』
それもそうかとネネルさんに尋ねると、ちゃんと答えが返ってきた。
「子供の頃から魔法に頼っていると、自分で身体を治す力が弱くなってしまうのよ」
ふむふむ、免疫機能の話かな。
身体の成長と共に免疫力を獲得する、という考え方は正しいと思う。
治療院では基本的に、子供は薬で、大人は魔法で治療する。生死に関わる怪我や、薬が効きにくい病気はその限りではない。
エルフさんと言っても、全員が治療の魔法を使えるわけではなかった。
神殿に務める人は例外なく使えるけど、一般人では三割程度しか使えない。ある意味で治癒系の魔法は、才能が必要な人を選ぶ魔法と言える。
魔法の勉強を始めて知ったのは、魔法を使うには古代語と呼ばれる独特の文字と、魔法の働く仕組みをしっかり理解する必要があるという事。
物が燃える、風が吹く、水が流れるなど、自然現象は仕組みが理解しやすい。
傷や病を治す魔法は、元になる原因を理解して、身体に与える悪影響を取り除くようイメージする必要がある。
間違った知識で治癒系の魔法を使えば、最悪人に害を与える可能性もある。
万人が気軽に使える魔法でない。
そういう理由もあって、治療院では病状の診断と薬の処方を重要視している。
薬であれば魔法と違って、正しい手順で処方すれば、同じ効果が期待できるから。
「それじゃあ、この草を集めてね。これはペニーワートという傷に効く薬草なの」
湖の畔に生える、丸い葉に細い柄を持つ小さな草を見せてくれた。
これはチドメグサで間違いない。大きさと形から、ウォーターマッシュルームかな。
さっそく『写真』を発動して、情報を表示する。ウチワチドメグサか、合ってるね。
周囲を探すとひと抱え以上ある株を見付けたので、そこで採取を始めた。
ボクが採取に勤しむ間、プリムラは周囲で精霊を探して、聞き込み調査をしている。
周辺の生き物や妖精族、精霊の情報やもちろん『森の呪い』に関する事など。
もっとも『呪い』に関する情報は、ほとんど集まってこない。
それならと治療院や神殿の他の建物で、本を探してみたのだけど……
『いやー、この世界って、驚くほど本が無いのねー』
どうやら本はとても貴重な存在らしい。機会があったら王都で図書館を探そうか。
そもそも図書館があるのか疑わしいけど。
リョース・アールヴは、記憶力がとても良い種族だった。そのせいか、文字で記録を残すと言う文化が育たなかった。
絵本や物語はあるのに、資料的なものは無いんだなぁ。読み聞かせするなら、物語本も必要なさそうだけど。
『帰ったら聞いてみたら? エフィルならよろこんで教えてくれるっしょ』
教えてくれるとは思うけどさ。“さん”を付けろよ羽チビむすめ。
『ぶー、リィはエフィルだけ特別視しすぎだと思うな』
いいんだよ、この世界で初めて出会った人だし、恩人なんだから。
それに、母親みたいな存在だし……
『ふーん』
どこか不満げなプリムラは放って、ペニーワートの特徴が分かりやすい個体を選ぶ。
技能に慣れる為に、積極的に『写真』を使うようにしていた。
植物、風景、昆虫、人、など初めてのものはどんどん撮影している。
角度を変えて数枚撮ったあと、ペニーワートを摘み取っていく。渡された篭は子供には大きすぎるんじゃないかと思った。
『あちこち出歩かないように、ここで採取させようという意図じゃない?』
なるほど、体のいい足止めね。ネネルさんは林の奥へ向かったので、離れた所で別の薬草を摘むつもりだろう。
試しに林の中をズームアップしてみると、自分の知る薬草がいくつか見付かった。
大人しくここで採取しようと、株の半分ほどは残して、離れた別の株に移動する。
山菜もそうだけど、全部採ってしまっては株が弱る。自然の恵みはほどほどがいい。
何度か移動と摘み取りを繰り返すと、篭に半分位たまった。
チドメグサは生の方が使いやすいけど、乾燥状態でも効能がある。このくらいなら無駄にはならない。
しばらくしてネネルさんが戻ってきた。篭の中には、ヨモギらしき物とツユクサのような物、それと見た事の無い草が入っていた。
サクッとそれぞれをズームアップして、撮影、Infoを表示する。
ヨモギはニガヨモギ、ツユクサはオオツユクサだった。そして見た事の無い草は……
『フェル目ウリノール科ロロフォス属 スクテラ
フレイ森中部から北部に分布。魔力因子を持つ為にフェア(精)を溜める
性質があります。
数年に一度春に花を咲かせ、花の色は溜めた魔力で変化します。
薬草として利用され、他の成分を高めたり、毒を抑えたりする働きがあります。
満月の夜に群落で移動します』
……いろいろとファンタジーな植物だった。
◇
スクテラの姿は、シソ科のナミキソウに似ていた。
『写真』で表示された情報に絶句しつつ、ペニーワートの採取量を褒められたり、ネネルさんの採ってきた薬草の名前と効能を確認する。
後は腹痛に効く薬草を採取したら帰りましょう、という話になった。湖の畔から移動して、明るい小道を歩く。
役に立ちそうな植物は全て撮影。他にも目に付いた植物や、初めて見る花、シダや樹木もまめに撮った。
次々に『写真』で記録を行うボクを、プリムラが不思議そうに見ている。
この世界ではPCもタブレットも無いので、撮った画像を他人に見せる事は出来ない。
『さっきからいろいろ撮ってるけど、どうするの?』
ちょっと、やってみたい事がある。
実際に出来そうか、必要な物は何かを考えなきゃならないけどね。
そんな風に考え事をしながら、途中で腹痛に効く薬草を摘んだり、プリムラと雑談したり、ネネルさんとお昼の事を話しながら帰った。
お昼の少し前に着いたので、治療院の調剤室に向かう。
他の治療師の人たちは、お昼ご飯を準備をして、ボクたちを待っていてくれた。
食事はみんなそろって取りましょうは建前で、養い子という珍しい幼女を構いたいのが本音らしい。
治療院には専任の薬剤師、治療師がいる。治療師と呼ばれる人は、全員が治療魔法を使える。
エルフさんの使う魔法は幾つか種類があって、治療魔法は口述魔法と言われる魔法の一つ。比較的使える人が多いけど、薬で行う治療を代替する程度の効果しか無い。
それ以上の効果をもつ、治癒魔法と呼ばれる魔法もある。
これは紋章魔法と言われる魔法で、使える人がとても少ない。百人に一人いるかどうかと聞いた。
重傷者や重篤者には、治癒魔法が用いられる。神官であれば紋章魔法である治癒魔法を使える人も多い。
その為に各地から、神殿の治療院を訪れる人がいる。
『わたしたちは、精霊魔法しか使えないけどね~』
精霊であるプリムラは、精霊魔法と言われる魔法を使える。
最初は出来なかったけど、ボクと一緒にエフィルさんから、魔法の基礎講座を受けるうちに使えるようになった。
召喚師は精霊召喚で呼び出した、精霊が持つ魔法を行使する。
言い換えれば、精霊が使えない魔法は使う事が出来ない。
プリムラが使える魔法は、いつの間にか覚えていた『透視』と、『浄化』の二つ。
『透視』というのは、物を素通しで見る魔法ではない。
妖精族が使う『透視』にはそういう効果もあるらしいけど、精霊魔法の『透視』は精神を見通す魔法で、フェア(精)に働きかける。
精霊という存在が、セレグ(生命)を持たないフェアだけの存在だからかもしれない。
逆にエルフさんの場合は心を読む、みたいな事は難しいらしい。ドライアードみたいな中間の存在だと、どうなるのか興味深い。
『浄化って、まだ使ったことないんだけど、アンデッド一確とか?』
どこのプロゲーマーだよ。
MMOの効率狩りじゃないんだから、そういう発想はやめなさい。そもそもアンデッドとかどこに居るんだか。
『森では見かけたことないよねー。やっぱりダンジョンとか? 墓場とか?』
王都から戻った翌日から何度か森へ出掛けているけど、ゴーストだのアンデットだの、モンスターっぽいものには出会っていない。
小耳にはさんだ限りでは、森の奥深くには危険なモノがいると言われている。
大型の野生動物とか、攻撃的な妖精族とか、魔物みたいなものが襲ってきたりするかもしれない。
幸いな事に神殿の周辺では見かけない。ここから少し離れた場所に、共同墓地があるから、そこにはもしかしたら……
『あの、行きたいとか、いいださないよね?』
この世界の墓地はまだ見ていないので、機会があれば行ってみたい。
積極的に行きたいわけでは無いけど、プリムラの反応が面白そうなので、行ってもいいかもしれない。
『い、いじわるだー! リィってば、スッゴいイジワルだー!!』
◇
昼食のあとは、少し休憩してからエフィルさんの部屋へ。
文字と四則演算の勉強に、属性魔法の初歩を教えてもらう。
「はーい、二人とも森は楽しかった? 何があったか教えてちょうだい」
勉強を始める前に、エフィルさんの膝の上でお話する。
しっかりと抱きかかえられて、髪やら頬やらモフられるちょっと困った時間だ。
いい匂いだし、背中がふよふよするし、ときどきギュッとされるし。彼女曰く、親子のスキンシップらしいのだけど……
『賢者モードで報告に集中しなさい』
一番集中してないのは、あなたですよ? さっきからやたらとプリプリしたり、ソワソワしてますけどね。
勉強で使うノートは、白木の板と木炭を使う。かさばるのが面倒だけど、文字を消すのは水魔法の『洗浄』で綺麗さっぱり。
木炭を素手で掴むから、指が汚れるのはちょっと頂けない。
予想はしていたけど、この世界にパルプ由来の紙は無い。
羊皮紙に代表される獣の皮を加工した紙と、布に膠を塗布した紙がある。
どちらも製造に手間が掛かるので、高価で子供の勉強道具には使えない。
最近のエフィルさんは妙に楽しそうに見える。子供に教えるのは親の務めよね! と張り切っている。
栄養分を補給しているのよ、と意味不明な発言もあったけど。
文字の練習は意外と面白かった。エフィルさんが机の表面に、魔法で見本の文字を書く。
光魔法の応用だそうで、指でなぞった跡が光って残る。
それを見て見本通りに、白木の板に文字を書く。
「この魔法で魔法円を描いて、紋章魔法を発動することもできるのよ」
紋章魔法は魔法力をこめたインクを使って、羊皮紙に書くのが普通らしい。
事前に用意出来るメリットと引き換えにコストが掛かる。エフィルさんのような高位の神官なら、使用する時に対象に直接書く方が早い。
習っている文字はアルヴ文字で、アルヴヘイムの共通語で使われる。
最初に魔法で話せるようにしてもらった時も、この妖精語(アルヴ語)をインプットしてくれた。
エルフさんも普段の会話は妖精語で行う。
口述魔法や紋章魔法で使う文字は、古代アルヴ語と呼ばれて、アルヴ文字とは異なる。
口述魔法は魔法の文字を、声で再現する魔法で、文字の形をしっかりイメージする事、正確に発音する事で魔法として発現する。
ボクが文字と魔法を習得する速度は、エフィルさんに言わせるとかなり速いらしい。
親の欲目や天才ってわけでなく、ギフトの『写真』で文字や魔法文字を撮影して、空き時間にまめに復習しているのが理由だったり。
学問に王道は無いらしいしね。予習と復習、反復練習が何より大事だと思う。
『このガリ勉め!』
うっわっ、なっつかしい言葉だよそれ。めっちゃ久しぶりに聞いた。
プリムラってもしかして、すごい歳(ry
ビスクドールの様な可愛い顔が、呪いの人形に変わったので、瞬時に考えるのをやめた。
世の中には知ってはいけない事がたくさんある。
魔法の勉強とその他の勉強はだいたい半々で、以前の感覚だと二時間ずつやっている。
この世界の一日もたぶん24時間だと思う。『写真』の機能の一つ、「Info」の二画面目で、現在時刻の表示が24時間制だった。
エルフさんは一日を12等分して扱っている。
アルヴヘイムのどの国も同じで、国に属していない小集落では単純に、昼を六等分、夜を六等分で考える。季節で長さが変わる不定時法が一般的みたい。
日本は江戸時代までこの考え方だった。
農耕中心の生活なら、かえって分かりやすいらしい。体内時計を考えると、どちらが自然なのかちょっと悩む。
そんなわけで、今は『カレの五刻』、午後3時くらいでティータイム休憩中。
一日のスタートは午前6時で、午後6時までが『カレ』、それ以降が『モス』。
昼がカレで、夜がモスと分かりやすい分け方になっている。
カレーにモス、なんだかお気軽ランチメニューっぽくて、急にお腹が空いてきた。
「リィはミルクにする? お茶にする?」
昼にミルクを頂いたばかりなので、ハーブティをチョイス。
雑穀とナッツを飴で固めた、ヌガーっぽいお菓子にかぶり付く。飴は麦芽糖かな、香ばしい風味があって甘さ控えめ。
「どう? ここの生活も慣れてきた?」
今日でこの世界に来てから、ちょうど一週間経っていた。
最初は驚く事ばかりだったけど、神殿でのお務めやエルフさんとの生活に触れて、この世界の事も少しずつ分かってきた。
プリムラのお陰もあって、より多くの知識も得られている。
『ま、まぁ感謝してくれてもいいのよ?』
微妙なツンデレ具合は、上級レベルのつっこみが必要だからやめれ。
「森のおしごとも、まほうの練習も楽しい~」
「それは良かったわ。あら? もしかして、算術はきらい?」
数字を覚えるまでちょっと大変だったけど、覚えてしまえばただの四則演算なので。
小学生の算数ドリルをやって楽しいか問われれば、すぐに退屈してしまう。
プリムラは毎度、まじめに頭を捻っている。
足し引きはともかく、九九は暗記だからなぁ。精霊には難しいだろうなと思う。
『むぅ、なんかディスられた……』
そのうち暇を見付けて、九九の覚え方を教えて上げよう。
「まほうの方が、楽しいかな」
暗算で速攻終わってつまんないです、なんて言えないので、このあと教わる魔法に話題を向ける。
「そっかぁ、リィは土魔法と水魔法が得意だものね」
嬉しそうにボクの頭を撫でながら、今日の予定を話す。光魔法を教えてもらえるらしい。
新しい魔法に期待しながら、ボクは別の事を考えている。
これから先、いろいろな事を教えてもらうだろう。孤児院で過ごした時に、文字や算術の学習シーンを経験したし、自分もこうして教わっている。
その中で、決定的に足りないものがあった。
元日本人で義務教育を受けた者として、学校における三種の神器が無いのは許せない。
後顧の憂いを断ち、明るい異世界ライフを目指す身として、アレらは絶対に必要だ!
『……なんか、むりやり理由付けてる気もするけど、いいんじゃないの?』
いよっしっ! マイ・スイートハニーからもOKをもらえた。
『ちょうしに乗るなっ!』
なぜかデコピンされた。手首のスナップが利いてて、マジで痛かった。
手のひら全体使ったら、もうそれはデコピンじゃないよね、張り手だよね。
プリムラと戯れる様子を見て、エフィルさんが微笑んでいた。
「お姉ちゃん二人とも、仲よくしてるみたいで安心したわ」
アルフェルとナウラミアの事だろう。
ピクリと身を震わすプリムラに、エフィルさんは気付いただろうか。