第二話:いい日旅立ち
さくっと旅立ち
良かった良かった。
幼竜である彼は自分の横にちょこんと座る人の少女を見て思う。
彼は生まれながらにして知能があった、何故か知識があった。
だからこそ、少女がこのまま放置された場合、どうなるかも想像がついた。
他に誰もいない絶海の孤島でただ一人。
数年後には竜も去り、本当に孤独なまま食べ物にした所で難破した船の食物を漁るしかなく、海草や魚を取ろうにも常に荒れているようなこの海域の海では波にさらわれる危険が極めて高い。かといって、火山島であるこの島には食べられるような植物が生えている訳でもなく、鳥も暴風吹き荒れる島には全く近づかない。
そんな島では屈強な男でも長く生きられない。
もし、あのまま放置されていれば間違いなく少女はそう遠からず他の難破船の乗員と同じ運命を辿っていただろう。
そして、知らなかったならともかく、知ってしまった以上、自分が少女の事を気にしてしまうのは自覚していた。
あの子大丈夫かな。
元気にしてるかな。
そして、やがて姿を消せば気に病んでしまうだろう、と。
それなら、最初から傍にいてもらった方が良い。幸い、母竜は少女の事を全く気にしていなかった為に彼のおねだりにも簡単に許可を出した。
そう、母竜は人の少女という存在に全くといって良い程に興味を持っていなかった。さすがに今は多少は意識してくれているだろうが、元々は犬猫どころか道端に転がる石程度の認識だっただろう。犬猫ならば子供が拾ってきたら「捨ててきなさい!」という言葉もありえるが、子供が小さな綺麗な小石を拾ってきたからとてそう言う親はいない。その程度だったのだ、母竜にとっては。
だからこそ、我が子が興味を持った相手に対しても「まあ、いいか」とすんなり承認したのだ。
普段は掃除などをしている少女が今彼の傍で大人しくしているのは勉強中だからだ、彼と妹の二体が。
子供達は全部で五体いるが、残り三体は遊んでいる。
別に他の子供達である幼竜が少女に懐いていない訳ではない。
ただ、その……彼らは彼と妹の一人程頭が良くない。
何が言いたいかというと、やりすぎてしまうのだ。
彼ら竜にとっては兄弟姉妹同士でやるような軽いじゃれあいでも、そこに人の少女が巻き込まれたらただではすまない。しかし、勉強の最中はどうしても目が行き届かない部分がある為、この時間帯はこうやって傍にいるようにしている訳だ。
生まれた幼竜は彼を含め、全部で五体。
次男は水竜。
青い鱗を持つ水属性の竜だ。
三男は氷竜。
真っ白な長い毛並みを持つ水属性の中でも雪や氷に特化した……属性持ちの竜としては弱い部類に入る。
あくまで属性持ちとしては、であり、大半の属性を持たない竜に比べれば相当強いのだが。
長女は赤みがかかった黒い岩のような竜。
溶岩竜とも呼称される火と土の属性持ちだ。
最後の末っ子が今、彼と並んで勉強を受けている妹、金色に輝く美しい毛並みを持つ竜だ。
この色は火と風の属性持ちの証らしい。火が水に変わると銀色になり、母竜の色となる。今は太陽が出ていない上に母竜自体がある程度年を食っている為にそこまでではないが、生え変わった折に陽光の下に佇めば燦然と輝く、らしい。彼もまだ見た事はないし、多分見る機会もないと思うが。
彼は四属性全てを有する万色と呼ばれる珍しい部類に入るが、このように竜王が産む地を厳選して生んだ所でそれでも属性は一つか二つ程度なのが当り前だ。
これが通常の草原などで子育てをする竜ともなれば属性を持つ事すら稀。
竜王クラスの知性を持つ竜と異なり、そうした竜は大抵知性を持たぬ故に属性を子供に持たせようと考える事もなく、自分達が今暮らす地で子育てを行い、そして無属性の知性なき竜として且つ草食竜として穏やかな日々を過ごす。
いや……知性を持つ竜自体が実は珍しい。
竜王ともなればまず高い知性を持つが、事実五体の兄弟姉妹の中で知性と呼べるものを有するのは彼と末の妹だけだった。二体が勉強をしている横で、他の三体が遊んでいるのは別に三体をどうでも良いと思っているからではなく、彼らが母竜の勉強を理解する知性を持たないからだ。
そう、きっと母は彼以上に理解している。
自分の子供の内、向こうで遊ぶ三体はおそらく長生き出来ないであろうと……。
そう、たとえ竜であっても自然で生きる以上、生存競争からは逃れられない。
そして、大人の竜ならばともかく、子供の頃は竜を上回る魔獣など幾らでもいる。いや、子供の頃の竜とはこの世界に数多存在する魔獣の一体に過ぎないとも言える。
それだけに、知性の有無は生存競争の結果に大きな違いを生む。
本能だけでは駄目なのだ。属性とて知性がなければ生かしきるのは困難。
例えば、属性はブレス攻撃の内容に大きな影響を与えるが、次男の水属性の子の場合、二種類のブレスを用いる事が出来る。ただ水を吐き出す事による水弾のようなブレスと、圧縮して噴出すウォーターカッターとでも呼ぶべきブレスだ。
前者は斬れ味のようなものは存在しないが、大量の水を放射する為に薙ぎ払う事が出来、また溜めも短い。
後者は威力で言えば前者を上回るが圧縮に時間がかかる分、溜めに要する時間が長くかかり、またブレスを吐きながら剣のように振り回す事が未だ出来ない分、攻撃範囲が狭い。
当然ながら、状況に応じて両者を使い分けねばならないのだが、知性がないという事は状況に応じてどちらを用いるかを考える事が出来ないという事。無論、経験を積んでいけば、本能でも使いこなせるようになるであろうし、今は知性のない動物同然の彼らとて年経れば知性を得る。
だが、そこまで到達出来るのは本当に一握りの竜でしかない。大半の竜はその前に死ぬ。
だからこそ、今、母は知性を生まれながらにして有している二体の我が子に熱心に教育を行っている訳だ。少女が傍にいる事とて、長男である彼がお気に入りの少女の安全を気にして気を散らす事を嫌っての事。それが分かる故に二体とも真剣だ。
尚、末妹の知性はそこまで高い訳ではなく、人間換算で言えば小学生程度のレベル。
それでも真剣に聞いているのは母の真剣な思いを感じ取っているから……ではなく、一番懐いている大好きなお兄ちゃんがいるから、な気が多分にする。まあ、高い知性を持つ故にきちんと妹の事も考えて行動してくれる兄と、動物程度の知性しか持たない故に妹にも全力でじゃれついてくる兄姉ではどちらに懐く事になるかは当然といえば当然かもしれない。
竜の肉体でも、同じ竜に叩かれたら痛いのである。
『そうそう、焦らずゆっくりね』
などと彼が考えている余裕があるのも、今は妹が母の見守る中、己の力を使うべく頑張っているからだ。
彼自身は既に火、土、水、風を発現させた。無我夢中ではあったが、生まれてすぐに火のブレスを吐く事になったのが良かったらしく属性の力を通す通り道のようなものが既に出来上がっていた。
火が既に通り道が出来上がっており、他の属性も最初の根源部分を把握すれば後は通るコースは同じだ。
母に言われるままに火をすんなりと扱い、他は最初に属性を把握し、引っ張り出すのに苦労したがそこが出来れば後は同じだ。感覚を掴んだ彼は無事他の属性に関してもその使用に成功していた。……まだまだ実用に耐えるレベルとは程遠いものではあったが。
まあ、マッチの火、水鉄砲の水、小石に扇風機だったとしても使えると使えないでは大きな差がある。
末妹はというと……こちらはなまじ考える頭があるだけに苦心惨憺していた。
「うー、でてこないー」
だめだー、とでも言いたげに末妹がぼやきながらも、また一生懸命力を入れている。
口を開けて一生懸命ブレスを吐こうとしているが矢張り最初の感覚を掴むのに苦心しているようだ、と彼は思う。
こうしてみると、状況はともかく必死故に最初の道筋を無我夢中の間につける事の出来た自分は幸運であったと思う。
(いや、だからこそ母さんギリギリまで待ったんだろーな)
彼はそう内心で呟く。
今だから分かる。
あの時、母竜が自分の目の前に飢えた男がいるという状況にありながらすぐに排除しなかった理由が……。この最初の感覚を掴むのが難しいと理解しているだけに、本能、無我夢中、必死、何でもいいが咄嗟に属性を一つでも使えれば後が一気に楽になると判断していたのだろう。
お陰で既に属性の活発化、というか使い方の応用を考える彼に対して末妹は未だ初めて力を使うのに苦心惨憺している。
初めて補助輪のない自転車に乗る時、縄跳びの二重跳び、何でも良いが何事も最初が肝心。一度コツを掴めば、何故あんなのに苦労したのか、と言いたくなるぐらいにあっさりと出来るようになったりする反面、出来るまでが大変なのだ。
一度ブレスを放てれば、属性をそれ以外で扱う事も一気に楽になる。
ただ、母竜も驚いた事だが、彼は応用を早々に巧みに使い始めていた。
『どうやったらそういう事思い浮かぶのかねえ?』
母竜も少し呆れていたが、同時に多少思い当たる節もあるようだった。
『……もしかしたら』
まあ、それも自然の有り様ね、と呟いていたので大して気にする事でもないのだろう。
それにそんな事が気にならない程、応用は面白い、と彼は感じていた。
少女が手元が暗くてやりづらそうだったので、光を集めて輝かせてみたり、或いはその光の揺らぎを揃えてみたら流木に穴が開いた。
ちょっと邪魔な岩に大地から伸びる黒いものに干渉したら軽くなった。
普通の火や水、風や土。それらに比べて扱いは難しくとも、上手く使えれば面白い使い方が出来る事に彼は夢中だった。お陰で母との訓練以外の自主訓練では大抵こうした応用分野を練習している状態だ。基本は大事という事で母竜との勉強を行う際は強制的に属性の基本的な扱い方の練習をさせられている訳だが……。
「うまくいかない」
しょぼんと落ち込む末妹を人の少女と共に慰める。というか、少女がブラッシングをしてあげている隣で慰める。
こうした毛を持つ体をこういう時は羨ましく感じる彼だった。
彼の体は鱗とも異なり、敢えて言うなら赤みがかかった水晶塊で覆われているような形状をしている。これはこれで綺麗だし、毛並みに比べて防御力は明らかに上回るのだが矢張り目の前で凄く気持ち良さそうにしているのを見ると「いいな」と思ってしまう訳だ。
末妹自身が落ち込む理由は分かっている。
属性によるブレス、これが未だ使えないのが彼女だけだからだ。
彼が使えるのは前述の通りだが、他の兄姉も既にブレスは使えるようになっていた。ここら辺は何も考えずに本能でやっている方が楽らしい、と向こうのじゃれあいの流れ弾で飛来した水弾をぺしっ、と叩き落としながら彼はぼんやりと考えていた。
……この頃になると彼と末妹、他の三弟妹という形にはっきり別れて動いていた。
考えて動く二体と、好き勝手に動く三体。
どうしても好みも遊びも異なってくるし、喧嘩するような事をしても何故そんな事を、と考えてしまう二体に対して、何が悪いのか理解出来ない、ただ怒られてるとしか理解出来ない三体。遊び一つにしてもアレコレと考えた遊びを母が提供してくれる二体と一人に対して……といった具合だ。
動物の場合、何が楽しいのか分からないけど楽しそう、といった事をやっている事がある。
ペットがやっている分には微笑ましくみていられる分もあるだろうが……兄弟姉妹がやっているとなると矢張り感じる事も違ってくる。
また本能のままに動く故に自由に動けるようになるに連れて、動きが変わっていた。
或いは別れは存外早いかもしれない。そう感じる日々が増えつつあった。
……。
果たして生まれて一年程経ったある日。
長女の姿が消えた。
溶岩竜たる彼女はある日大地に潜り込み、そのまま帰ってこなかった。
おそらく、地底深くの溶岩の流れに乗ったままいずこかに流されて、戻れなかったのだろう。
地底の奥深くを流れる溶岩流は想像以上に流れが複雑で、加えて地上が見れない為にともすれば居場所が分からなくなる事は同じく土と火の属性を有している彼には理解出来ていた。理解出来ていたからこそ彼自身は事前に危険と察して戻ったが、おそらく長女は戻れなかったのだろう。
これが彼ならば海底から海へと出て、そこから空へと舞い上がってここへと戻ってこれる可能性がゼロではなかったが、彼女は土と火の二属性持ち。
溶岩の中は好き勝手に動き回れても、海は殆ど動けない。
なまじここが島である故に、周囲が海で囲まれている故に一度溶岩の流れに乗ってしまえば彼女にはもうどうしようもない事は想像がついた。
母竜も風と水の属性持ち故に大地の奥深くには干渉出来ない、出来るのはどこかで元気に育っている事を願うだけだった。
……そして更に一年少々の時が経った時、次男が旅立った。
幸い、というべきなのはこちらは当人の意思で見送られて旅立った、という事だろう。
動物の乳離れ、独立は早い。
無論、大抵の場合はそれは成長も早く、大抵の場合は寿命もそこまで長くない事を意味するのだが、次男の場合も自然と海へと向かい独り泳ぎだす事を母竜へと示した。そして、母竜もまたそれを抑えるような真似はしなかった。
幾度も島の方を振り返りながら荒れる海、けれど水属性の竜たる次男には何ら悪影響を与えない中を進み、やがて海へと潜り、姿を消した。
立地上、もし、このまま成長する事が出来、竜王となって知恵を身につければ海竜と呼称される事になるのだろう。
そして……。
「じゃあ、お兄ちゃん……私は東に行ってみるね」
「俺はあの子の故郷ってのが西にあるらしいから、そっちからだな」
次男が旅立ってから更に一年少々、生まれてから三年半程過ぎた頃、二体もまた巣立ちの時を迎えた。
三男の氷竜は母が北の地へと連れて行くそうだ。
元々母竜の住居はその地方であり、おそらく当面は母竜の縄張りの一角で北の地の常識を学びながら力を蓄える事になるのだろう。そういう意味では母竜の下に残る最後の子であるとも言えた。
二体はといえば、相談の末、別方向へと旅立つ事を決めた。
末妹は東を目指すと決めた。
一つには東の人々は竜との共存を図る傾向が他の地より高く、また彼女のような金色の竜は太陽の化身として崇められるとも言う。末妹が知性を持つ竜である事もあり、余程の事がなければ安住の地を見出す事が出来るだろう。
西は東に比べればその点では大分劣るが、彼がその地を目指す事を選んだのは少女の事だ。
折角なので仲良くなった少女を故郷へと連れて行く事にしたのだ。
それからしばらくは一緒にいる事にしている。これは彼女の親戚もあてになるような相手がいない事から戻ってもそのままでは伝手もない以上、物乞いにでも身を落とすしかない、という事があった。冒険者になるにしても、彼女は魔法こそ多少使えるようになったが、剣などは全く使えないし、魔法にした所で独学に近い。危険な冒険者稼業を選んだ所で長生きは出来まい。
それが分かるだけに、当面は一緒にいるつもりだった。
『寂しくなるねえ』
しみじみと母竜が呟いた。
何時か来る事であるとは理解していてもそう感じるのは共通の事のようだ。
『まあ、長い生だ、また何時かどこかで会う事もあるかもしれない。元気でやるんだよ』
どこかしんみりとした口調でそう告げる。
確かに竜の生自体は長い、極めて長い。
竜王級ともなれば数百年はザラで、最長寿の竜ともなれば数千年の齢を重ねた竜もいると言われる。そのくせ、それだけの年月を生きても肉体面は衰えを見せないというのだから、この世界に竜の事をよく知る研究者でもいれば竜の本質は精神にある、ある種の精神生命体だと判断したかもしれない。
だが、そんな事は今を生きる竜達当人には関係のない話だ。
ばさり、と翼を広げ、まず母竜がその背に三男を載せて飛び立った。
氷竜である三男は自力でこの荒れ狂う風の壁を通り抜けるのは危険だからだ。
その姿を見送って、続いて末妹が飛び立つ。
こちらは風による悪影響を受けない故に安定した勢いでぐんぐん進んでゆく。
雲へと姿が隠れる直前、最後にこちらに視線を向け、彼女もその姿が見えなくなった。
「さてこっちも行くか。落ちないよう気をつけろ」
「はっ、はい!」
一応難破船から持ち出した鎖やロープを利用して固定しているし、風を操って保護してはいるがさすがに鞍のようなものはない。
万が一という事もある以上、気をつけるにこした事はない。
最終確認を終えた後、彼もまた島を飛び立つ。
最後に火山島である生まれ落ちた地に視線を落とし……速度を上げ、一気に離脱した。
目指すは大陸西部、レオーネ王国である。
次回は少女視点による幕間、少女の名前や何故奴隷となったかなどを
それが終わった後、人の世界に降り立っての幼竜編を予定しています