第5話「管理人室」
新入生が入ってきた。
段ボールを抱え、寮の古い階段をぎこちなく上っていく。見ているだけで、胸が詰まる。彼らが知らないのは、ルールだけじゃない。ルールの裏側だ。
「この寮、噂あるんすよね」
新入生の一人が笑った。俺は笑えない。
三枝が前に出て、短く言う。
「夜十二時以降、名前を呼ばれても返事をするな」
新入生は笑い、後藤は「ほら、先輩も言ってる」とおどけて場を軽くしようとする。
その光景が、俺には残酷だった。
夜。
零時を過ぎても声は来ない。
代わりに、喉が疼く。
“呼びたい”という衝動が、俺の中で熱を持つ。
俺は三枝を探し、廊下の端で捕まえた。
「……俺、今夜、声が来なかった」
三枝は頷いた。「来ない。お前が呼ぶから」
「どうすればいい」
三枝は少し黙り、言った。
「管理人室に行く」
深夜ではなく、翌日の昼。
三枝は鍵束を取り出し、管理人室の錆びた鍵を開けた。勝手に入るのに躊躇がない。初めてじゃない。
中は埃っぽく、紙と湿った土の匂いが混じっている。
棚の奥から、三枝が一冊の帳面を引きずり出した。
『名簿』
ページをめくると、日付、部屋番号、名前。
そして、ある欄にだけ丸印が付いている。
「この丸……」
「“呼ぶ側”になったやつだ。毎年一人」
俺の指が止まった。丸は、今年の欄にも付いている。
そしてその横の名前は——篠原。俺。
「……じゃあ、毎年……」
「そう。毎年一人、呼ぶ役が生まれる。名札が先に貼られて、声が来なくなる」
三枝は名簿の最後から、黄ばんだ紙を抜いた。契約書のような文面。
『山神との取り決め。
寮の境界を守るため、夜毎に名を差し出す。
返事は受領の合図。
名を差し出す者が途切れれば、境界は解ける。
境界が解ければ、寮の外へも呼び声は漏れる。』
「……境界?」
「昔、この山は人をさらってた。寮を建てるとき事故があって、取り決めをしたらしい」
「つまり……俺たちは、犠牲で境界を維持してる」
「守ってる、と言うやつもいる。けど実態は同じだ」
喉が乾く。俺の中の衝動が、また膨らむ。
呼びたい。誰かを。受領させたい。そうしないと——。
三枝が言いかけた。
「お前が呼ぶ側になった以上、次は——」
その瞬間、俺の喉が勝手に息を吸った。
言葉が胸の奥で膨らむ。
誰かの名前を呼びたくて、仕方がない。
「やめろ、篠原!」
三枝の声が遠くなる。
俺は口を押さえたまま、理解した。
——俺が一度でも呼べば、“本物”が混じる。
——そして誰か一人が、返事をしなければ終わらない。
つまり、これからは俺が毎夜、選ぶ。




