五話 護身指南
バラエル家でのお泊まりは初めての経験。っていうか~、貴族のお屋敷自体が初めてな感じ? 夕食には少し早い時間に迎えの馬車で到着した屋敷は、想像していたのと少し違った。洋館風なゴシック調の二階建て、を想像していたのだけど。
「……洋風ではあるけど、平屋だねぇ」
「そうね、わたしもババーン! と迫力のある三階建てを期待してたわ」
さすがに三階は無いでしょ、と思いながら周囲を見渡すと三階はおろか、二階建ての建物も疎らにしか見えない。街の中央に見える王城はそれなりの高さがあって、三階くらいはありそうだけど、それ以上の塔と呼べるものは無かった。
「地霊の加護を受けられなくなるからよ」
不思議そうにしているボクたちに、呆れた表情でナウラミアが説明してくれた。
「あなたたちドライアードなんだから、わたしたちより影響受けるはずなのに、なんで知らないのよ……」
なんでとおっしゃいましても。二人とも正式なドライアード歴は一月くらいなものでして。いやはや、誠に面目次第もございません。
アールヴの民、すなわち妖精族はフェア(精)の恩恵無くしては、生存出来ない生き物であるらしい。精霊は依り代よりフェアを受け取って自らを構成する。だから依り代である樹や石やその他の自然物から離れられない。
精霊よりはフェアの必要量が少なく、依り代が無くても生きられるのが妖精族で、この世界の標準的な人としての存在。ただしボクたちの前の世界の人とは根本的に違う。
「なるほど、『龍脈』ってやつからフェアを受けているんだね」
龍脈、と発音したはずの言葉が、フェアラインと変換された。初めて使う言葉の場合、意識した言葉と音として聞こえる言葉が違う時がある。何度か使ううちに違和感は無くなるので、言語学習の魔法は便利だと思う。
「あら、知っているんじゃない。地面に近い所を通るフェアラインから、フェアの供給を受ける事を地霊の加護って呼んでいるのよ。生物を除くと、地上のものにはあまりフェアは宿らないし」
気付いていなかったけど、神殿は当然平屋だし、森の中での生活は基本的に地に足を付けている。ボクたちの生活圏はどこも緑にあふれていたし、むき出しの地面が多くあった。だから気にする必要も無かったし、エフィルさんに注意されなかったのか。
「さぁ、お父様を待たせているのよ。早く行きましょう」
黒曜石を思わせる黒く半透明な石段を登ると、銀で象嵌された重厚な扉があった。扉の手前では執事服に身を固めたイケメンのエルフさんが居て、ボクたちに恭しく一礼した後扉を開けてくれた。
以前会った時と変わらず、彫りが深いかぎ鼻の濃い系美中年の御当主、ナウラミアの父親がちょっとだけ引きつった笑顔で迎えてくれた。頭では分かっているのに、長年培ってきた差別意識はそうそう変えられないみたいだ。
母親の方は元々そう言う意識が少なかったようで、久しぶりの娘の帰宅と友人の来訪を喜んでいた。うーむ、それにしてもやたらと美人のメイドさんが多いな。
「ねぇプリムラ? 神殿だと気付かなかったけど、この世界って使用人の格好は、みんなメイドさん&執事さんなのかな?」
「なんでわたしに聞くのよ。ねー、アルの家でもメイドさんいるの?」
「えっと、メイドさん? 女性の使用人の事かな? それなら家にも何人もいるけど」
うかつにもメイドさんと言ってしまった。この世界には存在しない言葉だったのか、ナウラミアも眉をしかめている。でも違和感ないんだよなぁ……言葉としては存在しているって事かな?
「あぁ、もしかして着ている服の事? これは……お父様の趣味よ……」
その言い方で、なんとなく理解したよ。この世界でもメイド服は特殊な趣味扱いなんだね……って、ちょっと待て、メイド服は本来機能性を重視した、正しく職業人の為の制服のはずだ! どうしてこうなったっ!
「こぶし握りしめてるとこ悪いんだけど、呼ばれてるからさっさと移動するわよ?」
仕方ない、いずれこの世界でのメイド服の真実にはたどり着いてみせるさ。それは更なる高みへ到る道の一つであり、神を神たらしめんとする深淵の……
「ほらっ、行くよ!」
『給仕服ですか、女性の淑やかさを強調してくれる、とても良い服です』
意外なところに理解者がいた。エフニさまの時代、お祖父ちゃんの時代だと、萌えとかメイド喫茶は無かったはずだ。うん、今度じっくりお話しを聞いてみよう。
◇
美味しい食事に身も心も満足してくつろいでいると、神殿から使いの人がやって来た。正式には式典の時に同時に渡す物だと言って、杖と弓を届けに来てくれた。
立派な木箱に入ったそれらを運んできたのは男の神官さんで、王都の神殿では何度か見かけた事のある人だ。
「夜分な上に、こんな形になって申し訳ない。本来なら式典の場で聖人と守護者の二人に、この杖と弓を渡すのが仕来りなんだ」
「聖人と守護者ですか? 聖人はボクとして……守護者って」
「わたしよ、リィ」
さも当然という顔でプリムラが胸を張っている。あー、うん、なんとなくそんな気はしてた。ついでにこれ以上のコメントも避ける。
プリムラは別室に呼ばれて、身分の証となるペンダントを受け取っていた。それはボクが聖人となった功績と同じく、彼女も評価されたものかと思っていた。でもそれではアルフェルに何も無かったのがおかしな話だ。
「守護者が聖人に随伴して、二人で二つ名と杖と弓を授かる、これが正式な式の流れなんだが、色々と横槍が入ってしまってね……エフィルさまに替わって頂いたのも、そのせいなんだ。対外的な側面が強いから、頭からヴェールを被ってもらったり、ね」
あ、そうか、髪の緑色を隠す為だったんだな。てっきり正式な衣装だと思ってた。ヴェールというと、ウェディングドレスのイメージしか無かったから、結構ドキドキしていたのは言わなくて良かった。
「この話はセレヴィアン神官長からも伝えるよう言われているんだが、氏族の方々が幾人か、君の守護者としてご子息を推そうとする動きがあってね。早めに決めてしまった方がいいと、今回の急な話だったんだ」
随分と急だなぁと思ったら、そういう事情があったのか。セレヴィアンさんの言っていた、周りがうるさくなった、とはこう言う政治的な駆け引きの事だったのかな。確か以前にもエフィルさんから、同じような話を聞いていた気がする。
自分の関わった事、プリムラの魔法の事、これからやるつもりの事。身の回りで気になる部分や、人の役に立ちそうな改善を出来る範囲で、なんて軽く考えていたけど、もっと慎重な判断が必要なのかもしれない。
「リーグラスさん、あ、リーグラスさまじゃないと失礼かな」
「いえ、今まで通り呼び捨てでお願いします」
「わたしたちも戸惑いの方が強くてね、はは、私的な場ではリーグラスさんで、よろしく頼むよ」
ニッコリすると、神官さんの表情も固さが取れたようだった。
「杖と弓の説明がまだだったね。こちらの樫の杖は森の北東部にある、樫の木で一番大きな神霊樹、そうそう、リーグラス、君が見付かった時に側にあった大樹の枝から作ったものだ。聖人の証の一つとして杖は重要だよ。大切にして欲しい」
箱から取り出された杖は、長さが120cm程で握り柄がちょうど目のような節になっている。そこに緑色の宝石が一つ填め込まれていた。不透明な深緑色の宝石だ。
「柄に付いている宝石は孔雀石だよ。君は『森の癒やし手』だし、水と土の属性魔法が得意だったろう。孔雀石はどちらの魔法も効果を高めてくれるから、相性はとても良いと思うよ」
ボクの事をよく知っているなぁと見詰めていたら、何かドキドキしてきた。この神官さん、意外とイケメンかもしれない。
「もう一つ、こちらの弓はフレイ神殿の紋章にもあるように、狩りと豊穣の女神フレイヤさまの象徴でもある。古くは戦場を駆ける戦神として奉られた程の神さまだよ。トネリコの神霊樹の枝と、大角鹿の角を貼り合わせた複合弓だ」
曲がりの強い小型の弓がプリムラに渡された。日本の長弓のイメージからすると、弦の長さが半分くらいしか無い。これではあまり威力が無さそうだなと思う。その分子供でも携帯出来る大きさ、森の中での取り回しの良さがあるのかもしれない。
「さすがにこれ程の弓だと、子供の内から弦を引く事は難しいかもしれないな。ましてや女の子だと、鍛えないと力も足りない。幸いエフィルさまは弓の名手だし、教えて頂くといいだろう」
手に取った弓をしばらく眺めていたプリムラは、フゥーと息を吐くと徐に弓を構えた。その姿はすごく自然で、弦に指を掛けるまでの動作も滑らかだ。
「ほぅ、君はどこかで弓を習っていたのかい? その様子だとかなりの手練れだな」
「短弓を使ったことは無いから、うまく扱える自信はないわ。でも練習すれば使えると思う。これ、見た目より強い弓ね」
「大角鹿の角は粘りがあって、かなりの弾力を生み出せるからな。神霊樹ともなるとトネリコの枝自体も、フェア(精)を溜めて力に転化出来る。聖人の守護者に与えられる弓だからね、只の弓であるはずは無いさ」
「うん、気に入ったわ。有り難くもらっておく」
物言いがちょっと偉そうな感じのプリムラに苦笑して、使いの神官さんは帰っていった。ボクもプリムラも良い物を貰ったので、正直気分が高揚している。
ボクはと言えば杖の握りに付いた孔雀石を光にかざしたり、軽く振ってみたりして使い勝手を確かめていた。プリムラはナウラミアに頼んで、石蝋と松脂を用意してもらって、それで弓の手入れを始めた。
「ふーん、プリムラは弓の扱いに慣れてるんだね」
「そう……ね、子供の頃から弓道を……」
そこまで言ってハッとした表情で黙ってしまった。弓道? 精霊の世界でも、弓を使った武芸があったって事かな。花の精霊だったプリムラが弓を使う、ちょっと想像しにくいけど、向こうではそうだったのかも。
……なんて事が有るわけないよな。弓道と言えば日本独特の長弓を使った、精神修養にも最適とされる黒髪ロングのヒロイン定番、あの古武道の事だろう。プリムラは、もしかして元は人間だった? あるいはその時の記憶があるのか。
明らかに失敗した、しまったという苦い表情の彼女に、軽口で突っ込んでいいとも思えない。タイミングを計って尋ねてみるか、彼女の方から話してくれるのを待つか。
思わぬ形で知ってしまったプリムラの秘密に、少しもやっとした物を覚えた。
◇
春の神殿に戻って、いつも通りの生活が戻ってきた。そう考えていた時が、自分にもありました……実は少しもいつも通りじゃない。
まず、やたらと来賓が増えた。今まではエフィルさんに会いに来る人か、神殿から東の森にある、樫の神霊樹をお参りに来るエルフさんくらいだった。実はこの樹がボクが最初にこの世界に立っていた時の樹でもある。
久しぶりに表れた『聖人』の、しかも他種族の子供と言う事で、噂はあっという間に広がっているらしい。ボク以外の聖人は全て過去の人で、存命している人はいない。珍しい存在には違いない。
ただ、そう言った人たちの中にも、ドライアードの双子に関心を寄せていそうな、目付きの良く無い者が時々いる。ドライアードの村の事は比較的知られていて、未だに侵入を試みる輩も少なくない。
その全てはドリュアデスさんの鉄壁の防御魔法、『森の惑い』で追い返されているわけで、神殿のように自由に出入り出来る場所にいる、双子のドライアードは目を付けられても仕方ないと言えるのかも。
こんな理由でボクにとって一番の変化は、護身術を学ぶ時間が追加された事だった。プリムラの弓術はエフィルさんの得意分野と言う事もあって、大神官さま直々にご指導下さるらしい。嫌味でもなんでもないですよ?
ボクの方は簡単な体術と、片手剣を使った剣術を覚える事になって、その為の教官が十日前からここ、春の神殿を訪れている。しかもそのエルフさんはアルフェルのお兄さんで、普段は冬の神殿騎士を務めるエリートだ。もちろん美形なわけで……
「きゃぁ~~! サランディアさまぁ~~!!」
毎日この黄色い悲鳴ならぬ、甲高い声援を聞かされているボクとしては、うんざりしたくもなるというもの。テンプレど真ん中、これでもかって程の王道イケメン。見目麗しく、神殿騎士でも一二を争う剣技の持ち主。
独自の追っかけが自然発生するのも、パスツール先生すらうなずくに違いない。いっその事別の何かに進化しちゃってくれないかな。これで性格が悪いとか、言葉遣いが成ってない欠点でもあればマシなんだけど。
「リーグラスさま、騒がしくて申し訳ありません。彼女たちには良く言って聞かせているのですが……」
心の底から申し訳なさそうにする彼は、年下と言うより子供でしかないボクに対しても、礼儀正しく接してくれる。しかもそれに全く嫌味が無いのが、イケメンのイケメンたるゆえんか。
「そんな、様はやめて下さい。ボクはただの子供です」
「何を仰いますか。聖人に任じられるほどの方が、ただの子供のはずが無いでしょう。さぁ、今日もしっかりと練習して頂きますよ。まずは足を肩幅に開いて、左足を前に……」
確かスキアヴォーナと言うんだっけ、イタリア生まれの片手剣。ボクが使っている練習用の剣がそれで、柄にナックルガードが付いた刀身の短いタイプだ。重さは1kgちょっとで子供には重く感じる。
デザインはスキアヴォーナなんだけど、この世界では固有の呼び名は無いみたいで、ガード付きの片手剣、とそのまま呼んでいた。
「はいっ、左に弾いてっ! そこから右足で踏み込むっ。そうです、そこで一端下がって、剣先を胸の高さで構え直して……」
こんな感じで教官が繰り出す剣戟を、言われるままに捌いて返しの突きを入れる。エストックの様な刺突に特化した剣では無く、日本刀の倍程も幅のある刀身なので、突きに向いた剣では無い。
でもボクみたいな素人が剣を振ったところで、弾かれるか叩き折られるのが関の山だそうだ。その点突きは対応が難しく、当たればダメージも大きい。剣先のコントロールが難しいけど、護身用としては突きを主体に覚えるのが良いそうだ。
それと重要なのは、相手の剣を受け流す技術。これは剣だけに限らず、他の武器でも同様で目と体捌きが重要らしい。体格の良い大人を相手にするにも、森の獣を相手にするにも正面で受けてはダメだ。常に身体を斜めに対峙して、相手の力を流す。
護身用の剣術というのが、確かどこかにあったなぁ。なんて流派だっけ? なんて余計な事を考えながらやっていても、どうにか形にはなるくらい身に付いてきた。ただし、気の入っていない動作はすぐにバレる。
「ふーっ、それまで。今日は剣の稽古はここまでにしましょう。昼食の後に杖を使った稽古に変えましょうか」
どちらか選べって言われれば、杖の方が握っていてしっくりくる。自分から攻撃する動作も少ないし、護身術というとこちらのイメージがある。
剣はやっぱり相手を傷付ける為の、攻撃する為の武器というイメージは、どうしても拭えるものじゃ無かった。
「リーグラスさまは杖術の方がお好きなようですね。剣にくらべて優しい武器とお考えですか?」
うっ、図星を突かれて言葉に詰まってしまう。身を守るだけなら積極的に相手を傷付けなくてもいいかな、木の棒で殴るだけならそんなにダメージ無いよね? とか思いっきり考えてました。
「は、はい。杖だけで身を守れるなら、剣を持ち歩く必要も無いし、身軽でいいかなぁなんて」
「そうですか。プリムラさんは守護者に成られたのですよね。武器は弓をお使いだと聞きますし、筋も良くてあなたを守る者としてすぐにでも働ける程の腕とか」
トウモロコシ色のサラサラした髪がフワリと揺れて、薄水色の瞳が悪戯を見付けた子供の様に、ぐるりと回ってボクの顔で止まる。鞘に戻した剣の柄から手を離す事無く、一歩、また一歩とこちらに近付いてくる。
「あなたが杖で身を守る間、敵が近付いてきました。プリムラさんはどうすると思いますか?」
「それは……矢を撃つと思います」
「矢が当たった相手は、かなりの確率で重傷を負うでしょうね。場合によっては死ぬかもしれません。あなたはその結果をどう思いますか?」
あ……
ようやっと、彼の言いたい事が分かった。無敵のイケメンの表情は、もう笑ってはいない。誰にでも向けられる人当たりの良い、無害な微笑みはそこに無く、相手を射すくめる位に強い視線を感じる。
怒りは無い。呆れでも無い。覚悟とでも言えばいいのか、人を守る事を生業とする者の強い意志があるように見えた。
守ると言う事は、向かってきた敵を傷付けるという事。守るべき人の為には、時として相手を殺す覚悟が必要だと。サランディアさんの目はそう言っていた。
ボクがただ守られるだけで、自分から手を出そうとしないなら、それはそのままプリムラへの負担になる。ボクの代わりに彼女は相手を傷付けなくちゃならない。あるいは殺さなくてはならない場面もあるだろう。
それでも良しとするのか、その状況を自ら望むのかを、彼は問い質している。
それは、嫌だなと思う。今ではすっかり少女の見目にも慣れたし、気が付くと考え方も女の子のようになってしまったかもしれない。
でも自分の中の男の部分、元からそれが自己主張する事は珍しかったけど、男としての自分がプリムラは守るべき対象で、守って欲しい相手では無いと感じていた。
ダメだな、すっかり誰かにやってもらう事に慣れていた。色々とやった気になっていたけど、やりたい事だけを自分の手でやって、嫌な事は他人にしてもらう状況に慣れすぎていた。
セレヴィアンさんがボクを『聖人』にしたのも、言葉通りの政治的配慮だけじゃ無かったのかも。
ぐじぐじ考えていたのが伝わってしまったのか、サランディアさんの目が優しくなった。生暖かいものを見るような、いやらしさは欠片も含まない、子供を育てようとする大人の視線だ。
「分かって頂けたならいいのですよ。時に自分の曖昧さが、自らだけで無く大事な人を危険にさらす、その可能性を忘れないで下さい」
「はい、肝に銘じて。ボクの為に起こるいさかいなら、ボクが責任を持つべきです」
「そこまで気負う必要はありませんよ。あなたはまだ子供なのですから。頼るべき大人に、適切に頼ればいいのです」
「てきせつ、っていうのが難しいですね……」
頬をかきながら少し照れて気持ちを伝えた。護身術はボクの為のものだけど、一緒に行動する誰かの為でもある。守るとはそういう事なのだろう。
「お茶が入りましたよ~」
手提げ篭にハーブティのポットと、オーツ麦の焼き菓子を入れたアルフェルが、小走りで近付いてくる。ボクたちが一息入れているのを、休憩のタイミングとみておやつを持って来てくれたのだろう。相変わらず気の利くお姉さんだ。
「あぁ、いつもすまないね、アル。お前も忙しいだろうに」
「い、いいえ、わたしが好きでやっていることですし……」
汗をふく為のタオルを手渡しながら、視線を落として頬を赤らめる。アルフェルはサランディアさんに対しては、ずっとこんな調子だった。
むむ、もしかしてこれは、さすおに展開か? なんて言うか、アルフェルがサランディアさんを見る目は、憧れの人を見るっていうか、恋する乙女な感じなんだよなぁ。まぁ身近でこんな完璧イケメンが居たら、仕方ない気もするけど。
「はい、リィもおつかれさま」
ボクにも笑顔でわたしてくれる。その笑顔には少しだけ、大人の女性の魅力があるように思った。
◇
明晰夢というのはこう言う感覚なのだろう。あぁ、これは夢なんだなと、夢の中の自分が自覚している。目の前には磨かれた板敷きの床と、一人たたずむ黒髪の少女。白い道着と黒袴が床に反射して、まるで湖面に浮かぶ彫像のように見えた。
弦を引く手がゆっくりと移動して、引き絞った位置でぴたりと止まる。小さな呼気の後一瞬、ざんっと弦が鳴って矢が放たれた。
的の中心を射止めた矢は、とすっと言う小さな音をさせただけで、再び静寂の世界に戻る。満足そうな表情で弓を下ろした少女が、ゆっくりとこちらを見た。
日本人にしては彫りの深い、くっきりした目鼻立ち。丸く形の良い目が大きく見えるせいか、整った容貌の割に幼い感じを受ける。
小さな唇が真一文字に結ばれて、少しだけ怒った印象だ。意志の強さを感じさせる目が一瞬閉じて、再び開いた時には柔らかく、優しい感じになっていた。
彼女の口が小さく動いて、何か言っているのが分かる。分かるけれど声は聞こえない。表情からは親しげで、何かの説明をしているような、そんな雰囲気だった。右手を腰に当てて、大きく肩を落とした後にこちらに一歩踏み出す。
笑顔で近づく彼女に何か言おうとして……
夢はそこで唐突に終わった。
「……ゆめ、よく見るな」
独り言でもエフニさまには届いているだろう。隣で寝ているプリムラには聞こえなかったと思うけど。静かな寝息を立てるプリムラは、意外に寝相が良かった。上を向いたままの横顔が、なぜか夢の中の少女とダブって見える。
髪の色も姿も違っているはずなのに、これは、ボクの願望なんだろうか。彼女のもらした弓道というひと言に、忘れてしまった記憶の何かが、引っかかっている感じ。
夢の中の彼女の言葉、それがやけに気に掛かった。
一章から外れたエピソードをやっと公開出来ました。イケメンお兄さん出しちゃうと、もう一つの話しが外せないので……そちらもご期待下さい。




