18.辺境からの帰還(2)
宿場町の安宿に何度か泊まり最後の乗り換えを済ませると、馬車の窓から見える景色は懐かしいものへと変わっていく。
あれはラウラと木の実を取った山。あれはふたりで魚を穫った川。思い出すのはラウラとのことばかりだ。
ラウラはセストを待っていると言っていた。隠していることをすべて話すとも言っていた。ラウラに逢えば何年にも亘ったセストの懊悩は解消されるはずだ。
ラウラに感じていた精神的な距離も、もう考えなくてもいいのだと気持ちは明るい。
乗合馬車の停車場に着いて慣れ親しんだ町並みを見ると、ようやく帰ってきたのだと実感した。到着するや否や、セストはすぐさまラウラの家へ向かって駆け出した。
そろそろ陽が沈む。この時間であれば仕事を終えて、家に帰ってるはずだ。
「おじさん! おばさん!」
自宅を通り越しラウラの家の扉を叩くと、ラウラの両親は歓喜に顔を染めながら迎え入れてくれた。
「セスト。よく無事だったな! 心配したぞ」
「おかえりなさい。怪我はしていない? 魔獣は恐ろしかったでしょう?」
「背も伸びたし、身体も鍛えたんだな。随分と逞しくなった。帰って来るのは早くても半月以上先だと聞いていたから、こんなに早く帰って来ると思わなかった」
「辺境から全員が帰って来るのはそれくらい先になるんだけど、俺は最初の部隊で帰って来たから早く帰れたよ」
矢継ぎ早にかけられる優しい言葉にセストは破顔する。部屋の中を見回すが、セストの声を聞けば飛び出てきそうなラウラがいない。
「おじさん、ラウラは出かけてるの?」
「誰が出かけてるって?」
「ラウラだよ」
「ラウラ?」
無事を喜んでくれたラウラの両親だったが、なぜか話が噛み合わない。ふたりは顔を見合わせると、不審げな顔をしてセストに問うた。
「ラウラって誰のことだ?」
「なに冗談言ってるんだよ」
「冗談?」
不思議そうに首を傾げるラウラの父親の顔に、冗談を言っている様子はない。むしろ、辺境から戻ったばかりで疲れているのかななどと、セストを気遣ってくる始末だ。
「おばさんは? おばさんはラウラがわかるだろう?」
「この辺にラウラなんて子いたかしら?」
二人が嘘をついている様子はなく、本当にラウラのことを知らないと首を振る。
「セスト!」
ラウラの両親の反応に動揺していたセストの耳に、姉の声が聞こえてきた。振り向くとセストの姉が幽霊でも見たような顔をして立ちすくんでいた。手には籠を持っているので、ラウラの家に何かを持ってきたのだろう。
「なんですぐに家に帰ってこないのよ」
いつになく感情を出した姉が、セストに駆け寄った。
「数日前に珍しい虹が出たのよ。そしたら、裏のおばあちゃんがセストに何かあったんじゃないかとか言うから不安になって……」
姉は唇をわなわなと震えさせながら無言でセストを抱きしめ、小さく嗚咽をあげ始めた。姉が泣く姿は母親の葬儀以来だった。
「ごめん。心配かけた」
「おばあちゃんもずっと心配してたから、後で顔見せに行きなさいよ」
気が強く言葉が乱暴な姉が、人前で泣くのは余程のことだ。申し訳ない気持ちで姉の背を撫でると、姉は鼻をすすりながら顔を上げた。
「無事に帰ってきたんだからもういいわ」
はっと顔を上げた姉は急いで自宅に父親を呼びに行くと、一緒に戻って来た父親はセストの姿を見るなり目尻に滴を浮かべた。
「父さん、帰って来たよ」
「ああ、良かった。これでやっと母さんに報告ができる」
「本当に無事で良かった。ずっと心配してたんだから。なんで手紙の一つも寄越さなかったのよ?」
「無理だよ。滞在する場所は定期的に変わるし、騎士たちが大量に出向いていることで隣国に警戒されないため、情報は秘匿されてたんだ」
やっといつもの様子を取り戻した姉にセストはラウラのことを問いかける。
「姉さん、ラウラは分かるよな? おじさんたちが変なこと言ってて……」
「ラウラって誰よ?」
「さっきも言ってたけど、ラウラって誰のことを言ってるの?」
セストの父親も姉も、ラウラの両親ですらラウラのことが分からないと言う。
ラウラとの付き合いは生まれた時からだ。セストの両親もラウラの両親も、それぞれの子供たちを互いに預け合い、兄弟のように育てていた。そのラウラを忘れるなんてあり得ない。
セストの背筋に冷たい物が伝っていった。
何かがおかしい。
その時、遠くからセストを呼ぶ複数の声が聞こえてきた。やって来ているのはアロルドたちの声だった。
馬車乗り場から走るセストは誰彼の目にとまっていたらしく、それを聞いた幼友達たちが駆けつけたのだ。
「セストが帰ったって町で噂になってたぞ」
「本物のセストだ」
「おかえり。無事でよかったな」
セストに向かって友人たちは思い思いに言いたいことを言い始めた。彼らの友情に感謝しつつも、セストは上手く笑えないままアロルドの肩に手をかけた。
「アロルド、お前はラウラが分かるよな?」
セストはアロルドの肩を揺らしながら、懇願するように問いかける。身体を前後に揺らされながら、アロルドは落ち着けとセストの手を何度も叩いている。
「ラウラ? 誰だそれ?」
「亜麻色の髪をしたラウラだよ。お前はいつもくすんだ金髪だとからかってだろ?」
「なんのことだ?」
幼い頃からあんなにラウラに執着していたアロルドですら、ラウラを知らないという。
一瞬、ラウラにこっぴどく振られた腹いせなのかと考えたが、ラウラの名前に何の反応もなく嘘をついている様子は微塵も感じられない。
そういえば、アロルドはラウラの側にいるセストをいつも意識していた。こんな風にセストを敵対視せずにただの友人として扱ってくることはなかった。
セストの様子を見てアロルドたちは顔を見合わせると、疲れてるようだからまた来るよと言い残してセストの家から立ち去った。
辺境に行って帰って来たら、町の誰もがラウラのことを忘れていた。まるで最初からいなかったかのように、誰も彼もラウラのことを覚えていない。
「一体どうなってるんだ?」
「あんたこそどうしたのよ。辺境に行ってた疲れでおかしくなってない?」
姉とラウラの母親は顔を見合わせながら不思議な言動を繰り返すセストを心から心配している。
考え込んでいたセストだったが、ラウラの両親にラウラの部屋だった奥の部屋を見せて欲しいと頼んだ。呆気にとられたラウラの両親をよそに、勝手知ったる幼馴染の部屋を躊躇なく開け放った。
「その部屋には何もないだろう?」
数年ぶりに入ったラウラの部屋だがラウラの服や鞄が置いてあり、ラウラの寝ていた寝台や収納棚もある。
棚の上に置いてあった玩具が鏡や装飾品に変わっていたりと、子供の頃は入り浸っていた頃とは置いてある物が多少は変わっているが、そこは間違いなくラウラの部屋だった。
セストにはラウラの部屋が見ているのに、ラウラの両親にはそれが見えていない。
「なんでだ?」
混乱しながら自宅に戻ったセストは、扉と屋根の一部が修繕されている家を見て立ち止まった。壊れた箇所を修理されている、ただそれだけだったが、その見慣れない光景に自分のいなかった二年の歳月を深く感じ入る。
姉が言うように辺境での凄惨な戦いのせいで記憶がおかしくなっているのだろうか。
どすんと長椅子に座り込み天井を仰ぎ見ると、視界の端の柱に目が行った。そこにはセストとラウラの成長の記録が残っている。
幼いセストがラウラの身長を抜いた時に喜んで印をつけ、それから何年もふたりの背丈を残し続けた。
「あった。 ラウラのいた証拠だ」
人差し指で柱をなでると間違いのないラウラの痕跡が残っている。はっと思い出し、自分の部屋へと向かうと収納棚から手袋を取りだした。
セストの誕生日にラウラが編んでくれた手袋だ。辺境へ持って行くことを迷ったが、汚れたり紛失してしまうことを懸念して残していったものだ。
「もしかして、魔術的な何か?」
魔術などとは無縁な世界で生きていたが、今は不可思議な力はあると魔術士たちを見て知っている。魔術士であればこのおかしな状況を説明できるかもしれない。
「誰かに聞かないと」
脳裏に浮かんだのは魔術士副団長の顔だった。
だったらこの町にいても仕方がない。
「ごめん! 明日になったら王都に戻る」
家を飛び出したセストを追いかけてきた姉にそう言うと、明らかに不審そうな姉が苛立った声をあげた。
「何言ってるのよ。帰ってきたばかりじゃない」
「まだ手続きとかが残っていて、元々王都に戻ることになってるんだ。俺は最初の部隊で帰って来たから、他の人より時間があって顔見せに帰ってきた」
「本当に大丈夫か?」
様子のおかしいセストを父親と姉は、辺境での戦いの後遺症かと心配をしている。
「手続きが終わったら帰ってくるのよね?」
「当たり前だろ。他にどこに行くんだよ。色んな手続きが終わったら、ちゃんと戻ってくるから心配しなくていいよ」
ラウラの部屋は確かにラウラの部屋だったが、整然と片付けられ生活感というものがなくなっていた。ラウラの両親にはあの部屋が見えていなかった。ならば、部屋を整理したのはラウラだろう。
きっともう戻らないつもりで部屋を後にしたはず。
自分のことを両親や町の人が忘れていくのをどんな思いで耐えていたのか。
ラウラの父親はあと半月以上は帰らないと聞いたと言っていた。それをラウラも聞いていたとしたら、ラウラはセストに逢うために王都へ向かったのではないだろうか。
家族にも忘れられたラウラが頼るとしたら、セストしかいないというのは自惚れではないはずだ。
乗合馬車に乗って再びセストは王都へと向かう。
天候が崩れることがなかったせいか、予想よりも早く王都に着くことができた。
魔術士副団長と話ができればいいが、魔術師たちは調査があるからと最後の部隊に固まっていた。魔力に対して好奇心旺盛な魔術士副団長なら、きっと最後まで残りたがるはずだ。
辺境では気さくに話すことができた人だが、王都に戻れば彼は魔術士団の上位層の立場にいる人だ。一介の平民であるセストが果たしてどうやって彼と話す機会が得られるだろうかと頭を抱える。
滞在中の安宿を取り食事をしようと街へ出ると、どこからかよく知った声が聞こえてきた。




