第4章
信長の一行は、まるで水が低きへ流れるように、日に日に数を増していった。
最初は数百に過ぎなかった人々が、数か月も経たぬうちに数千へと膨れ上がる。
若者もいれば年配の者もいた。
力仕事に向く者、商いに才を持つ者、手先の器用な職人、読み書きを知る者――信長はその一人ひとりを見逃さなかった。
年配の職人には若者を預け、技を教えさせた。
技を身につければ賃金は上がる。
努力は正しく報われる。
若者たちは目に見えて成長し、年配の者は教える誇りを取り戻した。
アウレリア帝国で貧困に喘いでいた者たちが、噂を聞きつけて流れ込んできた。
港町は整えられ、道が敷かれ、倉が建ち、やがて街と呼べる姿へ変わっていった。
このザファリア地方の地勢は、信長に味方していた。
東には大きな湖が横たわり、外敵の侵入を阻む天然の盾となる。
北の果てには険しい山脈が連なり、南は広大な海に開けている。
――気にすべきは、西のアウレリア帝国のみ。
信長がこの地を選んだ理由は明白だった。
治めやすく、守りやすく、育てやすい。
東方の王には貢ぎ物を送り、友好を結んだ。
湖を越えて攻める利は薄く、無用な争いを招かぬよう道を整えた。
結果、ザファリア地方の半分は、わずか一年足らずで信長の治世に入った。
しかも、最初に持ち込んだ財は尽きるどころか、貿易と最低限の税によって増え続けていた。
やがて信長は、アウレリア帝国との境を明確にするため、三つの町を築かせた。
それは物流の拠点であり、防衛の要であり、戦略の楔でもあった。
町には大量の武具が配備され始める。
その頃になって、ようやくアウレリア帝国も事態を察し始めた。
だが、人の流れも、物の流れも、もはや止められなかった。
同じ頃、ルキウスは百人隊の隊長に任命されていた。
彼が最初に選んだ行動は――
軍の整備でも、視察でもない。
信長に会うことだった。
面会の場として選ばれたのは、国境の町デルベ。
信長が築いた三つの町のひとつである。
――後に、この町で、別の形で二人が再び交わることになるとは、
この時は誰も知る由もなかった。
会見は二人きりで行われた。
通訳はマヌエルが務める。
口火を切ったのは、ルキウスだった。
「このたびは、ご面会の機会を賜り、恐悦至極に存じます」
通訳を通じて言葉が伝えられると、信長は愉快そうに笑った。
「わっははははっ。
若いのう。まず最初にわしに会いに来るとは……殺されるやも知れぬのに」
ルキウスは一歩も引かなかった。
「いえ。あなた様がそのようなお方でないことは、民の顔を見れば分かります。
我らの土地の民が、喜んでそちらへ流れている。それが何よりの証でございます」
一瞬、信長の目が細くなった。
「……しかし」と、ルキウスは続ける。
「我がアウレリア帝国の皇帝が、このまま黙しているとは思えません。
明日にも軍が動くやもしれぬ。
標的となるのは、帝都に最も近い――この町でしょう」
「それは、わしを脅しておるのか?」
信長の声は低く、しかし怒気はなかった。
「滅相もございません。
私は戦を好みません。
されど、百人隊の隊長に過ぎぬ身。皇帝の決定を覆す力はございませぬ」
「ならば、何のために来た?」
ルキウスは一拍置き、言った。
「ひとつ、提案がございます。
この様子では、ザファリア地方の残り半分も、ほどなく整えられましょう。
その折、国境にさらに三つの町を築かれるのではと拝察いたしました」
信長は、にやりと口角を上げた。
「よく見ておるのう。
……で、そちらも三つの町を築き、六つの町を交互に治める。そう申すか?」
ルキウスは思わずのけぞった。
額に汗が滲む。
――この男は、すでに答えを知っている。
「……はい。その通りでございます」
深く頭を下げる。
「それは、できぬ」
信長の声は即答だった。
ルキウスの胸が締めつけられる。
だが、次の言葉は意外なものだった。
「……と、言いたいところじゃが、お主の顔も立てねばならん。
それで飲んでやろう」
信長は歩み寄り、低く告げた。
「ただし、忘れるな。
町はものではない。人だ。
いくら町を交換しようと、人の心までは交換できぬ」
そして、静かに言った。
「ルキウスと言ったな。
……お主とは、もっと早うに会いたかったぞ」
その言葉に、ルキウスはただ黙って頭を垂れた。
こうしてルキウスは、国境の町デルベを後にした。
馬を進めながらも、彼の胸中には、信長の最後の言葉が繰り返し響いていた。
――町は物ではない。人だ。
――人の心は、交換できぬ。
その言葉は、剣よりも深く、静かにルキウスの心に突き刺さっていた。
(あの男は……国を見ていない。人を見ている。)
帝国で育ち、戦と命令の中で生きてきたルキウスにとって、それは初めて触れる統治の思想だった。
ルキウスが去った直後、デルベの会堂の一室に、信忠、光秀、マヌエルら主だった者が集められた。
部屋の空気は張り詰めていたが、信長は落ち着いていた。
すでに町の周囲には、精鋭の兵と優秀な隊長たちが配置されている。
信長は地図に指を置き、短く命じた。
「鉄砲の準備をせい。
この町の防御を、今すぐ固めろ。」
一同の顔色が変わった。
「直ぐにじゃ。明日にも、アウレリア帝国が攻めてくる。」
その言葉に、室内がざわめいた。
中でも、最も驚きを隠せなかったのはマヌエルだった。
「し、しかし……先ほどの会見では……」
信長は視線を上げ、マヌエルを見据えた。
「ルキウスは言っておった。
“明日にも攻めてくるやもしれぬ”と。
そして、“帝都に近いこの町が標的だ”ともな。」
「では……」
「彼の約束は、アウレリアが三つの町を築いた後の話じゃ。
それまでの間、皇帝が何をするかは、彼にも止められぬ。」
信長は、ふっと笑った。
「それに――」
地図を指でなぞりながら、静かに言った。
「自分はただの百人隊長だ、と言ったな。
皇帝の決定を覆す力はない、とも。
それはつまり、明日攻めてきても不思議ではない、ということじゃ。」
一瞬の沈黙。
「わしなら……明日、攻める。」
その言葉は淡々としていたが、確信に満ちていた。
「わしが、ここにいる可能性が高いからな。」
デルベの町は、一夜にして要塞と化した。
石壁の裏に鉄砲が据えられ、門は二重に補強された。
町の民は避難を終え、兵は静かに配置についた。
信長は城壁の上から町を見下ろし、低く呟いた。
「来るなら来い。
この平和を乱す者は、容赦せぬ。」
その胸に宿る熱は、かつて戦場で燃え上がった野心の炎とは違っていた。
それは、民を守るための静かな怒りだった。
一方、ルキウスが帝都アウリシアへ戻ると、都は異様な熱気に包まれていた。
兵が動き、武具が運ばれ、街路に緊張が走っている。
(まさか……)
不安を抱えたまま軍司令部へ向かうと、最悪の報せが待っていた。
「デルベを、明日攻める。」
ルキウスは声を荒げ、必死に制止した。
「お待ちください!
あそこは、戦うべき地ではありません!」
だが答えは一つだった。
――皇帝のご決断だ。
ルキウスは石段を駆け上がり、皇帝の間へと通された。
「おお、我が血を引きし者ルキウスよ。」
玉座の皇帝が、振り向いて笑った。
「どうしたのじゃ?」
「デルベに打って出るのは……本当なのですか?」
「それがどうした?」
皇帝は肩をすくめた。
「腫れ物のように目障りなものは、早う潰してしまわねばな。」
「恐れながら……お止めください。
多くの血が流れます。」
皇帝は高らかに笑った。
「今さら何を言う。
この帝国を築くため、どれほどの血を流してきたと思う?」
そして、冷たく言い放つ。
「これ以上、流さぬためにも、な。」




