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幸せな分銅  作者: 新在 落花


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16.禁忌の代償(2)

 その日ラウラは幼い頃にもらったオレンジ色のリボンをつけていた。

 もう子供ではないラウラは自分で髪を結って、飾りをつけることもできる。


 いくつかの装飾品が増えても、初めて手にしたこのリボンは特別だ。

 大切に保管して特別な時に身につけるようにしていた。その度に嬉しそうな顔をしていたセストの姉が、もうラウラに向かって笑ってくれることはない。


「お姉ちゃん、あのリボンまだ大切に使ってるのよ。初めて違う髪型をして、セストと出かけたのが本当に嬉しかったの」


 ラウラの声の聞こえていないセストの姉は、いくつかの瓶を籠から出すとラウラの母親に手渡した。


「おばさん、根菜や葉物の香草漬を作ったの。たくさんあるからお裾分け」

「まあ、いつもありがとう」


 セストの姉の来訪に扉を開けたラウラの母親は、前掛けで手を拭きながら部屋に招き入れた。


「今回はいままでになく成功してるの。美味しいから食べてみて」

「女の子はいいわね。うちにも娘がいたら良かったのに」


 セストの姉の籠にいくつかの菓子を入れると、ラウラの母親はしみじみと言った。


「お母さん、娘はいるでしょう。私の作る香草漬が好きって言ってくれたじゃない」


 野菜を香草や塩に漬ける冬の間の保存食だ。ラウラは毎回香草や塩、酢の量を調整しながら味に変化をつけていた。

 ラウラの母親は娘の作ったものを、それは美味しそうに食べてくれていたのだ。


「私が作るのが一番美味しいって言ってたのに」


 セストの姉を見送るために、ラウラの母親が玄関から外に出る。

 もうすぐ陽が落ち、町は深い闇に包まれる時間だ。ラウラもふたりと共に外に出た。


 セストの姉の隣に立ったラウラは、姉に向かって声をかける。


「お姉ちゃんは幸せになっていいと思うよ。セストもそう思ってる」


 それはラウラが誰からも認識されず、町の広場で途方に暮れていた時のことだった。ラウラの座る椅子のそばに、セストの姉とひとりの青年がやって来た。


 青年はセストの姉に恋人になって欲しいと告白していたが、セストの姉はセストが辛い思いをしているのに自分だけ幸せになることはできないと愛の言葉を拒絶していた。

 姉は青年を振り切るように歩き出すと、青年がその後を追って行った。


 物言いがきついと言われることがあるが、姉はとても愛情深い人なのだ。


「お姉ちゃんは私とセストがいたずらすると、ふたりまとめて分け隔てなく叱ったよね。私はそれが本当の兄弟扱いされてるみたいで凄く嬉しかった」


 赤々とした夕日が影を長く作り出す。だが、そこにラウラの影はない。

 ふたりの隣に立つラウラの影は、薄くぼんやりとして影の体をなしていない。


 影だけでなく、水面や鏡に映る姿も日に日に薄くなってきていった。それらはまるでその場にラウラなどいないかのように、ラウラ以外のものを映し出す。


 そろそろラウラも、本当の報いが何なのかが分かり始めていた。


 皆の記憶からラウラが消えているのではない。

 ラウラの存在自体が消えつつあるのだ。


 あと一日だけ、両親のそばで過ごしたら王都へ行こう。



 ラウラの影はどんどん薄くなってゆく。

 自分に残された時間が少ないと悟ったラウラは、最後に逢いたい人の元へと行くことに決めた。


 辺境から王都へ帰るのも時間がかかる上に、手続きで王都にしばらく滞在するのだとラウラの父親が言っていた。

 ならば、こちらから逢いに行く方が早い。


「お父さん、お母さん。私セストの所に行くね。もう会えないと思うけど、元気で長生きしてね」


 両親は朝食後に向かい合って茶を飲んでいた。食後ののどかで温かないつもの風景だ。ただ、その家族の輪の中にラウラがいないだけ。


「さようなら」


 両親にそっと別れを告げると、何も答えない両親を背に、玄関の戸をそっと閉めた。歩き出したラウラは、後ろ髪を引かれる思いで最後にもう一度と振り返った。


 子供の頃、遅くまで遊んで薄暗い道を歩いていると、家の灯りが見えた途端に泣きたいくらいにホッと安心できたものだ。その家が、今はラウラを拒絶しているように思える。


 鞄一つに荷物を詰めたラウラはオレンジ色のリボンを靡かせて、町のはずれにある馬車乗り場を目指す。王都へ向かうには、馬車を何度か乗り換えて向かうしか方法がない。

 吹いてきた冷たい風に震えたが、雪の季節はまだ先なので馬車が足止めされることはないだろう。 


 町はずれまでの道を歩いていても、誰もラウラには見向きもしない。

 町行く人や顔見知りの露天商のおばあさんに挨拶をしても、ラウラの声にも姿にも気づくことはない。


「おばあさんの焼き菓子大好きだった。今までありがとうね」


 唇を噛んで涙を堪えたラウラは、重たい足取りで町を通り抜けていく。

 馬車乗り場にはラウラの他にも数人の客がいた。互いに行き先や天候について話している横で、ラウラも馬車を待つ。

 やがて予定より随分と遅れて馬車は到着し、ラウラは他の客と共に馬車へと乗り込んだ。


 去りゆく馬車の中から慣れ親しんだ町への別れを告げていると、数え切れないほどの想い出がラウラの中を駆け巡った。


「もう一度、セストと一緒にこの景色を見たかったな」


 帰ってきたセストはこの風景を懐かしく感じるのだろう。

 ラウラがいなくてもきっとそう思うはずだ。


「あ、虹だ」


 太陽を取り囲むように、丸い虹が架かっていた。

 町がラウラを送り出してくれているような気がして、我慢していた涙がこぼれた。





 何日も馬車に揺られ、何度か馬車を乗り換えた。夜は宿屋の食事処の隅や、雨風が凌げる場所を借りた。

 妙齢のラウラの一人旅であれば危険は付きものだが、その心配がないのがせめてもの救いだった。


「誰にも見えないんだから襲われることもないよね」


 朝になり、次の馬車乗り場へと向かう。後一度、馬車に乗れば王都へ到着する。


 セストに逢うにはどこへ向かえばいいのか、本当に逢うことができるのかなど、不安は尽きないがじっと待つだけの時間がラウラには残されていない。


 その時ラウラの腹がぐぅと鳴った。町のあちこちに朝市が立ち、届いてくるいい匂いがラウラの空腹を刺激したようだ。

 ふらふらと市を歩いていると、美味しそうなパンを並べた屋台が目に入った。


「おじさん、このパン一つちょうだい」


 食べる物を売ってもらいたくても、店主に気づいてもらえない。ラウラはパンを一つ手に取ると、小銭をそっと置いた。


「ちゃんとお金は払ったからね」


 歩きながら一口食べたパンは美味しかった。どこか甘さを感じる味で、今までラウラが食べた中でも抜きん出た味だった。


「おじさん、これ美味しいね!」


 思わず振り返って店主に告げるが、店主は大きなあくびをして客の少なさを嘆いていた。


「……本当に美味しいよ」


 誰にも聞こえないラウラの声は、朝焼けに溶けて消えた。

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