5.運命を歪める者(3)
セストの母親の死、ギーの死。
見たくもない未来を視ることに怯え、ラウラはたまに錯乱状態に陥るようになった。そんな時、セストはラウラを宥めて、落ち着くまで傍にいてくれた。
「お前どうしたんだよ。何があった? 言ってみろよ」
「……何もない。なんでもない」
隣に座ってラウラが落ち着くまで頭を撫でてくれる。
本当は全部話して縋り付いて泣きたかった。
ラウラがもっと賢ければ何か別の方法で助けられたかもしれない。でも、ラウラにはそれができなかった。
母親を亡くしても気丈に振る舞うセストに申し訳ない気持ちが募りセストと距離を置こうとするが、セストはそれを許さなかった。
「ラウラ、また商隊が来てるらしいぞ」
「……行かない」
「もうそれはいいから。ほら、行くぞ」
セストはそう言って、普段と変わらない様子でラウラを連れ出そうとする。
何も知らないとはいえ態度の変わらないセストの優しい手を、ラウラは離すことができない。
「セスト、ごめんね」
「何がだよ?」
「ごめんね」
「ああ、もう。わけ分かんね。いいから泣きやめ」
どうしようもなくなって涙の止まらなくなったラウラの涙を、狼狽えながらセストが拭う。
情緒不安定なラウラの変化を感じ取っているが、何が原因なのかが分からない。
問い詰めたいが追い詰めたくもない。なんとももどかしい日々をセストも送っていた。
何が切っ掛けだったのかと考えるが、ギーの死よりも前からラウラの様子はおかしかった。セストの母親の死で、更に拍車をかけたように思える。
ラウラの不安が移ったのか、目の前にいるラウラが朧気な存在に思えてセストの胸に不安が去来するのだった。
◇
それはセストが十五歳になった頃。
家にひとりでいる時に、身体の奥から知らない衝動が沸き起こった。経験したことのない奇妙な感覚を追い出すように身体に力を入れると、目の前の竈に火がついた。
煉瓦と大きめの石を組み合わせて造られたごく一般的な竈だ。竈にかかった鍋には今朝の豆のスープが入ったままになってる。
「うわっ!」
誰もおらず、何もしていないその竈に突如火がついたのだ。驚いたセストが火を消すために手で仰ぐような素振りをすると、竈の火が何事もなかったのように消えた。しかし、そこには確かに火が熾っていた痕跡が残っている。
「なんなんだよ……」
自分に何が起こっているのか分からず、セストは呆然とその場に立ち尽くした。
我が身に起こったことが恐ろしく、家族に伝えることもできず不安に苛まれる日々が続いた。
「セスト、山に行かない?」
様子のおかしいセストに気づいたラウラは、人のいない山の秘密の場所にセストを連れて行くと、ポケットから包み紙に入った小さな焼き菓子を取り出した。
「裏のおばあちゃんにもらったの。半分こしよう」
差し出された焼き菓子を受け取りながら、セストは倒木を背に地面に座る。うずくまったセストは両手で顔を覆って黙り込むと、しばらく二人の間に沈黙が流れた。
「……俺おかしいんだ。変なことが起きる」
「変なこと?」
首をかしげるラウラの目の前で、地面に落ちている枯れ木に火がついた。
「きゃっ!」
驚いたラウラが小さな悲鳴をあげる。それを聞いたセストは、唇を噛みしめてくしゃりと顔を歪めるとまた顔を伏せた。
すぐに手で払う仕草をして火を消すと、自分の膝の間に顔を埋めて黙り込んだ。
「今のセストがしたの!?」
怯えたように肩を震わせたセストは、ゆっくりと顔を上げると縋るような目でラウラを見た。
「すごいね! いつからそんなことができるようになったの?」
「……すごい?」
「うん、すごいよ。王都にいる魔法使いみたい。魔法使いの人は杖から花を出して、花吹雪を作ったりできるんだって」
母親がラウラを寝かせつける時に話してくれた、物語の魔法使いを思い出す。
「ラウラは俺が怖く怖くないのか? 気持ち悪いだろう?」
「え? どこが?」
セストの言っていることが飲み込めないラウラは、心底不思議そうな顔をしてセストを見ている。ラウラの顔を見て、緊張の糸の切れたセストは、気がつくと嗚咽をあげて泣いていた。
ひとしきり泣いたセストだったが、気持ちが落ち着いたらしくばつが悪そうな顔をしている。顔を真っ赤にして、頭をばりばりと掻きながら、あーとかうーと意味のない言葉を発している。
「セストが帰りたくないなら、このままふたりでここに住んじゃう?」
もちろん冗談だったが、それもいいなとも考えた。
「この山に?」
目を擦りながらセストが顔をあげた。
「まずは住む場所が必要だね」
「俺たちで建てるのか?」
「木材はどうしようか? あ、アロルドの家から拝借しよう」
いつもラウラを揶揄うそばかすの少年を思い出す。彼の家は木材屋を営んでいるため、家の裏にはいくつもの廃材が置かれている。
「盗むのかよ」
少しだけ表情の明るくなったセストが、呆気にとられたように言う。
「アロルドは私に意地悪を言うんだもん。仕返しよ」
「食事はどうするんだ?」
「お母さんがいない時を見計らって、私が取りに行く」
「家に帰るのかよ」
それからもふたりでああでもないこうでもないと話していると、随分と時間が経っていたようだ。
二人で持っていた焼き菓子を食べ終わると、意を決したようにセストはラウラの手を引いて立ち上がった。
「帰るか」
尻の土を落としながらラウラも立ち上がり、そのままセストを見上げる。
「セストは怖くないよ。何を怖がると思ってるのかも分かんない」
「……うん。父さんにも誰にも言えなくて、辛かった」
「言っても大丈夫だよ。おじさんもお姉ちゃんも絶対にすごいねって言うよ。セストは心配しすぎだよ」
「……そうかな?」
「そうだよ」
家族に魔力のことを伝えると、なんで家族より先にラウラに相談するんだと笑われた。
ほっとして涙目になるセストに、父親は町の人から奇異な目で見られないように、家族とラウラ以外には秘密にすることをセストにきつく言った。
魔力とは、不可思議な事象を起こすことができる特殊な能力をいう。主に貴族、稀に一部の平民に発現することもあるが、その保持者は非常に少ない。
セストたちの住む町どころか、近隣の町にいるという噂すら聞いたことがない。
「大体さ、そこはまず姉の私に言うべきじゃないの?」
親には言いづらいことでも、年齢の近い姉にならとなるべきではないのか。
呆れたように言う姉に、父親は相手がラウラちゃんなら仕方がないと苦笑いしていた。
「ラウラ、ありがとうな」
セストが何も言わなくても、ラウラはすぐにセストのことを理解して、家族よりもセストのことを分かってくれる。
「これで心配事がなくなったね。良かった」
セストのことは何でも受け入れられるのに、自分の秘密は伝えられない。
「セストは勇気があるよ」
ラウラにはないもの。信じているのに伝えられない。
助けられなかった命が、ラウラに棘として深く突き刺さっている。
◇
「いいものを見つけたんだ」
「いいものって何?」
セストに手を引かれて連れて行かれたのは、入ることをきつく止められている山の奥だ。
木々に覆われて陽の光が入らないせいか、山はジメジメとした獣道ばかりで足場が悪い。大人でも足を取られて転倒することがあり、子供には危険だから入ってはいけないと言われている。
「夕告げ鳥が鳴いてるね」
「もうそんな時間か。あまり遅くはなれないな」
その名のとおり、昼間は山の外に出て行き、夕刻近くになると山の巣に戻ってくる鳥のことだ。その鳴き声が聞こえたら、山に夜が訪れると親たちに口が酸っぱくなるほど教えられた。
「セスト、キーキーした声が聞こえるよ」
微かに聞こえる動物の鳴き声にびくっとしたラウラは、思わずセストの上着の裾を掴んでいた。
「ラウラは鳴き声には敏感だよな」
セストが苦笑いしていると、茂みの中から胴の長い獣がこちらを覗いていた。
むやみに近づかなければ襲ってくることはない小型の獣なので、そのまま気づかないふりをしてやり過ごす。獣も敵意はないと悟ったのか、また茂みの中に姿を消した。
ラウラは時折聞こえる鳴き声に敏感に反応しながら、鬱蒼と茂る木々の間を抜ける。
しばらく歩いた先に赤い実をつけた立木を見つけた。
「見ろよ」
にやり笑ったセストが指さしたのは、淡い黄色の花を咲かせたラウラの好きな果樹だった。よく見ると真っ赤な果実が枝から所狭しとぶら下がっており、甘い匂いが漂ってきそうだ。
「こんなに生ってるの初めて見た。凄いね! よく見つけたね」
「俺は目がいいんだ。山に入ったこと、姉さんたちには絶対言うなよ」
「お姉ちゃん怒ると怖いもんね。私とセストの秘密ね」
そう言うと、満面の笑みを浮かべたセストにつられて、ラウラも破顔した。
二人でせっせと果実を集め、高い場所にある実はセストが枝を震わせて下に落とす。手を使うわけでもなく、幹を蹴るわけでもなく、手のひらから魔力を流し実を落とすのだ。
「もっと早くこの力が使えたら、母さんを助けられたのかな?」
ぽつりと言ったセストの横顔には後悔が滲み、自分を責めているようにも見える。ラウラもセストが見つめている方を向くと、雲一つない空と山の稜線がくっきりとよく見えた。
「運命は変わらないよ」
そう答えるラウラをちらっと横目で見たセストが、視線を戻すと二羽の鳥が空を舞っていた。
「そうかな?」
「うん。運命は変えられない」
運命は変えられない。それはラウラが痛感していること。
たとえ、未来を見通す力があっても、定められたとおりに未来はやってくる。違えようと苦心しても未来からは逃れられない。
セストの母親を死から救おうとしたが、死は狙い澄ましたようにセストの母親の元にやってきた。
運命の狭間を覗く魔女。
ラウラがその血を引くという魔女の血は、結局のところ何もできない無力なものだ。
「運命は変わらないんだよ」
それはセストに向かって言いながら、自分に対して言い聞かせているようだった。
「そっか」
さっきよりも赤く色づいた空を見ながら、セストはそう呟いた。




