17.辺境からの帰還(1)
猪の魔獣を倒した後は山は一斉に霧が晴れ、霧の山と呼ばれていたことの名残すら残っていなかった。それから数日に亘り、生き残っている小物を騎士たちが片っ端から片づけ、魔術士たちが魔力の残滓を調査する。
その結果、魔獣を生み出すものがいなくなった山に、危険はないだろうとの判断が下された。
騎士団長により王都に帰るための指示が下され、帰途の準備に取りかかっている。
但し、大所帯な上に怪我を負った者も多くいるため、いくつもの部隊に分かれて帰還する。
あの日のセストの行動について、騎士団長や魔術士副団長に何度か詰め寄られた。
分からないとの説明を何度も重ねたが、どうにも腑に落ちないらしく、特に騎士団長の追求は続く。
どうしてセストが霧の障壁を通り抜けることができたのか、赤い鬣の魔獣に執拗に追われたのはなぜか。訊かれるのはいつも同じことだ。
今日もなぜか食事中にふたりがやって来て、セストの前を陣取っている。ふたりを見た途端、周りに座っていた者たちは潮が引くように去って行った。
「騎士団長も一緒に霧を抜けましたよ?」
「そうだが、俺はどちらかというと、お前に巻き込まれただけだろ?」
「セストは何か知ってそうな気がするんですけどね」
騎士団長は本気の詰問だが、魔術士副団長は狼狽するセストを面白がっている風でもあった。
あの日赤い鬣の魔獣とセストの間に飛び込んで来たラウラは、幸運なことに誰の目にもとまらなかった。ラウラのことを話す気はないが、話そうにもセスト自身もよく分かっていないのが本当のところだ。
「まあいい。セストは俺と同じ最初の帰還部隊に入れておいた。道中、話ができるな」
「……いえ。他の人たちと一緒の後の部隊でいいです」
面倒なことになったと思ったが、先に帰れば早く町に帰れるかもしれないと考えそれ以上固持することはやめた。
騎士団長たちの追求から帰ったセストを、食堂の後片付けをしていたリタが迎えてくれた。
「セスト、おかえり」
「ただいま」
「今日こそは、納得してもらえた?」
「どうだろう? これ以上は何も話すことがなくて困る」
リタは卓上の皿を片付けながら、気の毒そうな顔をセストに向けた。
「やっと帰れるのね」
「ああ」
これから何日もかけて王都へ帰るのは大変だ。だが、皆の顔は明るい。
リタも表面上は喜んでいるように装っているが、ふとした瞬間に浮かべる表情は暗いままだ。
「リタの家の話をレナートにしてもいいか? リタが言い辛いなら俺が言うから」
「私が余計な話をしたせいね。ごめんなさい。あの話はセストも忘れて」
リタはこのまま帰れば家の借金の形として、富豪の後添えとなる。
家の借金だからと諦めてはいるが、どうにもその契約自体に不審なところがあるため、リタ自身も気持ちが追いついていない。
「惨めだとか知られたくないとか言ってる場合じゃないだろ。ここには家が商売をしていて、少なくとも俺より相談に相応しい相手がいる。レナートが信用できる奴ってことはリタも分かってるよな」
それでもまだ首を振るリタを何度も説得し、夕食の後にいつも訓練をしていた場所で落ち合うことを了承させた。
なかなか話し出さないリタに代わりセストが概要を話し、その後覚悟を決めたリタが詳細を説明する。二人の話をレナートは眉間に深い皺を刻みながら聞いていた。
「契約書を読んでないからはっきりとは言えないが、結構な無茶をしたなという印象だ。リタの家の出資は少額なのに、負債の額が多すぎる」
「だったら、どうにかならないか?」
リタを後添えにと狙う親戚の名を聞いたレナートは、不快そうに舌打ちすると少し間を置いて言葉を続けた。
「父親は阿漕な商売をすると評判は良くないな。息子の代になれば少しはましになるだろうと言われているが」
「……なぜか昔から執着されていて、今までも何度か後妻の話はあったのよ。流石に父も断っていたんだけど」
正攻法では断られたため、相手は手法を変えたらしい。
見返りの大きな契約を提示されたリタの父親は、欲に駆られてあっさりと罠にはまった。よくよく聞くとその他にもいくつかの契約を結んでおり、どれかの仕掛けにひっかかればいいと思われていたのだろう。その周到さにリタが震える。
「どんな内容であろうと契約をしてしまってるのが痛手だな。明らかに裏がありそうな内容でも契約は契約で覆すのは難しい」
そこまで聞いたリタは諦念の表情を浮かべ、部屋に帰ろうと促し始めた。
覆すのは難しいと口の中で呟いたセストは、レナートの方を向いた。
「レナートはその商店に知り合いはいないのか?」
「長男は年が離れているし顔を知っている程度だな。三男とは話さないことはない」
「だったら、三男経由でいいから跡継ぎの耳に、リタが魔獣退治の報奨に債務の免除を申し立てるつもりだと言ってみたら? 覆すのが難しいなら向こうから取り下げさせればいいじゃないか」
そうなれば当然契約の中身が確認されるだろう。出資の割合にそぐわない、明らかに法外な損害負担。
「報奨といっても金一封くらいだと聞いてるわよ。そんな無理は通らないわ」
「報奨の内容は明かされていないんだから、今なら何を言っても嘘じゃない」
後から騙されたと訴えられても、あの時はそう思っていたと通せばいい。
「父親はともかく息子は焦るかもな。商人は信用と実績が命だ。不当な契約で陥れたなんて知られたら、店の信用はがた落ちする」
「やるなら今だな。リタ、腹を決めろ。できることがあるならやってから諦めたらいい」
自分不在で進む話に圧倒されていたリタだったが、話の途中からは吹っ切れたような表情に変わっていた。
「レナート、頼むな」
「リタのためだし、どこまで上手くいくか分からないがやれることはやるよ」
「ありがとう。迷惑かけてごめんなさい」
何も好転はしていないが、方針が決まったことで道が拓けたような気持ちで各自の部屋へと向かい出す。
「レナートがいれば安心だな」
「セストは一緒に来てくれないの?」
「俺には商売に関する知識も伝手もないから、この件では足手まといにはなっても手伝えることはないよ」
直情的なセストでは腹芸など到底できそうにない。感情のまま行動して、まとまる話もまとまらなくなるだろう。
「そっか。セストがいてくれたら心強かったんだけどな」
心底残念そうな顔をするリタにセストはすまないとひと言告げた。
リタと別れてセストとレナートはふたりの大部屋へと並んで歩く。
レナートは何かを言いかけては口を噤むのを、何度か繰り返していた。
「セストが支えてやる気はないのか? リタの気持ちには気づいてるだろう?」
レナートの言葉を聞いたセストは曖昧に笑う。
「俺がリタにしてやれるのはここまでだよ」
「リタは美人だし、性格もいいぞ?」
「だったら、レナートが支えてやればいい」
当のリタには届いていないが、レナートの隠すつもりもない好意は端で見る分には分かりやすい。
「まあ、気づかれるよな」
「そりゃあ、二年も一緒にいたら気づくよ。そもそも俺はリタには仲間という感情以外は持ってないよ」
これは紛れもない本心だった。年齢が近いため自然と一緒にいることは多かったが、各地から集められた魔力持ちの一人という認識しか持ってはいない。
「帰ったらセストの大切なラウラちゃんに会わせろよ」
「……手は出すなよ」
その時のセストは、魔獣と対峙した時にも見たことがないような険しい表情をしていた。
◇
騎士団長の予告どおり、セストは一陣目の帰還部隊に入れられていた。
物言いたげなリタや軽快に手を振るレナートとつかの間の別れを告げ、セストだけ一足先に王都への帰途についた。
移動中に騎士団長に詰め寄られる覚悟をしていたが、道中の指揮や国への報告をまとめたりと、何かと忙しいようでセストを構っている暇はなかったようだ。
決して快適とは言い難い馬車の移動を何日も重ね、ようやく王都が近づいて来た時にはどこかしこから歓喜の声があがった。
王都に到着した騎士や魔術士は通常業務に戻り、セストたち魔力持ちは後続部隊を待つようにと指示された。
但し、報奨の受け取りなどの手続きのため、後続部隊が揃うまでに王都に戻っていれば自由にしてもいいと言われ、セストは迷うことなく町に帰ることを決めたのだった。




