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3.運命を歪める者(1)

「セスト、子犬がいる!」


 町の子供と遊んだ帰り道に、ラウラは木樽の影に小さな子犬が倒れているのを見つけた。ラウラの指さす場所をセストが覗き込んだが、黒い子犬はぴくりとも動かない。


 目の前に突きつけられた死の気配は、まだ立ち直ることのできない大切な人のことを思い出させた。


「……セスト、この子死んでるのかな?」

「多分」


 じわりと目に涙を浮かべるラウラに驚いたセストは、焦って恐る恐る子犬に触れた。

 首元や腹に触れるとまだ少し温かい。体勢が変わったことで意識が戻ったのか、子犬は微かではあるが荒い息を始めた。


「生きてる!」

「生きてるけど苦しそう。どうしよう、セスト」

「とりあえず、うちに帰ろう」


 ラウラとセストは顔を見合わせると、ラウラのエプロンで包んですぐにセストの家に連れ帰った。

 家中から使い古しの布を探し出し、その布で子犬を包むと身体が冷えないようにと暖炉の前にそっと置いた。鼻先に水の入った小皿を置くが、子犬は自分で飲むことはできないようだ。口の横から少量の水を流しこむと、わずかに嚥下した。


 夕方に帰ってきたセストの姉は、瀕死の子犬を見守るふたりを見て眉根を寄せた。


「可哀想だけどそんなに小さな子だし、多分死ぬよ。そうなって悲しむのはあんたたちだからね」

「見つけたからには放っておくこともできないだろ」


 セストの姉はそう言うが、ラウラたちは目の前で助けを求めている小さな存在を見捨てることはできなかった。姉は肩を落としたラウラの横を通り過ぎると、奥の部屋へと歩いていく。


「これ使っていいよ」


 戻って来てそうぶっきらぼうに言うと、セストの姉はまだ新しい平織りの布をいくつか運んできた。


「おねえちゃん、ありがとう!」


 素っ気ない態度を取りながらも、姉は座り込んで子犬の額を撫でると助かるといいねと呟いた。


「あんたたちも交代で食事しなさいよ。そこにパンとスープ置いてるから」


 その日はラウラもセストの家に泊まり込んで、ふたりで献身的な看病を続けた。死なないように子犬の身体を温めていると、子犬が水の入った皿にちろりと舌を伸ばした。

 子犬の横たわる暖炉の前で、ふたりで毛布に包まっていた。たまにうつらうつらとし、はっと夜中に目が覚めると、子犬の呼吸を確かめて胸をなで下ろす。


「助かるといいね」

「そうだな。さっき水はちょっと飲んだよな」

「うん。最初は飲まなかったのにね」


 夜も更けて音のない部屋の中で、薪の爆ぜる音だけが耳に入ってくる。ラウラの肩に寄りかかって寝ているセストは、ついさっき睡魔に負けて眠ってしまった。


「……起きてるのはラウラちゃんだけ?」


 足音を忍ばせてやって来たセストの母親は、隣で熟睡している息子に苦笑するとラウラの肩に毛布をかけた。


「今はセストと交代中なの」

「その子、随分と痩せてるのね。今の時期、夜は冷えるから見つけてあげられて良かったわね」

「うん。元気になるかな?」

「元気になるといいわね。でも、こと命に関することは、必ずしも報われるとは限らないからね。もしかしてという覚悟も必要よ」


 後から傷つかないようにとラウラを慮ってのことだろう。優しいがはっきりと死の可能性をラウラに告げた。


 その後もふたりで何日も看病を続け、どうにか子犬は命を取り留めることができた。

 よたよたと自力で起きあがり歩けるようになった頃にはすっかりと情が移り、ギーと名付けられた子犬はセストの家の飼い犬となった。


 瀕死の時から十何倍にも体重の増えたその犬は、ふたりのよき遊び相手になった。

 どこにでもついて行きたがる従順ないたずらっ子は、セストを自分の主人と決め、それより小さなラウラは守るべきものだと決めたようだった。

 ラウラがそばかすのある少年にちょっかいをかけられると、すぐに吠えて追い払いラウラに得意げな顔を見せるのだった。





 祖母の話は記憶の混乱だったのだと記憶から薄れた頃、ラウラは話が真実であったことを思い知ることになる。



 最初はギーだった。

 ふたりが見つけて命を救った大切な飼い犬。


 ある夜明けに、目が覚めてぼんやりとしているラウラの眼前に、突然知らない光景が流れ込んできた。

 それはいつものように自由気ままに町を歩いていたギーが、行きずりの男に蹴り殺される場面だった。

 酒瓶を振り回しながら大声で叫ぶ男に、思い切り蹴られたギーは白い泡を吹いて、身体をピクピクと痙攣させていた。やがて、長い舌をだらりと垂らすとそのまま動かなくなった。


「ギー!」


 ただの夢にしては生々しすぎる。

 恐ろしい白昼夢にラウラの身体はガタガタと震えていた。もはや寝ることなどできそうにないラウラの脳裏に恐ろしい考えが浮かんでいた。

 その戸惑いを振り切るように何度も顔を振ると、窓の外を見て夜明けを待った。


 朝を迎えたラウラはすぐにセストの家に向かうと、ギーの無事を確認しに行った。


「セスト、ギーは!?」


 ちぎれるのではないかというくらいに尻尾を振る黒い毛並みを撫でていると、朝方に見た夢を思い出し手が震えた。ギーを見たラウラは安堵の涙がとまらず、それを見たセストがぎょっとした顔をして駆け寄ってきた。


「なに泣いてんだよ!」

「……泣いてない。ギーと遊びたくなったから来ただけ」

「こんなに朝早くから? 泣いてる理由を言えよ。家で喧嘩でもしたか?」

「別に、喧嘩なんかしてない」


 怪訝そうな顔をしたセストから、ラウラは思わず目をそらす。ラウラの両頬に触れて顔を上げさせたセストは、顔をしかめながらじっと見ている。

 口を一文字に結んだラウラは、何も言えないままセストを見上げていた。


「よく分からないけど、心配事があるなら言えよ」

「……うん」


 言えるはずがない。もしかしたら、あれは魔女の血が視せた未来なのかもしれない。


 セストが大切にしている可愛いギー。

 ギーに何かあったら、きっとセストは悲しむ。


「ギーに何かあると私もセストも悲しいから、変な人がいたら近づいちゃ駄目よ」


 すっかり成犬になったギーは、つぶらな目を細めてラウラの頬に鼻先を押しつけると、そのまま素早い動きでラウラの周りを駆け回った。


「無事でいてね。可愛い子」

 

 ラウラは、ギーを家から出さないように、出かけるときは目を離さないようにと警戒を続けた。朝早くからセストの家へ通い、夕方になるとギーが家に中に入ったことを見届けて家に帰る。


「そんなについて回らなくても、好きにさせても大丈夫だろう。いつもそうしてるんだし」

「だめ! 危ないから、絶対についてあげて」


 飼うといってもどこかに繋いでいるわけではない。雨や雪が降れば家に入れるが、普段は家から出してギーの好きにさせている。どこの家でもそうしていて、それはこれからも変わることはない。

 ラウラもそれを知っているはずだが、外には危ない人がいるから気をつけるようにとずっと訴え続けた。


 あれはやはりただの夢だったのだと気が緩んだころに、町近くで遊んでいたギーは酔っ払いに蹴られて未来視の通りになった。


「ギーを守ってあげられなかった」


 セストからするとギーの死はラウラがいないときに起こったことなのに、なぜかラウラは自分を責め続けていた。

 確かにラウラはギーの安全を過度に気にしていたが、どう考えてもラウラに責はない。


「ラウラのせいじゃないだろう?」

「私がそばにいたら助けてあげられたかもしれないのに、どうして私はそばを離れたんだろう」


 セストにはギーを殺した男への怒りや、喪った命への悲しみももちろんあった。


「なんで、どうしてギーが?」


 しかし、あまりにラウラがギーの死に動揺し混乱しているため、それを宥めることに必死だった。

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