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神の招く山  作者: 日戸 暁
第2章 妖しい彼との怪異な夏
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共にあるけど気はそぞろ

「……あ」

佐倉教授に頼まれた外での用事を終えて、大学に戻ろうと通りを歩いていた僕は思わず足を止めた。道の角のカフェ、横断歩道側の窓際の席に、見知った顔があった。津田さんだ。並びの郵便局に僕が向かっていた時には居なかったと思う。今日の津田さんは灰色の上着の下に明るいグリーンのポロシャツを着ている。服、黒ずくめじゃないなんて珍しい。津田さん、今日はオフの日なのかな。ゼミ室にも今朝は居なかったし。……でも、僕が朝一でゼミ室に行ったら、既に給湯室のお湯やお茶が調えてあったな。この人、ゼミ室に何しに来てるんだ。

津田さんは珈琲を片手に熱心に本を読んでいて、往来には全く視線を向けない。僕には気づいてないだろう。

それなら邪魔せず、僕はゼミ室に戻ろうっと。僕も教授のお使いの最中だしね。

信号待ちをしていたら、少し年上の男性が僕に近付いてきた。

「キミ、一人? 一緒にカフェに行かないかい?」

僕は小柄かつ童顔のせいで女の子に間違えられやすくて、こうやって、ナンパされたことも結構ある。でも、僕が男だってわかると皆、諦めて去って行く。穏便に断れば大丈夫。

「すみません、僕、」

「あはは、可愛いねぇ、ボクっ娘なんだぁ」

人の話を最後まで聞けこのチャラ男!!……じゃなくて、これはマズい、早く離れよう。むしろ、後ろのカフェに入っちゃえば店員さんも……津田さんもいるし、安全かな。

信号が青になる。横断歩道を渡らずに、カフェに行こうとする僕の腕をそいつが掴む。不審者に遭ったら大声を上げろって言われるけど、正直、そんな心の余裕は無いものだ。それでもどうにか男から逃げようと、僕は横断歩道を逆に進もうとした。でも男の力は思う以上に強くて、振りほどけなかった。抵抗も虚しく、半ば引きずられるように僕は横断歩道を渡りだす。道を渡った先にも喫茶店がある。通りに面したところには席がない。あの店の奥に連れ込まれたら逃げられない。

ちらりと振り返って見た例のカフェの窓辺の席に、既に津田さんの姿はない。万事休す。

「なんでも奢ってやるから、機嫌直せよぉ!」

道の真ん中で奴は声高に言う。これではへそを曲げた僕が相手に逆らってるだけのようじゃないか……。これだけ人の目もあるのに、その男があまりに堂々としているから、周りは僕が誘拐されかけてるなんて思わないだろう。

とうとう横断歩道を渡りきってしまった。薄暗く、良く言えば落ち着いた雰囲気の喫茶店に、その男は僕を連れて入ろうとする。男が入口の扉を開ける。ドアベルが上品に、からんからんと鳴る。男は、僕が逃げ出さないよう、僕を先に店内へ押し込む。万事休す、再び。

怖くて足が震えてよろけた僕は、何故か前から誰かに腕を引かれた。そして、その誰かにそっと優しく抱きとめられた。

「この子は僕の連れだ。貰っていく」

頭の上から降ってくる、聞き知った声。僕の視界は、爽やかなグリーン一色。

「つ、だ、さぁん」

ほっとして、僕は津田さんにしがみついてわぁわぁ泣いた。

「もう大丈夫だ。店の奥の左手が、男子用の手洗いだ。顔を拭いておいで」

津田さんの言葉に

「おと、こ?」

僕を拐って来た野郎が妙な顔をする。僕も津田さんも揃って肯く。

「騙した、騙しやがった」

ぶつぶつと野郎が呟く。あ、これ、ガチでヤバい。

お店のご主人も不穏なものを感じたのか、カウンターの向こうからこちらを見ている。

津田さんが、逃げろと目配せしてくるので、僕はトイレに逃げ込んだ。

直後、野郎の奇声に続いて、大きなものが倒れるような音と悲鳴が聴こえ、ドアベルがけたたましく鳴った。

辺りがしんと静まり返って、たっぷり10数えてから、そぅっと僕はトイレから出た。津田さんは何事もなかったふうに、カウンター席で珈琲を注文していた。

「あ、あのぅ」

僕が声をかけると、津田さんはいつもの無表情で言った。

「すまない。あっさり逃げられてしまった」

……あの悲鳴とドアべル。奴は、津田さんに恐れをなして必死で逃げ出したのでは……?

店のご主人は何も言わずに珈琲を淹れているけど、見るからに手がかたかた震えている。津田さんがいったい何をしたのか、聞かないほうが良さそう。一人だけいた別のお客もこの騒ぎで帰ってしまったようだ。

「あ、あの。助けて下さって、有難うございます」

「いいから、キミもそこにお座り」

津田さんはメニューを僕に差し出してくる。津田さんとお茶をしたいのは山々だけど

「僕、まだお使いの途中で……」

「教授の用事だったのか、君が郵便局へ行ったのは」

「え?」

「気にするな、彼には僕から言っておく」

そうじゃない、僕が郵便局に行ったってなんで知ってるの。

「僕も居たからね、窓口ではなくATMの方だけど。局内でキミとすれ違った。ちなみに僕はその時、こんな形だった」

さらっと前髪をかきあげ、後ろは無造作に括り、黒縁丸眼鏡を色の薄いサングラスに替え、上着を腰に巻く。

……あぁ、もうまるで別人。お忍びで休暇を満喫する海外の俳優ですかこの野郎。

「がらっと雰囲気を変えて、その場に溶け込む。まるでカメレオンですね」

ちょっと、ご主人。津田さんはかっこよすぎて、溶け込めないから。でも、すれ違ったのに僕が気付かなかったってことは、ある意味、溶け込めてる?

悩む僕の横で津田さんが、むむっと唸り、呟いた。

「……グリーンのシャツ、やめる」

津田さん、そこじゃないからカメレオン。

「それはさておき、丹波。用事は郵便局だけか? 僕は珈琲を飲んだら図書館へ寄って、それからゼミ室へ行くのだが、君もどうだろう。ここからだと図書館まで歩いて約20分、図書館からキャンパスは15分くらいで着ける」

僕の中で、業務《理性》と、津田さんとのお出かけ(欲求)が天秤にかけられぐらぐら揺れる。

「津田さんは、貴方を一人で帰すのが心配なのですよ」

ご主人の一押しで、僕は、津田さんとのお出かけを優先した。……戻りが遅くなります、ごめんなさい教授。

ご主人は僕らに冷たいカフェオレを持たせてくれ、「デート、行ってらっしゃい」なんて言って送り出してくれた。

「二人で連れ立って歩いたら、全部デートなんですか」

と津田さんは渋面で返していて、僕は笑ってしまった。

二人でのんびりと歩く。喉が渇いていた僕はさっそく、カフェオレを口にした。

「カフェオレ、少し苦めで美味しいですよ。津田さん、飲まないんですか?」

せっかくだから冷たいうちに飲めばいいのにと思って津田さんに声をかけた。そうしたら

「苦めか? それ。店で飲むと毎回、珈琲の色と香りのついた甘い牛乳なんだが」

なんて言われてしまった。そうか、津田さんはこのお店のカフェオレ、飲んだことが何度もあるんだな。

「あのお店には、よく行かれるんですか?」

「そうだね、用事のない日はいつもあの店に行くね。店名は一世ひとよ×一代ひとよだ」

そんなに通ってるのか。メニューにココアがあったら、僕もたまに行ってみようかな。

 そういえば、店内で騒ぎを起こして迷惑をかけたことを僕が謝ったらご主人は、にこやかに津田さんを指し「向こう一ヶ月、津田さんが毎日うちに通ってくれるので、お気になさらず」なんて言っていたっけ。それでなくても津田さんはあの店の常連なのに。

「あ、さっき津田さん、別のカフェに居たの、浮気じゃん」

僕はそのことに急に気付いて、思わず声に出してしまった。津田さんは大袈裟に肩を竦めた。

「あのねぇ。浮気だなんて。本を読むのに明るい窓辺の席が良かっただけさ。珈琲は、あのマスターの淹れるものが格別だよ。……カフェオレは後で頂くよ。本当に苦いのか気になるが、さっき僕は珈琲を飲んだから今は飲み物は要らないな」

津田さんはサングラスの奥で軽く目を眇めて答えた。

連れ立って歩きながら、僕は他愛のないお喋りをし、津田さんは真面目に相槌を打って聴いてくれた。時々、声を立てて笑っている。いつもよりずっと、津田さんの表情が柔らかい。こうやって津田さんと学外で一緒にいるのは初めてで、そしてそれが楽しくて、

「カフェ行って、図書館に行って……ほんとにデートみたいですねぇ」

と喫茶店のご主人の言葉を真似て言えば

「キミね。図書館はデートスポットではないだろう、全く」

と呆れられてしまった。でも、僕のそんな冗談を嫌がらずに返事してくれたので、僕は充分嬉しかった。

これから行こうとしている図書館は、かなり蔵書が多く、珍しい専門書も貸してくれるのだと津田さんは教えてくれた。津田さんがよく行くなら、僕も利用カード作ろうかな。

そうこうするうちに大きな四差路に着いた。複雑に信号が配され、斜め横断もできる。信号が青になり、僕は津田さんと並んで横断歩道を渡りだす。中ほどまで渡っただろうか、ふと、後ろから誰かに声をかけられた気がして、僕は一瞬足を止めた。

……さっきの男だろうか。

冷や汗が出る。恐る恐る振り返ってみる。良かった、奴は居ない。立ち止まった僕をよそに、皆、道を渡っていく。いや、そもそも誰も僕を呼んでいない。

あ、しまった。この、ほんの僅かな間に、津田さんを見失った。

道路の向こう側、どこにも姿が見えない。どこへ渡ったの?正面?それとも斜め?

……とにかく信号が赤になる前に向こうへ渡ろう。

と思ったら、今度は何故か足が動かない。その場に立ち尽くす僕を、皆、器用に避けて向こうへ行く。まるで僕などいないように。

周りの音が聴こえないことに、遅れて気付く。人波の中で、物音一つしないなんて。

何故?

持っていたカフェオレの容器が手から滑り落ちる。

くらりと目眩がした。

そんな僕の手首を、誰かが掴んで引っ張った。

はっと、目が醒めた。……え? 僕、立ったまま寝てた?

「どこに行っていた!?」

津田さんが僕に怒鳴っている。僕の答えを待たず、

「あぁ、もう。……間に合わなくなる。走れ!!」

津田さんに引っ張られているから止まることができなくて、縺れる足で無理やり走る。

こんなに長いんだ、この横断歩道……。見た目以上に距離があるなぁ。

息を切らせて二人、何とか交差点を渡りきった。

顔を上げて見た信号は、ちょうど赤に変わるところだった。

ようやく周りの喧騒が耳に入ってくる。

「ご、ごめんなさい。なんか……声、かけられて……また、彼奴かと」

そう、多分それで足が竦んだんだ。弁解して謝る僕の肩を掴み、津田さんは言った。

「キミはさっさとキャンパスに行け。……何がデートだ、何を浮かれている。愚か者が」

津田さん、そんな言い方……やだよ、悲しいよ。

僕が首を横に振ってイヤイヤをすると、チッと津田さんが舌打ちし、黙って歩き出した。それもかなりの早足だ。慌てて追いかけながら僕が呼んでも、津田さんは返事はおろか頷き一つ返してくれない。

というか、周りをせわしなく見て、気もそぞろになっている。怒っているというか、焦っているというか。でも津田さんは今の気持ちも行動の理由も何も教えてくれないし、僕には何も分からない。

突然、津田さんが立ち止まった。そして辺りを充分に確認してから、僕に向き直った。

「見えるだろ、あれが大学の裏門だ。帰れ」

「待って、津田さんは」

津田さんは、ほんの一瞬、何かをぐっと堪えるように歯を食いしばってから、淡々と言った。

「図書館へ」

「僕も、行ってみたいです」

食い下がる僕に

「……キミ、バイトとはいえ、就業中だ。彼には僕から詫びておく」

津田さんはそう言って、僕に紙袋を押し付けた。中には、あの喫茶店のカフェオレ。

「まだ、口を付けていない。君にあげるから、聞き分けてくれ」

懇願されては否とは言えず、僕はとぼとぼと一人でゼミ室に戻った。

佐倉教授の部屋の前で、津田さんのゼミの渡会教授に出くわした。僕が会釈すると、

「あれは、己の不甲斐なさに対してだ。お前に対してではない」

と言って、渡会教授は自分のゼミ室へ行ってしまった。何だったんだろう、今の。

 

佐倉教授は、津田さんから、僕が郵便局の帰りに不審者に遭遇し、喫茶店へ避難したと聞いたそうだ。だから僕の身をすごく心配して、

「キャンパス外への使い走りは津田にやらせるわ」

と言ってくださった。

遅れた分を取り戻すべく、僕は事務作業に勤しんだ。

津田さんもすぐにゼミ室に戻って来たけれど、僕の挨拶には「ん」とも言わず、その手を僕の頭に置いたりもせず。視線すらも向けてくれなかった。


津田さんが僕のことを心配してくれて。一緒に図書館へ行こうと誘ってくれて。お喋りしながら津田さんが、気を緩めているのが嬉しくて。僕は浮かれていた。

無防備になった津田さんに、僕は近付きすぎたのかもしれない。

津田さんとの距離が縮んだかと思ったのに。また、津田さんは、どこか遠い人になっちゃった。もしかしたら、今までよりも。

 

固まってたものがほどけたら、なかみは薄まるものなのかしら。

氷が溶けた水っぽいカフェオレを啜って、僕はぼんやりと思った。

辻や交差点には気を付けましょうね。まようから。

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