表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜十二時、名前を呼ばれても返事をしてはいけない  作者: 百花繚乱


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/12

【第二部】 ルールが破られた夜 第1話「破られた静寂」

春。坂道を上り切ると、男子寮は相変わらず古いまま、けれど妙に“綺麗”に見えた。古さが馴染んだ、というより、危険な角が削られている。人が住み慣れた建物の顔だ。

「ここ、静かだよな」

新入生の水野は、段ボールを抱えたまま息を吐いた。隣で同じく荷物を運ぶ同期が笑う。

「山の上だし。夜とか、虫の声しか聞こえなさそう」

水野は頷くしかなかった。虫の声――それすら、どこか遠い。耳の奥に残るのは、換気扇の弱い回転と、階段の軋みと、誰かの笑い声。ごく普通の寮だ。

案内役の上級生が言った。

「二つだけ守れ。消灯後は騒ぐな。あと、廊下は走るな」

水野は拍子抜けした。もっと怪談めいた注意が来ると思ったのは、入寮前にどこかで見た噂のせいだ。夜十二時、名前を呼ばれる、とか。

夕方、食堂で席を探していると、廊下の奥からひときわ目立つ上級生が出てきた。痩せていて、目が疲れている。なのに背筋が折れていない。

彼は水野の前を通り過ぎ、名札の並ぶドアの列を一つずつ目で追った。まるで点検するように。

「……三枝先輩だ」

同じ班の同期が小声で言う。「有名。夜に見回りしてる人」

「見回り?」

「怖がりの新入生がいるから、って。優しいよな」

優しい。そう言われても、水野は頷けなかった。三枝の目は、優しさより先に、何かを数えている目だったからだ。

初めての夜。灯りが落ち、山の闇が窓に貼りつく。水野は布団に潜り、スマホの時刻を確認した。23:58。まだだ。

噂は嘘だった。そう思うのに、なぜか心臓だけがせわしない。自分の呼吸が大きく聞こえる。耳が詰まるような感覚が、じわりと広がる。

23:59。

廊下の向こうで、床がきい、と小さく鳴った。誰かが歩いた音。見回りか。三枝だろうか。

00:00。

――その瞬間、寮の中は何も変わらなかった。

音は減らない。換気扇も回る。どこかの部屋で誰かが寝返りを打ち、布団がこすれる。普通だ。普通であることが、逆に不気味だった。

水野は息を吐こうとして、止めた。

窓の外。山側から、かすかに声がした。

「……みずの」

自分の名前。音は遠いのに、距離だけが近い。呼び声に吐息が混じっている気がする。返事をしたくなる。呼ばれたら応える。それが癖だ。

「……水野」

もう一度。今度は少しだけ強い。

水野は布団の中で、唇を噛んだ。なぜだか分からないのに、返事をしてはいけないと、本能が叫んでいる。

廊下で、誰かが止まった気配がした。足音がぴたりと止まり、空気が一段重くなる。

次の瞬間、隣の部屋のドアが静かに閉まる音がした。誰も触れていないのに、鍵が噛み合う乾いた音。

――守られている。

水野の背中を冷たい汗が伝う。

外からの呼び声は、しばらく続いて、ふっと消えた。

布団の中で、暗闇に目を開いたまま、水野は理解した。

この寮は安全になったのではない。

誰かが、毎晩、当たり前みたいに危険を押し返している。

そしてその“誰か”は、さっき廊下で止まった人だ。

翌朝、水野が廊下に出ると、三枝が階段の下に立っていた。眠っていない目で、水野を見た。

「……昨夜、聞いたか」

水野は喉がひりつくのを感じた。言えば現実になる。それでも、嘘はつけない。

「……外から、呼ばれました」

三枝の顔が、ほんの少しだけ硬くなる。

「外に、漏れてる」

それだけ言って、三枝は名札の列へ視線を移した。そこに、まだ貼られているはずのない“何か”を探すように。

水野は、背中に見えない風が通るのを感じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ