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第6章 最終章

――だが、その戒めが破られているとの報が入った。

デルベ。

次の統治で、ザファリア帝国の領地となるはずの町。

そこにはなお、アウレリア帝国の赤い鷲の紋章がはためいているという。

信長は偵察を命じた。

忍からもたらされていた噂は、すでに胸の奥で燻っていた。

物を買っても支払わぬ兵。

過酷な税。

そして、隊長による少女への暴行。

だが、信長は踏みとどまっていた。

ルキウスの顔が、何度も脳裏に浮かんだからだ。

数日が過ぎても、旗は下ろされなかった。

「……軍を動かせ」

信長は静かに命じた。

「デルベを取り返す」

その声に迷いはなかった。

軍は即座に動き、先頭に立つのは信長自身だった。

その背を、信忠が追う。

「わしが築いた城じゃ」

馬上で信長は叫んだ。

「弱点も知り尽くしておる。信忠、左右に軍を分けよ。横から入れ。正面門はわしが開く」

数千の敵がいようと勝つ――

その自信は、慢心ではなかった。

だが、侵入した信忠の軍は、奇妙な光景を目にする。

敵兵は崩れ、逃げ、あるいは倒れ、ほとんど抵抗らしい抵抗がなかった。

正面門を破ったとき、戦いはすでに終わっていた。

「父上……」

信忠が言った。

「町に兵は百もおりませんでした。最後まで盾となって戦った隊長らしき者が一人……それだけです」

その言葉に、信長の胸がざわめいた。

少なすぎる。

噂に聞いていた、あの卑劣な隊長とは違う。

信長は馬を降り、倒れている男のもとへ歩み寄った。

そして――

膝が崩れた。

そこに横たわっていたのは、

他でもない、ルキウスだった。

「……なぜだ」

声が、かすれた。

「なぜ……おまえが……」

血に濡れた鎧。

盾は幾重にも裂かれ、その裏に彼の身体が守られるように倒れていた。

嵌められた――

信長は、すぐに理解した。

嫉妬。

権力。

血筋。

そのすべてが、この誠実な男をここへ立たせたのだ。

「……すまぬ」

珍しく、信長の目に涙が浮かんだ。

信長は立ち上がり、背を向けた。

「帰るぞ」

短く命じた。

「旗を替えよ。百名を残せ」

それ以上、何も言わなかった。

数日後、アウレリア帝国の皇帝自ら、詫びの書が届いた。

信長はそれに、ただ一行だけ記した。

〈惜しい人物を亡くされました。心より哀悼の意を表します〉

その書を受け取った皇帝は、

誰の目も憚らず、執務室で泣き崩れたという。

それからというもの、両国の間に争いが起こることはなかった。

ザファリアとアウレリアは、互いの境界を侵すことなく、静かな均衡を保ち続けた。

信長――皇帝バル=ザファルは、その後の人生を、かつて想像もしなかったほど穏やかに過ごすことになる。

ザファリアの地に腰を落ち着けた当初、信長はガラシャを妻に迎えた。

自らを皇帝バル=ザファルと名乗り、妻ガラシャは皇后バル=グラツィアと名乗った。

歳月は静かに流れ、信長は老いた。

そして、ある日ふと、かねてから胸に抱き続けていた思いを口にした。

――平和の島、セレーネス島へ行ってみたい。

信長は島の王へと手紙を送り、その願いは受け入れられた。

かつて信長以前のザファリア王国も、アウレリア帝国も、幾度となく上陸を試み、果たせなかった島である。

だが信長の一行は、何事もなく港へと辿り着いた。

島の王と王妃は、穏やかな笑みで彼らを迎えた。

信長は王に尋ねた。

「幾度も攻められながら、なぜこの島は守られ続けたのですかな」

王は少し考え、静かに答えた。

「この島は神に守られている――そう言われてきました。しかし、私はそうは思いません」

嵐は来る。

洪水は起こる。

地は揺れ、会堂が崩れたこともある。

罪も、悲しみも、確かにここにはあった。

「ただ……」

王は言葉を選ぶように続けた。

「神のご意志にかなった者だけが、この地を訪れるのかもしれません」

信長は、しばし沈黙した後、豪快に笑った。

「では、わしらは神に選ばれたということですかな。それは光栄なことじゃ」

だが、すぐに声を落とした。

「しかし、わしは母国で多くの命を奪ってきた。そんなわしが、なぜ……」

王は迷いなく答えた。

「今のそのお気持ちこそが、大切なのです。

バル=ザファル殿は、もうかつてのあなたではありません。

神は、すべてをご存知です」

信長は俯き、言葉を失った。

その目に浮かんだものを、誰にも見せぬように。

やがて一行は島を後にした。

その後、信長はガラシャとマヌエルに助けられながら、神の言葉を学び続けた。

争いを語ることは少なくなり、民の話をよく聞き、日差しの中で静かに時を過ごした。

そしてある日、眠るようにこの世を去った。

十年ほど後、ガラシャもまた、穏やかな日々に包まれながら、その後を追った。

ザファリア帝国は、民の国として語り継がれた。

争いではなく、心を治めた皇帝の名とともに。

――完



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