十九話 林檎の精霊
グローラナ大渓谷は王都インガロストの北に、東西を割って伸びる長大な渓谷だ。
ケラッハ・ヴェールの住む国リング・ロスと、リョース・アールヴを始め多くの妖精族が住むフレイの森は、大渓谷で分断されていた。
王都からグローラナ大渓谷までは、馬車で一時間程の距離と近い。大渓谷には二ヶ所の橋が架かるほか、渓谷を回り込む街道が西と東に一本ずつある。
ボクたちは王都からバラエル家の馬車で向かっていた。最初は神殿で用意した馬車で行こうとしたら、バラエル家の執事が慌ててやって来て、馬車を乗り換える羽目になった。乗るのはどっちでも、とにかく急ぎたかった。
「お貴族さまは、こんな時にも見栄の張り合い? 嫌になるわね」
「そうかな? 娘のために骨を折る、感謝の気持ちもあるんじゃないかな~」
だといいけどねー、と横を向くプリムラはそれきり黙ってしまう。
ボクは特に思うところはない。
大渓谷の底へどうやって行くか、100年以上生っていない林檎を、どうして手に入れられるのか考えていた。ユールが何か知っていると思うしかない。
馬車が二ヶ所あるうちの東の橋に着いた。大きな橋脚を持つ吊り橋が目の前にある。大渓谷と言うだけあって、裂け目の距離は100m以上ありそうだ。
長い橋の両端に国境を守る警備兵や、検問所があるのかと思っていた。
「あれ? なんにもないねー」
「ここに、何がないの?」
「えっと、検問所でいいのかな。どんな人が通るか調べる兵士?」
「あぁ、それはね……」
検問所はリング・ロス側にだけあるらしい。理由は分からないけど、出国時に厳しく検問しても、入国は制限を掛けないそうだ。技術流出を防ぐ目的か何かがあるのかな?
種族に関してもあまり聞かないし、行ってみたい国ではある。
「ケラッハ・ヴェール? そうね、話題に上らない人たちかな。よく分からないわね」
「人が少ないの?」
「うーん、詳しくは知らないけど、北の方では最大の国って聞くし、たくさん住んでるんじゃないかなぁ」
馬車を降りてそんな話をしながら、アルフェルはすぐにユールを召喚した。案内役がいないとこの先が分からない。
『ホーッホゥ、ようやく出番かのぉ? この辺りに来るのは久しぶりじゃの』
「あなたが言っていた、谷の底にはどうやって行くの?」
『ホゥ? なるほど、お前さんたちじゃと飛んでは行けんな。これはどうしたものか』
……ボケたのか? むしろ元からボケてるのか。てっきり下まで道があるのかと思ったけど、元から鳥だからなぁ……歩いて行くわけないか。
そおっと崖の縁まで歩いて下を覗く。グランドキャニオンみたいな、深い谷底を想像していたら意外と浅く見える。底までの距離は20mくらいじゃないかな。
さすがに飛び降りて無事に済む高さじゃ無い。どこかに下り口が無いかな。
「お姉ちゃん、下りる道があるか知ってる?」
「えー? 分からないよ~。この辺り来たこと無いし、小鳥も動物も、誰か聞けそうな相手は……」
きょろきょろ探していると、後ろから声が掛かった。このシチュエーションは……
『達者でおったか? 先日の借りを返しに来たぞ』
この声には聞き覚えがある。立派髭のマイペース精霊……
「ノーム! あんたねぇ、この前はさんざん言いたいことだけ言って!」
『わしらは、義理堅い精霊じゃからな。こうして、手伝いに来たやったではないか』
どうやらボクたちの助けになってくれるらしい。相手が四大精霊だろうが、プリムラの尊大っぷりは全く怯まない。
「お爺ちゃん、おひさしぶり~」
この台詞だけだと、銀座の高級クラブでカモ相手にしてるホステスみたいだ。
「ノームさま、ご無沙汰してます。わたしたちにお力添えを?」
まともな受け答えはお姉ちゃんだけという。ユールは面白いものを見るように、ホッホッホとフクロウ笑いしてるし。
『谷の底まで道を作れば良いか? ただ送り届けるより、後々便利じゃろ』
……こっちも耄碌か? なんて事は言わない。何しろ大地の性質が顕現した精霊だ。こと土絡みは万能を疑う理由もない。
『わしがやってもいいんじゃが、本人が侘びたいと言っておるでの。後は任せる』
それだけ言うとまた姿を消してしまった。
ほんと、マイペースというか油断出来ない精霊だ。ノームのいた所には、ノームより一回り大きい、石で出来た人形が立っていた。
「く、クレイゴーレム……」
嫌な記憶がよみがえる。ようやく忘れかけていた記憶なのに。
『ヤ、タイショウ、コノマエハ、オミグルシイトコロヲ。エライスンマセン、テヘッ』
「てへじゃねー!」
はっ! いけない、ついマジギレで突っ込んでしまった。
お姉ちゃんは……やっぱりビックリした顔で見てる。
『マァマァ、スギタコトハ、チリニカエシテ。コレカラノコト、カンガエマショウヤ』
あ、プリムラが拳握りしめて溜めてる。コンボ発動来そうで怖いな。
「あなたが、この間のクレイゴーレムさん?」
『イヤァー、ホンマ、オセワカケマシテ。オワビニ、ミチ、ツクリニキマシタワ』
ユールは相変わらず楽しそうで、我関せずを貫くようだ。ほんと、精霊は気分屋で自分勝手で……見ていて面白い。
「わたしたちこの下まで行きたいの。ノームさまが道を作ってくれると……」
『ワーカッテマッ! サッソク、ヤラセテモライマッセッ!』
すたすた歩き出したクレイゴーレムは、ボクたちに向かってチョイチョイと手招きする。どうやら付いて来いという意味らしい。
ゴーレムは崖の縁まで行くと、準備運動なのか右手をぐるぐる回す。
『ホンナラ、コノアタリカラ、ヤッテキマショカ』
軽い感じで、回していた右手が崖縁を殴る。
ちょっとっ! 危なっ!……
身構えても飛び散る石も、土埃すら上がらない。ただ地面がへこんで、整地されたように平らな面が出来た。
『カーチャンノ、タメナラ、エーンヤコーラ』
ゴーレムはリズミカルに、両手で交互に地面を殴ってへこませていく。これは、階段を作っているみたいだ。
『ホーホゥ? これはまた、珍妙な魔法じゃのう。流石はノーム殿のゴーレムか』
目の前の光景が余程珍しいのかご満悦だ。ボクも次々に下に向かって伸びていく階段に、呆れるより感心していた。
お姉ちゃんもプリムラも、一緒に見とれているみたいだ。魔力をどう使えばこんな事が出来るのか、ちょっと思い付かない。駆け出しの魔法使いには、ただ感心するしかない光景だった。
次々に作られる階段を、後から慎重に下りていく。
クレイゴーレムは適当な距離で折り返して、つづら折りになるようにきれいに階段を作っていく。
ゴーレムという作られた存在のせいか、全くペースが落ちない。疲れるとか、あきたとかいう事は無いのだろうか。
時間にして15分くらいだと思う。予想もしていなかった方法と早さで、ボクたちは谷底に到着した。
『フゥー、エエシゴト、サセテモライマシタワッ! ホナ、アンジョウキバリヤ!』
かいた汗をぬぐう仕草をしながら、地面に沈むように消えていった。来た時同様に、あっという間に去るゴーレム。
やっぱり精霊だなぁと、それに、やけに芸が細かいと思った。
心配していた谷底への移動はあっさり適った。
◇
荒涼とした大地が広がる。生命の息吹を感じられない、荒れた地面が目立つ。
わずかに生える草は、固く乾燥した枯葉で身を守り、乾いた風にガサガサ揺れた。イネやカヤツリグサの仲間が、しがみつくように生えていた。
灌木が疎らに生えて、茶色く乾燥したような小さい葉を付けていた。細く絡んだ枝は、どれも先が棘になっている。
こんな所に伝説の樹があるのだろうか?
『ホッホゥ、まぁここにあると言われても、信じられんじゃろうなぁ。じゃがの、以前ここは水と緑に溢れた、美しい谷だったんじゃよ』
こちらじゃよ、とユールは大きな翼を広げて、ゆっくり飛び立つ。
谷底から見上げる空が海の色のようで、上下の感覚がおかしくなりそうだ。下から上へ白い雲が流れていく。ここはそよ風しか吹かないけど、上空は勢いよく風が流れている。この様子なら、しばらく青空が続くと思う。
ユールの後を付いて乾いた大地を歩く。ちょうど裂け目の真ん中辺り、大渓谷を人の眼に例えれば、瞳の中心の位置に小高い丘があった。
その天辺に一本の樹が生えていた。
大きく枝を広げた雄大な姿は、林檎とは思えない程の太い幹に支えられている。天に向かって伸びるたくさんの枝葉は、どれも瑞々しくてこの場にそぐわない。周りの風景から浮いた存在だった。
ただ、どの枝もどこか頼りなげで、緑の葉も内に巻いて元気が無かった。
『ホーゥ、ホゥ、わしじゃよ、老いぼれが久しぶりに会いに来たぞい』
枝にとまって何者かに呼びかける。しばらく待っていると、幹の中からほっそりした美しい女性が現れた。
蜂蜜色の腰まである髪に白銀の瞳。薄いクリーム色の肌は、艶やかで輝いていた。紅の衣をまとう姿は、とても人には思えない。彼女がこの樹の精霊だと思った。
『あら、誰かと思えば、賢者さまじゃない。少しも変わらないわね』
『ホッホッホゥ、変わらんといえば変わらんし、変わったといえば変わったぞい』
気安い感じで言葉を交わす二人。古くからの知り合いなのだろう。しばらくの間、懐かしそうに会話する二人を見ていた。
『そちらの可愛らしいお嬢ちゃんは、どなた? それと、あなたはドライアードね。ご同輩に会うのは久しぶり』
フワリ、と風に乗った林檎の香りが懐かしく思えた。この世界ではまだ季節でないのか林檎を見ていない。
「初めまして。アルフェルといいます。なんとお呼びすればよろしいですか?」
『ほんとは名前は無いんだけど……いつの間にか、イドゥンと呼ばれてるみたいね』
あれ? その名前って、黄金の林檎を持っていると言う……
「女神さま?」
『女神って、そんな大層なものじゃないわ。ただの長生きな精霊よ』
楽しそうに笑う姿は豪奢な見た目なのに、実に気さくな性格をしている。この世界の神さまの基準って、なんだろう。
「恐れながら伺います。イドゥンさま、林檎の樹が実を付けないのは、どうしてでしょうか」
彼女は少し困った顔になって、それから答えた。
『それが、よく分からないのよねぇ……前はここにも川が流れていて、辺りも緑が豊かな土地だったのよ。あの頃はこんなこと、なかったのよねぇ』
今は見る影もない、乾いた大地だ。かろうじてこの樹の周囲だけ、わずかに緑の草が生えていた。
『この樹自体はこうして生きているし、すごく減っちゃったけど、周りに生き物もいるのよ。水が涸れてからかなぁ……』
以前は時間は掛かっても、林檎が生らない事は無かったと語った。
この様子ではこの辺りの降雨量は少ないだろう。そこへ川が涸れてしまう事で、乾燥が進んでしまった。
そうか、乾燥か……
思い付く事があったので、林檎の樹から少し離れて、根を調べる為に地面を掘り始めた。固く締まっているので、思うように掘り進めない。
それでも掘っていると、アルフェルも一緒になって掘り始めた。
「素手だと怪我しちゃうよ?」
手渡されたのは、落ちていた枝を折った物だろう。堅さもちょうど良くて、だいぶ楽に掘れるようになった。
ユールも面白がって、鉤爪で土を掻いたり石をどけてくれたりした。
「何を探しているの?」
「根っこをね、調べたいの。もしかしたら、根っこがやられてる」
「根っこがやられる?」
そう、地上部に目が行きがちだけど、植物の状態は、70%は根で決まると言ってもいい。根が健康で元気に育っていれば、葉っぱを多少虫に食われても、強風で千切れてもどうって事ないのだ。
ようやく一本の、横に伸びた根に行き当たった。50cmは掘ったから子供には重労働だった。土に多少の湿り気はあるけど、やっぱり乾燥がひどい。根の周りの土をそっと落としていくと……予想通り、それはいた。
「やっぱり、ネジラミだ……」
「ネジラミ? 聞いた事がないけど、悪いものなの?」
えぇ、とっても。こいつは厄介な害虫なんですよ。ネコナカイガラムシとも言うネジラミは、乾燥状態を好むカイガラムシの一種で、普通は砂漠地帯や砂礫地に発生する。多肉植物がやられる事が多い害虫だ。
念のために『写真』を発動して、ネジラミで間違いない事を確認する。名前は聞いた事が無いものなので、日本にいない種類だろう。
アルフェルにはアブラムシに例えて、同じようなものだと説明した。これがたくさん発生して、根から養分を吸っていると。この説明で理解してくれたようだ。
根本的には嫌いな環境、水の豊富な大地に戻して上げるのが一番。でも一度発生すると薬物で駆除しない限り、環境だけ元に戻しても根絶やしは難しい。
殺虫剤を手に入れないといけない。
いったん王都に戻って準備してから再び来る事、原因が特定出来たので、不調は解消出来そうな事をイドゥンさまに伝えた。
『まぁ、それ本当なの? また林檎が生るなら嬉しいわ。よろしくお願いね』
女神さまのお願いなら、聞かねばなるまい。
その前に……
「ノームさまぁ~、いるんでしょー? いるなら出てきてー」
ものは試しくらいの気持ちだけど、意外と面倒見がいい精霊の気がしていた。
たぶん今もどこかで見ている。
『気付いておったのか?』
「んー? もしかしたらって、思っただけだよ?」
『むむぅ、釣られてしまったわけか』
やっぱりお茶目で可愛いお爺ちゃんだ。
「ノームさま、ここの川を元通り、水が流れるようにして欲しいの。だめかな?」
むぅ、っとノームは考え込んだ。何か理由があるようだ。
『アースの所のトールの大虚けが、西の地の地形を変えおったからのぉ。ここに引ける水脈があるかどうか』
「ダメ、ですか?」
必殺、幼女うるうる目攻撃! 精霊に効くか分からないけど。
プリムラにはケモミミ攻撃効きそうだし。
『……仕方がないのぉ。昔と水質は変わるぞ? 地下水脈の一部を持ち上げて、ここへ流すとしようか。ちょっと待っておれ』
ノームは丘を下りて、一段低くなっている以前の河床を歩き回って、何か調べていた。西にしばらく行った所で見付かったのか、手のひらを地面に付けて呪文を唱え始めた。
それはとても長い呪文で、5分は掛かっていただろうか。
ボコッと手のひらの下が盛り上がって、みるみる水があふれ出した。
いやー、出来るとは思っていたけど、実際に目にするとすごいな。
『昔のように、西から東に川を流す事は出来んな。じゃが、これで十分じゃろ?』
湧き出した水は、徐々に東に向かって流れ始めている。いずれこの辺りから東は、緑の多い草原に戻るかもしれない。
「お爺ちゃん、ありがとう!」
振りでもなんでもなく、心の底から嬉しかったので、勢いでノームのヒゲだらけの頬に、チュッとキスをした。このくらいしかお礼出来ないしね。
『む、ま、まぁ、今回だけじゃぞ。もう借りは返したのだし、これは特別じゃ』
かなり照れながら、そっぽを向いて地面の中に消えていったノーム。うん、実にいい仕事してくれた。
「ジジイめ、ロリコンだったのか……」
プリムラさん口悪すぎです。今回は感謝して上げて?
「あの、リィ? 悪い道に染まらないでね……」
アルフェルに本気で心配された。




