9.辺境の地(1)
セストたちが辺境の地に派遣されてから、間もなく一年が経とうとしていた。
しばらく王都に滞在したセストたちは、その後王都を出発し辺境に向かった。
辺境では数代前の領主が妾を住まわせていたという別邸を借り受け、そこが一団の本拠地となった。本邸ほどの規模ではないが、騎士や魔術士、負傷した者を収容するには十分な広さがある。
国境には険峻な山が連なっており、隣国から攻め込まれ難い地形をしている。それは、攻め込まれることはないが、魔獣に襲われても隣国への助けを求めることができないということだった。
魔獣が現れるようになってからしばらくの間は、自領の傭兵団や自警団で襲い来る魔獣に対抗していた。
しかし、いかに屈強な者の集まりでも人の身では魔獣には敵なわない。領民からの陳情を受けた領主は急ぎ王宮へと救援を要請し、そうして遠く離れた辺境で起こっている事態が、やっと王宮の耳に入ったのだった。
辺境に派遣された騎士たちは、辺境からほど離れた地に魔獣が出たと聞いてはその地に向かい、別の地に出たと報せが入れば一部を辺境に残しそちらに向かう。
辺境から離れた地で魔獣を退治すればその地には平穏が訪れるが、辺境に戻ればまた新たな魔獣が姿を現しており、埒が明かなかった。
「なぜこの地にだけこんなに魔獣が出るんだ?」
そう問うのはいくつかある騎士団の一端を担う最年少の騎士団長だ。三十をいくつか超えた騎士団長は眉間に深い皺を刻み、険しい顔のまま魔術副団長に視線を送った。
涼しい顔をした魔術士団の副団長はカップに入っている水を飲み終わると、口を曲げて考える素振りをする。
「見通しが甘かったのは否めませんね。ここは予想以上に魔の気配が濃すぎるのです。何かが、魔を呼び寄せているのかもしれない」
「何かとはなんだ?」
「なんでしょうね」
「お前と言葉遊びをしている暇はないんだぞ!」
人気のない食堂で騎士団長が、魔術士副団長を相手に声を荒げている。
正直なところ、騎士や魔術士の上層部は行き詰まっていた。
辺境に魔獣が出現したとはいえ、本来魔獣は際限なく現れるものではない。そのため、人々を襲っている魔獣を倒せばそうかからず王都へ帰れるのだと考えていた。
ところが蓋を開けてみれば、魔獣は減るどころか定期的に数を増やして人々を襲っている。他にはない事態が起きているが、有効な打開策が見当たらない。
前線で戦う騎士だけでなく、後方支援の魔術士たちも幾人も命を落としている。王命を受けて王都を発った手前、仕切り直しとおめおめと帰ることは許されない。
「魔術士が考える、魔を呼び寄せているものとは何だ?」
「それが分かれば苦労はしません」
「はっ! お前にはこの役は重かったのではないか?」
暢気な物言いに腹を立てた騎士団長は魔術副団長にそう言い捨てると、大きな音を立ててそのまま食堂を出て行った。やれやれと首をすくめた魔術副団長も、その後を追うように席を立った。
二人の会話を固唾を呑んで聞いていたセストとレナートは、二人がいなくなったことを確かめてやっと肩の力を抜いた。
「……やっと終わった」
セストとレナートが食堂でパンを囓っていると、同じく食堂で遅めの食事をしていた騎士団長と魔術副団長が論争を始めた。
そうなると席を立つに立たれず、二人ともできるだけ気配を殺して話が終わるのを待っていた。
「今の話は聞いてても良かったのか?」
「さあ? まあ、遠征の度に話題になっていることだから、秘密というわけでもないんだろうけど」
騎士や魔術士と、平民の魔力持ち。本来であれば話をする機会などない者同士が一堂に集まっているが、一年も寝起きを共にしているとあまり距離なく接することができるようになってくる。
食事も場所をいくつも用意するのは非効率なため、同じ食堂で摂ることが認められていた。
「俺たちはいつになったら帰れるんだ?」
「まだ生きてるだけマシだよ。おっさんは孫に会えるのを楽しみにしてたのにな」
もうすぐ孫が生まれると言っていた壮年の男性は、前回の遠征で命を落としていた。
あとどれくらいで帰ることができるかも定かではなく、あと何人命を落とすかも分からない。王都へ帰ることができるのは、命ある者だけだ。
「俺は絶対に帰るよ」
命を落とした者は騎士だろうと平民だろうと、穴を掘り埋葬はするが連れて帰ることはない。セストもこの地で命を落とせば骸すら故郷に帰ることなく、この地で朽ちるのだろう。
冗談じゃないとセストは頭を振る。
「俺は帰ってすることがあるから死ねない」
「いや、待て。俺も生きて帰るからな。それにしても、団長たちでもどうしようもないこの状況は、どうにかなるものなのか?」
重たい雰囲気が二人を包んでいた。
すると、食堂の外からざわざわと複数人の声が聞こえてきた。
「セストたち、ゆっくりしてるけどそろそろ食事の交代時間よ。なあに? 今日の夕食は、そんなに噛みしめて食べたいくらいに美味しかったの?」
全員が入るには広さの足りない食堂は、時間制での利用をしている。次の班であるリタがセストたちに冗談めかして言うと、周りから小さな笑いが起きた。
いつ命を落とすかわからない日常に直面しているため、いつからかできるだけ他愛のない明るい話を選ぶようになった。なにしろ朝共に食事をした仲間が、夜には命を落としてこともある日々だ。暗いことばかりを考えていると精神を保っていられない。
「そうだな。今日のパンは黒くなかったぞ。な、セスト」
「あ、ああ?」
「なによそれ」
セストとレナートは顔を見合わせると、食器を持って洗い場に向かって歩き出した。聞こえた話は振れて回るべきではないだろう。
「セスト、今晩も魔力の練習に付き合ってよ」
立ち去りかけたセストにリタは声をかけると、期待に満ちた顔をして返事を待っている。リタはあまり魔力を使うことが得意ではないため、魔術士からも指南を受けるが、空き時間に自主的な練習も繰り返していた。
「俺も俺も」
「レナートもどうぞ。じゃあ、夜の打ち合わせの後に裏庭でね」
大きな丸い月が魔力を流すリタを照らしていた。額から汗を流しながら目の前に薪に火をつけようとするが、狙った場所に発火させることができない。
セストやレナートが助言をするが、言われた感覚がリタには伝わらず、なかなか上手くはいかない。
しばらくするとリタが肩で息をするようになったため、今夜の練習はここで終了することになった。
リタとレナートがああでもないこうでもないと、賑やかに魔力談義をしている中、セストは静かに空を見上げていた。
空を見上げて見える白い大きな月は、セストが故郷で見ていたものと同じだ。隣にやって来たリタが、同じように空を見上げた。
「セストはたまに物思いに耽ることがあるわね」
「そうか?」
「休憩してるときや移動のとき。さすがに魔獣に対峙してるときはないわね。……家族のことでも考えてるの?」
茶化すようにリタは言うが、何かをそれとなく探っているようにも聞こえる。
「家族のことも考えるけど、一番考えるのは違うかな」
「……よく話してる幼馴染の女の子?」
「ああ。町を出る時に喧嘩っぽくなったから、ずっと気になってる」
「その子は恋人なの?」
「どうかな?」
先に館に向かって歩き出したセストを、リタは切なげにじっと見ていた。やがて、意を決したように拳をぎゅっと握ると、セストに向かって走り始めた。
「ねえ、セスト。いつか聞いて欲しいことがあるの」
「なんだ? 今でもいいけど」
「ちょっとした願掛けしてるから、今は言えないわ」
「なんだそれ」
セストが破顔するとリタも楽しそうに笑っていた。