第4話「継承される役割」
管理人室の鍵は、三枝が開けた。
埃っぽい。紙と湿った土の匂いが強い。棚の奥に、黄ばんだ帳面が積まれている。
三枝は一冊を引きずり出し、ページを開いた。
『名簿』
日付、部屋番号、名前。
そして、ある欄にだけ丸印。
「“呼ぶ側”の印だ」
水野は息を呑む。
「……毎年、一人?」
「そう。毎年一人、役が生まれる。呼ばれなくなった者が、呼ぶ側になる」
「じゃあ今は……」
三枝は名簿の最後を指で押さえた。空白。丸も、名前もない。
「空白だ。篠原が、全部を自分で受領して終わらせたから」
水野の背中が冷たくなる。
受領。返事。消える。忘れられる。
「……じゃあ、今年は誰も……」
三枝は首を振った。
「空白は“穴”になる。穴は埋まろうとする」
三枝は別の帳面を開いた。
『境界補記』
『名を差し出した者は、呼ばれぬ者となる。
呼ばれぬ者は境界の外には出られぬ。
だが境界の内では、声なき守り手となる。』
水野は指先が震えた。
「守り手……篠原先輩」
三枝は頷く。だが表情は暗い。
「守り手がいるから、今まで持った。でも――」
三枝は水野の喉を見た。視線が刺さる。
「お前、最近、喉が乾くか」
水野は息を止めた。
言われて初めて気づいたわけではない。気づかないふりをしていた。
「……はい」
「名前が浮かぶか」
「……はい」
三枝は苦い顔で言った。
「穴が、お前を埋めようとしてる」
水野は後ずさった。
「嫌です。誰かを選ぶのは……」
三枝の声が低くなる。
「選ぶな。選ばされる前に、止めろ」
「どうやって」
三枝は、名簿の空白を指で叩いた。
「ルールを元に戻す。誰かが呼び、誰かが返事し、毎年一人消える――それを“正しい形”に戻せば境界は落ち着く」
水野は唇を噛んだ。
「それって……結局、犠牲を戻すってことですよね」
三枝は答えない。答えられない。
その夜。
水野の喉は熱を持っていた。誰かの名前が、胸の奥で膨らむ。
00:00。
廊下で、複数の声が重なった。
「水野」
「……水野」
「みずの」
外からも、中からも、違う湿度で呼ばれる。返事をしたくなる。呼びたくなる。自分が“呼ぶ側”になりかけている証拠だ。
水野は布団から転がり落ち、口を両手で押さえた。
そのとき、廊下で床が軋んだ。
見回る足音。守る足音。
呼び声が一瞬だけ途切れる。
水野は涙が出そうになった。
声のない誰かが、今夜も押し返してくれている。
水野は心の中で叫んだ。
――助けてください。
返事はない。
ただ、名札が落ちる乾いた音がした。
何かが、限界に近づいている音だった。




