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フレイの森のお医者さん  作者: 夢育美
一章 黄金の林檎
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十七話 森の呪い

 アルフェルの誕生パーティーから二日後、長いお見舞いからナウラミアが戻った。

 帰ってきたナウラミアは、少しやつれたように感じた。勝ち気な言動も、跳ねるように動く様子も以前と変わらなく見える。

 でも、立ち止まって何か考え込んだり、声を掛けても気付かない事が多くなった。

 心配したアルフェルや、同年代の子が声を掛けても、なんでもないとしか言わない。体調が悪いのだろうかと、注意して様子を見るようにした。


 二人ともエフィルさんの付き人を続けている。王都のように、人の多い街へ出掛ける時はナウラミア、小集落や森林へ出掛ける時はアルフェルと、行く先で分かれていた。エフィルさんがそうしたらしい。

 アルフェルに聞いた話によると、ナウラミアは何かを探しているらしい。それはとても珍しい物のようだ。今までは交代でエフィルさんの外出にお供していたのにと、ちょっと残念そうだった。


 前からボクの外出には、アルフェルが付き添ってくれる事が多い。仲の良い近所のお姉さんみたいで、彼女には好意を持っている。ナウラミアは年が近いせいか、素直に好きと言えない。

 彼女と一緒に採取に出かけたり、孤児院の手伝いをする機会は多くなかった。そのせいで余計に苦手意識があるのかもしれない。


 すっかりアルフェルと、二人でいる事が普通になったそんなある日。

 ナウラミアが倒れた。

 その日も朝から出掛ける準備をして、朝食を取って戻る廊下で、バランスを崩した彼女は倒れたまま動けなかった。

 治療院に運ばれた彼女は、隈の出来た目を閉じて眠っていた。極度の寝不足と過労で、貧血状態だったらしい。栄養失調までいかなくても、食欲もだいぶ落ちていたようだ。


「ナリー、どうしちゃったのかしら」

 ベッドで付き添うアルフェルは、心配そうに彼女の手を握っている。以前はきれいで肉付きの良かった指が、見る影も無く痩せて節くれ立っている。こんなになるまで、一人で何を探していたのか。


「ほんとに、少しくらい相談すればいいのよ。わたしやユールなら、探せる範囲も広がるでしょうに」

 ナウラミアが探していた物に、心当たりでもあるのだろうか。

「ま、まぁ、あれよ、ちょっと気になったから、こっそりとね……」

 考えを覗いたんだな。マナー違反だけど、この際そこは咎めない。この状況ならむしろ、グッジョブと言っておこう。


「ねぇプリムラ、ナリーは何を探していたの?」

 ボクよりずっと付き合いの長い、実の妹みたいな存在の彼女だ。勝ち気で、明るくてくよくよしない姿に、いつも元気を貰っていたと言った。何かに悩んでいる事しか分からず、彼女は倒れてしまった。


「わたしも、はっきりは分からないのよ。声が聞こえるわけじゃないし、全部は分からない。たぶん探していたのは、金色の林檎、みたいね」

「金色の林檎?」

 すぐには思い当たる物が無かった。西洋の神話では不老不死の象徴として登場する、ネクターのような物らしいけど。あれ? でもどこかで聞いた気もする。


「それはおそらく、女神イドゥンが持つと言われる、『黄金の林檎』のことだわ」

 知っているのか、アルフェルッ!


 それからアルフェルは、知っている事を話してくれた。ただしそれを聞いて、この場の全員が微妙な感じになった。曰くお伽噺で、見た者はいないらしい。

 ボクが見た孤児院の絵本も、母親の病気を治す為に黄金の林檎を探す話だった。これ以外にも幾つかのパターンがあるらしい。種族毎や地域で少しずつ違っているけど、まとめるとこんな感じになる。


 この世界のどこかに、黄金の林檎の樹と呼ばれる一本の樹がある。数十年に一度花が咲いて、黄金に輝く林檎が生るという。その実はどんな傷も病も癒やす、万病に効く薬で、食べた者を若返らせる力まであったという。

 あれか、某最終幻想的に言えば、アンブロシアとか言うアイテムか。万能薬とは聞こえはいいけど、実はこれだけは治せません、使うにはこんな条件があります、なんてアイテムか。


 もし本当に万能薬なら、治療法が分からない、どんな病気も治してしまう。世界にとってはバランスブレイカーだけど。ふと、そこに到って一つの可能性に気付いた。


「もしかして、『森の呪い』? まさか、ナリーお姉ちゃんが……」

「リィ、それは違うわ、大丈夫だから。そうね、ユールにも聞いてみましょう」

 慣れた様子でユールを召喚すると、いつも通りに頭の上に……乗らずに、珍しくというか、初めてまともな所にとまった。

 ナウラミアの顔色を覗き込むように、ベッドのヘッドボードにフワリと降り立つ。


『ホッホッホ、なんじゃ鳩が豆鉄砲食らったような顔をしおって』

 ユールの言葉に、アルフェルだけが不思議そうな顔になる。

『ホゥ? もうこの言い方はせんのじゃったか』

 意味深な瞳をボクとプリムラに向けてウィンクした。うっ、以外と可愛い。


「ユール、あんたって『森の賢者』なんでしょ、森のことには詳しいのよね?」

 知ってはいるが、お前の態度が気に入らない。

 いつか絶対言われそうだな、プリムラは。もうちょっとお爺ちゃんを敬おうね。

『ホーッホッホゥ、そんなに褒めんでも良いぞ? 何を聞きたいんじゃ』

 ……懐が広いのか、素でボケてるのか分からないから困る。


「もっと早く聞けば良かったのよね。あんただけすっかり忘れてたわ。『森の呪い』について、知ってること全部教えて」

『ホーゥ? 『森の呪い』とな。確かに、そう呼ばれとるものは、あるようじゃな』

 呼ばれているもの? ユールにとっては、いや、精霊にとっては呪いの類いじゃ無いのか? アルフェルも言葉の意味に気付いたみたいだ。


「ねぇユール、精霊の間では、『森の呪い』ってどういうものなの?」


 エルフさんにとっては、子供の内は死に至る病。妖精族でも他種族は罹らない。

 フレイの森の西に広い領土を持つ、リャナンシーは外見的に差がない種族なのに、彼らはこの病に罹らない。

 大多数の森に住むものにとって、対岸の火事に過ぎない。知識として知ってはいるけど、ああそうなのか、可哀想だね、で終わってしまう話。


『ホゥ、どういうものと問われると、ちと答えるのが厄介じゃのぉ。わしらは“現象”として知っているだけじゃ。呪いなどというものでは無い』


 この世界に呪い(のろい)はある。魔法の一種であり、一つの技能と考えられる。妖精族の中には、ケラッハ・ヴェールのように呪いを得意とする種族もいる。

 モーザ・ドゥーグが獣化の際に発揮する能力も、一種の呪いと言えるだろう。

 ユールの答えから『森の呪い』が、文字通りの呪いで無い事は分かった。ボクにとってこれは大きな収穫だ。


「ユールさま、呪いじゃないなら、何がげんいんなの?」

『ホーッホゥ、リーグラスはやはり、探求者じゃのぉ。現象には原因がつきものというわけじゃな? お主なら、何か分かるかもしれんのぉ……』

 どういう事だろう? ユールみたいに長く存在する精霊でも、原因が分からないという意味なのか。


「まどろっこしいわね、はっきり答えなさいよっ! 分かるの? 分からないの?」

 どうどう、抑えてプリムラ。意地悪でこういう言い方してるんじゃないと思うよ。


 ユールはやつれた顔のナウラミアを見ていた。6歳と言えば、日本なら小学校入学前の子供がほとんどだ。そんな子供が見習いとはいえ神官職をこなして、あるかどうかも分からない伝説級アイテムを探す。

 ゲームで言えば縛りプレイに近い。無理ゲーとまで行かなくても、クリアすれば自慢出来るレベルだ。


 カタッと、病室の戸が開く音がした。そこに現れたのはエフィルさんだ。

「ナウラミアの様子はどう? ずっと無理していたから……あなたたちには、話しておいた方がいいわね」



「夏祭りの前から、お婆さんのお見舞いに行ったでしょう?」


 ボクたちが夏の神殿に出かける前に、彼女は家の人たちと出掛けていった。

 確か秋の神殿の近くに住む、お祖母さんの所へ行ったはずだ。しばらくナウラミアは帰ってこなかった。戻ったのは最近で、今日まで無理を続けていた。

「お婆さんの家に行ったのは本当よ。でもね、彼女が見舞っていたのは、妹なの」


「えっ、ナリーにいもうと?……」

 驚きのあまりつぶやくアルフェル。彼女とは二年以上一緒に生活していた。その間一度も、妹の事を口にした事は無い。思い出してみると、家族の話をしない事に気付いた。


「ナウラミアには、ネーミアという妹がいるの。生まれつき身体が弱くて、今も寝たきりなのよ」

 おいおい……いきなりヘヴィー過ぎる話題だな。

「ネーミアはいくつ?」

「今年で3歳のはずよ。リィより小さい子ね。だから、よけいに辛かったのかも……」


 確かに、三歳児が寝たきりなんて、家族にとって負担でしかないだろうな。それ以上に暗くなる話題でしかない。

『そういう意味じゃないみたいよ』

 エフィルさんから何かを読み取ったのか、プリムラが言外に理由があると告げる。


「会えば分かるから言ってしまうけど、ネーミアの髪と瞳の色は、薄い緑色なの。リィの色をもっと薄くして、青を少し混ぜたくらい。本人にはよく似合って可愛い子よ」


 それって……つまりはイレギュラーだ。リョース・アールヴにとって、ブロンドの髪色以外は普通じゃない。ブロンドにも幅があるし、中にはホワイトやアッシュと言った、白系、黒系の色もある。でも、青やまして緑なんて髪色は生まれない。

『ホゥ、忌み子というやつじゃのう……』

 確か鬼っ子とも言うはずだ。本来あり得ない特徴を持って生まれて、その集団に不幸をもたらす存在。


 ナウラミアが時々ボクに向ける、視線の意味。

 それが今ようやく分かった。てっきり種族に対する差別、偏見だと思っていた。

 それが無いとは言えないけど、彼女の複雑な気持ちは、そんなものを凌駕していたのか。自分の妹と、不幸な生い立ちの妹と、同じ特徴を持って祝福される存在。


 元気に駆け回り、時には人から感謝され、毎日楽しそうな存在。

 彼女から見て、ボクはどれほど疎ましく、妬ましい子供に見えただろう。

 例えそれが一方的で、理不尽な思いだとしても、大切な家族を思って苦しむ彼女を責められようか。


「あーもうっ! イライラする! この世界の神さまは、なにやってんのよっ!!」

 神官並べた前でその発言は大胆だけど、プリムラの言いたい事は、たぶん全員が思っているだろう。


「わたしも何度か、治療に行った事があるのよ。治癒魔法に神聖魔法も試してみたわ。どれも、ネーミアには効果が無かったの」

 エフィルさんほどの人で駄目なんて、完全に詰み状態じゃないか。聞くまでもなくセレヴィアンさんも行ってるだろうし、『森の呪い』って、呪いにしか思えないな。


「エフィルさま、ネーミアには会えませんか?」

 アルフェルは目に力を込めて、決意を秘めた表情でエフィルさんを見た。そして、同じ表情でボクを見る。たぶん『浄化』なら、プリムラの『浄化』であれば可能性があると考えたのだろう。


「そうね、わたしもリィとプリムラの魔法なら、もしかしたらと考えたわ。だけどね、ご両親が他人に会わせたがらないのよ」

 そこでボクは初めて、ナウラミアが良家の子女どころか、十二氏族と呼ばれるリョース・アールヴの中でも貴族中の貴族、バラエル家の出身だと知った。この世界にも苗字があったんだな。

 アルフェルの家は貴族ではあるけど、高い地位ではないそうだ。なんとなく親しみやすい、庶民派の感じがしたのはその辺が理由かな。


「エフィル、はネーミアに会ったの。それで、どんなご病気?」

 名前しか知らない『森の呪い』は、本を調べても人から聞いた中にも、症状についての言及が無かった。もしや人に話す事がタブーになる程、ひどい症状なのか。呪いと称されるくらいだし、それもあるかもしれない。

 話してくれるとは限らない。アルフェルの事も考えたら、伝えるのを躊躇うかもしれない。それでもボクは、エフィルさんが教えてくれると思った。

 だから、一言一句聞き逃さないよう、覚悟した。


「これから話すことは、絶対に他言しないと約束して。アルフェル、リーグラス、どう?」

 いまさら迷う事も無い。ボクもアルフェルもしっかりうなずく。

「『森の呪い』については、実際に知る人は少ないわ。はっきりした症状は、幼い子にしか出ないし。世間で言われるように、7歳未満の子供だけというのは、正しくないわ」

 なんですと。


「ごく稀にだけど、15歳くらいまでの例はあるの。ただ、年齢が高くなるほど、気付いてから亡くなるまで急すぎて、『森の呪い』なのか疑問視する声もあるわ。リョース・アールヴに特有の病気、と言うのも正しくないの。正確には、王都に住むもの特有の病気よ」


 それから症状の説明があった。

 最初は頭痛や疲労感、味覚と臭覚の変化、耳鳴りなどが起こる。その後は手足や口がしびれて、その症状が徐々に強くなって、言葉が話せなくなり、歩く事も出来なくなる。もっとひどくなると手足が震えて、視界が狭くなり、耳も聞こえ難くなる。


「白い髪で生まれた子は要注意なの。一歳を過ぎる頃から髪の色が、だんだん緑に変化したら、『森の呪い』の兆候なのよ。運良く症状が重くならずに、元気になる子もいるけど、たいていは4歳まで生きられない」


 ゴクリ、息を呑む音が響く。エフィルさんの最後の言葉が、残響のように耳に絡んだ。誰もしゃべる事が出来ないでいた。

「どんな薬も、魔法も効きはしない。ただ回復を願って過ごすしか無いのよ。だんだん衰弱して、死に向かう子供を見ているしかない。これが呪いで無いなら、いったいなんだというの……」


 悲痛さだけが部屋に満ちていた。覚悟して聞いたはずなのに、後悔の念が胸を埋める。呪いで無いなら、それは……

 ボクの中で、何かが引っ掛かる。エフィルさんから聞いた症状は。

 それは、昔どこかで見た、何かの記憶に酷似している。

 思い出せ、思い出すんだ……


『うーん、わたしもリィの記憶の一部しか共有出来てないんだけど、それ、公害ってやつじゃない?』


 あっ……それだ……

 何を見たのか、思い出した。


 小学校の体育館で、講演に来た人が映写していた、ある街で起こった公害。教科書に載る程の「原点」と言われる、公害のドキュメンタリー映画だ。淡々としたナレーターの声が、子供心にひどく恐ろしかった。

 本当にこんな目に遭う人がいるのかと、公害とはなんて恐ろしいのかと思った。

 原因はメチル水銀だったはず。神経や脳細胞に障害を残す、有機水銀による症状だ。原因がそれなら完治は難しいけど、進行を食い止める事は出来るかもしれない。


「王都の人は、川魚をよく食べるの?」


 静まり返った部屋に、場違いな内容のボクの声が響いた。この世界に公害があって、水銀やカドミウムのような重金属汚染が問題なら、気付く人もいるかもしれない。

 もしかしてドワーフなら、辰砂として水銀を扱うかもしれないけど。エルフさんとは仲が悪いみたいだし。


「えーと、リィ? ネーミアのことと、魚を食べることが関係するの?」

 エフィルさんの疑問はもっともだ。生物濃縮なんて、それこそ知らなくて当然だろう。でも有機水銀が脅威となるには、生物濃縮されて摂取される必要がある。


「うん、とても大事なことなの。お魚食べない人は、きっとかからない」

 プリムラ以外のその場にいた全員が、戸惑いの表情を浮かべていた。ユールだけは特に変化が無くて、丸い目でボクをじっと見る。


「お母さまも、ネーミアも魚が好物よ」

 全員では無かった。いつ目覚めたのか、ナウラミアがきつい目でボクを見ていた。ゆっくりと身体を起こして、ヘッドボードに寄りかかるように座り直す。


「リィ、あなたは何か知っているのね? お願い、どんなことでもいいから教えて!」


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