十一話 大地の力
『ホーッホッホッウ、良く来たのぉ。約束通り、案内を頼んでやったぞい』
日の出とともに神殿を出て、昨日の樫の木に到着した。まだ朝靄が消えないで、朝日がキラキラしている。フクロウの精霊なのに、ユールは夜型じゃないのだろうか。朝から変わらないテンションだし。
「ユールさま、ありがとうございます。それで、案内の狼は……」
辺りをきょろきょろ探すアルフェル。ボクもさっきから周囲を見ているけど、それらしい獣の姿は無い。
『ホーッホッホ、すぐ目の前におるではないか、ほれ、そこじゃよ』
目の前って言われても……ん? 確かにいるな、シベリアンハスキーのなり損ないみたいな子犬が。全体に黒っぽいので、ハスキーより精悍な感じがする。
「ちょっと、もしかして、このちっこいワンコがそうなの?」
プリムラが険のある声でユールに噛み付いた。まぁ確かにワンコだな、うん、間違っちゃいないけど、お前がちっこい言うか。ボクはといえば当然の反応として
「うわぁ~、わんちゃん可愛ぃ~」
となって抱き付いた。幼女の身体には大きなぬいぐるみサイズで、ぶっちゃけ抱き付きやすい。うむ、モフモフで抱き心地がいいぞ。
「ウー、ウォンッ!」
嫌そうに身をよじって吠えても、子犬の範疇だった。全く恐くないし、威厳もありはしない。
『お前さんたち、きのう狼と聞いてこわがっとったろう? なるべく、らう゛りぃなやつを頼んだんじゃ』
ラヴリィって、どこで覚えたそんな言葉。これじゃ恐くは無いけど、ほんとに案内できるのかそっちが不安だぞ。
「ん、そう、そうなんだ。ごめんね、リィも悪気は無いから。リィ、そろそろ解放して上げて、嫌がってるよその子」
いつの間にかアルフェルが、子犬と会話していたらしい。嫌がってるそうなので、しぶしぶ離れてアルフェルの側に戻った。
『案内は心配要らんぞい。ちゃんと場所は教えてあるでな』
やや不安の残る案内役だけど、時間に余裕は無いはず。早めに見付けて採って帰らないと。子犬改め子狼? は先に行って、立ち止まってこちらを振り返って待つ、という動作を繰り返しながら、ボクたちを案内してくれた。
途中で何カ所か道の険しい所、橋の無い小川があったけど、ボクたちが通れそうな所を選んで先行してくれる。見た目よりはるかに頭のいい子狼だった。
「いい案内役を紹介してもらえたね」
アルフェルも表情が優しい。疲れた様子も見せずに、時々何かを子狼と話しながら目的地に向かった。歩き始めておおよそ三時間、小さな滝が連なる水辺に到着した。
「やったぁ、到着よ~。リィ、この辺りにあるんだって」
さすがに歩きづめで汗もかいたし、喉も渇いていたので小川の水を手ですくう。ひんやりと冷たくて、とても気持ちが良かった。じゃぶじゃぶと顔と手足を洗って、滴る水をぬぐう。
飲んでも大丈夫かな? とアルフェルに尋ねる。すぐに水属性の口述魔法、『聖別』を唱えてくれた。こうすると人に害を成す水の場合、拒絶されたように手からこぼれ落ちる。不思議な魔法だけど、神官は全員使える魔法で、アルフェルは既に使える。ちなみにボクはまだ使えない。
「ん、飲んでも大丈夫ね」
そう言って彼女が美味しそうに喉を鳴らした。冷たくて美味しい~と嬉しそうに言う。ボクもさっそくゴクゴクと美味しく頂いた。
人心地ついて周囲を窺うと、滝つぼから散る水しぶきのお陰か、気持ちよく冷えた空気が漂っている。小川のせせらぎの音、滝の落ちるドドドッと言う振動、明るく囀る小鳥の声。ここだけ周囲から切り取られた空間みたいだった。
「ん~、ここはかなり気持ちいい所ね。セレグ(生命)とフェア(精)が満ちてる感じがする」
精霊のプリムラには、それらが認識出来るみたいだ。ボクは魔法を使う時に、身体を流れるセレグと、周囲に漂うフェアをなんとなく感じられるくらい。
「一休みしたら、さっそく探しましょう」
帰りの時間を考慮すると、ゆっくりしてはいられない。プリムラにも別行動で、スクテラの花を探してもらう。水辺の周辺には大文字草、唐松草や蟹蝙蝠といった林床に生える植物が多い。
どれも薬草としても、山菜としても使えるけど、今はスクテラが優先だ。ネネルさんから聞いた話を思い出して、水辺から離れて地面の乾いた所を探した。
「あー、あったよ~」
最初に見付けたのは、赤い花を付けたスクテラだった。残念ながら炎属性の魔力を溜めた株だ。スクテラ自体、探し難い薬草なので、目的とは違うけどこれも採っておく。
続いて少し離れた所に今度は青い花のスクテラ、水属性の株を見付けた。これは回復力を増すので、いくらあっても困らないから鞄に入れる。
『リィ、そっちは見つかった?』
プリムラの声はがっかり感が溢れていた。聞くまでもなく見付かっていないようだ。
「ウォン、ウォン!」
子狼の声が滝の上の方から聞こえた。アルフェルがボクに向かって走ってくるので、何かあったに違いない。
「あの子が見付けたって! 滝の上にたくさん咲いてるらしいよ~」
滝の両側はちょっとした崖になっていた。木の根を頼りに登れそうだけど、念の為プリムラに上を見に行ってもらった
「おーないすワンコ! 黄色の花が咲いたのがいっぱいあるよ!」
左の方が登り易そうなので、滝の左側の崖を三点確保を念頭に、スルッと上まで登った。足掛かりに使える岩も多くて、思っていたよりかなり楽だ。
「あ、あのぉ~、これ、どうやって登れば……」
しまった……趣味で登山をしていたから、補助無しで崖を登るのも当たり前に出来てしまう。普通に考えたら、女児が簡単に出来る事じゃない。ましてアルフェルは、おそらくだけど良家の子女に違いない。こんな経験そうそう無いだろう。
5m程の登りだけど、補助無しは難しそうだな。辺りを見回すと、上手い具合に丈夫な蔓が伸びているのが見付かった。二本の茎が絡んでいるので、強度も十分だろう。
これを下に垂らしたいのだけど……ふんっ! とぉりゃぁ~! ぐぬぬっ……
こ、これを四歳児の力でどうにかするとか無理だな。地面を這う部分が多いのは助かるけど、何か切る道具は……鞄の中を探ると、薬草の採取に使う小型の握り鋏だけ。これで蔓を切るのはかなり大変そうだ。
「お姉ちゃ~ん! ちょっと待っててー!!」
岩のギザギザした部分に擦り付けたり、鋏の刃で削ったりするものの、さすがに太い蔓は一筋縄じゃいかない。何か別の方法を、と考えた所で子狼が駆け寄ってきた。
何をするのか見ていたら、ガウッとばかりに蔓に噛みついて、ガシガシと歯で削る。見る間に縦に割れた繊維が解れて、なんとか鋏で切り離せるようになった。
可愛くて利口な子狼の頭をモフモフしてから、最後の一本を切ってどうにか即席のロープを手に入れた。太い幹に絡み付いた部分を残して、切り離した端を引きずって崖下に下ろす。太めの蔓のせいで、引きずるだけでも力が必要だった。子狼が咥えて一緒に引いてくれたのが何とも可愛い。
崖登りは慣れていないと、手や足を置く支持点を見付けられない。これは下から見た方が分かり易いのだ。
下ろした蔓の強度を確かめながら、アルフェルの元に戻った。彼女はそわそわと何か言いたそうにしていた。
「お姉ちゃんが先にのぼって」
「う、うん、頑張るっ」
蔓に頼りすぎない事、必ず両手足のうち一つだけを動かして、常に安定姿勢を保つ事などを簡単に説明して、一歩目の足掛かりを示す。
「そう、そこに左足をのせて……右手でちょっと上の出っぱりをつかんで……」
下からみてアルフェルが届きそうな所、足掛かり、根掛かりを次々に指示していく。最初はおっかなびっくりだった彼女も、コツをつかめば早かった。
無事に登ったのを確認して、自分も少し異なるルートで登る。初めての崖登りで緊張したのか、アルフェルはぺたんと女の子座りでボクを待っていた。おまたせーと軽い感じで近付く。
「……リィって、こんなことも出来ちゃうんだ」
「んー、『やせいのちから』?」
こらプリムラ、なに適当に○ケモ○の技名みたいに言ってんだ。通じるかどうか少しは考えなさい。
「もういいわ、なんだか驚くのがばからしくなっちゃう。それより、急ぎましょう」
◇
子狼が呼ぶ方へ向かうと、すぐに信じられない光景が目に飛び込んできた。
「石が浮いてる……」「すごく、大きいです……」「飛行石?」
どさくさに紛れて何を言うか、と突っ込む気力も起きないほど驚いていた。大人でもひと抱えはありそうな、大きな石が地面から浮き上がっている。ただ浮いているだけでなく、ゆっくりと円を描いて回っていた。
石は一つではなく、大きさの違う五個の石が、黄色い光を発しながらゆっくりと回っている。信じられない不思議な現象を、神々しく美しいと思った。
これはいったいなんだろう? しばらく美しい光景に見とれて、最初に思った事がこれだった。
浮かぶ石はどれも歪な形で、それ自体が回転しながら同じ高さを、一定の速度でゆっくりと旋回する。どれも底の部分が黄色く明滅していた。
ガラスや宝石みたいな、透明な結晶とは違う石にしか見えない塊が、光っているのは新鮮な感じがした。アルフェルもプリムラも、声を上げず黙ったままだ。ただ、プリムラは何かを注視している気配があった。
回る石の真ん中、苔むした地面が少し盛り上がった所に、奇妙な物があった。それはありふれた物で構成されている。でも、奇妙だった。
「土人形? 土で出来てるよね、あれ」
「土じゃなくて、石? 石で出来た人形みたい」
『あれはのぉ、クレイゴーレムじゃよ』
突然背中から掛かった声にビクッと振り返ると、そこには立派な髭をたくわえた、小さな老人がいた。
「どなた?」
『わしらは、“名前のない者”と呼ばれておるよ。そこの可愛い羽もちのお嬢ちゃんと同じ、精霊と呼ばれる存在だ』
小人で老人の姿をした精霊……ノームか?
「小さいお爺ちゃんは、土の精霊さんなの?」
ノームという名称は前の世界のものだ。慎重に言葉を選んで尋ねてみる。
『大地を司る精霊じゃといわれておるよ。ノームと呼ぶ者もおるようじゃ』
ノームで通じるのか。呼ぶ者もいるって事は、その名称は一般的じゃないって事だ。
日本のファンタジー設定だと、ノームは四大元素の一つ、土の属性が具現化した精霊のはず。この世界でもノームと呼ぶのなら、目の前の存在は見た目と違い、強大な力を持つ精霊かもしれない。
プリムラの目なら何か分かるだろうか?
『リィだけに聞こえるように話すわね。そこのお爺さん、声を掛けられるまで気配が分からなかった。どこか別の空間から突然現れたのよ。今も気配がはっきりしない。すごいのか、すごくないのかよく分からない存在だわ』
気配遮断とか、精霊だからフェア(精)を感じさせない、気配をコントロールする技能があるとか?
『そうかもしれないし、違うかもしれない。得体の知れない相手よ、注意して』
プリムラの表情はいつになく険しい。冗談を言う余裕も無い相手と感じている。
『わしらは、元からそこにあるだけの存在じゃよ。花の精霊かの? だいぶ警戒されてしまったようじゃが、お前さんたちを害する気は無いから安心せい』
わしらが見た事も無い花の精霊じゃのう……なんてつぶやきながら、にかっとすごくいい笑顔を見せた。
言葉通り信用していいのか、警戒すべきかよく分からない相手と思う。でもボクの勘だと悪いものでは無い気がする。こんな屈託のない笑顔の出来る人に、悪人なんているはず無い。
『リィ、そのうち痛い目見るよ……』
「それで、あれが何か説明はして下さいますか?」
アルフェルがもっともな質問をする。ボクたちの最大の関心事は、宙を回り続ける石とその中心にいる石人形だ。
『秘密主義というわけでもないでな、説明は構わんよ。理解出来るかは別じゃがな。そこのクレイゴーレムは、宙に浮いている卵を守っておるんじゃ』
あれを卵と申すか。なんの? なんで? と、よけいに疑問がわいた。
「た、卵って、その石にしか見えないのが?」
相変わらずストレートな物言いのプリムラだ。みんなそう思ってるだろうけど。
『昔からそう呼んでるのでな。地の属性の精霊はみな、その卵から生まれるんじゃ』
あくまでも卵と主張するので、卵だろうと理解するしかない。石人形が守っているなら大切なものなのだろう。
問題は、なぜノームともあろう精霊が、ボクたちに声を掛けてきたかだ。それに石人形から感じる威圧感が、何とも言えない嫌な感じがする。
敵意とは違うけど、触れてはいけない危険な物という感じがする。廃墟に迷い込んだ時、明らかに場違いな生活感あふれる物に出会ったような。例えばお化け屋敷で、湯気の立つコーヒーセットが乗るテーブルと、座り心地の良さそうなソファーが、部屋の真ん中にぽつんとあった時。
そんなヤバさがひしひしとしてくる。見た目は石を組み合わせただけの、ボクより小さい石の人形なのに。あれに近付いては駄目だという警戒心が消えない。
ボクたちの目的は、黄色の花を咲かせるスクテラを手に入れる事。それは回り続ける卵? の向こう側、水楢の樹に囲まれた木洩れ日の差す空き地に、たくさん咲いているのが見える。
問題はその場所が、クレイゴーレムの向こう側という事。何事も無くスクテラの花にたどり着けるのか、それだけが心配だった。これは聞いてみるしかないか。
「お爺ちゃん、向こうの空き地にある、スクテラのお花が欲しいの。通ってもいい?」
ノーム相手にお爺ちゃん呼ばわりがどうとか気にしない。さっきもお爺ちゃんって言ってるしね。ボクたちが欲しい物はこの先で、通してくれるなら争う必要も無い。
『そいつは困ったのぉ、あれは近付くものに容赦せん。そばを通れば襲ってくるぞい』
それをどうにか出来るのが、あんたじゃないんかい。どう見てもここはそう言う展開だろう。言いたいのをぐっと堪えて、再度問う。
「お爺ちゃんから、たのんでもらえないの?」
『あれはのぉ、本当ならこんな所にいるはずないんじゃよ。卵も地下の洞窟にあったはずなんじゃが、なぜかこんな所に出てきてしまっておる』
つまりあれですか、想定外の手に負えない状況で、ノーム自身が困っていると。
「それでは、どうやって向こうに行けば……」
せっかく見付けた黄色の花のスクテラだ。これを持って帰らないと、ここまで来た意味が無い。ノームの言葉を信じるなら、クレイゴーレムは異常な状態で、素直に通してくれない。状態異常か……家のお姫さまの出番かな。
『がってん承知の助~』
だから、お前は一体いつの時代の生き物だ。
「あの石人形に、『浄化』使うよ~」
受け答えはふざけていても、気持ちは通じている。プリムラはクレイゴーレムに狙いを定めて、魔法を唱えようとした。そう、唱えようとした、だけだった。




