表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

かえりみち

作者: 峰岸しおり

 ああ、どうしてあのひとの声は、こんなに私をふるわせるのだろう。きっと声だけじゃない。あのひとの存在自体が私をこんなにも揺さぶるんだ。視線、指先、心臓の音。髪のにおい、まばたきの音、息づかい。それらのどれか一つでも私の体は、なにひとつとして、とりこぼさないように、注意深く、それでいてだいたんに感じとろうとする。はずかしいとか、躊躇とか、余計なものは必要ない。私にとって必要なものは、あのひとの存在だけなのだ。



 私はひとりが好きだ。好んでよくひとりになる。ひとりでいるときの私は誰にも属さずに、うまいこと生きていけてる気がするから。だからといって実際にひとりでいる時間は、他の孤独を厭う人からすれば格段に多いかもしれないが、四六時中ひとりで生活しているというわけでもない。ときには、友人と食事にいったり、家に招いて映画を観たり(ほぼ毎月のように家で典型的なハリウッド映画のような頭をからにして観れる映画を友人たちと観ている)、また、恋人と週に三度はセックスをするためにビルのようなホテルで「休憩」をしたりもしている(お互いに自分の家に招き入れることを嫌うためだ。そのうえ、宿泊をすることも滅多にない)。私の好む「ひとり」とは、たとえば、電車のなか。満員電車の中でひとりになること。たとえば、友人との食事中。会話を「聞いている」ときにひとりになること。たとえば、恋人とのドライブのあいだ。お互いに何かをしゃべろうとはせず、ひとりを共有すること。私はこういった矛盾のなかの「ひとり」の時間を、半ば自嘲的に愛している。

 今朝も「ひとり」で電車に乗り、会社のデスクワークを「ひとり」でこなし、昼食を友人と「ひとり」でとった。今もこうして「ひとり」、恋人と四角い無機質な部屋の、これもまた無機質なベッドを共有している。


 私のお世辞にも華奢とはいえない、むしろふっくらとしたまるい手首にまかれたセイコーの腕時計は午後十一時を指し示している。二十四歳の誕生日に母が、ふいに贈ってくれた腕時計だ。そろそろ家に帰ろう。今日は二日間、延滞しているDVDをレンタルビデオショップに返しにいかなければ。私の左側で煙を吸ったり吐いたりしている物体を、生き物であり、ひとであり、そして恋人だと認識するまでに約二秒。ああ、そうか。たった今、この人と体を重ねていたのだ。ふふっ、とすこし笑ってから「ねぇ、そろそろ帰ろう、DVD返さなきゃ」と伝える。飾り言葉は必要ない、恋人も同じように思っているはずだ。「わかった、帰ろう」と短く、でも決して無愛想には響かない声で恋人は答えた。ああ、このひとのこの声、きらいじゃない。

 私たちはたったの一時間と少しの情事を早々に済ませて、無機質な、だけど清潔感だけはある(そこを気に入って、恋人はここをよく使うが、私は逆にいやらしいと感じる)ホテルを後にした。


 私たちはオレンジ色の電車に乗って恋人同士のふりをした。もともと恋人であるのだから恋人のふりゲームは、やはりおかしい行為なのだろう。でも、私たちは電車の中、公共の場とでもいうのか、そういった類の場所ではきまって恋人同士のふりをする。どちらから言いだしたことではなく、ただ、自然と決められたルールだ。さも、長年連れ添った恋人、あるいは同棲カップル、ひどいことには夫婦のように私たちはふるまう。落ち着いた、無理に会話を探したりしない、大人の恋人たち。向き合って、でも見つめあうわけでもなく、でも決してつまらなそうでもない、うわつかない、大人の。

 うわつかない、という言葉は私を安心させる。うわつく。だだっ広い海の真ん中でぷかぷか、うわつくなんて。こわい言葉。うわつく、という言葉を、しかし、恋人はよく使う。うわついたひと。うわついたきもち。うわついた声。私はそのたびに、だだっ広い海の真ん中にぷかぷかとうかんでいる、ひとのかたちをしたものやら、気持ち(肌色をしたハートのかたち)やら、声を(この時、私はあのひとの唇を)思いうかべるのだ。ひどく、おそろしい、心細い想いで。


 恋人を残して私は四つめの駅で降りる。最高の笑顔と一緒に。またね、じゃあ、ばいばい。オレンジ色の箱の羅列から降りて、階段を駆け上がると、改札は人々でごったがえしている。酔ったひと。絡み合う男女。行き場のない老人。全員に彼らの人生があると思うと末恐ろしくなる。彼らにも私が歩んできたものと同じくらい、いや、もっと濃いかもしれない時間が存在するのだろうか。こういったひとごみの中にいると、私はいつも時間の強引さと圧倒的迫力と、そしてここにいるすべての人間の意識と記憶の波に襲われた気分になって、めまいにも似た、かなしさでいっぱいになってしまう。もっと、みんなしあわせに生きてはいけないのだろうか。


 いまの恋人とは知り合って九年になる。恋人は私をいつも待っていた。そしていまも待っている。


 家までの帰り道、フーデックスに寄る。牛乳、じゃがいも、チーズ。食パン、ハム、微糖コーヒー。私は牛乳を飲む習慣はなかったのだが、あのひとが飲むのでなるべく飲むようにしている。チーズも滅多に食べない。炭水化物は摂らないようにしているし、コーヒーはブラックだ。ハムは私の主なたんぱく源である。

 自宅に着くともう十一時四十分。急いで借りていたDVDをつかみ、部屋を出る。レンタルビデオショップは家の近くにあり、あのひととよく通った。毎週新作をひとつと旧作をひとつ。私の部屋の橙色のクッションをふたりでうばいあいながら観た映画たち。映画の内容が重要なのではない。映画をふたりで観ることが重要なのだ。ふたりでわけあった映画。ラブロマンス、サスペンス、ホラー、コメディ。私はいまもあのひとと観た映画はすべて覚えている。タイトル、役者、監督、ストーリー。いま持っているDVDのタイトルすらよく思い出せないというのに。


 DVDを返してから、煙草を吸いながらマンションまで歩く。ヴァニラの香りなんかまったくしない。するのは煙のにおいだけ。近くを流れている用水路をのぞきこむ。夜の水はどうしてこんなに黒いのだろう。まるで墨汁みたいだ。すこし、肌寒くなってきた風が墨汁の上に波をつくる。責められているような気がして、私は家路を急ぐ。そうだ、明日の朝食には微糖コーヒーにミルクをたっぷりとまぜたものと、焼いたハムをのせたトーストを一枚食べよう。賞味期限が明後日にきれる牛乳をすべて飲んでしまわなければ。静まりかえった商店街を足早に通り過ぎ、シャッターの閉まる音を背後に感じながら、何も感じないふりをして歩く。背筋をのばして大股に歩く。一番、女性が美しく、逞しく見える歩き方。たとえ三十過ぎの女でも、美しく見えるのだ。


 ひどいことだとはわかっている。私には六年経ったいまでも変わらずにあのひとしか見えていない。あのひとの声や視線、指先、心臓の音を探している。髪のにおい、まばたきの音、息づかい。ひとつとしてとりこぼさないよう、今も注意深く、そして大胆に。あのひとが別れをつげたとき、どうして私のからだが死ななかったのか、わからない。心はちゃんと、はっきりと、そして大胆に、死んでしまったのに。

 恋人はそんな私を心配してくれている。あのひとと私がまるで狂ったように愛し合っていたときから、恋人は私を待ってくれていた。私はそれを知っていた。


 はじめてあのひととあったとき、これは運命だ、ここから私の本当の命がはじまるんだ、と強く感じた。大学時代に所属していたサークルの新歓に、新入生として入ってきたあのひとの、すべてに私の神経は集中した。それほどにあのひとのすべてが私の望むものだったのだ。とくに、そう、低い声。このひとの声の中で寝れたらしあわせだろうなと思ったほどだった。そして、あのひとも同じように思ったそうだ。私の髪に顔をうずめて眠れたら、と。

 私たちはすぐに飲み会を抜け出して飲みなおした。歳は二つ私が上だった。あのひとは最初、私を「先輩」と呼んだ。そして私たちはセックスをした。お互いの体がまるでひとつになってしまうのに、さほど時間はかからなかった。とろとろとした行為だった。まるで本当にお互いの熱で溶けてしまうんじゃないかと心配になるほどの。私たちは深く、深く愛し合った。次の日からあのひとは私の部屋で暮らした。あのひとの部屋はひきはらわせた。当時の私は今の恋人とつきあっていたけれど、彼に別れ話を切りだす時間すらもったいなかった。そんな時間があるのなら、あのひとと一緒にいたかった。毎日が輝いていた。

 一緒に暮らしていたとき、よくあのひとは道に迷った。オレンジ色の電車の中で、駅からの帰り道に、コンビにまでの道のりに、たびたび電話をかけてきては「道がいつもと違うんだ」と言った。そんなあのひとを痴呆なのではないかと心配し、病院にいくことを勧めたら、しかられてしまった。「あなたは心配が過ぎる。僕はひとりでだって生きていける、大人なんだ。」

 そして、別れは突然だった。一緒に暮らし始めてから一年と三ヶ月。あのひとは違うひとのもとへと行ってしまった。「ごめんね」の一言を残して。そんなあのひとを、恋人は「うわついたやつだ」と呼んで軽蔑する。うわついたやつ。それでも恋人は一年と三ヶ月、私を待っていてくれた。あんなにもうわついた私を。


 いまでもときどき、「ひとり」でいるとき、私が「誰にも属していない」ときに、夢のようにあのひとの姿があらわれる。デスクワーク、お昼休み、ドライブ、性交。そのとき、いつもあのひとは道に迷っているのだ。もしかしたら私への帰り道に、もしかしたら他の誰かへの道のりで。もしかしたら迷子なのは私なのかもしれないけれど。


 まがりかどをまがったとき、ふと懐かしいにおいがした。これという確かな記憶はないけれど、むかし、どこかで、確かに出会ったにおい。あまいような、湿気を帯びた、香ばしいにおい。そして認識と同時に無防備になる。いつもそうだ。なにか懐かしいものに出合うと無防備になってしまう。まるで電車のなかで切符をなくしてしまったときの感じ。ずっとオレンジの箱におしこめられて、息がくるしくて、でも外の世界から突き放されてしまった感じ。


 すこし早歩きをしよう。はやく家について、あのひとの記憶とふたりで眠るんだ。


友人に勧められての投稿です。

どうしようもない物語かもしれません。

でも読んでくれてありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] やっぱり勧めて良かった!!w
[一言] なんだか胸が痛みますね・・・><
2007/02/12 19:35 もうすぐ30
[一言] テンポがいいんじゃないですかね。 「恋人」と「あのひと」の違いに気づくまでちょっと時間かかりましたが、それは意図してそうしてるんですよね? 徐々に判る感じがハラハラさせてくれて、サスペンスを…
2007/02/12 19:24 らーめん食べたい
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ