15.禁忌の代償(1)
「ちょっとラウラどこで寝てるのよ」
母親の声が聞こえてゆっくりと目を開けたラウラは、そこが見慣れた自宅であることに呆然とする。
ほんの今までラウラはセストと共に魔獣が出没する山にいたのだ。そこでセストの命を奪う赤い鬣の魔獣から、ふたりで逃げおおせたはずだとラウラは混乱に陥った。
「なんでこんなに身体が冷えてるの?」
腕にはセストに抱きしめられた感触がまだ残っている。
まさかあれは夢だったのだろうか。
「熱があるじゃない。すぐに横になりなさい」
母親がずっと何かを言っているが、混乱と熱でぼんやりとして話が頭に入って来ない。
母親はラウラの手を肩に回すと、支えながら部屋へと向かって歩き出した。
それから数日間、ラウラは熱に冒されずっと夢現のままだった。
『決められた未来を、運命を歪めることは決してしてはならないよ』
セストを守れたという幸せな夢に微睡む中、ラウラは祖母の言いつけを破ったことを軽く考えていたのだ。
セストを赤い鬣の魔獣から救えたと思ったのは、熱に冒された夢の中の出来事だったのか、はたまた現実だったのか。
すでに当のラウラでさえ分からなくなっていた。
しかし、それからそうもかからずに、セストの運命は変わったのだと実感することになった。
ラウラの日常が少しずつ歪み始めたのだ。
「お母さん、洗濯物の取り込み終わったよ」
ラウラは干していた洗濯物を取り込むと、籠を抱えたまま母親に声をかける。すると、声をかけられた母親はなぜか戸惑った顔をしてラウラを見ていた。
「……え? ……ああ、ラウラだったのね」
すぐにいつもの様子に戻ったが、一瞬顔がこわばったのはなんだったのか。そんなに驚かせるようなことを言っただろうかと、その時のラウラは不思議に思っただけだった。
それからも両親がラウラを見て他人が家にいるような驚きをみせたり、あからさまに眉をひそめて怪訝な顔をすることが増えてきた。
すぐにはっと我に返ってラウラに笑いかける両親を見て、ラウラはようやく祖母の言いつけを破った報いなのだと思い至った。
これが禁忌を犯した者の末路だ。
更に日が経つにつれ、両親がラウラを娘だと認識できないことが増えてきた。両親の中からラウラという存在が消えかけているのだ。
ラウラを見知らぬ他人のように扱うこともあるが、ふとした瞬間に娘だと認識することもある。
その影響は両親だけなのだろうかと町の知り合いの元へと行くが、やはり両親と変わらない反応が返ってくる。
可愛がってくれた裏のおばあちゃんも、がらくた屋の店主も、ラウラを初対面の相手として扱った。
肩を落として町を歩いていると、向こうからそばかすの青年が歩いてくるのが見えた。あまり会いたい相手ではなかったが、それでも縋るようにアロルドに話しかけた。
「アロルド、私がわかる?」
声をかけられたアロルドは、ラウラを見るとパッと顔を赤らめながら動揺してみせた。
「失礼ですが、どこかでお会いしましたか?」
アロルドは丁寧に他人行儀な答えを返すが、いつものからかいの言葉が出てくる様子はない。
覚悟をしていたとはいえ、堪らなくなったラウラはふらりとその場を離れようと向きを変える。
「あの、良かったら、この後……」
アロルドはラウラを誘うような言葉を続けていたが、歩き出したラウラがその言葉を聞くことはなかった。
「あんなに憎まれ口ばっかり叩いていたのに、私を忘れちゃったの? アロルドが髪のことを言うの、本当に嫌だったのよ」
今であればたとえ髪のことを揶揄されようと、許せていた気がした。
ラウラの存在が消えていく。
大切な人からもそうではない人からも。
◇
「お母さん」
「え? あなた何か言った?」
「いや、何も言ってないが」
「そうなのね。誰かに呼ばれた気がしたんだけど、気のせいね」
両親の記憶の中からラウラが完全に消えてしまうと、ラウラの存在自体が認識できなくなってしまった。
「お母さん、お鍋がふきこぼれてるよ!」
焦って母親を呼んでも、母親は何も気づかず縫い物をしている。たまに欠伸をして、片手で肩を何度か叩く仕草をしている。
しばらくすると焦げた臭いに気づいて、慌てて台所へと駆けていった。
「だから言ったのに」
母親の背中を見送るラウラの目から、涙の粒がこぼれ落ちた。
いっしょにいても、両親の目にラウラは入らない。声をかけても気づいてもらえない。
それでもラウラは家に居続けた。
もしかしたら元に戻るのではないかとの、一縷の望みを抱いていたためだ。
自室で眠り、母親の作る食事をそっと食べる。ラウラの分として用意されることはないため、余っているものを密かに摘まんだ。
「辺境の魔獣退治が終わったらしいぞ」
「良かったわ。セスト君は無事かしらね」
王都からやってきた商人が、町にその情報をもたらしたらしい。
セストの家族にはすでに伝え、父親と姉は涙を浮かべて喜んでいた。しかし、一抹の不安も残るようだった。
それもそのはずで、セストが町を出てから手紙の一つも届いたことがない。
果たしてセストは無事なのか、怪我をしていないか。あるいはと最悪の事態が脳裏から離れることはない。
この二年、セストやラウラの家族はどうにかして辺境の情報が掴めないかと、商人や旅人が町を通るたびに魔獣退治のことについて尋ね続けた。しかし、詳しい話が耳に入ることはなく、この日を迎えることになった。
「お父さん、セストは無事だよ。赤い鬣の魔獣に殺されることもなかったし、無事に帰って来るよ」
それでもラウラの言葉は届かない。
「辺境から王都まで半月くらいはかかるだろう? 辺境から帰っても報奨の受け取りや手続きのため王都にしばらくいるらしい。セストが帰って来るのはいつになるだろうな」
セストはすぐに帰って来ないらしいと聞いて、落胆する気持ちと少しの安堵がラウラに去来した。
今すぐにでも逢いたいセストだが、それ以上に逢うことが恐ろしかった。
両親がラウラのことを忘れ始めたときから、ずっと考えていることがある。
あの日セストは霧の山で、ラウラのことをずっと好きだったと言ってくれた。帰るのを待っていてくれとも言ってくれた。
その言葉に嘘偽りはないのだと思っている。
セストはラウラがいながら別の誰かを愛するような、不誠実なことはしない。しかし、ラウラという存在がいなければ、いつか他の誰かを愛するだろう。
セストからラウラの記憶が消えてしまったら、次にセストに近しい存在は辺境の地で危険な目に遭いながらも、共に乗り越えたあの女性ではないのだろうか。
ラウラの視た金色の髪の女性が頭をよぎる。
やはり運命は変わらないのだ。
それでもセストの命が奪われる未来を変えることはできた。
皆の記憶からラウラが消えると知っていても、同じ選択を迫られたなら何度でもラウラはセストを救うだろう。
「だから、なにも後悔はしてないんだよ」
セストの記憶からラウラが消えたとしても、セストと過ごした大切な記憶はラウラの中にある。
セストを想って、想いは通じた。
それだけで十分だ。




