19.傾く天秤(1)
セストは王都に到着して、まずは滞在するための宿屋に向かった。
セストが決めたのは安さだけが取り柄の安宿で、大部屋で人一人が寝るだけの場所を貸し出すだけ。当然食事の用意もないので、客は外で済ませて来るものらしい。
幸いなことに宿には十分な空きがあり、明日からの本格的な捜索の向けて、まずは食事を摂ることにした。
すでに日は暮れ始めている。どこに行けば食事にありつけるのかが分からず宿屋の店主に訊ねると、食事処の集まる地区を教えてもらえた。
言われた通りに進むと、宿屋からそう歩かずに酒場が並ぶ大きな通りにたどり着いた。
魔術士に連れられて初めて王都に来た時は、すぐさま騎士団の施設に連れて行かれ、街を見る暇などなかった。
初めて歩く王都の街は日が落ちても灯りが絶えず、長閑な故郷の町で育ったセストはあまりの違いに驚くばかりだ。
「……だったの」
腹にたまればいいと適当な店に入ろうとしたところで、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
声の主を求めて覗いた路地裏にいたのは、紛れもなくラウラだった。
ラウラのことを考えすぎて幻でも見たのかと考えたが、占術師の格好をした老婆が相手をしているので実物のようだ。
「おばさんが死ぬ未来を視て助けようとしたけど、結果は変わらなかった」
聞こえてきた不穏な話に眉根を寄せたセストは、続くラウラの話に耳を傾ける。恐らく、時折感じていたラウラの言動の違和感の正体を、今ラウラが語っている。
ラウラは話せるまで待っていて欲しいといっていたが、すでにそんな悠長なことをしている場合ではない。
卑怯なことをしてる自覚はあったが、セストはそのまま立ち聞きすることに決めた。
「運命って簡単に変えられるものじゃないんだね」
占術師の老婆に向けて、ラウラは蕩々と話を続ける。
運命を変えようと必死だったが、結局は無駄な足掻きで、ラウラが何をしても、全てを歪めることは叶わなかった。
だが、己の存在を代償とし、セストが命を落とす未来だけは覆すことができた。
「両親やお姉ちゃんが私のことが分からなくなっていくのを見て、やっと自分がしたことの重大さが分かったの」
「知識がないのに能力だけあるというのも困ったものだな」
「本当よね。おばあちゃんが教えてくれる前に死んじゃったから、こうなるって知らなかったの。でも、知っていたとしてもセストを失うくらいなら、私は何度でも禁忌を犯し続けたよ」
「彼を愛しているんだね」
ラウラは小さく首をかしげながら微笑んだ。
「恋とか愛って分からないけど、私はセストがいなくなったら生きていけないと思う」
「その献身は十分愛だと思うけどね」
老婆は皺くちゃの顔で微笑むと、慈愛に満ちた目でラウラを見つめている。老婆の言葉を聞いたラウラは、静かに目を細めると小さく笑った。
「そうかな? そうなのかもね」
愛している。だから、愛する人と出逢うセストが早くラウラを見限るように、わざとひどいことを言った。今考えると、セストを傷つけるだけのただの独りよがりだったと申し訳なく思う。
「私はどれくらいで消えてしまうと思う?」
「この世界に生きる私たちは、各々が自分の存在を保つための天秤を持っている。そして、その天秤が片方に傾いた時、生を終えるのだ。あんたの天秤はすっかりと傾いていて、すでに姿も影も消えかけている。あとひと月はかからないだろう」
少しだけ言い淀んだ老婆だったが、そうはっきりとラウラに告げた。
他の誰にも見えないラウラの姿が見える占術師のいうことだ。きっとそれは真実なのだろう。
「今でも誰も私に気づかないもんね。近くを歩いても話しかけても、誰も私に気づかない」
それはとても孤独だった。
話しかけても手で触れても、相手はラウラを認識しない。そこに確かにラウラはいるのに、誰もラウラに気づくことはない。
「最初は私を認識できないだけかと思っていたけど、途中から私自身が消えかけてるかもしれないって気づいたの。確信が持てないままだったけど、やっぱりそうなんだね」
もしかしたらというラウラの希望は、老婆によって打ち砕かれた。
そうして今も、ラウラの最期の時は刻々と近づいてきている。
今も足下を見れば、店から漏れた灯りによって老婆や机の影ははっきりと映っているのに、ラウラの影は薄ぼんやりと形をなしていない。
「こうやって誰に知られることもなく、私は消えていくんだね」
「それが禁忌を犯した者のなれの果てだ」
「おばあさんに会えて良かった。ずっと独りだから、誰かと話したい気分だったんだ」
セストに逢いたくて両親へ別れを告げ王都へやって来た。しかし、広い王都のどこに行けばセストに逢えるのか。
そもそも辺境から帰って来ているのかすらラウラが知ることはできなかった。
町を出ずにセストが帰って来るのを待っていた方が良かったのではないかとも何度も考えた。
もはやどうすればいいのかすら分からない時に、占術師の老婆と出会い己の運命を知った。
「おばあさん、話を聞いてくれてありがとう」
老婆が見たラウラは弱々しくも、覚悟受け入れた者の顔をしていた。
老婆に別れを告げ椅子から立ち上がったところで、物陰の人影が姿を現した。
「ラウラの隠し事はこれだったのか」
そこにはラウラが逢いたくて仕方がなかったセストが、険しい顔をして立っている。
町にいた時よりも身体が鍛えられ精悍な印象に変わっている。髪は短く刈りそろえられ、ラウラの隣にいた彼とは人が違っているようだ。
旅支度のままのセストは重い鞄をその場に落とすと、ラウラに歩み寄った。
「セスト!」
「ああ」
「私が……分かるの?」
「分かるよ」
占術師の老婆以外、誰もラウラに気づくことはなかった。
当然セストからもラウラとの記憶は消えているはずだと思っていたが、目の前のセストは確かにラウラを見ている。
こぼれ落ちそうなほど目を見開いたラウラの目に滴が盛り上がり、瞬きをした目からいくつもの大粒の涙が流れ落ちた。
涙をこぼしながらも、セストから一時も目を逸らしたくないとばかりにセストを見つめている。
そんなラウラにセストは両手を広げるとゆっくりと微笑んだ。
「辛かったな」
「セスト!」
名前を呼びながら胸に飛び込んできたラウラを、セストはしっかりと抱き留めた。セストに触れたことで気が緩んだのか、ラウラはそのままセストの胸にしがみついて泣き始めた。
「待ってろって言っただろう。なんで王都にいるんだよ。捜したじゃないか」
「だって、お父さんも……お母さんも……私のことが分からなくなって、きっとセストも私のことを忘れちゃってると思ったの。辺境から王都に戻ってもすぐには町に帰ってこないって聞いたから」
何度もつっかえながら話す言葉を、セストはじっと聞いている。
「一度町に帰ったから、おじさんたちのことは分かってる」
誰もラウラのことを知らないと言う中、セストですら自分がおかしくなってしまったのかと混乱した。当事者のラウラはどれほどの恐怖だっただろうか。
「怖かったな」
耳元で聞こえてくる優しい声にたまらず声を上げて泣くラウラの頭をずっとなでながら、老婆に声をかける。
「ばあさん。どうやったらラウラは消えずに済む?」
「驚いた。お前さんはその子の姿が見えるのか」
皺の寄った小さな目を丸くして、老婆がたまらず呟いた。
「ああ、見えてるよ。だけど、故郷の誰もラウラが分からなくなっていた」
「そうだ。その子はもう存在が消えかけていて姿も朧気だ」
すでに姿も声も他者から認識されない存在に変わりつつある。
「どうにかならないのか? 俺にできることならなんでもする。ラウラを助けてくれ」
「天秤を保つ錘となるものがあれば、あるいは……」
「錘ってなんだ? それはどうしたら見つけられるんだ?」
「私はただの年老いた占術師だよ。何ができるわけでもない。ただ少しばかり知っていることを話しただけ」
それでもなお、老婆に取りすがろうとするセストの服をラウラが引っ張る。
「もういいよ。おばあさんに迷惑かけちゃ駄目。おばあさんありがとうね。また会えたらいいね」
「ああ、あんたが消えてしまう前に」




