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フレイの森のお医者さん  作者: 夢育美
一章 黄金の林檎
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一話 気が付けば大森林

 ゆっくり目を開けた。ここは、どこだろう?

 足が濡れて冷たい。下にはふかふかしたコケの絨毯。つま先から膝、太もも、おへそが目に入る。なぜ自分は裸なのだろう?

 驚いて息を吸うと、冷たくて湿った森のにおいがした。


「*<?!”$、(=)&~+&~~」

 声がした方に振り返ると、きれいな女性が立っていた。

 プラチナブロンドの長い髪に、白い肌と整った輪郭。深い青の瞳がじっとこちらを見ている。映画に出てきそうな美人だ。


 ただし彼女の耳は長く、先が尖っていた。美人で金髪に尖った耳。その特徴はどう見てもエルフだ。

 心配そうな表情でまた何かを言うけど、言葉の意味が分からなかった。


『あ、わたしが通訳しますね!』

 突然、頭の中で声がした。小さい声だけどはっきり聞き取れる。

『どうしたの、だいじょうぶ? って尋ねてます』

 えーと、この声は誰だろう? そっと辺りを見回すと声の主がいた。

 フワフワ飛んでいる、羽の生えたピンク色の……精霊? 10cm有るか無いかの少女が、頭の上を飛んでいた。


『あぁ、ごめんなさい! 混乱してますよね……説明は後で!』

 混乱? 説明って、どういう……

『と・に・か・く! わたしが通訳するので、返事して下さい』


「「だ、だいじょうぶです」」

 口をついた知らない言葉に、まるで女の子みたいな声。自分がしゃべった言葉とは思えなかった。

 エルフさんは少し安心したようだ。笑顔で着ている服を脱いで、ゆっくり近付いてくる。彼女を見る視線が上がる。なんだ? この人すごく大きい?


「「こんな所に、一人でどうしたの? お父さんやお母さんは?」」

 知らない言葉なのに、今度は意味が分かる。頭の中で二つの声が重なって聞こえた。

『同時通訳してみました。わかります?』

 心の中でうなずく。仕組みは分からないけど、通じるなら十分だ。

「「そんな格好では風邪を引いてしまうわ。一緒にいらっしゃい」」

 そう言って彼女が、上着で包んで抱き上げる。花のような良い匂いに包まれた。


 あれ? いま、抱き上げられた? 自分って、すごく小さいのか?

 意識と現実の違いに戸惑う。

 もう安心よと言って、エルフさんが歩き出した。全身に感じる温もりと、歩くたび揺れる心地良さに、だんだん意識が曖昧になる。


 エルフさんが自分を見て、笑顔で何かを喋っている。眠くて何を言っているのか、よく分からなかった。

 そしていつしか眠ってしまい、夢を見た。



 早朝から登り始めて、ようやく目的地に着いた。梅雨時期だから仕方ないと割り切れずに、前髪を濡らす小雨に悪態を吐く。汗をぬぐって周囲の地形を確認した。

 特別天然記念物のコウシンソウが今日の目的だ。先輩に教えてもらった秘密の自生地で、一般には知られていない。

 男の自分でもきつい場所なのに、良くこんな所見付けたなぁと、ショートヘアの似合う先輩の笑顔を思い出していた。


 ザックを下ろしてしばらく休憩する。登山道から外れた場所だし、他の登山者を見掛けないのは仕方ないか。

 五年目になる社会人生活の息抜きは、週末の日帰り軽登山で野生の花を見る事。たまに同僚と登る以外は、独りで気楽な行程ばかりだ。


 学生は金が無い、社会人は時間が無いを実感している。連休に合わせて有休を使い、やっと来る事が出来た。

 前に来た時は国民宿舎で貧乏旅行を満喫した。今夜は温泉旅館で鯉こくが待っている。経済的に余裕のある社会人も悪くない。

 五分程休んで息を整えて、あらためて周囲を見る。コウシンソウは切り立った垂直の岩盤に生える。少し登った北西に崖が見えるので、カメラと三脚だけ持って向かった。


「おぉぉぉ!!! 満開だぁぁぁ!!」

 タイミングばっちりだった。遠目には分からない佳草は、今が盛りと咲き競う。

 同じ高さで横一列に咲く姿は、小人の隊列のようで可愛らしい。これでも食虫植物というのだから、植物の世界は本当に面白い。

 少し下にはユキワリソウの花も咲いている。こちらもちょうどのタイミングでとても綺麗だ。


 十分以上しっかりと吟味して、ようやくこれ、という撮影対象を決める。三脚を据えて納得いくまで撮影した。結果をすぐに見られるデジタルカメラは本当に便利だ。

 せっかくなのでユキワリソウもじっくり堪能する。おめかしした少女が、ラインダンスしてるみたいで可愛いなと思った。


 目的を果たして人心地ついたので、側にある岩で一休みした。ペットボトルの麦茶が渇いた喉に染み込む。濃い森の香りと、錆っぽい雨の匂いを一緒に感じた。

 チロチロと流れる水の音や、シャクナゲの葉を叩く雨粒の音。自然はいつでも色々な音に満ちている。目をつぶって、木々の枝を叩く雨に耳をすませた。


 雨粒の音が大きくなった。昨夜から続く雨に少し心配になる。そろそろ戻ろうかと足下を見ると、一段下がった大岩の上にピンクの花が見えた。

 ユキワリソウが岩の上で咲いていた。いや、崩落して落ちたのか? 数枚の葉とたった一つ花が咲くだけの、まだ小さな株だ。

 よく見ると花はしおれ気味で元気が無い。根元のわずかな土とコケのお陰で、なんとか生きているのだろう。雨が止んだら枯れてしまいそうだな。


 良くある事と言えばそれまでだ。盗掘されたわけでもない、人が手を出すべきではないかもしれない。でもこの花は、助けないといけない気がする。

 すぐに岩に下りて、半ば乾き始めたコケの塊を、崖下の雨の当たる所に植え直した。

 ここなら十分に水もあるし、側に仲間も生えている。些細な事でも普段の行いを思えば、多少の罪滅ぼしになるだろう。


 身勝手なだけの行為に違いない。でも、お陰で気分良く山を下りられそうだ。今から戻れば昼前には宿に着く。温泉で汗を流して、昼間から冷えたビールを呑むのは、最高に贅沢だと思えた。

 地形図を見ながら谷筋を下って、登山道に繋がる尾根へ向かう。雨足の速さに焦りを感じ、登りと違うルートを選んでいた。後から思うとこの時の判断が間違いだった。


 ルートファインディングの基本を忘れ、ピーク毎に地形図を確認するのを怠っていた。激しくなる雨音と、雨に混じる普段とは違う臭いに焦っていたのかもしれない。あと少しで尾根に続く登りに出ると思った。

 安全を優先して、登りと同じルートをピストンするべきだった。これ位なら大丈夫という、根拠の無い甘えがあった。


 それは最初、雷の音に聞こえた。

 ゴロゴロゴロ……

 ずいぶんと長い雷鳴だなぁ……嫌な考えが浮かんで振り向いたのと同時に、足下から地響きが伝わってきた。

 土砂崩れだ。上からすごい勢いで土砂が迫ってくる。

 ヤバイと思って谷筋から上がろうとするも、土石流に弾かれたのだろう、人の頭程の石が胸に直撃した。


「ぐぅふっ!」

 妙な声が漏れて、痛みで意識が飛びそうになる。必死に手を伸ばしても、何も掴む事が出来ずに倒れ込んだ。

 さっきより地響きが強くなって、右腕が水に浸かっている。このままでは口まで水が来て窒息するかもしれない。

 腕に力を込めて身体を起こそうとした。


 胸から脳天に突き抜ける痛みが走る。上手く息が出来なくてとても苦しい。襲ってくる痛みと苦しさで、自由に手を動かす事すら出来なかった。

 半身に感じる泥水が、すごい勢いで増えているのが分かる。顔を上げようにも痛くて、頬に感じる生ぬるい泥水が、妙にリアルだった。

 更に強くなる地響きを感じながら、あぁ自分はここで死ぬのかなと思った。次の瞬間、何か真っ黒いものが全身を覆い尽くす感じがして、そこで意識が途切れた。



 どのくらい経ったのか、気が付くと静かな所にいた。

 辺りは青白い光で満たされて、色々な花が咲いている。どこからか甘い香りがただよっていた。スイートピーに似た、でも知らない匂いだ。

 身体の痛みはもう感じ無い。でも手足を動かす事は出来なかった。

 顔の半分まで花に埋まって、目の前に広がる花園を見ていた。

 何か違和感があるな……


 なるほど、これが死後の世界というやつか。

 痛みが無いせいか妙に冷静でいられる。そうか、死んじゃったんだな。


『よかった! 気が付きましたね!!』

 突然の声に目を向ける。透明な羽の生えた、小さな女の子が飛んでいた。この姿は、妖精?

『はい。妖精より、精霊が正しいです。プリムラっていいます』

 ここは死後の世界じゃないの?


『死後の世界ではありますけど。三途の川? でしたっけ、人間さんの国では。このままだと、もうすぐ死者の国へ行くことになりますね』

 三途の川って、精霊がなぜそんな事を知っているのかは置いておくとして。

 プリムラ? 桜草の事だよな。


『あなたに助けて頂いた、ユキワリソウの精霊ですよ。覚えてませんか?』

 うん、それは覚えてる。覚えてるけど、目の前でフワフワしている小さな精霊と、ユキワリソウの姿が結びつかない。

『んーと、花のたましい? そんな感じです。あなたの命を助けたかったけど、小さなわたしたちでは、魂の半分を救うのがやっとでした』


 それから彼女は、事の次第を説明してくれた。自分は死んでしまった事、死なせないよう努力したけどダメだった事。

 それから、あと十分もすると転生して、別の生き物になる事。

 え!? ちょっと待て、もうすぐ転生する!?


『はい。すでにあなたの魂の半分は転生してますよ。もちろん、人間以外の生き物にですけど。子猫とか可愛い生き物だといいですね』

 あ、転生って、もう一度人になれるわけじゃないのか。

『人間はたくさん生き物を殺しちゃいますから、その代償に使われます。人間の魂はとても大きいんですよ。たくさんに分けられるから、多くの生き物が生まれるんです』


 なんと、初めて知った魂の真実。実に深いな……

『人間以外は精霊や妖精、もちろん神さまも知ってることですけどね。それで、どうします?』

 え? どうしますって……?

『このまま転生を待ちますか? それとも別の世界の“人”として生まれ変わりますか?』


 別の世界の人? マジで??

『マジ、ですよ。あなたが望むなら自我を保ったまま、人として別の世界に生まれ変われます』

 そんな事が出来るのか……え? 出来るの! 出来ちゃうの!?

『はい。わたしたちの魔法で、一度だけそれが可能です。ただし、その為には代償が……』

 興奮していて、言葉の最後は聞き取れなかった。でも迷っている暇は無さそうだ。


 どんな世界なのか、何があるのか分からない。しかしこのまま自分が消えると言われて、はいそうですかと言える程、長く生きた覚えはない。

 もちろん今までの人生に未練もある。でもそれは適わないのだろう。彼女は、努力してくれたと言った。その言葉を信じようと思う。

 別の世界で生まれたいと思った。新しい自分として、生きてみたいと思った。


『分かりました。ちょっと気を失いますけど、すぐに済みますからね』

 ちょ、気を失うって、何を……

『だーいじょうぶ、痛いのは最初だけ』

 パタパタと飛んできたプリムラは、小さな右手を伸ばして額に触れると、何やら唱え始めた。

 こめかみにズキリと痛みが走る。それがだんだん強くなって、意識が薄れていった。


『……向こうで……覚めたら……憶が……』

 何か言っているけど、良く聞こえない。完全に意識が無くなる直前に、最後の言葉だけはっきり聞こえた。

『人間さん、助けてくれてありがとう、さようなら。お元気で……』



 目覚めると少し頭痛を感じた。ついさっきまで夢をみていた感覚が残る。気分もふわふわしていて、周りを見てもふわふわした……!?

 目の前で、羽妖精がふわふわしていた。フリルの付いた桜色のワンピースに、若草色のとんがり帽子。ゆるくウェーブが掛かったピンクの髪がよく似合っている。

 プリムラ?


『やっと思い出してくれました! あの、大丈夫です?』

 心配そうな顔に触ろうと伸ばした手に、更に小さな手がちょん、と触れる。

『あ、さわれますねー。物質化も出来てますね』

 物質化って?……と思うより先に、自分の手に注視する。ぷにぷにとして柔らかそうな、小さな手だった。

 これは……子供の手?


『はい。残りの魂の一部とはいえ、記憶の継承に使われましたし、それに……』

 彼女の言葉で、夢に見た内容を思い出した。土砂崩れに遭って死んだ事も。

 それよりもプリムラの言った、それに、の後が気になった。

『えぇと、本当なら転生する時は、赤ちゃんになるんです。人間は魂が大きいって、前に言いましたよね? それを考慮しても、赤ちゃんになるはずですけど……』


 死亡してすぐの場合を除いて、転生までに時間が掛かる分、魂の量が減ってしまう。その間もどんどん他の生物に使われるわけで。

 もう一度自分の手を見て、身体を起こして足を見て、自分の顔に触ってもみた。確かに赤ちゃんじゃない。手足のバランスを考えると、四歳か五歳児の大きさか。

 寝ている間に着せてもらったのか、生成りの服を着ていた。いつまでも裸はさすがに恥ずかしいから助かる。


『びっくりしたんですよ~。記憶が混乱しちゃうだろうし、心配で』

 前世の自我を保ったまま転生すると、赤ちゃんとして生まれてから、徐々に『記憶の開放』が行われる。自分の前世を夢で見たり、何かの切っ掛けで思い出すらしい。

 新しい世界の記憶と、以前の記憶を成長に合わせて、ゆっくり摺り合わせていくのだそうだ。

 って、転生って現象はそんなにあるものなの?


『生まれ変わりって、人間さんが思う以上にあるんですよ。普通は違う世界へ転生しますけど、ときどき同じ世界で生まれ変わったり。なんでしたっけ……前世の記憶? ニュースになったりしません?』

 そういう話を聞いた事はあった。けどこの子、妙にそっち方面に詳しいなぁ。オカルトマニアなのか?


『存在自体がオカルトですから。えっへんっ!』

 なんでドヤ顔ですか。精一杯無い胸を張って、すまし顔のプリムラが可愛かった。

『え~可愛いだなんてそんなぁ……いま、何が無いって?』

 よ、横目で睨む顔も可愛いなぁ……あれ? そう言えば、頭の中で考えてる事、伝わってるよね?

 頬を赤くしてイヤイヤしていたプリムラが、思いっきりジト目に変わった。うん、これは絶対、いまさらー? とか盛大に思ってるよね。


『わたしと人間さんは、魂が繋がってますからね。でも、わたしの方からは伝わらないと思いますけど』

 一方通行かよ! なんかズルい気がする。

『オトメの秘密です。ふふふ……』


 とりとめも無い話を続けていたら、トントンと、扉をノックする音がした。プリムラと顔を見合わせる。

 扉を開けて入ってきたのは、森で出会ったエルフさんだった。


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