十八話 カミングアウト
「ごめんなさい。じつは、途中から目が覚めていたの」
最初に謝ってから、ナウラミアは妹の事を話してくれた。
ネーミアは、二歳を過ぎた頃から、髪の色に変化があったそうだ。
人目を気にする父親が、王都から追い出すように祖母に預けてしまった。
「バラエル家は、排斥派の中心氏族ですものね……」
初めて聞く言葉だった。エルフさんの中には排斥派と呼ばれる、フレイの森はリョース・アールヴだけの森だと主張する氏族と、共存派と言う、他種族と共に繁栄すべしという二つの派閥が存在した。
どちらにも属さない氏族もいるけど、十二氏族は必ずどちらかに属する。アルフェルのネナニエル家は共存派で、エフィルさんのヒルメネル家は中立だ。
エルフさんにあるまじき髪の色、そんな娘を王都には手元には、置いておけなかったのだろう。でもボクの考えが正しければ、結果として良かったかもしれない。
「……他人の家のことだけど、ひどい話よね」
その通りだと思うけどね。ナウラミアとエフィルさんには、聞こえないからいいか。
「ネーミアは、春から調子が良くなかったの。それが、更にひどくなって……」
祖母のお見舞いという名目で、妹を見舞いに行ったそうだ。世間体とか外聞というやつが大事な、貴族故の苦労だろう。日本も昔は公家や武家があったし。
久しぶりに会った妹は、別人かと思う程弱々しくて、見ていられなかったと言う。それでも姉に会えた喜びで、笑顔を見せてくれたそうだ。
彼女は毎日話をして、本を読んで、一緒に過ごした。手足をマッサージしたり、覚え立ての治療魔法も、無駄と思いながら何度も試したそうだ。
少しずつでも一緒に食べて、一緒に休んで、一日をそうして過ごした。
彼女の告白は、まるで懺悔のようだ。
一つ一つ、自分の罪を教えるように、妹と過ごせなかった日々を、いまさら過ごした日々を語る。帰る予定はとうに過ぎて、それでも離れられなかった。
気のせいだと思いたいのに、気付くと濃くなっていく髪の色。
それに呼応して弱っていくネーミア。ついに彼女は口が利けなくなった。
「お母さまから、そうなったら長くないって」
嗚咽が聞こえた。アルフェルも、エフィルさんも泣いていた。
ユールは目を閉じて何か考えている。プリムラは苛ついた表情だった。
「わたしの声は、聞こえないんだろうけどさぁ、なんで黙ってたのよっ! どうしてアルやリィに相談しないのよっ!」
声が届いたアルフェルは、嗚咽がいっそう高くなった。ネーミアの事を知らなかった、教えてもらえなかった事を悲しく思ったのだろう。
神殿に戻ったナウラミアは、エフィルさんに頼んであちこちで『森の呪い』を治す方法を調べた。結果は芳しくなくて、最後に行き着いたのが黄金の林檎だった。
もちろん彼女は探した。誰もがお伽噺と信じなくても、彼女には信じるしか道が無かったから。
寝る間も惜しんで、知りうる限りの知己に手紙を出し、王都や他の街に、神殿に出掛けて知っている人を探した。
「でもダメね。いまさら焦っても、見付かるはず無い……」
存在自体が伝説の果実。それを探すだけでも、とてつもない困難だろう。まして期限が迫っているなら、精神をすり減らして倒れてしまうのも無理はない。
彼女は泣いていなかった。真っ直ぐにボクを見詰めて、何から言おうか逡巡しているようだった。
「いまさら虫のいい話って思うだろうけど、お願いだから、何か分かるなら妹を助けて! あなたの事を羨ましいって、妬ましいって思ったのは確かよ。ひどい態度を取ったのも事実だわ。でも謝るからっ! いくらでも謝るから、妹を助けてやってよ……」
そこにいるのは、妹思いの優しい姉。勝ち気で、不器用で真っ直ぐな、一人で精いっぱい努力するしか知らない、ネーミアのお姉さんだ。
その思いに応えたい、ボクはそう願う。
でも、たぶんダメだ。
記憶違いで無いなら、プリムラの『浄化』が今まで通りの、フェア(精)やもしかしたらアノア(霊体)に干渉する魔法でしか無いなら、ネーミアは癒やせない。
それを彼女に伝えるのは、正直気が重かった。
「ナリーお姉ちゃん、ごめんなさい。たぶん、なおせないと思う」
必死に耐えていた表情が、一気に苦痛に歪む。
「なっ、なんでよぉ!? なんで、試してもみないのにぃ!!」
泣き声と叫びが混じって、喉から絞り出された声が、ボクに叩き付けられる。
仕方ないけど、覚悟したつもりだけど、けっこう胸に来るな……
「待ってナウラミア、違うのよ。リィの魔法では、きっと効果が無いの。理由を話してくれるわね?」
さすがは『浄化』の事を詳しく知るエフィルさんだ。自分の話した症状から、ボクが何かを確信していると気付いたのだろう。
「ごめんねお姉ちゃん、ちゃんと話すから聞いてね」
さて、どんな突っ込みが来るか分からないけど、理解して貰うには話すしかないか。
「ネーミアちゃんは、毒を食べて病気になったの。それも、生まれる前から」
症例は少ないみたいだけど、劇症型があるというなら、慢性性やネーミアのような胎児性も恐らくあるだろう。メチル水銀は胎盤を経由して胎児の神経をも蝕む。
「ど、どういうことなの?」
お母さんが食べた毒が、お腹の赤ちゃんに移った、と説明すると、エフィルさんが母体が胎児に与える影響を、分かりやすく解説してくれた。ナイスフォローだ。
生物濃縮も説明が必要だろうと、食物連鎖から順に説明した。重金属については理解出来るか分からないので、その辺は軽く流した。
「それで魚を食べると、なのね。じゃぁ、今でも危ないってこと!?」
「うん。なるべく早く調べて。どの川の魚か、どの種類が危ないか、調べないとダメ」
「お母さまも、ネーミアも、アメマスが好きでよく食べるわ……」
アメマス? それ、日本と同じ魚なら、降海型のイワナじゃないか。もろ魚食魚だし、悪食ナンバーワンだ。うわー、これ濃縮度合い高いわー。
「そのお魚、あやしいね。食べない方がいいと思う。特に赤ちゃんがいるお母さん」
水質のチェックも、『写真』でやればたぶん分かるけど、今はそれどころじゃない。
「どんな毒か分かれば、解毒剤は作れないかな?」
さすがアルフェル、良いところに気が付いたけど、残念ながら今回は駄目だ。一度傷付いた神経や脳細胞は、解毒剤では回復しない。
「お姉ちゃん、残念だけど、毒が消えてもダメなの。傷付いてしまった神経や脳は、自然には元に戻らないんだよ」
脳細胞や一部の神経以外なら、自己回復もある程度望めるんだけど……
「それなら、治癒魔法で治せるよね!?」
それも難しいだろうと思う。
魔法の効果はそれが事象にどう働くか、術者が理解していないと効果が無い。神経を修復しようにも、神経の働きを理解しているエルフさんはいるのだろうか。さらに脳細胞の働きを。
神経科の医師や脳外科医でもないと無理だろう。
生薬を利用するお陰で、骨格筋や内臓の働きは、きちんと理解しているようだ。でもその先、神経や免疫機能の話までは進んでいなくても無理はない。
自分の知っている範囲で、自律神経の事、脳細胞の事、赤血球や白血球、免疫機能の話を聞かせた。高校の生物学程度の知識だけど、かなりインパクトがあったと思う。
「……リィ、あなたは、いったい何者なの?」
『潮時ですかね、リーグラス』
そうだね、プリムラ。
エフィルさんには正体はともかく、ボクが見掛け通りで無い事は見抜かれている。アルフェルにもナウラミアにも、いずれ話そうと思っていた。セレヴィアンさんには悪いけど、カミングアウトしちゃうか。
ボクは覚悟を決める為に、大きく深呼吸して、両手で頬を叩いた。パチン! と音が響いて、みんなの身体がビクッとした。
「わたしは、『転生者』です。今まで黙っていて、ごめんなさい」
◇
沈黙に支配された部屋の中で、ユールだけが面白そうに目をくるくる回していた。
『ホーッホッホッホ、“転生者”とは、また久しぶりに聞く言葉じゃのぅ。こりゃ驚いたわい』
驚いたのはこっちですよ。さすがご長寿ランカー、まさか知っているとは。
エフィルさんはどうかなと見ると、驚いてはいたけど、それ程でもなかった。やっぱり薄々気付いていたみたい。
「『転生者』?……それはなんなの?」「転生者……」
「わたしから説明するわ、いいわね、リィ?」
「おねがいー」
リクエストされてるしね。
エフィルさんは詳し過ぎない範囲で、転生者の事を話してくれた。たぶんボクがするより分かりやすかったと思う。
「そう……だったんだ、なんかなっとく」「……」
アルフェルには、コンプレックス感じさせたり、ずいぶん酷い事をした気もする。謝って許してくれるかな。
「あ、もしかして、黒板とチョークって、前の世界の物でしょ?」
「え!? そうだったの?」
お姉ちゃんするどーい、そしてエフィルさん素直すぎー。
「それじゃぁ、病気の事が分かったのも……」
「そうなの。前の世界でも、とても似た症状の病気があったの」
「それは、どうやって治すの? 同じ薬は作れない?」
ボクは視線を下げて、ゆっくり首を左右に振った。
「ダメだったの。原因が分かるまでにたくさんの人が亡くなって、分かってからも長い間苦しんでいるの。対処療法っていう、症状を和らげる治療しか出来ないの」
「そんなっ……」
事実上の死刑宣告に聞こえたと思う。
ナウラミアが絶句するのは、無理からぬ事でそれはボクのせいだ。
でも、ボクは諦めたわけじゃない。この世界には、魔法というチート技能がある。
特に紋章魔法や神聖魔法は、ある程度自然の摂理を無視出来る、トンデモ性能だ。エフィルさんに知りうる限りの医療知識を伝えて、身体の仕組みと働きを伝えて、その上で行使してもらえば治る可能性はある。
それはきっと悪い賭じゃない、そう思った。
『ホーゥ、ホゥ、さて、どうも不思議な巡り合わせじゃのぅ。リーグラスよ、お主ならなんとか出来るかもしれんぞい』
意外な方向から援護射撃? なぜここでユールさんからお言葉を頂きますか。
『ようは、身体の傷を治せばいいんじゃな? 心の傷でも治せるんじゃが』
え? それはいったい……
『黄金の林檎は、確かにあるぞい。いや、あったと言うべきかの』
「……えっ」「ふぁっ?」「まじか」
えーと、ちょっと待って、なんだかすごい事を聞いた気がするんだ。レジェンド級の何かを聞いた気が。
ユールの声が聞こえない二人は、明らかに妙な顔になった。ま、こればかりはどうしようもない。気を利かせたアルフェルが、ユールの言葉を二人に伝える。
「えっ?」「うそっ!?」
こちらの二人の方が、反応がまともって、どういう事だ。
『ホーゥ、あるにはあるんじゃが、いや、あったんじゃが、今は生ってないんじゃよ』
ちょぉっと待てぇー! なんだその肩すかしは!?
『焦るでない。黄金の林檎の木はあるんじゃよ。じゃがの、わしの知る限りもう百年以上、林檎が生っておらんのじゃ』
つまり、どういう事だってばよ?
『何か問題があるんじゃろうなぁ。残念ながら、わしには分からん。じゃが、違う世界の知識を持つお前さんなら、何か分かるかもしれんぞ?』
もうそれに賭けるしかない気がしてきた。エフィルさんの魔法も最後の砦に、先ずは黄金の林檎をゲットするか。
っと、ほんとに黄金の林檎があれば治るの?
『ホゥ? わしを疑うとは、良い心根じゃのぉ。あれはすごいものじゃぞ。なにしろ、セレグ(生命)とフェア(精)の塊じゃからな』
なんだそれ? なぜにそんなチートアイテムが?
『この世界をお造りになった、神さまの置き土産なんじゃ。意図してかうっかりか分からんがのぉ。もともと神さまの世界にあった林檎だそうじゃ』
うっかりに5000点。その事実を知ってるユールもすごい。アンブロシアどころの騒ぎじゃなかった。課金アイテム並だ。
この辺りはぼかして説明しつつ、アルフェルが最後に重要な事を尋ねた。
「それで、その林檎の木はどこに有るの?」
グローラナ大渓谷の底じゃよ、なんでも無い事のようにユールは答えた。
……あれ? ボクとユールって、心で会話してたよね?
「わたしが中継してたのよ。もちろん、アルにもキッチリ聞こえてたからね?」
何をしてくれやがりますか。
「あっと、えと、リィって面白い子なんだね。こんどお話聞かせてね?」
ちょっと困ったはにかむ笑顔で、アルお姉ちゃんがうなずいていた。
それからの二日間は、本気で死ぬかと思う程忙しかった。
ボクとプリムラが記憶を総動員して、覚えている限りの医療に関する知識と、肉体の構造、それぞれの働きや仕組み、ホルモンや神経伝達物質の事を、羊皮紙に書き出してエフィルさんに説明した。
出来るだけ間違いが無いように気を付けたけど、後は専門家がこちらの知識と照らし合わせて、間違いを訂正したり、補足説明を付けてくれるだろう。上手くすると医療技術が一気に進歩するかもしれない。
ただし人間と妖精では、肉体の構造や働きが違うかもしれない。セレグもフェアもアノア(霊体)も、こちらと捉え方が違うし。魔法があるせいか、そちら方面はこの世界が進んでいる。
そして二日後、タリル・リングで王都へ向かう。エフィルさんとナウラミアは、ここで別行動を取る事になっていた。
先ずはナウラミアの両親へ説明と、ボクたちへの協力依頼、その後に二人は妹のいる祖母の元へ向かう予定だ。
エフィルさんに行って貰うのは、治癒魔法や神聖魔法で少しでも治癒効果を期待するため。それにボクたちが黄金の林檎を持ち帰るまで、ネーミアの容態を安定させて欲しいからだ。少なくともこれ以上悪くならなければ、後は黄金の林檎に期待するだけだ。
ボクとアルフェルは馬車が調達でき次第、大渓谷に向かうつもりだった。
『黄金の林檎か。本当にあるといいわね』
あっても生ってないと駄目だけどね。ただ、ユールがそこへ連れて行くって事は、なにかアテがあるんじゃ無いかな。
『そうだと、いいわね……』
どうしてかプリムラは、寂しそうにつぶやいた。




