十話 秋祭り ~本祭~
ロロアはタヌーを構うのに夢中だった。知らない人が目の前にいる事も、その態度に困っている保護者がいるのも見えていない。
猫みたいな子だなぁと思った。ネコ科固有スキルの盲目の集中力。
「申し訳ありません、悪気は無いのですが、夢中になると他のことが……」
「いえいえ、楽しそうだしわたしは構いません。サエルリンドさまが良ければ、秋祭の打合せをそこで……」
孤児院の外のベンチに腰かけて、楽しそうなロロアを見ながら四人で話し合う。タヌーも嫌ではなさそうだし、しばらく遊んで慣れてもらうにはいいかも。
ロロアの年齢は五歳で、孤児院に預けられていた。両親とも事故で亡くなったらしい。エフィルさんが引き取ったのは偶然で、前に孤児院を訪れた時に『ママ!』と言って抱き付かれて情が湧いたみたい。
ボクたちは秋祭の式の流れと、ボクとプリムラの登壇のタイミング、その後の行動をどうするかなどを尋ねた。夏の神殿のお祭りとあまり違いは無かったけど、お祭り自体の規模が大きいので、同じ事を数度やる必要があった。
「思っていたより、ずっと大きなお祭りなのね」
「春祭と秋祭はフレイ神殿にとってだけで無く、この森の全てのアールヴに大事な祭事です。訪れる人数もすごいものですよ」
サエルリンドさまがニコニコしながら教えてくれる。春の神殿の春祭も大きなお祭りだけど、収穫の秋に行われる秋祭はそれ以上に盛り上がるらしい。各地から収穫物を持ち寄り、豊穣の女神のフレイヤさまに感謝を捧げる。
「女神さまが主祭神だから、武闘大会では無くて歌と踊りの舞踏大会があるのよ~」
去年見たムリアンたちが可愛かった~と、アルフェルが思い出しながら踊って見せた。今年はアルフェルを含めた、六人の新任神官で踊りを披露するらしい。そんな話は初めて聞いたのでちょっと驚いた。
「プリムラには黙ってもらってたしね~」
「アルは『お兄さま』を驚かせたかったのよね。リィに教えると、うっかりしゃべりそうだし」
「ちょっ、ちょっとそれは内緒~!」
じゃれ合う二人はいいのだけど、ボクの口が軽いって? 失敬な、こう見えてシャコ貝より口が固いって評判ですよ?
後からサランディアさんが来るって言ってたから、サプライズの予定なんだね。
他の出し物としては、フレイヤさまが狩猟の神さまでもあるので、狩猟大会が夏同様に行われる。収穫の秋にちなんで、料理勝負や種族の得意料理を振る舞ったり、さすがは多くの種族が出入りする、神殿主催のお祭りだった。
秋祭りの進行について一通り理解出来たので、明日の自分の出番までは自由時間となった。既に準備が進んでいる屋台を見て回ったり、舞踏大会のステージを下見したり、ただの見学でも意外と疲れた。
色々な種族の人がいるなと、敷地を出入りする人を目で追っていると、扇情的というか、妙に女性を強調した服に身を包んだ一団を見付けた。
「あそこにいる人たちは……えぇと、グルアガッハ? 聞いたことのない種族だなぁ」
Infoで確認した場合には、種族名と個人名だけが表示される。全員が流れるような金髪で、容姿も整っていて言葉は悪いけど、水商売の女性という感じを受ける。
「あの方たちは、隣国から来ている娼婦ですわ」
傍らにロロアとタヌーを連れた、イアヴァスさまがそこにいた。ロロアが満足したのでボクたちに会いに来てくれたのだろう。
まて、彼女は今なんて言った? 娼婦? 娼婦って言ったのか!?
「え? 娼婦って……」
「祭りの時期は普段より多くの人が訪れますから、私たち巫女だけでは十分にお相手が務まらない場合もございます。彼女たちはクルロンドのフレイ神殿から派遣された娼婦です」
えっと、ちょっと待って……娼婦って、やっぱり、あれだよね? 男の人とアレをあれして、アレな行為を……
身体が熱くなるのが分かる。今のボクを見る人がいれば、耳の先まで真っ赤に染まったトマト顔を見られるだろう。隣のプリムラもたじろいだので、彼女も同じ状態だと思う。アルフェルはほんのり上気した、桜色の頬ではにかんでいた。
「あ、これは失礼しました。姉から聞いてはいましたが、お二人とも“転生者”であることを失念していました。娼婦の意味はお分かりになるようですね」
それからこの世界での神官の、神さまを奉るとは別のもう一つの務め、むしろこちらがメインかもしれない、娼婦としての役割について教えてもらった。
神殿娼婦とも呼ばれる巫女の役割は、文字通りに神殿を訪れる男性、あるいは女性と性行為を行う事。元よりフレイ神、フレイヤ神はどちらも豊穣を司る神さまで、繁殖の象徴でもある。神さまに成り代わって、相手を務めるという神聖な儀式なのだ。
直接の金銭の授受は無いものの、寄進物や供物として対価を受け取るので、行為自体は娼婦そのものと変わらない。神殿付きの娼婦以外にも王都など、大きな街にはある程度、街娼など普通の娼婦も存在する。
前の世界ではキリスト教の考えが浸透していた為に、娼婦というのは卑賤なものと考えられていた。ボクが生きていた時代では少なくともそうだった。でも、日本は元々性には大らかな文化だった。
他にも古代バビロニアやケルトなど、性に大らかな人たちの文化も知識としては持っている。ある意味でこの世界の性に対する感覚は、当たり前のものと言える。
でも、女性は15歳になったら神殿で処女を捨てるとか、種族によっても違うけど、近親婚をタブーとしないという話を聞くと、何が正しいのか分からなくなる。
なんだか自分の中の倫理観? が音を立てて崩れていく気がした。プリムラも赤くなったり、逆に蒼白になったりめまぐるしく表情を変えながら聞いていた。
「えっと、アルお姉ちゃんは、知ってたんだよね?」
「え? うん、わたしはまだ先の話だけど、知識としては聞いているよ」
「申し訳ありませんでした。過去に記録のある“転生者”の問題で、私たちの性行為に対する考え方が元で、不幸な事態が起こったことがあったようです。詳しくは知りませんが、つい失念していました」
イアヴァスさまは失念していたと言うけど、たぶんそれは嘘だと思う。エフィルさんかセレヴィアンさんに、ボクたちにそれとなく伝えるように頼まれたのだろう。生活を共にして慣れすぎた間柄だと、こんな話は言いにくかったに違いない。
「私たち神官は、この世界では非常に尊敬されています。一つには神の言葉を伝え、神を祭る務めを果たしているからです。しかしそれ以上に生活に密着した部分、性行為の相手を務め手解きをしたり、男女の仲が円満であるよう指導するという務めがあるのです。それはとても重要で尊い行為です」
私たちは誰一人として、母親から生まれない者はいないのですから、イアヴァスさまはそう締めくくって話を終えた。
うーん、ボクたちドライアードだしなぁ。母親から生まれてないって反論は、子供じみてるかな。
◇
イアヴァスさまからロロアを預かって、タヌーを含めて四人と一匹で屋台を見て回る。次々に集まる人たちは、手際よく売り台を組み立てて商品を並べたり、荷車で売り物を運び込んだりしていた。
さっきまで聞いていた話が、まだ頭の中をぐるぐるしている。気持ちがふらふらして落ち着かなかった。たぶんそれはプリムラも一緒で、時々目を合わせるけど慌ててそらしてしまう。お互いに話す切っ掛けを見付けられないでいた。
ふと、服の袖を引っ張る感じに気付いた。振り返るとロロアが袖を掴んでいる。
「おなかすいた?」
ロロアがお腹がすいた、という意味ね。
ちょうど小腹が空いていたので、近くの屋台で売られていた蒸しパンを買って、ベンチに座って頂くことにした。タヌーの分もちゃんと一つ買っている。くぉん、と嬉しそうに鳴いて食べ始めた。
「はぁ、なんか、ちょっと、いろいろビックリすぎて、ダメな感じだわ」
プリムラが弱音を吐くなんて珍しいな。もちろんボクも同意見で、色々ともう、ダメダメな感じ。
「あの、アルお姉ちゃん、15歳で、その、捨てるとかって……」
「あーあの話ね、別に15歳って決まってるわけじゃなくて、早い子だと12歳くらい? 遅い人でも20歳にはならないうちにかな~」
ことさら驚くような内容でもないと、あっさりとした調子で話すアルフェルに、意外な感じがした。彼女もこの世界の人なんだと、いまさらながら実感する。
「結婚前には済ませておかないと、相手の人に失礼だしね~。わたしは巫女でもあるから、早い方が喜ばれるって思う」
アルお姉ちゃんが遠い存在に感じるよ……
「わたしもリィも巫女ってことよね。いずれ娼婦をしなくちゃならないのよね?」
「んーしなくちゃならない、かぁ。巫女のお務めは名誉なことなんだけど……二人のいた世界のことを聞いてもいい?」
ボクとプリムラでお互い話を補完するように、ぽつぽつと以前の世界の倫理観、日本の若者の性に関する倫理観を話した。
「うーんそっかぁ。それじゃ抵抗感じるかもね~。処女が尊いものというのは、少し意味が違うけどここでもそうだよ。処女の血は神さまに捧げるものだから」
にゃにゅ? なんかそれ猟奇っぽい響きなんですけど。悪魔崇拝とか、そんな雰囲気が。あ、よく考えたら悪魔自体がキリスト教の思想なのか。異端指定された他の神は全て悪魔だから、血を捧げる行為を悪魔の行為としたのかな。
「学校っていうの? 知識を教えてくれる所で、行為のことをちゃんと教えないって、少し変だね~、誰でもすることなのに。きちんとした知識がないと、病気になったり大変だよ~」
全くもってその通りです。元の世界の代表として、耳が痛い話であります。
「でも、誰とでも、その、するっていうのは、ちょっと抵抗あるよ」
「え? 誰とでもじゃないよ? 望まれればなるべく応じるけど、行為自体を神さまに捧げる儀式だから、二人の相性が一番大切なんだよ。気に入らない人は断っていいの」
「あ、そうなんだ……」
少しだけホッとした。ロロアはどうしているかと横に座る彼女を見ると、お腹が一杯で眠くなったのか船をこいでいる。そっと身体を引き寄せて、膝枕してあげたらすぐに寝息を立て始めた。さっき食べた蒸しパンの甘い匂いがする。
なんか可愛いなぁ。義理だけど妹だし、これから一緒にいる時間も増えるのかな。ロロアに膝枕したので焼きもちを焼いたのか、タヌーが足下に来て足首に身体を擦り付ける。そのまま丸くなってこっちも眠ってしまった。
「懐かれてるね~リィ。でも、リィもプリムラも、これから大変だと思うよ。聖人と守護者だからね~。お相手を希望する人、一杯来ると思うよ。無理矢理しようとする人は、さすがにいないと思うけど」
何しろ王族だしね、そんなありがたくない言葉で、せっかくのほんわかした気分が台無しになった。ボクたちの外見はアルフェルよりは子供だと思う。早ければ5年しないうちに、巫女として娼婦の務めを果たす機会が来る。
「あの、もしかして、エフィルさまも、その、してるの?」
「エフィルさまは大神官だし、王女さまだから人気はあるけど、誰か相手にしたことあるかなぁ? 巫女の務めは望む相手に、神さまの祝福を授ける行為だから、対価が必要なの。金銭でも物でも、場合によっては労働力のこともあるけど、大神官の王族に対価を払える人なんて、まずいないと思うよ~」
何かそれはそれで嫌な基準だなぁと思っていると、人の群れをかき分けるように、一際目立つ長身のエルフさんがこちらに歩いてきた。トウモロコシ色のさらさらの髪が人波に見え隠れする。
「やぁ、こんな所にいたんですね」
サランディアさんがとても良い笑顔で右手を挙げると、周囲から黄色い悲鳴が上がった。種族を越えたイケメンパワーは健在だった。
◇
そろそろカレの五刻(14:00~16:00)も終わりになろうとしている。太陽も西に傾き始めて、一刻後には日が暮れるという時間。
ボクたちは神殿を離れて、近くにある墓地に来ていた。サランディアさんとアルフェルのお墓参りが目的で、ボクもプリムラもこの世界の墓地は初めて訪れる。
「私用に付き合わせて申し訳ないです。今日は命日ですので」
毎年秋祭りの前日が命日に当たるので、二人のお墓参りは恒例行事だった。
「どなたのお墓があるのですか?」
「わたしの恋人と、アルの母親のお墓です」
えっ、と一瞬耳を疑う。アルフェルの母親のお墓、サランディアさんの声はそう聞こえた。
「まだ、お二人に話していなかったのですね。積極的に伝えることでもありませんし、黙っていたアルを責めないで下さい」
もちろんそんなつもりも無いので、黙ってうなずく。そして一行は二つ並んだ立派なお墓に付いた。
この世界のお墓は盛り土の上に、故人の名前を刻んだ石碑を建てる。一つは大きく立派で、もう一つはそれ程大きくは無いけど、周囲の石碑より良い物に見える。
「ここがわたしの恋人だった女性と、アルの母親が眠る場所です」
二人は用意した花と、好物だった果実とお菓子を供える。世界は変わっても故人を偲ぶ作法は変わらないのかと、少し感傷的な気分になった。
ボクとプリムラは手を合わせて、サランディアさんとアルフェルは、左手を胸に付ける格好で祈りの言葉を捧げる。二人の祈りは初めて聞く言葉で、ボクたちには理解出来なかった。
「お二人ともありがとうございます。変わったお祈りの仕方ですね。ですがとても心がこもっているのが分かります」
祈りの言葉は古代アルヴ語が使われていた時代の、さらに以前のとても古い言葉だそうで、死者に捧げる祈りの言葉以外は伝わっていない。意味は「魂の安らぎを、死の平穏を、いつか再び訪れんと願う」というちょっと変わったものらしい。
「お気付きかもしれませんが、わたしとアルは血の繋がった兄妹ではありません。彼女の母親はわたしの恋人の侍女をしていました。アルがお腹にいる時に、二人は不幸な事故に遭って、アルの母親は助かりました。しかしアルを生むと間もなく、事故の傷が元で亡くなってしまいました」
その時の女の子、すなわちアルフェルは、今のご両親に引き取られたという。つまり養子という立場だった。意外にもボクと同じだったと初めて知った。そうだったのか、それで実家に遠慮がちだったり、身を立てる事を焦ったりしていたのか。
一言もしゃべらないアルフェルは寂しそうで、黙って母親の墓石を見詰めていた。
「お兄さまの恋人は、母を守ろうとして死んだそうなの。私たち親子が殺したようなものよ」
「それは違う! 誰に聞いたんだそんな話!」
「はっきりいわれたことは無いけど、お屋敷ではみんな噂しているわ」
彼女の両目から、はらはらとしずくがこぼれ落ちる。今まで必死に堪えていたものが、耐えきれずに流れ落ちる。
「お兄さまも本当は、わたしのことが憎いのでしょう?」
「馬鹿なことをいうんじゃないっ! そんなことは絶対あるものかっ。いいかいアルフェル、私はお前を本当の妹と思っている。誰よりも愛しているんだよ。そんな悲しいことをいわないでおくれ」
なんて辛そうな表情だろう、苦渋というのでは足りない、見る者の心を締め付ける顔でアルフェルを抱きしめた。彼の言葉に嘘や偽りは無いと、その表情だけで分かる。
「……お兄さま、ごめんなさい……」
それでもアルフェルは泣き止まず、小さくごめんなさいを繰り返す。
「仕方ない、これは一生話すつもりは無かったのだけど。ちょうどいい、聖人と守護者のお二人も聞いて下さい」
アルフェルをしっかり抱きしめたまま、顔を上げたサランディアさん。その顔にはもう悲壮感は無かった。むしろ怒りの表情をしている。
「実は、事故と言いましたが、二人は賊に殺されたのです。はっきり言えば、わたしの恋人を賊が狙い、アルの母親はそれに巻き込まれたのです。謝るべきはむしろ私の方なのです」
アルフェルの身体の震えが止まって、虚を突かれたような雰囲気が漂う。ボクたちも告白に驚いていた。
「これから話すことは、種族間、ひいては国家の問題に関わります。絶対に他言しないようお願いします」
決心したサランディアさんが、事件の真相を語ろうとした時だった。空から緑色の小さな精霊が舞い降りてくる。風の精霊エアリアルだ。誰かが『伝言』の魔法を使ったという事は……
「……なに! なんて事だ、急いで戻りましょう!」
緊急事態が起こっていた。
「単刀直入にお伝えします。イアヴァス王女殿下が何者かに掠われました」
マジっすか! それ、大騒ぎになるんじゃ?
「まだ公にはなっていません。ですが、明日の秋祭で姿が見えないとなると、必ず騒ぎになります。今夜中に助けないと……」
ロロアを抱きかかえたサランディアさんが、神殿に向かって走る。ボクたちも森で鍛えた脚力でその後を追う。林が連続していれば、ボクたちの技能であっという間なのに。
「リーグラスさま、それからアルも、手伝って頂けますか?」
「もちろんです!」「はい、お兄さま」「王族さらうとか、いい度胸じゃない!」
走りながらアルフェルがユールさまを呼び出す。すぐに上空から探索をお願いした。
ボクはと言うと……
「タヌー! 君って鼻が利くよね?」
「くぅーおん!」
「おっけー、戻り次第、猟犬として働いてもらうよ!」
まかせろ! とばかりに吠えるタヌーは、とても頼もしく見えた。
巫女の役割は昔は色々とあったようです。
袴姿はいいですよね。




