十二話 初めての戦い
スクテラの黄色の花を手に入れる為、ボクたちはここに来ていた。目の前で通せんぼする石人形に、プリムラが『浄化』を使おうとした時だった。
一瞬で、目の前に石の塊が迫っていた。自分の頭と同じくらいの、当たれば痛いじゃ済まない大きさの石が、ものすごい勢いで向かって来た。
ドクンッ。
あの瞬間がフラッシュバックして、とっさに動けなかった。
登山の帰り道、急ぐ下りで地響きに振り返った時に、ボクの胸を直撃した物。それが再び、狙い定めてボクを殺しに来た。
「あぶないっ!」
右から柔らかな何かがボクを突き飛ばして、折り重なって地面に倒れ込む。ブォッと風の音が通り過ぎて、ドガッという嫌な音が後ろから聞こえた。
「リィ! 大丈夫ッ!?」
悲鳴のような、叫ぶようなアルフェルの声。彼女が突き飛ばしてくれなかったら、ボクはまた、青白い光の空間で目を覚ましただろうか。身体に被さる暖かさと、激しい鼓動を感じた。
プリムラは……プリムラは無事かな? 固まった身体を無理に捻って、宙にいるはずのプリムラを探す。プリムラは、そこにいてくれた。
「ちっ、ズームパンチか……腕の関節をはずして、波紋で痛みを和らげて……」
どこから突っ込んでいいか分からないボケも、ボクの頭は理解していない。冷え切った心が、自分の身に起きた状況と、起きたかもしれない絶望だけを感じていた。
身体が震える。
縮こまった手足が、恐怖で震えて抑えられない。
「あ、、あるふぇ、あるっ、たす、た……」
がたがたと震える口は、上手く言葉を紡がない。ボクを守るように覆い被さる、アルフェルにしがみつくしかなかった。
「痛いっ、いたいよリィ! どうしたの? 落ち着いて!?」
「いやだぁ、いやだよ、痛いのは、苦しいのは、いやだぁ!」
さらに強い力でアルフェルにすがる。彼女を離したら、たぶんボクは死ぬ。
もうあんなのは嫌だ。
胸が潰れた衝撃も、口から溢れる鉄さび味も、動く度に突き刺さる痛みも、濡れて張り付く服も全部嫌だっ!
顔にかかる泥水も、口に入るじゃりじゃりした砂も、揺れる地面も冷たくて上手く動かない指も、何もかも嫌だっ! もうあんな思いはしたくないよっ!!
助けてっ! 誰かボクを助けてよっ!
今度こそ何も無くなる、ボクは無くなってしまうっ!
逃げたい。
こんな状況から、恐怖を感じる存在から、痛みと苦しみの記憶から逃げたい。
全部忘れて安心したい。何も要らない、温かいだけ欲しい。
もう冷たいも、動けないも、いやだぁ……
『ごめんなさい、気付いてあげられなかった。死ぬのはイヤだし、苦しいよね』
プリムラの声がした。彼女の声は、嫌じゃない。温かい感じがするし、不思議と落ち着く声だ。
『いま、あなたの心から切り離したよ。一時的だけど、今はもう大丈夫。だから立ってリーグラス。本当の名前も、大きかった身体も無くしてしまったけど、あなたなら立ち上がれるから』
いつの間にか震えは止まっていた。固く握りしめた手も、今は動かせる。指先に暖かさが戻って、なんだかじんじんする。
ボクは……何に怯えていたんだろう。
あれ? 何か嫌な事があった気がするけど、思い出せないな。
そこでようやく、耳元で呼びかけるアルフェルの声に気が付いた。彼女はしきりに、大丈夫だから、わたしが守るから、落ち着いてと言っていた。彼女の体温を直に感じている。ぎゅっと密着した身体からは、汗のにおいと甘い匂いがした。
「お姉ちゃん……」
「!? リィ、大丈夫なの!? どこか痛いところはない?」
「うん。お姉ちゃん、いい匂いだね」
バッと身体を離したアルフェルが、焦った表情でボクを見詰めた。
「なっ、なにを言ってるのよ……もう、心配したんだから」
「クレイゴーレムは?」
ボクたちを攻撃した相手。彼女もボクも、その存在を忘れたわけでは無かった。ただ、何かに囚われてそれどころでは無かった。
ゆっくりと立ち上がって、回り続ける石の中心を見る。始めの時と変わらない様子で、石の人形はそこにいた。今までどこにいたのか、目の前にノームの姿もあった。
『言い忘れておったが、クレイゴーレムは魔法に反応するんじゃ。攻撃する意思にも敏感に反応するから、気を付けた方が良いぞ』
プリムラが露骨に嫌な顔をしている。
「いまさらなに言ってやがるかなこのジジイ。あんた、わざと言わなかったでしょ」
『それは誤解じゃ。そっちのお嬢ちゃんがいきなり魔法を使うとおもわんでな』
そっちのという事は、プリムラじゃなくて、ボクが魔法を使おうとした、と考えているのか。実際に魔法を発動するのはプリムラだけど、魔力の供給はボクが行っているからなのか? だからボクが狙われたのか。トクン、と心臓が跳ねた気がした。
「やっかいな奴ね。『浄化』はおろか、魔法も使えないとなると、手が出せない」
『“浄化”じゃと? そっちのお嬢ちゃんは、そんなものが使えるのか』
「プリムラよっ、名乗って上げたんだから、少しは役に立ちなさいよね。あれ、ほんとにどうにか出来ないの?」
『クレイゴーレムは、わしらの祖先が卵を守る為に作ったんじゃ。どういう存在かは分かるんじゃが、同じものは今のわしらにも作れん。故に対処も分からん』
「とんだ欠陥品ね……」
話の状況を黙って見守るアルフェルも、ノームの言葉には苛立ちを感じたようだ。
「精霊さま、いくらなんでも無責任じゃありませんか? あのまま放っておくしか無いなら、どんな危険があるか……」
『こんな所に来る人の子はおらんよ。そばに寄らなければ襲いもせん。自然に戻るまで待つしかないじゃろう』
悔しいけど正論だ。精霊としての立場なら、クレイゴーレムは危険だけど、放置すれば危険は回避出来る。あえて関わって害を受ける必要も無い。
スクテラの花が欲しいから無理に突破したいは、こちらの勝手な都合だ。
「じゃぁどうすれば……」
「少しだけ、プリムラの魔法の間だけ、時間があれば」
つまりアルフェルに囮になって欲しいと、ズームパンチをかわし続けて、石人形の気を引いて欲しいとお願いする。無茶な方法だと思う。本当ならこの時点で諦めて、神殿の大人のエルフさんを連れてくる選択肢もある。
アルフェルはどうするか、それを知りたい気持ちもあった。もし撤退を選んでも、判断に従うつもりだ。
「分かった、難しいけど、やってみるね」
◇
プリムラの『浄化』の詠唱には、だいたい15秒かかる。神殿騎士が神聖魔法を使った時よりかなり速い。それでもクレイゴーレムの攻撃を考えると、5回か6回攻撃をかわす必要があるだろう。
「むりしないで、だめなら、逃げて」
「わたしだって騎士家の娘よ。簡単にやられる気もないわ」
すっと立ち上がったアルフェルが、小さく深呼吸してゆっくり左に歩き出す。わずかに敵意をこめて、弧を描くように左へ回り込む。狙い通りクレイゴーレムが、身体の向きをアルフェルに合わせて変えていく。
「いくよ……」
気負いの無いつぶやくような一言のあと、アルフェルが仕掛けた。
「猛き炎よ、烈火<Intensive Flamme>」
魔法の詠唱開始とほぼ同時に、クレイゴーレムの腕が伸びてアルフェルに迫る。しかし来るのが分かっていれば、かわす事はそれほど難しくない。素早く左に避けて、詠唱を完了した。
<バンッ!>
左手から放たれた火炎が、空中の石の腕とぶつかって弾き返す。それを待つまでも無く、プリムラが詠唱を開始していた。でも、
<ブォォ!>
即座に反応したクレイゴーレムの、もう一本の腕がボクを狙って飛んできた。ビクッと竦みそうになるけど、なんとか右に動いて回避出来た。地面に突っ込む腕が激しい音を立てる。
「リィ!?」
悲鳴に近い声を挙げて、アルフェルが駆け寄ろうとした。手で待ったをかけて、クレイゴーレムを睨み付ける。プリムラの詠唱は中断してしまった。ボクの意識が集中出来ないと、魔力の供給も途切れてしまうようだ。
攻撃を続けなければ、反撃もしてこない。接近して防衛圏内に入れば、おそらく攻撃は止まないだろう。しかしその状態でかわし続けられるとも思えない。
「これは、あきらめるしか無いか」
プリムラがそう言った。ボクもそう思ったので、同意しようと……
「ダメよっ! あきらめちゃダメ! まだ何か方法があるわ、あきらめないで!」
アルフェル?
「ちょっと、どうしちゃったのよ、アル? あんたらしくない」
「お姉ちゃん! もどって大人の人呼んでこよう?」
彼女らしくなかった。冷静で落ち着いていて、先の事もきちんと考えられる。アルフェルはそんなタイプだ。だと思っていた。
「リィはっ! リィはすごいよ……まだ小さいのに、いろいろ知ってて、お花も薬草も詳しいし、森の中も自由に歩けるし、崖だって平気だし……」
心を吐き出すような、泣きそうな声でアルフェルが続ける。
「魔法だって、いろいろ使えるし、プリムラの魔法かもしれないけど、『浄化』なんて、本当にすごい魔法なんだよっ!」
「お姉ちゃん……」
「わたしだって、がんばってるんだよっ!? 毎日のお務めも、エフィルさまのお手伝いも、出来るだけ上手に、一生懸命に!」
努めて明るく、笑顔で優しい彼女の姿。生来のものだと思っていたそれは、必死の努力の表れだった。彼女の告白に衝撃を受けた。自分は何も見えていなかった。
「わたしなんて、ただの味噌っかすだよ……せっかくギフトがあるのに、なんの役にも立てない。魔法も炎以外、ちゃんと使えもしない。ほんとに、なんで……」
徐々に小さくなる声は、泣き声に変わっていた。我慢して、耐えて、自らを鼓舞して、今まで必死に励まして、努力してきたのだろう。彼女の悲痛な声に、ボクでは応えられない。何か言っても、慰めにしか聞こえない。
モーザ・ドゥーグの村からの帰り道、アルフェルと話した事を思い出して、胸の奥がチクリと痛んだ。
「だからあきらめたくないよ! わたしだって役に立つって、みんなに思われたいよっ! わたしも、リィみたいになりたいよっ!!」
叫び声だった。本心からの、彼女の叫びは何ものに届いたのか。
『ホーッホッホッホゥ。お嬢ちゃんや、わしを呼んだかの?』
ひらり、音も無く空から舞い降りるもの。
彼女の叫びは、心からの呼び声は、その場に居るはずの無い、夜空を統べるものを呼び寄せた。これすなわち、召喚術という。
フクロウの精霊、ユールが現れて、ひらりとアルフェルの頭にとまった。
「あ……えっ、ゆ、ユールさま?」
本人からは姿が見えないので、声で量るしか無い。間抜けな声になったのも仕方ないだろう。なにしろ、この場にユールがいる事が、予想の埒外なのだから。
『そうじゃよ? わしを呼んだじゃろう。老体にむち打って来たんじゃ、何をすれば良いか、はよう教えて欲しいのじゃ』
「えっ、あのっ、な、なんで?……」
『なんでとは、たいそうな言いようじゃのぉ。自分で呼んだんじゃから、理由くらいは聞かせてくれても罰は当たらんぞい』
アルフェル、状況が分かってなくてパニクってるな。無理もないけど。
「はぁもう、アル、あんた、やっぱり分かってなかったのね」
おーけープリムラ。説明まかせた。
「え? あの、プリムラまで何を……」
「あのねぇ、わたしと会話してる時点で気付きなさいよ。いい? 召喚精霊と話せるのは、召喚師だけでしょうが。あんたは、召喚師なのよ」
「え?……あ、あぁ!!」
ようやく彼女にも理解出来たようだ。
◇
召喚師と召喚される精霊は、必ずしも一対一ではない。複数を同時に使役する者も稀にいるけど、大抵は一体の精霊とのみ契約している。理由は単純で、契約出来る精霊と出会えないからだ。
お互いに好意を持ち、フェア(精)の性質が近い相手でないと、精霊召喚は出来ない。召喚された精霊は、以後は召喚師のフェアを糧とする。フェアの量が少なければ、精霊を維持出来ないし、下手をすれば召喚師の命に関わる。
『ホーッホッホ。お嬢ちゃんが最初に森に来た時にな、面白い嬢ちゃんじゃと思ったんじゃよ。鳥や獣と話せるじゃろう。興味がわいてなぁ』
「つまりあの時点で、召喚に応じていたわけよ」
プリムラが訳知り顔で説明している。分かってるなら教えて上げれば良かったのに。ほんと、アルフェル相手だと意地が悪いんだから。
『誰のせいだと思ってんのよ……』
ん? なぜにプライベートモード?
『お嬢ちゃんがわしらに話し掛けておったからの。まぁ面白そうじゃし、応じるのも吝かでないと思ったんじゃ』
既に和やかムードになっていた。時間、そんなに余裕無いよね。
「ウーウォン、ウォンッ!」
子狼が現実に引き戻そうと吠えた。いつの間にか、空中で旋回していた卵が停止している。それはゆっくりと地面に下りてきた。
『ふむ、急いだ方が良さそうじゃぞ。何か分からんが、異様な気配を感じるでの』
いたのかよ、ノーム。何か分からんとか、本気で役に立たないな。
『えらい御仁がおるものじゃのぉ。わしはユール、見知りおいて下され。さて、一仕事するかのぉ。あれを身動きできんようにすれば良いのじゃな?』
ふぁさり、静かに飛び立つユールは、そのままクレイゴーレムの頭上へと、高く舞い上がる。
『風の帷』
なんの前置きも無く、詠唱もそぶりも無く、いきなり風が渦を巻いて、真下のクレイゴーレムへ襲いかかった。ダウンバースト、そう表現するしか無いものすごい風圧が、上空からクレイゴーレムへのし掛かる。
反撃のズームパンチも、渦の中ほどの高さで押し戻されている。って、あれ無限パンチかよ。射程無視とかどんだけチートだ。
不思議な事に渦の外には、激しい風は吹き出さない。そよ風が渦を中心に四散する程度だ。ものすごい魔力のコントロールをしている。
「……やるわね、ユール。リィ、わたしたちも負けてられないわよ、気合い入れなさい、わたしに集中して、わたしの事だけ考えて!」
ちょっ、プリムラ、こんな所で何を言い出すかと……
「いいから集中!」
真っ赤な顔で怒りながら、プリムラが詠唱する。不思議な事に、今までは理解出来ない言葉だった精霊魔法が、意味のある言葉として聞こえてきた。
『清浄なる水よ、静謐たる土よ、我の求めに応じ、あるべきをあるべき姿に……』
これまでで一番速く、あっという間に魔法円が描かれた。しかも、直径が2mくらいある大きな魔法円が、クレイゴーレムの真下に出現していた。
『いくわよー、「浄化」!』
発動の一瞬前、ユールが魔法を解いた。散り散りに消える風の渦に変わって、蛍光ピンクの光の柱が空に伸びる。徐々に輝きを増した光の柱は、最後に白く見えるほど輝いて、そして消えた。後には動かなくなったクレイゴーレムと、地上に五つの卵が残っていた。
「せいこう? したの……かな」
「えっと、ゴーレムさん、動かないけど、大丈夫かな」
その場の全員が注目する中、ゴトリ、と音を立ててクレイゴーレムが動き出した。とっさに身構えるとノームの声が掛かる。
『もう大丈夫じゃ。あれは自分で元の洞窟へ帰る。卵も運んでいくじゃろう。世話になったな』
それだけ言ってあっさりと、ノームの姿がかき消えた。なんて勝手な精霊だと思うけど、精霊はみんなこんな感じらしい。
クレイゴーレムは大きな卵をひと抱えで持って、地面に沈むように地下に消えて行った。ほんとに、なんだったんだ。
「ミッションコンプリート?」
「まだスクテラの採取が残ってるわ」
『ホーッホゥ、久しぶりに疲れたわい。近くに危険なものもおらんし、わしはこれで消えるぞい。また用があれば呼ぶとよい。わしを呼ぶ時は……』
ユールがアルフェルに召喚呪文を伝えた。そうか、普通は召喚師が呪文を唱えて召喚するのか。
『おぉっと、忘れるところじゃった。消える前にな、お嬢ちゃん、わしのほっぺに、ちゅーしてくれんかの』
「……えっ!? あの、それは……」
『召喚契約というやつじゃよ。お互いの物を交換するんじゃ。見たところ適当な物を持っていないようじゃて、ほっぺにちゅーで良いぞ』
「なに言ってやがりますかね、セクハラじじいは」
プリムラは相変わらずです。アルフェルも少しためらって、結局ユールの頬に軽く口づけた。口づけの跡が一瞬光って、そのままユールの中に溶けるように消える。
『わしからは、ちゅーじゃ無くてすまんがの』
ユールが自分の羽根を一枚、器用に嘴で抜いて、それをアルフェルの髪にそっと挿した。羽根も同じように一瞬光ると、アルフェルの髪に溶けるように消えた。
『うむ、契約成立じゃな。それではまたの。ホーッホッホッホ』
フクロウ笑いを残してユールが去る。光の粒になって、宙に溶けるように消えた。
「お姉ちゃんおめでとう~」
「あ、ありがとう。えへへ……」
「まぁ、がんばったじゃない。これからも、よろしくね!」
「ウォン、ウォン!」
プリムラのツンデレモードは、なかなかレアだな。
ボクたちはようやくスクテラの花、探していた黄色の物を採取して、鞄を一杯にしてから神殿への帰路に着いた。
いろいろあって疲れたけど、今日の成果は多くの人の役に立つだろう。
良かったね、お姉ちゃん。
「あっ……」
「どうしたの、リィ?」
「ノームもゴーレムも、『写真』するの忘れた……」




