12.霧山の攻防
「山の気配が変わりましたね」
「魔術士副団長、どうなさいましたか?」
魔術士副団長は口元に人差し指を立て、周りに静かにするように促すと目を閉じて辺りの魔力の流れを探る。
先ほどまでは魔力の欠片すら感じさせなかった山が、突然その気配を変えた。欠片ほども魔力の気配を感じさせなかった山のあちこちから、魔力が滲み出ている。
直前に微かな異質の存在を感じたが、そのせいだろうか。
「おい! セストそっちじゃない!」
突然走り出したセストを騎士団長が追いかけている。
騎士団長の声など耳に届いていないセストは、ラウラの姿を追って険しい斜面を駆け登った。
実体のあるはずのない霧が、重たくセストの足に纏わり付いて思うように足が動かない。先を急ぎたい焦燥感に駆られながら、行く手を阻む霧を手で掻き分けながら前へと進む。
「ラウラ! いるなら返事をしてくれ」
ラウラを見かけたあたりに辿り着き、必死に周りを見回すが、どこにもラウラの姿はなかった。
そもそも故郷から遠く離れたこんな場所に、ラウラがいるはずはないのだ。いるはずはないと分かっているが、セストが見たのは間違いなくラウラだった。
ラウラを思い焦がれたがゆえの幻だったのか。
「セスト!」
追いついた騎士団長に腕を引っ張られて、セストはようやく声の方を向いた。
「……え? 騎士団長?」
初めてその存在に気づいたかのように驚いた顔をしているセストに。あんなに大声で呼んでいたのに気づいていなったのかと、騎士団長は憤慨しセストに声を荒げた。
「いきなり走り出して、勝手をするな!」
騎士団長の大声に目を開きセストたちの方に目を向けた魔術士副団長は、セストの前方に立ちこめた霧をみて瞠目した。
「その霧から離れて下さい!」
「え?」
魔術士副団長の声に振り返ったセストの背後から、白い霧が意志でも持っているかのように、セストと騎士団長を飲み込んだ。
霧によって視界が白く覆われ、身動きできなかったのは一瞬だった。
霧に連れ去られたセストと騎士団長は、息を殺し気配を殺し、目の前のものを信じられない思いで見ていた。
壁のような霧を抜けた先は、青空の広がる開けた平地だった。山の中腹にこんな場所があったのかと驚くセストの前に姿を見せたのは、小さな丘ほどもある猪によく似た魔獣だった。
薄汚れた体中の毛はまだらに抜けて艶はなく、目は白く濁りすでに見えてはいないだろう。片足は朽ちて骨が露出し、下顎から生えている長く尖った牙の間からは、汚れた涎が垂れている。
もはや自力では動くことすらままならず朽ちて息絶えるのを待つだけの魔獣だが、全身から発する禍々しい魔力は凄まじい。
猪の魔獣に気取られないようにと微動だにすることなく注視しているセストたちの前に、草むらからリスのような小動物が現れた。
小さな獣は力あるものを恐れるものだ。しかしなぜか、魔獣を本能で避けるはずの小さな獣が、焚き火に誘われる羽虫のように猪の魔獣の元へと近づいて行く。
そして、魔力を帯びた猪の魔獣に触れた途端、小さな獣の身体は何十倍にも膨れ上がり、裂けるのではないかというほどの大きな口を開けて咆哮をあげた。
「くそっ。ああやって魔獣を増やしてやがったか」
いくら倒しても無尽蔵に増える魔獣は一体どこからやってくるのか。魔術士たちも発生の理由を掴めずにいたが、魔獣が自らの魔力を削り、魔の物を生み出していたようだ。
◇
「各自武器を持て! 騎士団長の後を追うぞ」
「はっ!」
セストと共に騎士団長までが姿を消したことで、周りの騎士たちはすぐさま武器を手に持ち、臨戦態勢に入った。鞘から剣を抜きいつ襲ってくるかも分からない敵に備え準備を整える。
「魔術士副団長、突入にあたり援護を頼みます」
「もちろんです。魔術士は数名この場に残り、後続班への伝令を。残りは騎士へ続くように。間違いなくそこにいます。総員、最大の注意を!」
魔術士副団長は側にいた魔術士に指示を出すと、騎士たちと共に霧の中へと向かった。
魔術士副団長たちが霧の壁を抜けると、そこは凄まじい魔力の坩堝だった。渦巻く魔力は、立っているだけでもくらくらと目眩がするほど強大で凶悪だ。
「これはまた想像以上ですね」
「魔術士副団長、もう立っているだけで精一杯です」
「よくもこれだけの魔力を隠し通したものだと感心します」
山は以前から領民たちから霧の山と呼ばれていた。果たしていつから霧を目眩ましとして、山を根城としていたのか。
ここにいるのは、それだけのことをやってのける力を持った魔獣だ。
魔術士は魔力にあてられて蒼白になり、霧を抜けた瞬間から感じる殺気に身を硬くしている騎士もいた。
木陰に隠れているセストと騎士団長を見つけた魔術士副団長は、その背後にそっと近づいた。
「騎士団長、ご無事でしたか」
「なんで俺たちはここに入れた?」
魔術士副団長がやって来たことに気づいた騎士団長だが、振り返ることなく問いかけた。
「先ほど何か異質なものが山に侵入しました。そのせいで山の障壁に綻びが生じたようです」
「俺たちは綻びに落ちたのか。異質なものとは新手か?」
「いえ、必ずしも悪意のあるものとは限りません。今のところ何も動きもなく、気配もすでに消えてしまいました」
騎士団長がはっと顔を上げると、口元に不適な笑みを浮かべた。
「さすがに気づかれたようだぞ」
騎士団長が顎で前方の猪の魔獣を指し示すと、濁った目に怒りの色を乗せてこちらを射貫くように見ていた。大人数が霧を抜けたことで、人が立ち入ったことを察知したようだ。
それとともに辺りを覆っていた濃霧が嘘のように晴れ、山がその全貌をあらわにした。
そこへ霧の外にいた騎士や魔術士たちがなだれ込む。
「あれが全ての元凶だ。その辺の野生動物から魔獣を生み出していたぞ」
「本当ですか? 一体どうやって?」
「ただの獣だったものが、あれに触れた途端に魔獣へと変化した。セストも見ている」
「はい。自分も確かに見ました」
セストも大きく頷いた。
騎士団長が目標は猪の魔獣だと告げると、騎士たちは猪の魔獣に向かって攻撃態勢に入る。すると、辺りの木々から幾頭もの魔獣が姿を現し、猪の魔獣を守るように騎士たちの前に立ちはだかった。
「きゃあああ! こっちに来ないで!」
一触即発の緊張が続く中、膠着状態を崩したのは場違いに響き渡る女の悲鳴だった。家に帰りたいと泣いていた魔力持ちの少女が、数多の魔獣に恐れを抱き来た道を駆け出した。
「だから、あいつを連れてくるのは嫌だったんだ!」
騎士が両腕を開いて少女に止まるように促すが、少女はその手を振り切って転がるように逃げ出した。逃げる少女を追っている魔獣たちが一斉に襲いかかろうとするところを、木々に隠れていた騎士が迎え撃つ。
「自ら囮になってくれるとはな」
少女が魔獣を攪乱することで一箇所に集まっていた魔獣が分散され、結果として迎え撃ちやすくなっている。狭い場所での抗戦は足場が悪く、剣を振り上げることもできないため分が悪かった。
しかし、それはあくまで結果であり、部隊を混乱に陥れたことは間違いない。
平地に残った騎士と魔術士たちは猪の魔獣に狙いを定め攻撃を仕掛けるが、周りの魔獣が身を投げ出して行く手を阻み刃は猪の魔獣には届かない。
「あいつの魔核はどこにある!?」
何人もの魔術士が魔核の位置を探すが、猪の魔獣は巧妙に在処を隠し見つけられずにいる。
その時、後方から飛び出してきた大型の獣が、猪の魔獣の前に立ちはだかった。
狼のような姿をした大型の獣で、長く伸びた鋭利な犬歯や禍々しいほどに赤い鬣は明らかに他の魔獣とは異なっている。
威圧するように赤い鬣の魔獣が吠えている。獣を取り囲んで時期を計る騎士たちの後方に、セストも控えていた。




