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お父さんが死んだ。
お父さんの病気がもう治らないと知ったとき、あたしはしばらく呆然としたがなにせ18歳の頃から本格的にお店を手伝ってきたので、毎日の習慣どおり、朝4時に起きて仕込みを開始して、忙しく過ごしているうちに、つらい気持ちも少しずつ和らいでいき、最初は手間取ったお店の切盛りもいつしか簡単にできるようになっていき、お父さんが病気で働けなくなってからも5年間、おかげさまでお店を続けることができていた。
思えばお父さんはあたしに店を継いでもらおうとは思っていなかったのかもしれない。
もちろん、うどんの打ち方や出汁のとり方は教えてくれたけど、できれば早く結婚して家庭を持ってもらいたかったのかもしれない。
そう考えるとお父さんには申し訳ないことをしたと思うのだが、それでもあたしは結婚なんて考えてもいなかったし、学生時代の友達のように大学に進学して、OLになろうとも思わなかった。
慣れ親しんだうどん屋でうどんを作っていたかった。
そんなあたしもついに今年で30歳になった。
物心がついた時にはお母さんはいなかった。
身体が弱く、あたしが生まれてすぐに他界したと聞いた。
お母さんの顔を覚えていないあたしは、子供の頃、随分さみしい思いをした。
他の友達が家に帰ったら、普通にお母さんに甘え、夕食を食べている時間にあたしはお父さんの仕事の邪魔になるから家に帰れない。
寂しかったあたしは考えた。
そうだ。
お手伝いすればいいんだ。
だからあたしは7歳か8歳のころからうどん屋で働いているのである。
もちろんうどんを打ったり出汁をとったりするような本格的な仕事ができるようになったのはもう少し大きくなったあとなのだけど。
活気のある店内にいると寂しくないし、たまにお客さんがほめてくれたりしたし、なんといってもお父さんと一緒に過ごせるのが楽しかった。
あたしにとって、当初、このお店で働くことは寂しさから逃れる手段だった。
そしていつしか、お客さんの『ごちそうさま』という言葉にやりがいを感じるようになっていた。
気が付けば学校を卒業して、あたしは父が営むうどん屋をずっと手伝っている。
そして父が病気になってからはあたしが一人でうどん屋を営んでいる。
あたしが自分でお店をやっていけるようになったのを見て安心したのか……お父さんは朝、布団の中で冷たくなっていた。
あたしは最初、戸惑い、信じられなかった。
2階の部屋に立ち尽くし、喪服のままじっと部屋を見つめた。
そして布団に寝たきりになってもお父さんがいるのといないのとでは部屋の静けさがかなり違うことが分かった。
そしてあたしは気づいた。
本当に寂しい時には涙なんてでないということに……。




