十四話 精霊事件 その一
本格的に冬が訪れて、毎朝の白い息と、朝日にキラキラ光る霜の冷たさにも慣れた頃。この辺りは雪は積もらないけど、それなりに寒くはなるらしい。
固く縮こまった手足を伸ばして、大きく欠伸する。そこへタヌーが元気良く駆け寄ってきた。
「おっはよ、タヌー」
わしわしと頭を撫でると、嬉しそうに擦り付けてくる。動物は反応が素直で可愛い。
「この頃はさぁ、ロロアといつも一緒で、ボクにはちっとも構わせてくれないよね?」
黒い瞳を見詰めながら、なんとなく意地悪な事を言った。
分かっているのかいないのか、首を傾げてくぉん? と一声鳴く。
「そうだ、前から聞いてみたかったけど、タヌーって、風狸なんだよね?」
今度は反対側に首を傾げて、目をパチパチ。
考えてみれば風狸という呼び名は、エフニさまに教えてもらった名称なので、この世界では違って当たり前。
そもそも自分が何者かなんて、認識しているかどうかも分からない。
「ごめん、むちゃ振りしたね。タヌーはタヌーだよね。ここに居て楽しい?」
「くぉんっ!」
迷い無く元気のいい返事が返った。
「あ、こんな所にいた」
ボクを探しに来たプリムラが、タヌーとのじゃれ合いに参戦する。尻尾を触ると嫌がるのに、わざと触っては逃げるって子供かオノレは。
……子供だっけ。
「もう、タヌーが嫌がってるからやめなよ。それで、なんで呼びに来たの?」
ちょっと言い方に棘が混じってしまった。案の定、ムッとした顔に変わる。
「用がなきゃ呼んじゃダメなの?」
「あ、ごめん、そういうつもりじゃ……」
「あ~、リィ、ここに居たんだ~」
間の悪い事にアルフェルまで探しに来た。お願いします、ボクにいいわけする時間を一分間下さい。
「お願いがあるんだけどいいかなぁ?」
神さまのいけずー!
黙ったままその場に留まるプリムラ。さっきより不機嫌そうな表情に内心びびる。もしかして、二人の用事がダブルブッキング?
「あ、プリムラから聞いたかもしれないけど、フルルさんの所に連れて行って欲しいの」
フルルさん? 誰でしたっけ?
「モーザ・ドゥーグの、族長と一緒にいた人よ」
頭にぱっと、たわわなお胸が浮かぶ。あ、あの人か。
「お祝いも一緒に持っていくから、二人も一緒に来て欲しいんだ~」
「懐かしいなぁ。お祝いって、何かあったの?」
「秋祭の時に会ったのよ。フルルさん、おめでただって」
なにゅ!? 犬耳和装美人に妊娠疑惑発覚ですとぉ!?
って、疑惑でも何でもないけど。見るからに優しそうな大人の女性だったし、いい人がいても不思議はない。
秋祭にフルルさんと村の若集で、薬の代金分の鴨肉や芋を届けに来た。その際に悪阻が酷い人がいるから、薬を欲しいと頼まれたらしい。
秋の神殿の在庫だけでは足りず、追加で届ける約束をしていたので、それも一緒に持っていく。エルフさんはめったに妊娠しないそうだし、常備が少ないのも仕方ない。
「冬の始めだしね~、獣人族の人だと、赤ちゃん出来る人が増えるの」
秋は恋の季節というわけね。お祭りで、はめ外しちゃった人もいるだろうし、そういう需要もあるのかぁ。
◇
そんなわけで久しぶりのモーザ・ドゥーグの村へ向かう。半年近く振りなので、村の周辺もすっかり様変わりしていた。
紅葉も終わって落ち葉があちこちに。茶色く冬枯れを始めた下草に、遅咲きのシオンの花や、サルビアの濃い赤がちらほら残る。
「やっぱり、あっという間だね~。二人はすごいなぁ」
ドライアードの技能で来たので、村まではほんの3分程しか歩いていない。すっかり慣れた移動方法だけど、あいかわらず理屈は良く分からない。
距離が遠くなる程歩く距離が増えるので、一定の割合で空間の圧縮が行われるように思う。どのくらいの距離まで一気に行けるのか、何が制限要素になるのか、調べてみたい気もする。
「このくらいの距離だと疲れもないけど、森の端から端なんて移動したら疲れるのかな?」
「そんな遠くまで一息で行けるのかしらね」
森が続いているって条件が、地中の根っこが接しているかどうか、らしい事までは感覚的に分かる。終点の樹をイメージする時、地面の中を無数に走るネットワーク的な何かを感じる。それはプリムラも同じと言っていた。
なんて考えている間に、もう目の前は村の入り口だった。訪れる事を伝えていないので、出迎えの人はいない。日が昇ってそれ程経っていない時間の為、忙しそうに動いている人の姿を見かける。
二度目の訪問なのであまり緊張しなかったけど、ときおり向けられる好奇心に満ちた視線は、聖人になったからといっても慣れるものじゃなかった。
「おはようございます~」
ブロルフさんの家の入り口で、中に向かって声を掛けた。
「ん? フルルさんって、ここの娘さんなの?」
「え、違うよリィ、フルルさんはブロルフさんの奥さんだよ~」
「はぁ?」「えっ……」
あのお爺さん、がんばりすぎだろっ! どんだけ若い奥様もらってんだ!
「あらいらっしゃい。アルフェルも久しぶりね、そちらは……リーグラスさん? まぁ、大きくなったわねー」
春の終わりに会った時は、四歳児の背格好だった。今はナウラミアと同じくらいで、アルフェルよりちょっと小さいくらい。
倍とは言わないまでも久しぶりに会う人だと、急に成長した姿に驚くはず。
心持ちふっくらしたフルルさんに、まずはお祝いの品を渡して、頼まれていた悪阻の薬も一緒に渡す。
神殿からは滋味を多く取れるようにと、干し肉や干した果実を、アルフェルは木綿のパイル織り布を、ボクとプリムラからは改良型の黒板とチョークを十セットプレゼントした。
どれも喜んでもらえたけど、黒板は使い方のレクチャーが必要だった。パイル織りはいわゆるタオルなので、肌触りが良く体温を保ってくれて、これからの季節に最適。
朝食の前に軽く行って帰ろうと思っていたら、せっかくだからとご相伴に与る事になった。今朝の献立は鴨肉のあぶり焼きと、根菜の煮物、雑穀の蒸しパンと豪華。
神殿でもよく食べるけど、蒸しパンは妖精族共通の好物らしい。酵母で発酵させたパンに慣れていると、ちょっと物足りなく感じる。
「フルルさん、生まれるのいつ頃ですか?」
「そうねぇ、春の終わりくらいかな。元気な子だと嬉しいわ」
「赤ちゃん可愛いだろうな~」
そう言えばエフニさまがおとなしいなと疑問を感じながら、和気あいあいと朝ご飯を頂く。この後どうしようと話している所へ、噂の青春真っ只中オヤジ或いはジジイのブロルフさんが戻ってきた。
「おぉ、久しぶりじゃな。そちらの子は……なる程、ドライアードじゃったな、双子でいるのは当たり前か」
久しぶりに会ったフルルさんが、プリムラを見ても疑問に思わなかった理由はそれか。やっぱりドライアード=双子、の認識が一般的みたい。
更に言えばドライアードは、南の森の集落からほとんど出てこない。ボクたちのように好き勝手に、あちこち動き回る者は珍しい。
「ふむ。そうじゃな、せっかくお前さんたちに会ったんじゃし、忘れんうちに伝えておくか。実はな……」
なんとなく、という感じの話し方なので、深刻な話では無いと思いながら聞く。森の南の方、具体的にはエアロストの周辺で、妙なものが目撃されているらしい。
エアロストは森の南端を抜けて、内海に面した港町と聞いている。夏の神殿から乗合馬車が出ていたっけ。
「また魔物か何かですか?」
「いや、スペリィンを覚えておるかの? あやつが聞いた話じゃが、姿の見えない何者かが、町のそばの林や時には町中に現れるらしい」
スプリガンの傭兵やってた人か。なんとなーくそっと振り返ると、プリムラがビクッとして後ろを見た。いやいや、予想通りの反応ありがとうございます。
あぅ、やめて、脇をつねらないで!
「ん? どうかしたかの? 姿が見えないなら、精霊か何かじゃと思うんじゃが、どうも違うらしい」
夏の神殿の寮に行った時、家付き妖精になったブラウニーが、姿を見せずにお菓子を持ってきてくれた。
家付きになる前のブラウニーは、姿も見えるしボクたちと変わらない。家付きになってからも、自由に姿を消したり、現れたり出来るらしい。
そういう妖精とは違うのかな。
「隠れるのが得意な妖精族も、姿が消えるわけじゃない。精霊なら見える者には見えるし、見えない者には最初から見えんはずじゃ」
どうやらその存在は、消えたり現れたりするらしい。まさしくブラウニーみたいだなと思うんだけど。
そう思ってブラウニーの事を話してみると、フルルさんが微笑みながら答えてくれた。
「特定の条件でなら、普通は出来ない事が出来る、ブラウニーみたいな妖精族もいるにはいるのよ。でも、エアロストで噂になっているのは、そういうのとは違うみたい」
ブラウニーやシルキーなら建物の中限定、ドライアードやレーシーなら森や林の中だけで、消えたり現れたり出来る。
家の中から外へ逃げたり、町の外から中まで追いかけて来たり、そういう事が起こっていると話してくれた。
「いたずらっぽい感じですね」
「そうねぇ、怪我をさせられたとか、連れ去られたって話は無くて、驚かされたとか、何かが無くなったという話ばかりね」
それでもまぁ、騒ぎにはなるだろうなと思った。気になる話だし、面白そうだとも思うので、ボクとプリムラで見に行ってみようと決まる。
アルフェルはこの後、妊婦さんの様子を見て回って、それから神殿に帰ると言った。場合によっては薬の調合も必要かもしれない。
一応は神殿勤めだし、聖者の身分の自分が何もしなくていいのかと思う。
「いいから二人はその話を調べに行って。わたしはわたしに出来る事、二人は二人にしか出来ない事、お互いに役割分担ね」
ボクたちにしか出来ないわけじゃ、とも思うけど、『写真』というギフトの存在を知っているアルフェルなら、そう考えるのも不思議じゃ無いか。
移動も素早く行えるし、適任かもしれない。
三人に別れを告げて、ドライアードの村へ向かう。かなりの距離があるから、一息で届くかどうか不安だったけど、ぎりぎり見た事のある大樹の様子を感じられた。
現れた道の先の終わりが見えない。
大移動は少し不安だけど、一緒に歩くプリムラがいるし、一人じゃ無いから怖さも半減する。またあの騒がしい双子に会えるかなと思いつつ、見えない先を急いだ。
◇
そろそろ村の近くかなと思った時に、何かの力が近付くのを感じた。視線の先にまだ霞んで見える小道が、反対側から急に迫ってくる。
向こう側からこちらへ、道を接続してくれたように感じた。
「わーい! リーグラスー」「プリムラー!」、「きたー!」「ひさしぶり~」
ハイテンションな双子の歓迎を受けて、久しぶりのドライアードの村に着いた。
二人の姿は以前とあまり変わりなく、ちょっと大人っぽくなったかな? と感じる。
「大きくなった~」「育った!」
「あはは、やっぱりそう見える?」
「プリムラ、すごく大きくなった!」「リーグラスは、ちょっと?」
いやいや、プリムラは生まれ変わってるし、その時も会ってるでしょうに。この双子は時々言ってる事が分からなくなる。
「早く、早く~、待ってる」「お母さま、待ってるよ」
手を引かれてドリュアデスさんの元に連行される。元々会いに来たのだから、全く問題ないのだけど。
それにしても……
「三度目だけど、他のドライアードを見ないよね」
「そういわれてみれば……恥ずかしがりとか?」
仲間同士でそれも考えにくいなと思い、注意して周囲の林に目を凝らすと、そこ此処に何者かの気配を感じる。
樹の後ろ、重なり合った枝の茂りの向こう、積もった落ち葉の下。あれ? っと思うような所からも、誰かに見られている感じがした。
「よく来ましたね。二人とも見違えるように綺麗になって」
面と向かって言われるとちょっと照れる。可愛いとは言われても、綺麗と言われる事はあまり無いし。
それに綺麗って言うのは、エフィルさんとか、ドリュアデスさんとか、そういう大人な女性を言うんじゃないかなぁ。
「ドリュアデスさまも、おかわりなく。あの、尋ねたいことが……」
「分かっていますよ、二人が急に成長した件ですね?」
「あ、はい」
ボクたちの様子は、ドリュアデスさんの隣で手持ち無沙汰にしている二人が、時々見に来ていたらしい。ぜんぜん呼んでくれないから、遊びに来たと言っている。
せっかく来ても居ない事が多かったので、神殿を訪れる人を適当にからかったりして遊んで帰ったとか。
「悪戯については、私の方から叱っておきましたので、許してあげて下さいね」
この二人だと、からかうより酷い悪戯にもなりかねないしね。
「それで、やっぱりボクたちは、どこか変なんでしょうか……」
体調が悪いわけでもないし、これといって気になる部分も無い。そのせいで普段はちっとも気にしていない。
ならこんな質問、意味あるのかって気もするけど、そこは全く気にならないでも無いわけで。
「前例が無いのですよ。あなたたちは『転生者』なのですよね?」
「はい。あの時にお話しした通り……」
二人で二度目の誕生を果たした日、ドリュアデスさんには包み隠さず、全てを話している。ボクが元は人間だった事、プリムラも前の世界の精霊だった事も。
「わたしの場合、リィにくっついて来ただけだから、転生といえるのかしらね」
「プリムラさんは……そうですね、ちょっと違うかもしれませんね」
何かを探しているような、そんな目でボクたちを見詰める。結局それは見付からなかったのか、少し残念そうな寂しい笑顔で、続きを話してくれた。
「二人とも、今は私たちとほとんど変わりませんよ。ただ一点、“目”に関してだけは違ってしまっていますね」
目に関して違う? それは、どういう意味だろう?
「ここに居るいたずらっ子は、二人とも良く見えていますね。この子らは、いずれどちらかが父となり、次代の母となる選ばれた子供です。ですから、とても存在の力が大きい」
ドリュアデスさんにじゃれつく二人が、顔を上げてニコッと笑う。誰が教えたのか、サムズアップするのはいかがなものか。プリムラを見るとわざとらしく横を向いてるし。
「半妖精である私たちの中でも、私やこの子たちはセレグ(生命)が多くて、強いのです。そうでない者たちは、あまり強くないのですよ」
彼女の言いたい事が、なんとなく分かり掛けてきた。それでもボクの目には見えない。
プリムラにも、きっと見えていない。
『お節介かもしれませんが、少しだけ、お手伝いしましょう』
エフニさまの声がして、一瞬頭の後ろが弾けたような感覚があった。それはプリムラも同じみたいで、突然起こった事に戸惑っている。
でも続く目の前の光景が、一瞬で変わった目に映る世界が、そんな戸惑いを吹き飛ばしてしまった。
「えっ……こんなに、たくさん……」「うそ……」
ドリュアデスさんを囲むように、寄り添う光る女性の姿や、周りの木々の一本一本からこちらを覗き見ている、たくさんの少女たち。
中央の傘のように葉を広げる大きな樹には、枝という枝にぶら下がり、捕まり、楽しそうに遊ぶ幼子も見えた。
みんな半分透けた、輪郭が薄く光る不思議な姿で見えている。ここに来た時に最初に感じた、姿の見えない視線の正体は彼らだった。
精霊とも違う独特の見え方をしている。
「おや、見えたようですね。どなたか存じませんが、お力添えを感謝します」
応えるようにエフニさまが姿を見せて、ドリュアデスさんに軽く会釈する。今日の衣装は萌葱の直垂に、紺の烏帽子姿でなんとも古風な趣。
「私たちがここを離れない理由は、身を守る為だけでなく、本来離れられないからなのですよ」
それから聞いた話は、誰からも聞いた事の無い、初めての話だった。たぶん、他の妖精族はこの事実を知らない。或いは、知っている人は隠している。
「ドライアードは生まれた樹を依り代として、樹と共に生きる妖精です。その為とても精霊に近いともいえます。依り代が枯れてしまえば、その樹より生まれた者も生きてはいられません。百年前に何があったか、覚えておいででしょう」
それはフレイの森が、戦火に焼かれていた頃。ドライアードは森のあちこちに居たと、聞いた覚えがある。樹に宿る半妖精は、樹と命運を共にする。
つまりは、そういう事か。たくさんの同朋が、燃える森と一緒に亡くなってしまった。
「私たちの存在の力、セレグは依り代の樹に依存します。長く生きて、大樹と呼ばれる程のものであれば、多くの人の目にも見える存在となりましょう。ですがここに残るほとんどは、まだ若い子供たちなのです」
パチン、とスイッチが切れたように、視界から仲間たちの姿が消えた。それと同時に、ブロルフさんの言っていた、見えない何かの話がカチリと填まる。
そっか、精霊か精霊に近い存在の仕業かもしれないのか。
それからは少したわいもない話をして、悪戯っ子の双子と遊んで村を後にした。
去り際にドリュアデスさんに呼ばれて、二人一緒に抱きしめられる。突然の事で驚いてしまった。
「いつでも帰っていらっしゃい。あなたたちは、まぎれもない私の子供です」
産みの親も、育ての親も、ボクたちは恵まれているなと思う。しっかり抱きしめ返して、名残惜しく感じながらエアロストに向かう事にした。
「……あれ? プリムラ、エアロストって、行ったことある?」
「リィが無くて、わたしがあるとでも?」
「デスヨネー」
クスクス笑いの双子が、手を叩きながらやってくる。
「馬鹿なのー」「お馬鹿だねー」、「どんくさーい」「おまぬけー」
こ、こいつら……
こぶしを握りしめるだけで勘弁してやろう。確かに言われても仕方ない。
結局エアロストの手前の森まで、双子に送ってもらった。『森の小道』の最大の弱点、一度も訪れた事の無い、見た事も無い場所には行けない、それを初めて知った日だった。




