7.巡り会う
買い物帰りのラウラの母親は、ほとんど部屋から出てこない娘のいる部屋を見ながら大きな溜息をついた。
セストが王都へ旅立ってから、毎朝ラウラは目を腫らして起きてくるのである。何かを言おうとすると夫に止められるため、今は夫婦でそっとしているところだ。
「おばさん」
家の裏から聞こえてきた小さな声に振り向くと、そこにはセストの姉がいた。ラウラの母親に手招きすると、ラウラの部屋から離れた裏手へと誘う。
「おばさん、ラウラの様子はどう?」
曇った顔をしながらセストの姉が問いかけると、ラウラの母親は首を左右に振った。そっかと姉は肩を落とす。
「あの日はごめんなさいね。どうしても見送りには行かないって言うから」
どれだけ声をかけても、それこそ手を引いても、ラウラはどうやっても腰を上げなかった。兄妹のように朝から晩までずっと一緒にいたセストの出発の日に、ラウラが顔を出さないのはどう考えても不自然だ。
「出発の前日に二人で話してみたい」
「そうだったの」
「だから、別れは済んでたんだろうけど……」
話をしたにしては弟は意気消沈していた。きっと、王都へ召集されたことが原因ではないだろう。
姉の目から見ても二人は想い合っていた。きっとセストは待っていて欲しいと言ったはずだ。ラウラにはそれを断る理由はないと思っていたが、セストの落ち込みようを見ていると、そうではなかったのだろう。
ラウラが何と答えたのか気にはなるが、今は聞けるような状態ではない。
「別れがたくなるから行けなかったのね。セスト君、早く無事に帰って来てくれるといいけど」
「そうね」
セストのことも気になるが、今は目の前にいるラウラの方が心配だ。早く元の生活に戻ってくれることを切に願った。
ラウラは目が覚めてから寝る直前まで、セストの無事を祈らない時はない。
あんなに仲の良かったセストの見送りに行かなかった娘に思うところはあるのだろうが、両親はラウラをそっとしておいてくれる。
「セストは無事に決まってるさ」
「……うん」
数日後、セストがいなくなって初めて家から出ると、偶然セストの姉とばったり会った。見送りに行かなかった後ろめたさから、思わず立ち止まって下を向いたラウラにセストの姉はゆっくりと近づいてきた。
「ちゃんと寝てる?」
「うん」
「嘘ばっかり。その目の下の隈ははなによ」
セストの姉は、いつもの優しい口調でラウラに話しかける。その声を聞いて、ラウラは下を向いたまま肩を震わせる。小さく嗚咽をあげ始めたラウラをセストの姉は抱きしめると、泣き止むまでずっと背中を撫でてくれていた。
「お姉ちゃんの方がセストのこと心配なはずなのに……」
「あのね、あの子が子供の頃からどれだけやんちゃだったと思ってるの? いや、違うわ。ラウラと一緒にやんちゃしてたんだわ。あんたたち結構危ないことも平気でしてたでしょ? 何しても無事だったんだから、今度も無事に帰って来るわよ」
「ふふっ。そうだね」
確かにそうだ。
ラウラやセストの両親に止められても、子供の二人はそれを守ることはなかった。その場所に行くなと言われれば行き、やるなと言われればそれをした。
やんちゃと言えばやんちゃだろう。
なぜか二人そろうと気が大きくなって、二人ならできないことはないような無敵の気分になったのだ。
肩の力が抜けてふっと笑ったラウラを見て、セストの姉は口元を緩めた。
「ラウラはそうやって笑ってたらいいの。セストのために泣いてくれるのはありがたいけど、どうせなら笑って待っていてあげて」
ラウラがどれだけ待っていても、帰って来る時はセストは一人ではないかもしれない。
あの女性を連れて帰って来るかもしれない。
その時ラウラは妹みたいな幼馴染と紹介されるのだろうか。ラウラはそれに耐えられる気がしなかった。
◇
「よう、ラウラ。今日も変な髪してるな」
ラウラに少しずつ日常が戻り始めた頃、家の買い物に出かけるとアロルドが話しかけてきた。気持ちが沈んでいる時には会いたくない相手だったが、話しかけられた手前仕方なく応じる。
「何か用?」
「セストの見送りに来てなかったけど、お前たち別れたのか?」
別れる?
そもそもラウラとセストは恋人関係ではなかった。
あえてそれを言うのは新手の嫌がらせだろうか。
「……何が言いたいの?」
今までにない冷たいラウラの口調に、焦ったアロルドが弁解を始める。
「セ、セストがいなくなって落ち込んでるんじゃないかと思って。来週、隣町に行くんだけど一緒にどうだ?」
憎まれ口しか叩かない相手の不意な誘いに、ラウラは面食らって反応が遅れた。
いつもであればセストがアロルドを止めてくれたが、今はセストは側にいない。
「用はないみたいだからもういいね」
怪訝な顔をしたまま、ラウラはアロルドの前から踵を返した。
「いや、そうじゃなくて。ラウラ」
必死に呼び止めているアロルドの声は聞こえない振りをして、目的の商店へと足を向ける。
庭で穫れた野菜で保存食を作るために必要な、いくつかのハーブを買いに来たのだ。何かを作るために集中している間は、少しだけ辛いことから目を逸らすことができる。今のラウラには必要な時間だった。
「セストはこれ好きだって言ってくれたな」
スープや焼いただけでは苦手な野菜も、ハーブ漬にすると食べられると言っていた。それもあって、ラウラは作る度に試行錯誤して、セスト好みの味になるよう工夫を重ねていたのだ。
◇
まともに別れを惜しむ時間もないまま魔術士に連れて行かれたセストだったが、すぐに辺境に行くわけではなかった。
他にも集められた魔力保持者たちと共に、まずは王都の魔術士から魔力の制御方法について教えを受けることから始まった。
いくら魔力持ちとはいえ、今まで魔力や魔術とは関わりのない生活をしてきた者ばかりだ。すぐに魔獣と対峙することができるわけはない。
そして、誰もが魔獣退治に行くことを望んでいるわけではなかった。国から召集され王都にやっては来たが、拒否することなど許されない者たちばかりだ。そのため、この期間は選ばれた者としての心構えを持ってもらう時間でもあった。
魔力量の多いセストは魔術士たちに期待されているらしく、主に魔力で魔獣を抑えるための方法を習っていた。
「セストは故郷に恋人はいなかったのか?」
軽い口調で話しかけてくるのは、セストと同じく国に召集されたレナートだ。商家の三男の青年だが魔力を持っていたがために、有無を言わさずこの場に集められている。年齢が近かったこともあり自然と話をするようになった。
「俺はさ、恋人だと思ってた女に、辺境に行くと決まった日に振られたよ。全然気づかなかったけど他に男がいたらしくて、そっちを選ぶって言われたんだ」
「俺は……どうだろう」
あれは振られたのか?
あの言葉がラウラの本心であればセストも諦めた。しかし、ラウラは明らかに嘘をついていた。あえてセストを傷つけ、突き放す言葉を告げ、見送りにも来なかった。
しかし、セストには高台から旅立つセストを見ているラウラが見えていた。
あそこはセストとラウラが町の様子を見る時に、よく使っていた場所だ。ラウラがいるならあそこだろうと目星はつけていた。
遠くからセストを見ているラウラは、目元に手をやったり下を向いたりしてずっと泣いているようだった。
「俺は目がいいと言っただろう」
ラウラが何かを隠しているのはすぐに分かった。ただ、それが何なのかがセストには分からない。
騎士団と魔術士団の団舎の中央に位置する広場で、セストは束の間の休憩をとっていた。
花壇の並びに置かれた腰掛けに座って、足下に咲く小さな花を見ていた。
花を見てはラウラの好きな花だと思い、食事をすればラウラが気に入りそうな味だと考える。レナートに話しかけては、帰ってきた答えを聞いてラウラだったらこう言うはずと、懐かしいやり取りに思いを馳せる。
「どうして……? ラウラ」
やり切れない思いがして前髪をくしゃっと何度も掻いて、大きなため息をつく。
――私は待たないから、セストも私のことは忘れて。
何度も思い出すのは、出発の前日に冷たく言い放たれたラウラの言葉。
「セスト」
近くで聞こえた声に振り向くと、片手を振りながら歩いて来る女性の姿が見えた。彼女も魔獣退治のために召集された魔力持ちのリタだ。
太陽の光を受けて輝く金色の髪が、柔らかに風に揺れていた。