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夜十二時、名前を呼ばれても返事をしてはいけない  作者: 百花繚乱


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9/12

第3話「境界の外」

週末、寮の掲示板に貼り紙が増えた。

「夜間の外出禁止」「山道立入注意」。管理人名義だ。

だが噂は、貼り紙より早く広がる。

近くの登山道で、行方不明者が出た。

夜釣りの若者が戻らない。

山の下の集落で、夜に“名前を呼ばれた”と騒ぐ人がいる。

水野は食堂で、三枝に声をかけた。

「……外の人まで、呼ばれてるんですか」

三枝はコーヒーを一口飲んでから、低く答えた。

「押し返してただけだ。寮の中から外へ追い出してた。完全に消したわけじゃない」

「じゃあ、今は……」

「行き場が変わった。境界が歪んだ分だけ、外へ滲む」

水野は拳を握った。

「久保先輩が……」

「久保だけじゃない。誰だって、攻略したくなる。安心したくなる。ルールを“仕組み”だと思うと、人は試す」

三枝の目が、疲明の奥で揺れる。

「それが、一番危ない」

その夜、水野は夢を見た。

廊下。古い木の床。

誰もいないのに、足音がする。見回る足音。守る足音。

水野が振り向くと、そこに“輪郭だけ”が立っていた。顔がない。声もない。けれど、確かに人間の形をしている。

そして名札が落ちている。

裏に小さく刻まれた文字。

『ありがとう』

水野がそれを拾おうとした瞬間、輪郭が指を伸ばす。音はないのに、言葉だけが流れ込んだ。

――ルールを壊すな。

水野は飛び起きた。口の中が乾いている。喉が痛い。自分の名前を誰かに呼びたくなる衝動が、一瞬だけ胸をかすめた。

気配が、まだ部屋の隅に残っている。

水野は布団の中で震えながら、呟いた。

「……あなた、篠原先輩ですか」

返事はない。

ただ、廊下の方で、床が小さく軋んだ。

翌日、水野は管理人室の前で立ち止まった。鍵はかかっている。けれど、扉の隙間から、紙と湿った土の匂いが漏れている気がした。

背後から三枝の声。

「入るな」

水野は振り返る。

「……夢を見ました。足音と、名札と……」

三枝は少し黙り、それから小さく頷いた。

「見たか。なら、もう逃げられない」

「何があるんです、ここに」

三枝は鍵束を握りしめた。指が白い。

「境界の帳面がある。ルールの“本体”がある」

水野の胸が冷える。

「……篠原先輩は、どうなったんですか」

三枝の目が、ほんの少しだけ柔らかくなった。

「消えたんじゃない。残った。声を失って、境界の内側に」

言葉が終わるより先に、水野の喉が乾いた。

呼びたくなる。誰かの名前を。理由もなく。

水野は息を飲み、指を喉に当てた。

三枝が言う。

「今夜、また来る。外からも、中からも。ルールが壊れたから、“本物”は自由になる」

水野は震えながら頷いた。

その瞬間、山側から風が吹き、窓が鳴った。

風の音が、まるで誰かの笑い声に聞こえた。

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