十六話 チョークと黒板
夏のお祭りも終わり、帰りもタリル・リングに相乗りで帰ってきた。
治療院のエルフさんからスクテラのお礼にと、たくさんのフルーツや海魚の塩漬けをお土産にもらった。これはマルリエンさんに直行だな。
ボクたちが戻ってもまだ、ナウラミアはお祖母さんの所から帰っていなかった。
約束を忘れているかと思ったけど、当然そんな事は無くて、毎晩エフィルさんのベッドで一緒に寝る状況に。なぜか以前に比べて、それ程どきどきしなくなっていた。
「そう、そんなことがあったのね。リィも自分のことが分かったし、出掛けて良かったわね。女の子のことは、セレヴィアンさまに相談してみましょう」
それは自分から頼むつもりだった。あの子が目覚めないわけ、ボクが四歳児の状態で目覚めた理由。神官長のセレヴィアンさんなら何か知っている気がする。
それからしばらく、ボクもアルフェルも春の神殿でのお務めを、これと言って特別な事もなく続けていた。採取のお手伝いや孤児院での雑務、畑作業もなるべくやって、土壌の性質を調べたり。
エフィルさんの付き人は、アルフェル一人だけの日が多い。他の神官さんが一緒の時も見掛けたけど、アルフェルが付き添う事が多くなった。
それには理由がある。もうすぐアルフェルの誕生日で、彼女は10歳になる。正規の神官になる試験が受けられる年齢だ。彼女は誰の目から見ても、既に立派に神官として務めている。問題なく見習いを卒業して、神官になるだろう。
その為に今後必要となる知識を、エフィルさんから教えられているらしい。
召喚師になったお祝いもあるし、誕生日に合わせてサプライズパーティーを開くつもりだ。会場や料理の準備は、マルリエンさんを中心に食堂の人がやってくれる。ボクはアルフェルにプレゼントするものを探していた。
彼女はけっこうな教え好きだ。一緒に孤児院を手伝うと、必ずと言っていいくらい先生になって、文字や算術を教えていた。
「こくばんと、『チョーク』を作りたいの」
そんな彼女へのプレゼントとして、黒板とチョークを作りたいと考えていた。学校シーンにおける、三大イベントアイテムとされるのが、黒板とチョーク、教科書だ。この存在無くして、学園ラブコメは成り立たない。
「黒板……『チョーク』?」
チョークはこの世界に無いらしい。エフィルさんに二つがどういうもので、どんな用途に使うのかを説明した。
日本では共に学校教育で欠かせないアイテム。それ以外でも黒板は情報の伝達、掲示板など便利に使えるし、チョークも目印を書くのに利用したり、応用範囲は広い。
「よく分かったわ。でも、こんなものを一体どこで知ったの?」
その答えをどうしようか考えて、夏の神殿で聞いた事にした。ドワーフの国から来ていた鍛冶職人に、最近ドワーフの間で使われている、という事にしてみた。実はリョース・アールヴとドワーフは、あまり交流が無い。
過去に戦争をしていた経緯がある為か、未だに両国は交易も積極的では無い。フレイの森をはさんで、北と南の正反対に位置するのも、理由の一つだろう。
「そう、そんな物があるのね。うーん、話を聞くと、珍しい品物みたいね……」
買ったら高そうねぇ、とため息をつく。無論そんな物はまだ無いはずだし、買いたくても買えないし、自分で作るから問題ない。
実物を見せてもらった事、『写真』の技能で素材を調べてある事、材料の入手もお願いした事を話した。エフィルさんには『写真』の「Info」で、無機物の素材が分かる事は話してある。さすがに驚かれたけど。
「用意周到なのねぇ……わかったわ、手伝えることがあったら言ってね」
「うん! ありがとう~」
エフィルさんには今後必要な物を、王都で買ってきて貰うかもしれないので、ある程度詳しく予定を話した。
まずは黒板の用意だ。最初は黒板の代わりになる物を探した。
治療院の薬剤師が生薬を刻んだり、硬い実を割るのに使う道具が黒い石板だった。薄く平らで適度にざらつきもある。これが使えれば良かったけど。
『こ、これ重すぎ……持ち上がらない』
当たり前だからやめなさいってば。石板では重すぎて子供には扱いにくい。
汎用性を持たせたいし、メインターゲットが子供だから、軽くて丈夫で量産出来る素材を考えないと。
『薄い板に、黒っぽい羊皮紙を貼ってみるのは?』
書籍の装丁に使われている方法だね。さすがプリムラ、いろいろとよく見てる。
羊皮紙なら丈夫だし、チョークの書き味も良さそうだ。水拭きで簡単に消せるのも良いと思うけど……
『でも、お高いんでしょう?』
えぇ。お高いんですよ、羊皮紙は。この世界の本が高価になる理由の一つが、素材が高価である事。写本の技術は『筆写』という技能がある事で、文字や絵をコピー機並にそっくりに描き写せる。
おそらく『複写』は延長線上にある技能と思う。写本にかかる人件費に加えて、素材自体の費用のせいで本は高い。いずれその辺りも改善しようと思うけど、まずは黒板の製作だな。
プリムラには悪いけど、実は既に目処は付いていた。夏の神殿を訪れた時に、ドワーフの国から来た職人から、カシュー漆の事を教えてもらったのだ。
『カシュー漆? うるし、って、触るとかぶれるやつだよね?』
日本の漆だとそうだけどね。カシュー漆はカシューナッツから採れる漆で、かぶれないものだ。ドワーフの武具職人は、柄の装飾や部材の貼り合わせに、カシュー漆を使っているらしい。
インクにも使われる虫こぶタンニンと、カシュー漆を混ぜて薄い板に塗布すれば、いい感じの黒板が出来るんじゃないかと考えている。
『その無駄な知識はどこから来たんだか……』
ムダ言うな。植物に関する事は、何でも興味があったんだよ。
虫こぶはまめに集めて乾燥させてある。カシュー漆もドワーフの職人に頼んだので、もうすぐ届くはずだ。代金でお小遣い全部飛んだけど。
次にもう一つのアイテム、チョークの製作だ。
主成分は炭酸カルシウム。貝殻や卵の殻、石灰岩を粉末状にして、糊と水を加えて練って固める。材料さえあれば、作る事は簡単なのだけど。
問題は材料の確保だろう。石灰岩が手に入れば、安定した品質のものを量産出来る。今回はプレゼント用の試作だし、量も10本程度あればしばらくもつだろうと考えて、卵の殻と貝殻を使う事にした。
卵の殻は食堂のエルフさんに、貝殻はカシュー漆を頼んだドワーフに、一緒に送ってくれるように頼んでいた。貝殻なんて何に使うのか不思議がられたけど、捨てる物だからただで送ってくれるのはラッキーだ。
鉱石に詳しい彼らなら、石灰岩の入手も出来たかもしれない。チョークの量産と土壌改良に欲しいので、今度頼んでみようと思う。
貝殻と言えば、この世界の海は見たことが無い。王都の先にある大渓谷の、さらに北にリング・ロスという、ケラッハ・ヴェールの住む国がある。リング・ロスには海があって、豊富な海産物が名物らしい。
フレイの森の南端の先、エアロストという港町が海に面している。夏の神殿から乗合馬車で行ける町だ。知らない間に海の近くまで行っていたようだ。
頼んだ材料が届くまでは、乾燥させた卵の殻を砕いて粉末にしたり、糊の材料になるノリウツギの枝から樹皮を剥いで乾燥させたり、黒板に使う板材を選んだりした。
カシュー漆を塗る刷毛が無かったので、水鳥の風切り羽を集めに行った。西の湖辺りで落ちている物を探したけど、あってもボロボロだったり、数が少なくて頼りない。
『アルフェルがいれば、鳥に頼んで分けてもらうとか……』
プレゼントの相手に手伝って貰っては、サプライズにならない。直接の材料じゃ無いし、羽根ペンにも使うからバレないとは思うけど。どこかに狩りの得意な人は、と、モーザ・ドゥーグを思い出した。
彼らなら狩りが得意で、水鳥の羽根も手に入ると思う。手紙を書いてお願いしようと、エフィルさんに相談した。
ボクのお願いがよほど嬉しかったのか、嬉々として代筆すると言い出して、神殿の公式文書に使う羊皮紙に、水鳥の羽根 100本よこしやがれと書いたらしい。いやそれ、ほとんど脅迫だからね?
それから数日、頼んだ材料が届いて、羽根を束ねた刷毛も出来て、黒板の板も準備出来た。いよいよ作成段階ですな。
◇
まずは黒板を作ろう。白木の板は勉強でノートに使っている物と、その倍の大きさの物を用意した。これは先生用と生徒用だ。生徒用は上手くいったら数を作ろうと思う。
『これが虫こぶ? なんか干涸らびるとキモイ』
キモイって、一緒に採ったじゃん。細かく砕いて、粉にして混ぜるんだよ。カシュー漆だけでは黒くなりすぎる。
真っ黒に白だと目が疲れるので、焦げ茶くらいの色を目指す為に、虫こぶタンニンを利用する。
届いたカシュー漆は、知っている物よりかなり茶色だった。おそらく精製度合いが低いので、不純物が混じっての色だろう。重ね塗りで色は濃く出来るから、薄い方が有り難かった。
虫こぶの粉を混ぜて、ゆっくりかき混ぜる。思ったよりいい色の、濃いめの栗色の液体が出来た。これを羽根製の刷毛で板に塗る。もっと粘るかと思ったけど、塗り心地も悪くない。
『塗り心地って、それ、何の意味があるのよ?』
気持ち良い作業は製品の出来に影響するの。品質が上がるんだよ?
『リィがときどき、良く分からなくなるわ』
三度塗りで期待していた色になった。マホガニーよりちょっと濃い色で、見た目は黒板だ。これなら白が良く映えるだろう。書き味は試してみるしか無いか。
『ふーん、これが黒板なのね。実物は初めて見るわ』
ボクの記憶、日本の黒板とはだいぶ違うけどね。色も緑系じゃないし。
これを日陰で乾燥させればOKだ。たくさん残ったカシュー漆は、埃が入らないように取っておかなくちゃ。においがあるから、自分の部屋は駄目だし……という事で、調剤室に置いてもらえた。
さて、ようやくチョーク作りだ。糊は用意してあるので、貝殻と卵の殻を混ぜて練るだけで完成。二枚貝の殻が欲しいと伝えたら、なんか牡蛎っぽいゴツゴツした殻が届いてしまった。アサリかハマグリくらいが良かったのに……
幼女パワーで砕くのはしんどいので、治療院のエルフさんに泣き付いて砕いてもらった。さすが普段から、鉱石だの果実を粉にしている人たちだ。サクサクと細かくしてくれた。
後は乳鉢で粉にしていく。これが思ったより大変で、粉にして、目の粗い布でふるって、また粉にして……何をしているのか見に来たエルフさんが、面白そうと手伝ってくれた。
たくさん作るなら、小麦みたいに水車を使って碾く方がいいわねぇ、とアドバイスも貰った。量産するならそれも必要かな。
集めた粉に少しずつ糊を入れて、まずはお団子を作る。糊が少なすぎてもボロボロだし、多すぎると柔らかいチョークになってしまう。蕎麦を打つときくらいの固さで、しっかりまとめて太い紐状に伸ばす。
最後に手のひらに糊を付けて、紐をゴロゴロ転がして完成。表面を糊で固めて強度と、持ち易さを出す為だ。このまま半日ほど乾燥させれば出来上がり。
「へぇ~、けっこう本格的にやってるのねー」
気付いたらエフィルさんが見ていた。団子作りの辺りから、こっそり見ていたようだ。手には二枚の板を持っていた。
あっ……干しっぱなしだった。
「これ、リィが言っていた、黒板って物でしょう。これにチョークで文字を書くのね」
「そうだよー、まだ出来てないけど」
乾燥したチョークは、ナイフで同じ長さに切り分ける。切ると言っても叩き折るが正しい。刃を当てて軽くコンコンと叩くと、そこから折れてくれる。
まだ乾いていないから、実際に切るのは明日かな。作るのに丸一日掛かってしまったけど、まぁまぁ良さそうな物が出来た。
「そろそろアルフェルが帰ってくるから、見付からないようにね~」
悪戯っ子のように楽しそうに言って、エフィルさんは自室へ戻っていった。公務の合間に抜け出してきたのか。
◇
「おたんじょうび、おめでとう~!」「おめでとう~」「おめでとう、アルフェル!」
口々にお祝いの言葉が飛び交う。あれから三日、今日はアルフェルの誕生日だ。
朝から少し離れた場所へ採取に行って、ボクと一緒に夕方に戻ってきた。準備は残りの神官さんが進めてくれた。ボクはお姫さまのエスコート役だったわけ。
「あ、ありがとうございまつっ!!……あっ」
驚いて嬉しすぎて噛んだ。恥ずかしそうな彼女が可愛くて、みんな笑顔で祝福した。召喚師になった事も祝福されて、とっても照れていた。後でユールを召喚して、皆にお披露目するらしい。
食堂のテーブルには、いつもより見た目が鮮やかな料理が並ぶ。お花の飾り付けにお菓子の篭もテーブル毎にある。孤児院の子供たちも、今日は一緒にお祝いだ。
孤児院の子供たちが、みんなで作ったと言う、大きな枕を持ってきた。中には香草が詰めてあって、心地よい眠りに誘われるらしい。
『永遠の眠りに……ちょ、ちょっと、さすがに言わないわよ』
割と本気でプリムラを睨み付ける。プライベートの会話だから許すけど、そうじゃなかったらお仕置きだな。
他には小物やハンカチ、ブローチをプレゼントするエルフさんもいた。エフィルさんは絵本をプレゼントしたみたいだ。アルフェルは大喜びしていた。
「みなさん、どうもありがとうございます。とっても嬉しいですっ!」
最後にエフィルさんに呼ばれて、ボクがプレゼントを渡す。
大小の黒板とチョークのセットだ。黒板は長辺の角二ヶ所に穴を開けて、紐を通して画板のようにしてみた。チョークはマルリエンさん手製の木箱に入っている。
「えっと、お姉ちゃん、10歳のおたんじょうび、おめでとう!」
注目されているのもあって、ちょっと照れくさい。黒板とチョークを渡すと、少し不思議そうな顔をされた。
「リィ、これはなあに?」
「こっちが黒板、これはチョークだよ」
箱を開けて中のチョークを取り出しながら言った。まだ不思議そうなアルフェルに、目の前で使い方を披露する。
「これはね、こうして使うの」
大きな黒板に、『アルフェル、誕生日おめでとう!』と、チョークで書いた。その下に『消すよ』と更に書く。少し間を置いて、濡れた台拭きで、『消すよ』を擦って消した。
「ね? かんたんでしょ~」
それを見た彼女の目が輝く。驚きと感動で、瞳が揺れていた。
「こ、これっ! すごいわ、なにこれ、リィ!」
どうした姉者、ときに落ち着け。みんなが、普段のアルフェルしか知らない人たちが、暴走気味のあなたに驚いてるよ。
両肩を捕まれて、ガシガシ揺さぶられながらアルフェルを抑えようとした。まぁ無駄だったんだけどね。最後はエフィルさんが落ち着かせてくれたけど。
「これは、みんなが手伝ってくれて、いっしょに作ったんだよ~。お姉ちゃんがよろこんでくれると思って」
にっこり笑ったら、抱きしめられた。
柔らかい感触と、少し甘い匂いに顔が埋まる。うん、実は着やせするタイプなんだね。お胸の成長も順調でけっこうけっこう。
殺気を探知する能力が研かれたボクに、プリムラごときの踵落としはどうでもない。軽くスウェーでかわしたら、返す蹴り脚で顎を抜かれた……ぐぬぬ、やるな。
「こっちの大きいのが先生用で、こっちが生徒のなの」
ボクたちを取り囲むように集まった全員に、黒板とチョークの解説を始めた。ガマの油売りになった気分で、名調子で話した。孤児院の院長さんも、マルリエンさんも、薬剤師の人もみんな感心して聞いていた。
どちらのレシピもまとめてあったので、後から教える事を伝えた。エフィルさんが王都の職人に連絡して、完成度を高めて量産する手筈を取ると言っていた。これはボクが作った物を見た時に、既に決めていたそうだ。
美味しい食事に、尽きない話題、ユールが召喚されたり、エフィルさんが魔法でイリュージョンしたりと楽しいパーティが続いた。ただ残念な事もあった。
「ナリー、間に合わなかったね」
「お姉ちゃんだいじょうぶかな、お婆さん重い病気なの?」
まだ帰らないナウラミアが心配だった。エフィルさんに尋ねると、予定より長く掛かりそう、とだけ教えてくれた。
パーティも終わり、エフィルさんと試験の予定を相談するアルフェルを残して、先に自室に戻った。
『黒板も、チョークも喜んでもらえたわね。良かったじゃない』
プレゼントとしては、高得点をもらえただろう。でも、この二つを作ったのは別の理由があった。
それは地図作りだ。
ボクの知る限りこの世界には、方向とおおよその距離を元に作られた、簡単な地図しか存在しない。測量技術が無いから当たり前だけど、出来れば正確に位置取りされた地図が欲しい。
ボクにはそれが可能なのだ。『写真』で撮影した画像の「Info」の二枚目、撮影時データにはx、yで表された座標情報がある。
方眼に撮影地をマッピングすれば、位置関係がかなり正確な地図が作れるはずなのだ。実際の距離と縮尺は、何カ所かで量れば分かる。
正確な地図は必ず役に立つはずだ。それは次のステップの為にも必要だと思った。




