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神の招く山  作者: 日戸 暁
第2章 妖しい彼との怪異な夏
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夏の香りと咽ぶもの

「あっついなぁ……」

僕は、炎天下のグラウンドを突っ切っていた。軋む扇風機と動かないブラインドだけではゼミ室の暑さを和らげることができず、僕は教授に頼まれて、すだれを取りに倉庫へ行くところだ。その倉庫は、楕円形の走路トラックとさらにテニスコートを2面越えたキャンパスの裏手、半ば雑木林と化した資材置き場の隅にあって、そこへ行くにはどう頑張ってもグラウンドを横切るしかなかったのだ。

だだっ広いグラウンドに日陰はなく、じりじりと皮膚を灼く日射しを避けることが一切出来ない。トラックの向こうなんて、ゆらゆらと陽炎が立ち昇っている。陽炎の中を長身痩躯でふわふわ天然パーマの男性が歩いてくる。この夏の陽射しの下で、全身真っ黒の服装。マスクまで黒。まるで影法師が起き上がって歩いているようだ。そんな姿の津田さんは、僕の方へとずんずん歩いてくる。広いグラウンドで、なんでわざわざこっちへ来るんだろう……。

「……あ、……ども」

僕のぎこちない挨拶に、津田さんはちらっと視線を寄越しただけで、会釈の一つも返してくれなかった。

あの交差点での出来事以来、津田さんはまた僕を遠ざけている。「僕と関わるな」と言われたのを最後に、言葉も交わしていない。そのくせこうやって身体的な距離を縮めてくるなんて、本当に、何がしたいんだろう。

グラウンドの先の雑木林に入る。陽射しが遮られているし地面も土だから少しは涼しいかと期待したのに。風がぴたりと止んだ林の中は蒸し暑く、肌がじっとりと湿るような不快な空気に満ちていた。この嫌な暑さにやられたのか、蝉すらも鳴いていない。

「あ、あれが倉庫かな」

木々の中にででんと建っている、長方形の建物。外から見たところ、窓はなく、出入り口もこの一箇所だけだ。引き戸を開けて中へ入り、電気を点ける。虫が入り込まないようにすぐに扉を閉じて、僕は色んな古い備品が乱雑に放り込まれている倉庫内を見回した。小学校の教室3部屋分くらいの広さはありそうだ。

「ぐちゃぐちゃだぁ……」

事務机や椅子、ロッカーボックスなどの大型什器。畳まれたダンボールや跳び箱、マットレス、ボールカート。奥の壁には古い横断幕が何本か、縦長に吊るされている。埃と黴の臭いのするなか、僕は簾を探してうろつく。

簾は巻いて何処かに立て掛けてあるはずと教授に聞いたので、まずは壁際に立ててある物から確認しようとしたけれど、灰色の壁に辿り着くまでに、色んな物をけなきゃならなかった。

それにしても、この倉庫の散らかりよう。うーん、まるで佐倉教授の部屋みたい。

あ、こんなところに未開封の組み立て式デスクワゴンがある。これを使えば教授の部屋も少しは片付くかしら。

って今はそれはどうでもよくて。

物を退ける内に色々目移りして、目的のものが何だったか忘れそうになりながら僕は倉庫の中を簾を探して動き回った。

壁際に置いてある物品をいったい幾つ退かしただろう。

埃が舞い上がって、僕はゴホゴホと咳き込んだ。

もう倉庫内を二周してしまったけれど、簾は見つからない。いったい何処にあるんだ。

まだ探してないのはどこだろう。倉庫内を観察して、僕はふとあるものに目をとめた。

横断幕の手前に、ゴム紐で縛ったマットレスが4本。サイコロの四の目のように2本ずつ2列に並べて、古いビニールテープでひと括りにして立ててある。

もしかして、この4本の真ん中に巻いた簾が紛れてないかな?

中を覗こうと手前のマットを動かしたら、テープがあっさり裂けてしまった。

僕がテープを破いてしまったのだし、古いテープを解いて、新しくテープを巻き直すことにした。

流石にマット4本は重いしデカいしで動かすだけで一苦労だ。それをテープで巻くのも、倒れそうになるマットを押さえながらの作業で、すごく大変だった。

結局そこに簾は無く、余計な労働をしてしまった。

あー、なんか一気に疲れちゃった。

とりあえず、少し休憩しよう。埃にむせて、息苦しい。

額から頬へと伝う汗を拭きつつ一息ついていると、さぁーっと冷たい風が吹いた。

あぁ、涼しくて気持ち良いなぁ。

……いや、扉は閉まってる。窓もない。それなのに、どこから風が吹き込んだの……?

僕が倉庫内を恐る恐る見回していると

じじ、じ、じじ。

今度は電気が点滅し始めた。

え、何? やだ、怖い。

倉庫から急いで出ようとしたけれど、散らかった床で何かに蹴躓き、よろけた拍子に古い机で脛を思いっきり打った。足元に、蓋の割れた小さな木箱が転がっている。

いたぁ……。

しゃがみ込んで脚をさすっているあいだに、とうとう電気がふっつりと消えた。

真っ暗な中で、身動きが取れない。

この真夏日に、何処からともなく、冷たい風が絶え間なく吹き込んでくる。涼しいを通り越して寒い。

不意に、お線香の香りが鼻を擽った。この倉庫で絶対にお線香なんて焚いてない!一体どこから吹いてくる風なんだ、墓地? 近くに墓地なんてないよ。

僕が怯えていると、今度は、

きぃ……、きぃ……、と床が軋み始めた。なにかの足音のようだ。

僕以外にこの倉庫には誰もいないのに。

怖い、怖い怖い怖い。

僕が寒さと恐怖にぶるぶる震えながら机の陰に身を隠していると、

がた、がらがら、ごとん。重たいものを動かすような音と共に、突然眩しい光が一筋、射し込んだ。

ドアが開いて誰かが来たのかと一瞬思ったけれど。

外は、薄暗い雑木林だ。こんなに強い光が射すだろうか?

一抹の疑念が頭をよぎる。

今度は大きな黒い影が床に映り、それが、ゆらり、ゆうらりと不規則に揺れながら、じり、じり、とゆっくり近づいて来る。

思わずぎゅっと目を瞑って頭を抱え、

「怖い、怖い、来ないで! あっち行って、いやーーーー!」

僕は絶叫した。


「盆には早すぎるぞ」

ぼそりと聴こえてきた声に、僕ははっとして顔を上げた。ほぼ同時に、ぱちりと電気が点いた。

「……え?」

細く開けた戸口に寄りかかって此方を見ているのは、津田さんだ。

「それで、僕は、そちらへ行かず、あっちへ行ったほうが良いか?」

自分の背後の雑木林を親指でクイッと指して、津田さんはため息混じりに訊いてきた。

「あ、あの……こっち来て……」

怯えて腰の抜けた僕は、情けない声で津田さんを呼んだ。

津田さんはひょいひょいと足元の物を脇に寄せて動線を作りながらやってきて、そのまま僕の横を通り過ぎていく。

ちょっとどこ行くの、スルーしないでよ津田さん!

津田さんは黙々と奥の壁まで行き、

「簾なら、ここに」

「え」

津田さんが、4本のマットレスの後ろ、並んだ白い横断幕の間に僅かに見えている壁を指して僕に問う。

「壁は灰色の無地。ここは?」

「……薄茶の横縞?……です」

「大正解」

と肯いて、津田さんはいとも容易くマットの束をどかして横断幕をはね退けた。

僕、こんな怖い目に遭ってまで必死に探したのに!後ろに簾が吊るしてあっただなんて!気づきませんよこんなの!

僕はぎゃんぎゃんと泣き喚いた。

「さて、気は済んだか?」

津田さんは僕が黙るのを待ってそう言うと、何故か僕を壁に背を向けて立たせた。

「津田さん……?」

僕の呼びかけを無視して、津田さんは何かごにょごにょと唱えた。

それから簾を取り外して僕の肩に掛け、下げ紐を首のところで結わえてくれる。

蓑じゃあるまいし、なんで簾を羽織らなきゃならないんだろう。

「あ、あのぅ」

「お黙り。……僕と関わるなと言っているのに君は、全く」

ええー、なんで怒られなきゃならないんだよ、僕、まだ何もしてないよぉ。

「怖い目に遭いたくないなら、金輪際、僕に関わらないことだ」

津田さんが冷ややかに言い、そのまま僕を肩に担ぎ上げた。津田さんの顔にお尻を向けるような体勢になってしまってとっても恥ずかしい。

「え、わ? つ、津田さ……」

「お黙り。……緊急時だ、我慢しろ」

津田さんは有無を言わさぬ口調で言い、すたすたと出入り口に向かって歩き出す。

結局この体勢は変わらないのか……。

そのまま津田さんは倉庫の外へ出る。

僕を肩に担いだまま、ドアノブをいじったり、後ろへ下がってしゃがみ込んだり、ガサゴソ何かやっている。

やがて、作業が済んだのか津田さんは扉に背を向けた。倉庫の入口付近がようやく僕にも見えた。

緑の葉っぱが沢山ついた枝が地面に刺さっていて、さらにドアノブとその枝が紙垂しでの下がった縄で結ばれている。ドアノブには変な文字と格子の描かれた紙が貼ってある。

……何の儀式なの、不気味なんですけど。


風が吹きはじめ、灰色の雲が空を覆っていく。辺りは一層暗くなる。にわか雨でも降りそうだ。

外の蒸し暑さと相殺されたのか、風はそこまで冷たくない。というか今度はぬるく感じる。

「戻るぞ。キミは僕にしっかり掴まって、……目を閉じておけ」

2,3回深呼吸をしたかと思ったら津田さんが駆け出した。

もちろん、僕を担ぎ上げたまま。

僕も慌てて目を閉じた。


雑木林のなか、線香の香りのする風が、おおーん、おおおーんと唸りながら、どこまでも僕らを追うように吹きつけてくる。


オンマリシエイソワカ、オンマリシエイソワカ、オンマリシエイソワカ、オン……


僕を担いで疾走しながら、津田さんがずっと唱えている。

ところで。こんなに、この雑木林は広かっただろうか?

僕が疑問に感じ始めた頃。津田さんが突然止まった。

そして、今来た方へと向き直った。

吹き荒ぶ風が僕の背《﹅》を《﹅》圧《﹅》し《﹅》て《﹅》きて息が苦しい。

津田さんはこの風圧を真正面から食らっているはずなのに、一歩もよろめかない。

「カゴメヨカコメフウジコメ、イマスミヤカニカノキシヘオクリタテマツルカラニハフタタビモドリタマウナ、マヨイタマウナ、急急如律令!」


ぱっと周りが明るくなったのが、目を閉じていても分かった。

気づけば僕らは真夏の日差しの下、走路の楕円のど真ん中にぽつんと立っていた。足元には、星にも似た形の図形が白い粉で大きく描かれている。

そっと津田さんが僕を地面に降ろしてくれる。その時、津田さんの手が一瞬、僕の首筋を掠めた。その手があまりにも冷たくて驚いた。僕は津田さんに血が通っているか確かめるようにその頬と首元に触れた。どこもかしこも、津田さんの肌は氷みたいに冷え切っている。

「さすがに、……冷えた」

津田さんが、ふいっと顔を背けて呟く。

あれ、僕はちっとも寒くなかったけどな。簾が防寒具の役割を果たしてくれたんだろうか。だとしたらこの簾、すごすぎる。

「ぎりぎりったな」

津田さんの低い呟きとほぼ同時にぷつんと紐が切れ、僕の背から、簾がばらりと落ちた。

それをみて、僕は言葉を失った。背を伝う汗ははっきり分かるほどに冷たい。

簾の中央、僕の背中を覆っていたであろうところに大きな黒い、

「てが……た?」

ようやく絞り出した声は掠れてしまった。息が浅くなる僕の肩に優しく手を置いて、津田さんがとぼけたように言う。

「こんな大きな手、あるわけないだろ……、なぁに、ただのよごれさ」


津田さんはそう言うけれど。

僕は確かに見てしまったんだ。


あの倉庫の扉を開け、

取っ手に貼られた御札おふだを破り、

張り巡らされたしめ縄を腐らせ

真緑の榊の枝を一瞬で枯らした

真っ黒な毛むくじゃらの大きな手を。


それが僕の方へと伸びてくるのを――。

 


外でお線香が香ったら、逃げましょう。

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