七話 タヌー
エフィルさんへの報告とその後のテストの為、残りの苦参紙は全て持ち帰った。この街に残して余計な目を惹いては面倒だし、出来るならトゥイリンを始めとする、東部地域の特産品になればいいなと思うし。
「少しは元気出てきたんじゃない? くよくよしたってなんにもならない、やれる事をやっていれば、結果はついてくるわよ」
言われるまでもなく、ボクにとって毎日はその繰り返し。ネズミの事は起きてしまった事実として、結果を受け止めればいい。
ヤンさん親子にお礼を言って別れて、帰りのお土産を買いに屋台の並ぶ通りに来た。街の入り口近くに軽食の屋台、奥に行く程野菜や肉、魚となって中心に近い所は金物の屋台があった。その中の一軒の刃物を並べている屋台目についた。
「前に来た時に、刃物のお店なんてあったっけ?」
「んー、ボクも覚えてないかなぁ。この間はすぐに服屋さんに入っちゃったし、前からあるんじゃない?」
持ちやすそうな大きさの包丁や、刃が細長い刺身包丁のような物も並んでいる。厨房に立つ機会が増えて、料理で包丁やナイフを使う事も多い。神殿や孤児院にあるのは日本の出刃包丁のような刃の厚い物ばかりで、ここに並ぶ文化包丁のような薄刃は初めて見た。
「おじさん、この包丁見せてもらっていいですか?」
「うにゃん? 初めて見る顔だにゃぁ。この街の子ではないのにゃん?」
……うにゃん、言われた。
やばい、後ろの人が騒ぎ出す気が……
『リッ、リッ、リィ、リィーグラスゥ!!』
どうどう! 待てっ、とにかく落ち着けっ! そういうボクもかなり萌えゲージ上がってて、ヤバい感じなんですがどうでしょうっ!?
スパーンッ! と、とても良い破裂音が響き渡って、ボクの首が飛ぶ……ってっ! 飛んでたまるかいっ!
「もうっ、いつもいつもひどいよっ、プリムラ!」
「あっ、ごめん、ついクセで……」
今の無体のお陰でエフニさまがかなりびびってるから、ひとまず緊急事態は回避出来たのだけど。その為にボクがむち打ちになったらどうするんだ。
「にゃんと、怖いお嬢さんだにゃぁw そっちの子はだいじょぶにゃん?」
頭から被っていたフードを取りながら、相変わらずの可愛らしい口調で心配そうに言う。ライトグレーの毛並みにチャコールの縞模様。三角形の可愛い耳と、クリクリとした黒目が笑っていた。
獣人と言うには猫その物な姿の、アメリカン・ショートヘアーなニャンコがそこにいた。猫を小柄な人間並みの大きさに、二足歩行する生き物に変えたような人だった。カッターシャツに半ズボン、革のブーツを履いている。
「はい、大丈夫です。あの、おじさんは、ケット・シーの人ですか?」
「子供なのによく知ってるにゃん。山向こうの町からここに行商に来ているにゃ。お嬢ちゃんの緑の髪は、ドライアードかにゃ?」
少し身構えて警戒するけど、ここには知り合いも多い。何かあっても助けてくれると思うけど、余計なトラブルは避けた方がいい。これからはボクやプリムラも、帽子を被るなり目立たない工夫が必要かも。
「緑の髪は珍しくて目立つからにゃ。ここは平気だけど、南や西の街へ行くなら、フードで隠すくらいの方が安心だにゃ」
「ありがとうございます。こっちのプリムラは双子の姉妹です」
「うにゃにゃ、ドライアードの双子には初めてお目にかかるにゃ。前髪のピンク色は染めてるのかにゃ?」
ボクたちの緑の髪は、他の妖精族にはあまり無い特徴で、プリムラの前髪の一房、ピンク色は余計に珍しく映るのだと思う。
「この髪の色は、わたしの存在意義なのよ、長靴をはいた猫さん」
またプリムラってば、前の世界の童話の事なんて、この世界の人に分かるはず無いでしょ。言われたケットシーの人も、可愛らしく首を傾げて何やら考え込んでるし。
「プリムラにゃんは、うさぎが好きそうだにゃん。カラバ風の串焼きは好物かにゃ?」
確かに今やすっかり肉食女子のプリムラだ。初見でそれを見破るとは、猫さん恐るべし。入り口に近い屋台でそれっぽい串焼きを売っていたし、買って帰るのもいいかな。ボクは……今日一日は肉類はちょっとダメかも。
「魚にしようかと思ったけど、お肉の串焼きプリムラも好きでしょ? 買って帰ろうか?」
彼女ならきっと食べたがるだろうと思って、罪滅ぼしの意味も含めて勧めてみた。
「え? あ、うん、そうね、お腹もすいたし、お肉もいいわね」
てっきり食い付いてくるかと思ったのに、どこかぎこちない風のプリムラ。猫さんをじっと見詰める表情は、怒っている程じゃないにしても少し怖い顔だった。
「あれ? どうしたの、何かあった?」
自分には気付けない、加害者の気配を察知したのかもしれないと、ボクも慌てて周囲に注意を向ける。街の中央に近いこの場所は、そろそろカレの四刻、正午になろうとしている。引っ切りなしに行き交う人は、急ぎ足でボクたちのそばを通り過ぎた。
しばらく警戒したけどそれらしい動きは見付からなかった。プリムラを見ると彼女もいつものように、すました表情に戻っていたから大丈夫だったのだと思う。
「ごめんリィ、気のせいだったみたい」
それからボクたちは、あらためて猫さんの屋台を見せてもらって、ボクは薄刃のペティナイフを二本、プリムラは大きめの握り鋏を買った。
併せて銀貨5枚と銅貨6枚の出費になったけど、外で何か食べる機会も増えたし、使いやすい道具を持つのもいいと思う。
「二人とも可愛いからにゃ、これはおまけにゃん」
革製のナイフ入れと鋏を入れるポーチを付けてくれた。見た目にもしっかりしていて、買ったらけっこうなお値段に思う。おまけで貰うには高価すぎる気がして、追加のお金を払おうとしたら自作品だからと受け取らなかった。
器用な猫さんの、またにゃぁ~と手を振る姿に見送られて、青菜と串焼きを買って街を出た。残念ながらうさぎの串焼きが無かったので、串焼きはコフという小型の猪に似た獣のお肉になった。
◇
街を出て森に向かおうと歩き出すと、門の外にいた一頭の犬がボクたちの後を付いてきた。最初は不思議に思ったけど、串焼きの匂いに惹かれているのかと思った。
しばらく後ろを気にしながら歩いても、一定の距離を開けて近付いてこない。どうもそういうわけでも無いらしい。
試しに一本取り出して、おいでおいでしてみた。
「ねぇリィ、あの犬、ネズミに追われてたわんこじゃない?」
おりょ? っと振り返ってよく見る。なるほど、確かに身体にある斑模様は、あの時の狸に似た獣にそっくりだ。今も立ち止まってこちらを見ている様子は、犬と言うより狸のような感じがする。
子供の頃に近所に狸の親子がいて、庭でお皿にかまぼこをのせて呼んだりしたなぁと、懐かしく思い出した。なんて名前だっけ? 確か……
「タヌー!」
思い出した名前を、なんとなく呼んでみた。すると、
『クゥーン』
なんと狸っぽいそいつが答えてくれた。それからためらいがちに、トトッ、トトトッと数歩ずつ近寄ってくる。なんか懐いてくれてるみたいで可愛い。串焼きの肉を一つ取って、掌に乗せて差し出した。
「ちょっとリィ、危ないからやめなさいよ」
「んー、噛みつきそうならすぐ引っ込めるから。なんとなくだけど、平気だよ」
リアルケモミミが近付いてくる。エフニさまが気になるけど、不思議と騒いでいないようだった。ふと気付くと、ボクの後ろに顕現していた。
「さっきからどこか、見覚えがあると思っていたのですが、この獣は風狸という物ではないかと思い出しました」
「風狸? それって、鳥山石燕先生の今昔百鬼拾遺にある妖怪の名前ですよね?」
なんという得意分野。石燕先生の話なら、何時間でも付いていきますぞ。
「江戸の頃には実際にいた獣なのですよ。わたしも実物を見るのは初めてですが、カメラ店に並んでいた時に、側の古いカメラに宿る付喪神から話を聞きました。かの御仁は実際に見て、絵姿に写した事もあったと」
なんという古美術ネットワーク。どんだけフリーダムな繋がりなんだよって思う。ボクたちが話し終わるのを待っていたのか、すぐ目の前にやって来た風狸は、二度頭を下げると手の上の肉を口にした。
くぅん、と美味しそうに鳴く姿はとても大人しくて可愛い。
「このものが風狸なら、かなり賢い獣ですよ。さすがに人語を操るまでは到りませんが、人の言葉は理解しているようです」
その通り! とばかりにくぉん、と一声鳴いた。
「可愛いわね、この子。大人しいし、ほんとに頭も良さそう」
「取りあえず、お腹と脚の怪我を治そうか。ちょっとそのままじっとして……」
口述魔法の『回復』と『消毒』をかけていく。もっとひどい怪我なら、治癒魔法が必要になると思うけど、これはボクにはまだ使えない。なんと、意外な事にプリムラにはある程度使えたりする。
「なーんかいま、ふらちな事考えなかった?」
ソンナコトナイデスヨ? おかしいなぁ、魂は繋がっていないはずなのに。双子のアメージングな以心伝心ってやつ?
傷口がふさがったのを確認してようやく一息ついた。奪った命もあれば、偶然とは言え救命の一助になった命もある。つぶらな瞳を見ていると、命ってすごいなと思う。
「よしっ、タヌー、よかったら一緒に来る?」
「クォン!」
嬉しそうに鳴く様子は、肯定の意味で間違いないと思う。それから神殿への帰り道は新しい仲間、風狸のタヌーを加えた二人と一匹になった。エフニさまは姿を消しちゃってるから、三人ではないですよ?
森が近付いてくると、高い樹の梢付近で飛び回る獣の姿を見かけた。今度こそプリムラにも見て貰って、『写真』のズームでその姿を確認する。
「やっぱり、あれが風狸だったんだ。タヌーもあんな風に飛び回れるの?」
足下をトコトコついてくるタヌーは、少し悲しそうな声でくーんと鳴いた。あ、そうか、怪我してるから今は激しい動きは無理だよね。
「ごめん、タヌー。怪我が治って元気になったら、あんな風に飛び回るとこ、見せてくれるかな?」
「クォーン!」
いいとも! という感じで空に向けて答えてくれた。
◇
神殿に戻ったボクたちは、タヌーの世話をプリムラに任せて、エフィルさんにはボク一人で報告にきた。セリの移植は上手くいきそうになかったけど、トゥイリンでの成果、苦参紙は彼女を驚かせたみたいだ。
「これは……羊皮紙では無いのよね?」
「えぇ、これは『紙』というものです。そうですね、仮にパピエと呼びましょう」
紙の発音だと髪と紛らわしいし、ペーパーはなんかトイレットな感じなので、フランス語の発音でパピエとしてみた。
「植物の繊維を細かくして水に溶いて、薄い糊で固めて作ります。作業自体は慣れれば難しくありません。ある程度量産出来れば、この大きさで銅貨一つくらいの値段に出来ると思います」
A4サイズの苦参紙を見せてそう言うと、エフィルさんが目を見開いていた。
「羊皮紙は一枚で銀貨3枚よ? 三十分の一の値段になるというの……」
「あくまでも量産した時の話です。最初は銅貨5枚に出来れば上出来かなぁ」
日本円で500円くらいなので、紙一枚の値段としてはとても高い。超高級和紙だってそんなにしないと思う。でも100円なら高級和紙を贅沢に使う程度に思えるかな。
市場が形成されて競争が始まればさらに下がるし、うまく別の素材が見付かって、質も上がる可能性がある。
「これはとても軽いわね。まるで薄布みたいだわ。これで手紙を書けば、召喚魔法で手紙を運ぶ精霊も、一度に多く持って行けるわね」
「そうですね。手紙は庶民が使うには高価な伝達手段ですけど、パピエが普及すればもっと気軽に使えるようになると思います」
その後は酸性土壌のアルカリによる中和の効果、これは森を出た街道沿いの畑で試験していた。酸性に弱い小麦を育てている畑で、水酸化カルシウム溶液を使った影響を調べている。
こちらの結果が分かるのは来春以降になる。今の所麦の生長は順調に見えた。それから、次に作りたいものの提案をする。
「今度は……えぇと、図鑑? 普通の本とどう違うの?」
図鑑はちゃんと伝わったな。元からある言葉なのか。
「一つ一つ精密画が描いてあって、見分ける為の特徴を図解します」
「言葉で説明を書くだけではダメなの?」
「ダメですね。種族や地域で用語がまちまちだし、初めて見る人には言葉から特徴を想像するのは難しいと思います」
「あ、それもそうね……」
薬草学は系統立てた分類が無い上に、魔術や算術など歴史のある分野と違って、専門用語の発明と普及統一が出来ていない。学、と表現するのが憚られる程、未成熟な分野だった。
仲間内でしか通用しない言葉を使ったり、平易な言い換えを多用する。さすがに神殿の人たちは統一出来ているけど、実際の処方の段階では庶民に薬の使い方、薬草の事なども伝えなくてはならない。
今まで口伝とレシピのみで、薬草の見分け方も実地での伝授のみで、行ってきたツケが出てしまっている。専門技能として独占するには適っていても、広く民間に普及するには向いた考えではない。
最初に作る図鑑には常備薬として使える、効果が穏やかで利用範囲も多く、副作用の少ない薬草に限定して載せようと思う。
調味料や不足しがちな、ビタミン、ミネラルの補給食になる野草もいい。もちろん間違えやすい毒草や、最低限避けるべき猛毒の植物も図説する。
図鑑を作る方向性は決まったのに、いざ実際に作るとなるといくつかの問題に突き当たってしまった。最大の問題は図鑑の印刷方法だ。『筆写』は時間も経費も掛かる。
この世界ですみやかな普及を促すには、出来る限り安価で図鑑を提供しなくてはならない。その為には印刷による複製が必須と言える。
活版印刷で行う場合は、版下の作成に時間が掛かりすぎるのが欠点。ページ毎に図版と解説の文章を彫って版木を作成すると、細密画の品質を保つには 500枚刷れるかどうかだろう。
安価に提供したくても版木作成の手間と、時間を考慮するとあまりコストダウン出来ない。『筆写』による写本よりは、大幅に安く出来ると思う。
しかし辺境に住む種族のように、貨幣の所持量が少ない人たちにまで、広く普及する値段までは落とせないと思う。
そう考えると、エッチングによる凹版印刷が向くかもしれない。銅版なら銅の板、防蝕剤として蝋剤と、腐食剤が必要だ。これは現段階では入手が難しい。銅板はドワーフに頼めば良質のものを手に入れられると思う。
問題は腐食液の方で、前の世界では塩化第二鉄溶液という酸性の液が使われた。これはさすがに、化学工程が発達していないこの世界では難しい。塩酸を取り扱う必要があるので危険性もはんぱなく高い。
さてどうしたものか。木版や銅版に寄らない別の方法、魔法のある世界ならではの、何かよい方法がないか探さないといけない。
そう言えばセレヴィアンさんが、王城にある司書のような事をしている人を紹介してくれた。やはりそういう人に相談するのが早道かもしれない。
主な報告は終わったと思ったので忘れないうちにと、街に入る時に出会ったネズミの魔物と戦った事を報告した。
そしたらすごく怒られた。
「もう! 魔物だなんて、どうしてそんな大事な話を最後にするの!」
「えっと、だって、逃げちゃったし」
「逃げたなら余計にでしょう! 直ちに神殿騎士に連絡して、討伐隊を出して貰わないと。いい? リィ。あなたが考えている以上に、魔物は危険なのよ。二人とも大事が無かったから良かったけど、噛みつかれていたらただでは済まなかったわ」
それから魔物の持つ毒と、取り憑いた『魔』の恐ろしさに付いて、切々と説明された。前にも何度か説明されていたし、いまさら感があるのだけど実際に戦った後だとすごくリアルに感じる。
考えが足りなかった事を謝って、外のプリムラと一緒に騎士の人たちに説明する為に走った。




