準備
『ヤクザの屋敷にて』
抗議が次第に大きくなるにつれ、記者たちはヤクザの屋敷に集まり、事態を報道していた。
その抗議が続く一方で、ヤクザを最も無防備な瞬間に叩くための計画が、裏で静かに進められていた。
「どうやら、誰も何も言いたがらないようだな」
― 匿名の声が話し続ける。
―沈黙―
「ふむ……ならば、私から提案しよう。もし本気でヤクザを滅ぼしたいと考えているのなら、ちょうどいい計画がある」
「それは何だ?」
それまで一言も発していなかった男が口を開き、他の者たちも驚いた様子を見せた。
「ほう、興味を持った者がいるとは。計画は単純だ。ケンジとゲトを殺す」
「それは分かっている。だが、他の一族やヤクザの残党と全面戦争になる可能性がある」
「興味深い。そこまで理解しているとはな。だが私は、それを大々的に行うつもりはない。必要なのは、たった三人だ」
― 冷静で、操るような口調。その正体は依然として不明 ―
「ははは、三人だと?
どうやって、この世代と次世代の要を、たった三人で殺すというんだ?」
― 会話は、発言者だけでなく、そこにいる全員の関心を引き始めていた ―
「まず、内側から一族を腐らせる。その後、買収した抗議者と記者を使って正面から衝突を起こす。その混乱の最中、我々の三人が迅速に仕留める」
「その計画は評価しよう。だが、地図にも載らない場所を行き来するヤクザを、どうやって追い詰める?」
「いい質問だ。跡継ぎの継承式の日が、近い」
「……なぜ、それを知っている?」
―沈黙―
初めて、匿名の人物が言葉に詰まった。それは疑念を生んだ。
「……聞こえているのか?」
「……ああ。情報源を知りたいのだろうが、それは極秘だ。協力に同意するまでは、その話題には触れない」
― 口調を立て直し、再び自信を取り戻す匿名の声 ―
「分かった。ヤクザを倒すため、協力しよう」
― それはハイ・コマンド全体の合意ではなかった。だが、発言した男は独断で決断した ―
「ならば、確認しろ。一度進めば、後戻りはできない」
― 匿名の存在に対し、疑念が広がり、首を横に振る者もいた ―
「我々を脅すつもりか?
お前の居場所は、すでに掌の上だ」
― 会話は続く ―
「ははは……少し待て」
『通話終了』
通話が切れ、ハイ・コマンドは事が終わったと判断し、匿名の人物を排除するための部隊を出そうとした――その瞬間。
『プロジェクターが乱れ、やがて安定した。
画面に、匿名の男が映し出された。
ハイ・コマンドは、それが何かをすぐには理解できなかった』
「やあ、ハイ・コマンド諸君。君たちのセキュリティは、実に甘いな」
金糸で織られた衣装を身に纏い、完璧な佇まいの男。顔は無表情な仮面で覆われ、個という存在を消し去り、そこにあるのは“権威”だけだった。
「先ほど話していた匿名の男か?」
ハイ・コマンドの一人が問いかけた。声は引き締まっていた――目の前の男ではなく、背後に静かに立つ無数の武装した男たちの存在に。
「ああ、私だ。ここまで手間をかけたのは、君たちに見せたいものがあるからだ」
仮面の下で笑みを浮かべながら、匿名の男は楽しげに言った。
「……それは何だ?」
全員が画面を凝視した。
「私が言った“絶対”という言葉の意味だ」
―沈黙―
誰も笑わなかった。
仮面の男は、ゆっくりと手を上げ、二本の指を立てた。
『プロジェクターが再び揺れた』
ノイズが走り、低い駆動音が室内を満たす。やがて映像は鮮明になった。
フォルダが表示される。
一つ。
また一つ。
そして、数十。
すべてに「機密」の刻印。
日付。
場所。
署名。
ハイ・コマンドの表情が硬直した。
「それは……」
誰かが言いかけ、口を閉ざした。
画面がズームする。
見覚えのある署名。
また一つ。
さらにもう一つ。
「これらは協力契約だ」
匿名の男は、愉快そうに言った。
「資金ルート。沈黙の契約」
空気が重く沈む。
『映像が切り替わる』
隠し撮りの映像。
別の長いテーブル。
影の中で握手する男たち。
「黒金家」
画面が変わる。
「後藤家」
さらに。
「水原家」
「どうやら君たちハイ・コマンドも、日本全体と同じく、十大家族の操り人形のようだな」
静かで、どこか楽しげな口調。
周囲の顔が曇る。
椅子にもたれる者。
動かない者。
――
『ペンが紙を走る音』
書類に署名が入る。
印が押される。
次の映像。
夜。雨。
電話で必死に話す男。
ヘッドライト。
―発砲―
別の映像では、記者と話す協力者。
白い服の男たちが現れ、黒い布で覆う。
―数日後、ニュースで「死亡」―
映像はそこで途切れた。
「彼らは真実を語ろうとした」
匿名の男は淡々と続ける。
「だが、生き残ることの方が重要だと理解していなかった」
誰も口を挟まない。
最後の映像。
コンクリートの上を引きずられる遺体。
画面は暗転した。
―沈黙―
一人が立ち上がり、椅子が床を擦った。
「……何が目的だ?」
仮面の男は、わずかに身を乗り出した。金糸の衣装が光を反射する。
「最初から提示している」
「単純な取引だ」
間を置く。
「君たちは座り続ける。沈黙を守る。そして――その時が来たら、動く」
首を傾げる。
「これは、私が本気だという証明にすぎない」
さらに一拍。
「そして……拒否は、不都合だということもな」
誰も反論しなかった。
⸻
『ヤクザの屋敷にて』
屋敷内に、ざわめきが広がった。
男たちが小さな集団で集まり始める。足取りは一定、表情は読めない。
ケンジはすぐに異変に気づいた。
多すぎる。
静かすぎる。
年長の男が近づき、声を落とす。
「ケンジ様……」
だが、ケンジは眠っていた。
「ケンジ様」
「ケンジ様」
「ケンジ様」
繰り返し呼ばれ、彼ははっと目を覚ました。
「ケンジ様。ゲト様が、安全な場所へ移動するようにと」
ケンジは眉をひそめた。
「なぜだ?」
「時間がありません。どうか」
男たちが距離を詰める。敵意はないが、逃げ道は塞がれていた。
見覚えのある顔。
見覚えのない顔。
『溶け込みすぎている』
上階のベランダから、ハヤトはその光景を見下ろしていた。
手すりを握る指に力が入る。
承認していない人員。
命じていない動き。
ケンジが連れて行かれるのを見送り、彼女の視線は自然とカイトの方へ向いた。
胸が締めつけられる。
「おかしい……」
風が吹き、屋敷の旗が歪む。
ハヤトは背を向けた。
顔色は青白い。
思考は――激しく渦巻いていた。
「秩序が変わるなら……継承が崩れるなら……」
顎を引き締める。
「……許さない」
深く息を吸う。
「私は、決めた」
その言葉は静かだった。
だが、迷いは一切なかった。
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